第二百二十一話「しらばっくれる」
冒険者区に着いたのは、ほんの十数分後だった。
アイシャは足をガクガクと震わせて、へたり込んでしまった。
腰が抜けたようだ。
アイシャは高い所が苦手か。
悪いことをしたな。
「お兄ちゃん、せめて、地上を走ってよ……」
俺の身内には高い所が苦手なヤツが多いようだ。
シルフィも高所恐怖症だし、俺も高い所はあんまり得意じゃない。
エリスだけは好きそうだけどな、高い所。
「地上を走ったら交通事故が起こるよ。さぁ、早く母さんを探そう」
「うー……歩けない」
「ほら、おんぶするから」
「もう跳ばない?」
「跳ばないよ」
へたり込むアイシャをおんぶして、探索開始だ。
とはいえ、冒険者区も広い。
どこから探すべきか。
「お兄ちゃん、酒場見てこう。ご飯の時間だから、どこかで食べてるかも」
「あ、そうだな」
アイシャの助言を受けて、通りを小走りする。
通りにある幾つもの酒場を覗いて、ゼニスかギースの姿を探す。
食事時であるため、客は多い。
だが、馬鹿正直に客全員の顔を覗きこむ必要はない。
店員に聴きこみをすれば、一店舗ごとの時間を早く回していける。
虚ろな顔をした女と、猿顔の魔族。
目立つはずだ。
冒険者区はこの時間だと、まだまだ人が多かった。
獲物を抱えて依頼から戻ってきた冒険者。
その冒険者と取引をする商人。
仕事が終わり、食事へと繰り出す冒険者。
その冒険者を呼びこむ宿屋や酒場の店員。
冒険者か、それとも傭兵か、喧嘩の声も聞こえてくる。
時間が時間なためか、馬車の行き来は少ない。
となれば、ゼニスがウロウロと歩きまわって馬車に轢かれるという可能性も低い。
そこは安心できる。
「猿顔の? ああ、ギースか?
あいつなら、『春の木漏れ日亭』で見かけたぜ?」
三軒目でアタリが出た。
ギースはこの国にきて、そこそこの日数暮らしている。
あいつの事だから、色んな所に顔を広げているのだろう。
「女性を連れてませんでしたか?」
「女性……? どうだったかな……?」
店員は首をかしげていた。
が、とにかく行ってみればわかることだ。
俺は店員に『春の木漏れ日亭』の場所を聞き、
礼を行って銅貨を一枚握らせた後、『春の木漏れ日亭』へと急いだ。
少し、嫌な予感がした。
---
『春の木漏れ日亭』のある場所は、ガラが悪かった。
通りには娼婦と思わしき女が立ち並び、下卑た表情をした男たちが品定めをするように歩いている。
恐らく、娼婦街が近いのだろう。
このミリシオンにも、こうした町があるのだな……。
それにしても、男たちが物珍しそうに俺たちを見ている。
俺とアイシャのように
「ハッハ! よう! そりゃどんなプレイだ?」
「ちょ、お兄ちゃん、恥ずかしいからそろそろおろして!」
違った。
おんぶされてるアイシャが珍しいだけだったっぽい。
アイシャをおろすと、視線は消えた。
『春の木漏れ日亭』。
店構えは普通だが、ガラの悪い連中が出入りしている。
俺も、この世界に来てからは、かなり強くなった。
こういう店も恐れることなく出入り出来る。
ぶっちゃけ、シャリーアのルード傭兵団の事務所の方が威圧感があるぐらいだ。
だが、こんな所にゼニスがいるかもしれないという所に不安感を覚える。
ギースめ、何を考えているのか……。
もし、あいつが何かをとちくるってゼニスを娼館にでも売ろうというのなら、いくらギースでも容赦はしない。
腕の2本と足の2本ぐらいは覚悟してもらう。
「らっしゃーぃ!」
入り口から中に入ると、喧騒と共に店員の元気のいい声が響いた。
特に排他的な雰囲気はない。
ガラが悪いのは外側だけで、中は明るい雰囲気だな。
客層も、言うほど荒くれ者ばかりというわけではなく、普通の冒険者が多いようだ。
早速俺は周囲の客の顔を確認しつつ、店員に――。
「そこで俺が機転を聞かせて言ってやったわけよ『もしかすると、三つの転移魔法陣は全部罠で、別に通路があるんじゃねえか?』ってな」
いた。
奥の方、猿顔の男が酒を煽りながら、若手の冒険者相手に自慢げに何かを話していた。
若手の方もとっぽい感じだ。
頭をツンツンに尖らせてる少年。
鼻にピアスをつけているロンゲの少年。
つり目がちな少女。
三人。
ゼニスの姿は無い。
周囲を見渡しても、やはりゼニスの姿はない。
「そしたら、俺の睨んだ通り、地面によ、ありやがったんだ、ボス部屋への隠し通路が……」
テーブルの近くに立つと、ギースが俺に気づいた。
「あっ」って顔だ。
「ギース」
「よ、よぉ先輩。ちょ、ちょうどあんたの話をしてたんだ。ほらお前たち、彼が『泥沼』だ」
三人がぎょっとした顔で俺を見た。
女の子など、自分の胸元を抑えながら椅子ごと体を引いている。
なんだよ……。
どんな話してたんだよ。
まあいい。
そんな事より、聞かなければならない事が山ほどある。
何から聞くか……。
よし、まずは、ヒトガミの関与からカマを掛ける。
「ギース……残念だよ。お前が俺の敵だったなんてな」
「はぁ? 何がだよ?」
「全部聞いてるんだろ? 夢のお告げで、あいつにさ。こうなった場合、俺がどうするかも」
「おいおい、何の話だ? 夢? え?」
ヘラヘラ笑いながらすっとぼけようとするギースに対し指先を向けて、魔力を込める。
岩砲弾が生成され、高速回転を始める。
キュィィンと、ドリルのような音が周囲に響き渡らせる。
若手の冒険者たちがぎょっとした腰を浮かせた。
「動くな」
奴らは一言で止まった。
その後、ギースの目を見て、もう一度言う。
「何を吹きこまれたか、全部白状しろ。そしたら命だけは助けてやる」
「ちょ、おい、お、おいまじ、まじか、やめ、やめろ…………悪かった! 何がなんだかわからねぇが、俺が悪かったから、それ近づけるのやめろ!」
指先を少しだけ遠ざける。
すると、ギースは即座にイスから飛び降りて、その場で土下座した。
そして、そのまま恥も外聞もなく、ぺこぺこと謝ってきた。
「俺が、何か悪いことしたんだな! 謝る! ルーデウスを怒らせるような事をしたんだな! でも心当たりがねえんだ! まずはそれを教えてくれ! 何が悪かったのかわかんねぇんじゃ、謝りようがねえ! ほんとすまん!」
あれ?
なんか、予想と違う。
あっけに取られてしまった。
ヒトガミの使徒ではないのだろうか。
判断はできない。
しかし、今まで世話になっていた相手がこう、目の前でへこへこしている姿は……申し訳ない気持ちになるな。
「……うちの母さんはどうしたんだ?」
「あ?」
ギースは顔を上げて、首をかしげた。
酔っ払った赤ら顔だが、きょとんとした表情。
これが演技だったら、凄いな。
「母さんだよ。うちのゼニス母さん」
「……? いや、そこらを見せて回った後、すぐに帰したぜ?」
「帰ってきてないから、俺がここに来たんだ」
腕を組んでそう言うと、少年の一人がくすりと笑った。
見ると、アイシャが横で俺と同じポーズを取って頷いていた。
ふざける場面ではないので、偶然だろう。
少年をひと睨みすると、彼は「ヒッ」と声を漏らして体を硬直させた。
「えぇ……でも、なぁ……確かに帰したぜ?」
「どこまで?」
「どこまでつっても、冒険者区への入り口あたりだよ。そこで、お前んちから迎えが来たんで、そいつらに任せたんだよ」
…………え?
使い?
俺んちの?
俺とクリフはずっと教団本部にいた。
アイシャは買い物で、ウェンディは家に……。
いや、違う。
「それは、ラトレイア家の者だったか……?」
「そうそう、ちゃんと紋章も確認したぜ? 間違いなく、ラトレイア家の使いだった」
動悸が早くなる。
ラトレイア家の使いが、ゼニスを、連れ帰った。
落ち着け、整理しろ。
まず、ギースがゼニスを連れだした。
なんでだ?
「そもそも、お前は何のために母さんを連れだしたんだ?」
「何のためって言われても、ゼニスや先輩とも久しぶりだから、ちょっと話でもしようかと思っただけでよ……」
気まぐれか。
オーケー。辻褄は合って……。
いやまて、おかしい。
「お前、なんでクリフの家を知ってた?」
「最初はラトレイア家を訪ねたんだよ。
まぁ、あんま行きたくないトコだけどよ、先輩に取り次いでもらえば大丈夫だと思って……。
そしたら、お前とゼニスは事情があって別の家に泊まったから、そっちを訪ねろっていうんだ。だから、わざわざそっちまで訪ねたんだよ」
「神聖区に入るのを嫌がってたのに?」
「理由もないのにウロついてたら何されるかわかんねぇってだけで、どうしても入りたくねえってわけじゃねえよ」
ギースの言い分が、少しふわふわしてるな。
曖昧だ。
酒を飲んでるのもあるだろうし、混乱してるのもあるだろうが。
「……」
しかし、わかった。
何が起こったのかは、今のでわかった。
つまり、話の流れはこうだ。
まず昨日、俺はラトレイア家で激昂して、あの家を飛び出した。
だが、徒歩で帰った俺たちに、尾行が一人付いていたのだろう。
うかつな事に、俺はそれに気づかず、滞在場所を知られるに至った。
とはいえ、ラトレイア家とグリモル家は派閥で言えば敵同士だ。
出向いていってゼニスを渡せを言っても、突っぱねられるのは想像に難くない。
かといって、グリモル家を襲撃するのは、情勢的にも難しいはずだ。
排斥派が優勢とはいえ、一つの事が失脚材料となる。
そこで、ラトレイア家はギースを使った。
自分のところにのこのこと出向いてきた何も知らない魔族の男。
本来なら、叩き返す存在。
だが、それは同時に魔族排斥派の自分たちが使うはずのない駒でもあった。
それを利用して、ゼニスを外へと連れださせた。
ギースが連れだしたゼニスをすぐに確保しなかったのは、護衛を考慮してだと思う。
しかし、護衛はいなかった。
俺は出かけていたし、アイシャもタイミング悪く外出していた。
最終的にラトレイア家は運良く、実にスムーズにゼニスを確保した。
あとは、俺が何を言っても知らんぷり出来るだろう。
ギース?
知らない子ですね。
そんな薄汚い魔族を自分たちが知っているわけがない、とかなんとか。
さらってきたゼニスは、どこかに隠せばいい。
世話係を一人つければ、監禁するのは容易だ。
「お、おい、先輩、どうしたんだよ……」
「…………いや。お前、家を教えてもらう時、ラトレイア家のやつに何か言われたか?」
「え? ああ、ゼニスも帰ってきたばかりで町が恋しいだろうから、家にいるようだったら連れだしてやれって……」
ギースを責めるまい。
彼は何もしらなかった。
ラトレイア家に出向く事と、そこに滞在するであろうことを言ったのは俺だ。
俺が家にいると思っていたのなら、ラトレイア家がギースに対して刺々しい対応をしなかったのだとしても、疑問には思うまい。
そんな状態であれこれ吹き込まれれば、操り人形になってしまうのも仕方がない。
うかつなのは俺だ。
やはり、ゼニスは今日にでも家に帰しておくべきだった。
弱点となるものを手元に置いていたのが間違いだったのだ。
全てが終わった後、こっそりとゼニスを連れて観光にでも来ればよかった。
だが、悔やんでも仕方がない。
とにかく今は、ゼニスを取り戻さなければならない。
「ギース……実はな――」
俺はギースに事の顛末を話し、協力を要請することにした。
こういう状況、こいつの力はあった方がいいだろう。
利用されたとはいえ、こいつにも責任の一端はあるのだから。
先ほどの受け答えを見る限り、ヒトガミの使徒ではないと思う。
「……マジかよ」
全てを話し終えた時、ギースは苦々しい顔をしていた。
「そっか、確かに、少しはおかしいと思ったんだ。ラトレイア家では先輩の仲介もなく、すんなり居場所を教えてもらえたし……てっきり先輩が話を通してるからだと思ってたが……外に連れ出せってのも、そういう事かよ……」
ちょっとした情報の齟齬。
それが、相手に付け入る隙を見せてしまった。
しかし、誰にでもミスはある。
すぐに取り戻そう。
「わかった。そういう事なら、俺も協力するぜ」
「頼む」
ギースを仲間にし、俺達は早速ラトレイア家へと向かうことにした。
半ば、無駄だろうとは知りつつも。
---
ラトレイア家についた時には、すでに周囲はシンと静まり返っていた。
晩飯時も終わり、就寝時間へと移り変わろうとしている時間帯だ。
急いで来たつもりだったが、人を二人抱えての移動である。
どうしても時間は掛かってしまうものだ。
アイシャが半べそで「お兄ちゃんの嘘つき……」とつぶやいているのは置いとこう。
「起きてるな」
さて、ラトレイア家はまだ明かりがついている。
だが、門には誰の姿もなかった。
呼び鈴もない。
家人を呼んでもらいたい場合、どうすればいいのだろうか。
大声でも出せばいいのかな?
……客が来たらどうするつもりだったのだろうか。
いや、この時間の客など、最初から門前払いにするつもりなのだろう。
ええい、ままよ。
「ルーデウスです! どなたかいませんか!」
俺は門をガンガンと叩きながら、大声を張り上げた。
近所迷惑など知ったことではない。
大義とはいえないかもしれないが、名分はある。
もしラトレイア家がゼニスを誘拐したのであれば、非は向こうにある。
もしラトレイア家がゼニスを誘拐していないのであれば、ギースの所にきたラトレイア家の使いは偽物で、本当にゼニスが誘拐された事になる。
俺はこの家と縁を切ったつもりだが、ラトレイア家を騙ってということなら、この家にとっても問題だろう。
「……」
しかし、返事はない。
俺はさらに門を叩き、大声を張り上げ続けた。
金属製の格子門は、魔導鎧の拳に叩かれて、少しずつ歪んでいく。
「うちの母さんの件についてお話をしたいのですが!」
しかし、やはり返事はない。
いっそぶち破ってやろうか。
「出てこないなら門をぶち破りますよ!」
一応、そう断った後、俺は右手に魔力を込めた。
この程度の門で俺を止められると思ったら大間違いだ。
「お、おい先輩まてよ! 壊すのはまずいだろ」
止められた。
ちょっと頭に血が登っているらしい。
だが、焦りもあるのだ。
先日、クレアはゼニスを嫁がせて子供を産ませる、みたいなことを言っていた。
相手を見つけて、結婚式をあげて、住居を決めて、子供を作る……。
と考えれば、焦ることはない。
ラトレイア家の動向を探っていれば、いずれゼニスの所に辿り着けるだろう。
だが、ここで一つ。
子供を作るという部分にクローズアップしてみると、あら不思議。
男と女を用意して、ベッドに放り込んで30分もすれば、出来る時はできてしまう。
そして、世の中には「既成事実」という単語も存在している。
ゼニスを見つけた時には、すでに何かが踏みにじられている可能性もあるのだ。
自分の娘に対してそこまではやらない。
そう願いたいが、廃人になった娘を嫁がせようというイカれた婆さんの考えは読めない。
だから急がなければいけない。
しかし、扉を破るのは性急だ。
岩砲弾でも打ち込めば一発だが、大きな音は人を呼ぶだろう。
この国の法律はよく知らないが、門を破壊して無罪ってことはあるまい。
人が集まり、衛兵がきて、犯罪者ともなれば、教皇やクリフにも迷惑がかかろう。
先を見据えて行動しなければいけない。
「そうだな。ここは土魔術で解錠してこっそりと――」
「こっそりと、どうするおつもりですか?」
その声は、門の向こうから聞こえた。
気づけば、いつしか格子門の向こう側に、五人の男女が立っていた。
兵士が三人に、執事が一人。
そして、品の良い服装に身を包んだ、老婆が一人だ。
「こんな夜更けに、当家に一体いかなるご用向きでしょう?」
「……」
クレア・ラトレイア。
俺の声を聞いて出てきたのか。
それとも、予め出迎える準備をしていたのか……。
「クレアさん……ちょっとやり方が汚いんじゃないですか?」
「何のお話ですか?」
「ギースを使って、母さんを拉致したお話ですよ」
そう言うと、クレアはギースを見て、眉を潜めた。
「拉致ですか? 何のお話かさっぱりわかりません」
「そうとぼけるのは、予想していましたけどね……」
ギースに目配せする。
彼は頷きを返し、護衛三人のうち、一人を指さした。
「あいつだ。あいつが迎えに来た」
「……」
指差された護衛。
そいつは、すっとぼけた表情をして、肩をすくめた。
何の話かわかりませんって顔だ。
「当家では、教義により魔族と関わりあいになることを禁じています。
そのような薄汚い魔族を使うなど、あり得ません」
クレアは冷ややかな目でギースを一瞥し、きっぱりと言った。
「ゼニスが何者かに拉致されたというのであれば、捜索隊を出しましょう。
無論、その魔族のでまかせという事も有り得ますので、
詳しい話を聞かせてもらおうと思いますが……」
「うっ……」
その言葉に、ギースがうめき声を上げて一歩、後退りした。
口封じか。
そう考えると、今晩中にもギースが殺されていた可能性があるな。
そうなると、俺はここまで来れなかった可能性も高い。
早めに動いてよかったということか。
「では、あなた方は、どうあっても、母さんの所在に心当たりはないと言うんですね?」
「ありません。仮に心当たりがあったとしても、当家と縁を切って出て行った貴方に教える義理はありません」
なんでいちいち嫌味な事を付け加えるんだ、この婆さんは……。
作戦か?
俺をイライラさせて何の得がある?
もしかして、こいつ、ヒトガミの使徒なんじゃなかろうな。
意図は読めないが……。
あるいは、本当に知らない可能性もあるのか?
となると、ギースが嘘を言ってる?
なぜギースが嘘をつく?
あいつは嘘つきだけど、人が傷つく類の嘘はつかないはずだ。
「クレアさん……」
「なんですか、ルーデウスさん。嘘だと思うのなら、屋敷を探して頂いても構いませんよ?」
クレアはふんと鼻息を吹いて、冷ややかな視線を送ってきた。
見つからない自信があるのか。
それとも、すでに別の場所に移したか。
「他に何もないのなら、お引取りください。あなたはもう、ラトレイア家には関係のない人間なのでしょう?」
「…………」
俺は苦々しい顔をしていたと思う。
目の前の人物が怪しいのに、真偽を確かめる術がない。
話し合っているはずなのに、言葉が出てこない。
ゼニスは心配だ。
だが、目の前の婆さんから、その居所を聞き出す事は、できる気がしない。
いっそ、クレアを拉致して、無理やりにでも居場所を聞き出そうかという気持ちすら沸いてくる。
いや、いっそではなく、そうしてやろうか。
証拠は何もない。
ギースが言ってるだけだ。
だが、ラトレイア家が拉致したというのが真実なら……。
まて、まて、落ち着け。
まずは、対話だ。
しらばっくれることは、最初からわかっていたことじゃないか。
「母さんは……ラトレイア家と、関係あるって言うんですか……」
「あの子は私の娘です。母親には、道を踏み外した娘の面倒を見る義務があります」
「それが! 本人の意志なく結婚させる事だって言うんですか!?」
「……」
「俺だって、ゼニスの息子です。父さんに『死んでも母さんを守れ』って言われたんです。義務があるんです。責任を持って死ぬまで面倒を見ます。だから母さんを返してください……」
「…………」
クレアは答えなかった。
ただ、いたたまれなくなったように視線を逸らした。
なんでそんな顔をする。
やはり彼女にも、思う所があるのか?
自分のやってることはおかしいという自覚が。
テレーズだって、そんな悪い人だとは言ってなかった。
少しすれ違いがあるだけなのだ。
そうだ。
よし。
俺がもっと我慢して、ちゃんと話をして、意図を聞き出せば……。
「衛兵が来ましたね」
違う。
クレアは目を逸らしたのではない。
視線の先、通りの方。
そこから衛兵と思わしき者達が、ランプを片手に走ってくる所だった。
「これ以上、この場で問答を続けるつもりなら、慮外者として通報しますが、いかが?」
俺はクレアを睨んだ。
冷ややかで頑固で、俺の言うことなんて一つも聞くつもりのない婆さんを睨んだ。
頭の中で、この婆さんを人質にとって、ゼニスを返還するように要求する光景が浮かぶ。
こんな門、俺にとってはあってないようなものだ。
ぶち破って、婆さんの首根っこを掴んで持ち上げて、周囲の奴らに「今すぐゼニスを連れて来い」と叫ぶ。
2秒も掛からない。
一瞬だ。
でも、それでゼニスは戻ってくるのか?
この婆さんの冷ややかな顔を見ろ。
こないだは、暴れた。
後で聞いた話によると、衛兵も6~7人はふっ飛ばしたらしい。
今、自分の周囲にいる衛兵の倍の数で、走ってくる衛兵を加えてもなお数が多い。
それなのに、こんな門一つを隔てただけの場所に出てきて、
「……俺は、あんたを拉致して無理やりにでもゼニスの居場所を聞き出してもいいんですよ」
「やってごらんなさい。それでゼニスが戻ってくると思うのなら」
こんな居丈高にこんなことを言い放つ。
その度胸はどこから出てくる?
俺が出来るのはわかっているだろうに、キレれば暴れるヤツだってわかってるだろうに。
自分がどうなろうと構わないのか?
なぜ、こんな事をする?
くそっ、意図が読めない。
俺を暴れさせたいのか……?
衛兵たちの目の前で?
「クレアさん、あなたもしかして、夢でお告げとかされているわけじゃないですよね?」
「……は? なんですか、急に? お告げ?」
クレアは一瞬だけ、冷ややかな表情を崩した。
きょとんとした顔。本気で、心当たりのない顔。
先ほどのギースとよく似た顔。
これは、違う。
ヒトガミの使徒ではない。
だが、すぐにその表情も消えた。
「……ふん」
彼女は俺から顔を逸らし、走ってくる衛兵に向かって顔を向けた。
「聖堂騎士団『弓グループ』の
「この者たちは――」
「わかりました。今日の所は帰ります」
俺は最後の理性を絞りだすようにそう言った。
---
帰り道。
意気消沈しながら、居住区の道を歩いていた。
俺の思考はグルグルと回っている。
冷静ではないとわかっている。
どうしようもない、怒りと苛立ちが渦巻いている。
「……」
結局、ゼニスの行方はわからなかった。
だが、今のやりとりで。
あの無言の顔や返答で。
俺は確信していた。
クレアはギースを利用して、ゼニスをさらった。
それは、間違いない。
俺に悪いところもあっただろうが……でも話し合いの席すら設ける事もなく、一方的に拉致し、しらばっくれ、突っぱねた。
くそっ……。
「その、悪かったな……俺がヘタうっちまって」
「いや、ギース。お前は悪くないよ。母さんのことを思って、入りたくなかった神聖区にも来てくれたんだろ?」
「あ、ああ……」
ギースが悪いわけじゃない。
利用されただけだ。
タイミングが良すぎるとは思うが、そんなもんだ。
「ギース……うちの母さん、探せるか?」
「できないことはないが、厳しいぜ?」
「だろうな……」
ギースは魔族だ。
こうして居住区を歩いているだけでも、すれ違う兵士に怪訝そうな目を向けられる。
そんな中、居住区や神聖区を中心に探りを入れるのは、厳しいだろう。
ゼニスを直接探しだすための手札は、俺の手元にはない。
「……」
だが、直接でなくとも、間接的にやれることはいくらでもある。
あっちがその気なら、手段を選ばず卑怯な事をするってんなら。
俺にも考えがある。
ルーデウス・グレイラットは今日から魔族排斥派の敵だ。
クレア婆さん、あんたがそうさせたんだ。
やってやるよ……。
「アイシャ、ギース……ちょっと危険なことをする、手伝ってくれ」
「もちろん手伝うけど……お兄ちゃん……どうするの?」
アイシャが不安そうに聞いてくる。
俺はそんなアイシャを見おろして、言った。
「神子を誘拐する」
ギースが飛び上がった。
「はぁっ!? 何いきなり突拍子もねえこと言ってんだ!?」
詰め寄ってきて、肩のあたりを掴んでくる。
「そりゃやべぇって!」
「ラトレイア家は神殿騎士団と関わりが深い。神殿騎士団は枢機卿派。枢機卿派は神子を擁することで勢力を伸ばしてるんだろ? だったら、人質として一番有効なはずだ。他のヤツなら切り捨てられるかもしれないけど、神子なら絶対に母さんは戻ってくる……」
ていうか、神子ぐらいしか人質交換に使えそうなのが思いつかない。
相手が誘拐って手段を使ったのなら、それと同じ意趣返しをしてやりたい。
「そりゃ有効だろうけど、後先考えろって! それで無事にゼニスが戻ってきたとしても、ミリスって国全体を敵に回しかねないぜ!?」
ミリス神聖国などどうでもいい。
オルステッドの暴力とアリエルの権力でねじ伏せてやる。
この国における活動は諦める。
俺にとっては、ゼニスの方が大事だ。
ヒトガミとの戦いは大事だが、一番守りたいものを切り捨てるつもりはない。
「先輩はなんとかなるかもしれねぇが、俺は魔族だ。さっきので関わりがあるってバレてるし、確実に殺されちまう!」
ギースの悲痛な声。
殺されるという言葉に、少しだけ頭が冷える。冷静になる。
確かにラトレイア家、並びに神殿騎士団を敵にまわすと、俺はともかく、周囲は危険にさらされるだろう。
今日の昼に会ったようなのが大量にいる軍団だ。
なにをするかわからない。
教皇は問題ないだろうが、クリフは集中的に狙われるだろう。
思えば、未来の日記でアイシャやザノバを殺したのは、ミリスの騎士団だった。
つまり、ミリスを敵に回せば、シャリーアに戻っても安全ではないってことだ。
その上、その後の展開に大きな支障をきたすのは間違いあるまい。
ミリス教徒は中央大陸のどこにでもいる。
傭兵団の活動をしようとする度に、妨害されるかもしれない。
本来なら、まず味方になるはずのミリス教団。
それと敵対しあったまま、ラプラスが復活すれば……。
一番喜ぶのはヒトガミか……。
いや、ヒトガミも俺が神子を誘拐しようとするとまでは考えていまい。
これはただの被害妄想だ。
何にせよ、神子を誘拐するのは、悪手だ。
いや……まてよ。
神子をどうにかしてほしいとは、教皇も暗に言っていた。
うまく動けば、ラトレイア家・枢機卿派を潰しつつ、ゼニスを取り戻せるかもしれない。
教皇側につくということ自体は別に構うまい。
どのみち、ルイジェルド人形を販売しようと思ったら、避けては通れない道だ。
現時点でそっちに付くのは、クリフにとって本意ではないだろうが、彼だってわかってくれるはずだ。
心残りがあるとすれば、テレーズぐらいか。
神子の護衛隊長のテレーズ。
10年前と昨日で二度も助けてもらった彼女への恩を、仇で返す事になる。
……くそ。
「アイシャ、お前はどう思う?」
アイシャにも意見を聞いておく。
彼女もまた、真剣な顔をして悩んでいたが、俺の言葉で顔をあげた。
「神子をさらうのは、やりすぎだと思う」
「そっか」
「いつも冷静沈着なお兄ちゃんらしくない……と思う」
君のお兄ちゃんは、普段からあまり冷静沈着ではない。
でもまぁ、彼女がそう言うってことは、俺は今、冷静じゃなかったってことだ。
冷静でない時は、判断ミスをしやすい。
そうだな……。
よし、落ち着いて……せめて落ち着いた気持ちになって考えよう。
まず、現時点でヒトガミの仕業だと思うのは、考え過ぎだろう。
アイツが絡むと被害妄想がどこまでも広がるが、
今回のは基本的に俺とラトレイア家との問題だ。
今のところは、それだけだ。
あの反応を見る限り可能性は低いと思うが、クレアが俺に自分を殴らせて枢機卿派と対立させようとしてる可能性はあるが……。
どのみち、俺は教皇派側の人間だ。
そういう事をやるなら、教皇派の人間にやらせたほうが効果的だろう。
クレアがやるのは、逆効果だ。
現状、仮にヒトガミの仕業を疑ったとしても、使徒と疑わしいヤツを皆殺しにするぐらいしかできない。
今回、俺の周囲にいるのは殺しちゃいけない相手ばかりだし、
それに、疑わしいヤツが俺の目の前に出てこない可能性が高い事は、シーローンの時に学んだ。
悩みすぎてもロクな事にならないことも。
だから、ひとまず今はヒトガミの関与は無いものと考えて行動する。
「わかった。神子の誘拐はやりすぎだな。やめとこう」
それから、今すぐ強硬手段を取る必要もない。
教皇には、すでに後ろ盾を頼んだ。
テレーズだって、今日の感じでは友好的だった。
二人に詳しく話せば、橋渡しをしてくれるかもしれない。
一か八かで強行手段に訴えるより前に、まだまだできる事はあるはずだ。
そのために、今日、教団本部に行ったのだから。
あの頑固な婆さんに何らかの意図があるとしても、問題の渦中ですぐにゼニスを見知らぬ男に抱かせて既成事実を作る、なんてことはあるまい。
いくらなんでも、あんな周りくどい手を使って誘拐して、そんなもったいない使い方はしないはずだ。
もしあったら、俺は遠慮なくラトレイア家を更地に……いや、落ち着け。武力行使は最後の手段だ。
「相談できる人は多い。まずはいろんなところから働きかけをしてみよう。ラトレイア家にもこれから動きがあるはずだしな」
そう言うと、二人はほっと胸をなでおろした。
今の答えは、冷静と見てもらえたらしい。
「でも、万が一のため、ギースは母さんの居所を探ってみてほしい。探しにくいとは思うけど……なんだったら、人を使ってもいい。金はある」
「おう。わかった」
「あたしは? あたしは何をすればいい?」
ギースに頼むと、アイシャがぎゅっと拳を握って聞いてきた。
彼女も責任を感じているのかもしれない。
「……じゃあ、アイシャは傭兵団支部用の建物を探しておいてくれ」
「え!? ゼニスお母さんを探すんじゃないの?」
「通信石版と、緊急用の転移魔法陣を設置しておきたい。ヒトガミの関与について、オルステッド様の意見も聞きたいしな」
「あ、そっか……そうだね。その後は?」
「ギースの補助をしつつ、母さんを探してくれ」
「わかった!」
アイシャは力強く頷いた。
魔族であるギースだけなら厳しいかもしれないが、アイシャとタッグを組めば鬼に金棒だ。
本来みつからないものまで見つけてしまいそうな安心感がある。
「……でも、もし本当に母さんがヤバイとなったら、俺は後先考えずに動くつもりだ。だから二人とも、いざって時に逃げる準備はしておくように」
「ああ」
「わかってる」
二人が力強く頷く。
明日もう一度、教団本部にいこう。