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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第21章 青年期 クリフ編

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第二百十八話「ラトレイア家」

 ゼニスの実家はでかかった。

 想像通りといった感じか。

 大きな門、門の両脇にたつ獅子の像、門から入り口へと続く長い石畳の道、道の途中にある噴水、変な形に刈り揃えられた芝。

 そして、その奥に白く綺麗なお屋敷が鎮座している。


 貴族の家って言えば、こんな感じだよね。

 というイメージがあれば、まさにそんな感じだ。


 場所は居住区の、貴族街。

 中でも、特に高貴な者の家屋が立ち並ぶ場所だ。

 アスラの貴族街に雰囲気が似ている。


 それにしてもでかい家だ。

 クリフの家は拍子抜けだったが、ゼニスの家は想像どおりだ。

 もっとも、俺もアスラ王国にこの手の屋敷を一つ持っている。

 アリエルからもらったものだから、あまり自慢げに話すものでもないが、

 これと同じぐらいの屋敷を持っている。

 こっちの方が清廉な雰囲気を持っているが、豪華さでは一緒なはず。

 だから何も恐れる事はない。

 ビビってねぇぞ。


「はぁ……」


 隣で、アイシャがため息をついた。

 嫌な顔で屋敷の方を見ている。


 現在、俺達は門の前で待っている。

 家から持ってきた貴族っぽい服に身を包んだ俺と、メイド服のアイシャ。

 そして俺同様、貴族っぽい服装を着せたゼニスである。


 俺たちは入り口にいた衛兵と思しき人物に取り次ぎを頼んだ。

 手紙を見せようとしたが、衛兵はゼニスの顔を見てすぐに屋敷へと飛んでいった。

 まだ、戻ってはこない。


「あのね、お兄ちゃん、忠告しておくけど、お祖母ちゃんって、すっごく嫌な人だから」

「…………何度も聞いたよ」


 忠告が怖い。

 でも、俺は個人的に嫌なヤツには耐性がある方だと思う。

 俺自身、生前は最低なヤツだったからな。

 それに比べれば、大抵のヤツは許容できる。

 だから大丈夫なはずだ。


 仮に我慢できないレベルの相手でも、

 ゼニスの近況を話して、一緒に嘆いて悲しむ事ぐらいは出来る。

 それ以上の事は無理かもしれないが、それだけでも十分だ。


「あ」


 なんて考えていると、屋敷の方から数名の男女が戻ってきた。

 先ほどの衛兵だけではない。

 メイド姿の人物や、執事姿の人物まで。

 総勢で12名ほどが急ぎ足でこちらに向かってくる。


 メイド達は門の前、道の端に二列で並んだ。

 執事が正面に立ち、背筋を伸ばしてこちらを向いて立つ。

 お金持ち系の漫画でよく見る、「お出迎えの陣形」だ。

 アスラ王国でもよくやっていた。


 衛兵が扉を開けると、執事が深々と頭を下げた。

 それに合わせて、メイドも頭を下げる。


「ゼニス様。ようこそお帰りくださいました。我ら一同、心よりお待ち申し上げておりました」


 頭はゼニスへと下げられていた。

 だが、ゼニスはいつもどおり、放心した顔で、彼らを視界にいれることはない。


「では、ルーデウス様。大奥様がお待ちです。こちらへ」

「はい。よろしくお願いします」


 執事はそれに気にすることなく俺に一礼すると、案内するように踵をかえした。

 アイシャには一言も無い。

 メイドの格好した奴はメイドとして扱うという事だろうか。

 なら、アイシャには別の格好をさせておくべきだったな。

 俺の妹っぽい格好だ。

 フリフリのドレスだ。


 などと考えつつ、長い道を抜けて、玄関から中へと入れてもらう。

 中はやはり上品な調度品であふれていた。

 無論、アスラ王城やペルギウス城とは比べ物にならないが、趣味は悪くないと思う。


「それでは、こちらでお待ちください」


 案内された場所は、いわゆる応接室だった。

 向かい合ったソファに、部屋の端に置かれた花瓶。部屋の端に立つメイド……。


 お待ちですという割に、大奥様の姿は無い。

 旅が終わるのを待ってたって意味で、今は人前に出る準備中なんだろうけど。


 ともあれ、俺はまずゼニスを座らせた。

 その後、自分も隣に座る。

 ふと見ると、アイシャが椅子の脇に立っていた。


「アイシャも座りなさい」

「え? でも、立ってた方がいいと思うけど……」

「お前は俺の妹だし、ここでは客人のはずだ。座りなさい」

「……うん」


 俺の言葉で、アイシャはゼニスの隣に腰掛けた。


「……」


 そのまま、三人で会話もなく待つ。

 こうしていると、フィリップの所に面接にいった時の事を思い出す。

 あの時は、サウロスがいきなり登場して、怒鳴るだけ怒鳴って帰っていった。

 懐かしいな。

 あの時のようにうまくやれればいいが……。

 サウロスの時はどうしたっけな。

 確か、先制で名乗って挨拶だ。

 どんな世界でも、先に名乗るのが礼儀のはずと思ってやったのだ。

 今回もそれでいこう。


「大奥様、こちらです」


 なんて考えていた時、扉が開いた。

 入ってきたのは白髪の混じった金髪の神経質そうな婆さん。

 そして、白衣のようなものを着た、中年太りの髭の男だ。


 誰が大奥様なのか、聞かれるまでもなかった。

 俺は即座に立ち上がり、胸に手を当てて軽く会釈をした。


「はじめましてお祖母様、ルーデウス・グレイラットと申します、本日は――」

「……」


 婆さんは俺に一瞥もくれなかった。

 挨拶をする俺の横を素通りすると、ゼニスの顔が見える位置まで移動した。

 そして、一歩距離をおいた位置で立ち止まり、ゼニスの顔をまじまじと見た。

 感動の再会。

 ……と、思ったが、クレアはふんと息を吐いて、冷たいとも言える声音で言った。


「確かに娘です。アンデル、お願い」


 その言葉で、髭面の男が動いた。

 俺の脇を通り過ぎ、ゼニスの手を取って立ち上がらせる。

 そして、その虚ろな顔に手を触れて……。


「ちょっとまってください、いきなりなんですか?」


 慌てて割り込む。


「ああ、申し遅れました。わたくし、クレア様の主治医を担当しております、アンデル・バークレーと申します」

「これはどうもご丁寧に、ルーデウス・グレイラットです。お医者様なんですか?」

「はい。本日はクレア様の問診日でしたが、丁度いいので娘を見てくれと……」


 なるほど。

 そういう事か。

 クレアおばあちゃん、ゼニスを見てちょっと焦っちゃったのね。

 わかるわかる。


「そういうことでしたら、母を――」

「誰に座ってよいと教わりましたか!」


 お願いします、と言おうとした瞬間、背後から叱責の声が飛んだ。

 びくりと身を震わせつつ後ろを振り向くと、アイシャが慌ててソファから立ち上がる所だった。


「メイドの分際で、主が席を立っている時にも座ったままでいいなど! 誰が教えましたか!」

「も、申し訳ございません」


 アイシャは泣きそうな顔で頭を下げた。

 いやいや、まてまて。

 なんでそうなる。ちょっとまて。

 ペースが早い。なんで俺を無視するんだ? 泣くぞこら。


「俺が座っていろと言ったんです」


 強い口調で言うと、クレアはゆっくりとこちらを向いた。

 あ、しまった。俺って言っちゃったな……。

 ええい、ままよ。


「メイド服を着てはいますが、彼女は俺の妹です、あくまで母の世話をしてもらうのに動きやすいからメイド服を着ているだけで、メイドとして扱ってもらっては困ります」

「人は服で身分を表すものです。我が家ではメイド服を着ている者はメイドとして扱います」


 そういう家ルールだとしてもだ。


「では、俺のような服をきている者の扱いは?」

「無論、相応の扱いを」

「こういった服装をしている者を無視するのが、この家のやりかたですか?」


 言いながら両手を広げ、自分の服を見下ろす。おかしな格好ではない……と思う。

 この服、どこで買ったんだったかな。たしか、シャリーアだったと思うけど……。

 アスラ王国で買ったヤツの方がよかったかな?

 でもあれはパーティ用だし……。


「いいえ、あなたを無視したのは…………見知らぬ男が唐突に私のことをお祖母様などと呼んだからです。ここ数年、そうした詐欺師も出ていますからね。真偽を確かめるまで、返答に値しないと判断しました」

「……なるほど」


 まぁ、これだけでかい家で、娘が一人出奔しているともなれば、

 血筋を主張して、取り入ろうとするヤツも出てくるだろう。

 俺は挨拶はしたものの、身分を明かすようなものは何も提示しなかった。

 この服にだって、別にグレイラット家の紋章が入っているわけではない。用意しようと思えば、どこででも用意できるだろう。

 スジは通っている……といえなくもない。


「ゼニスは本物でした。そちらのアイシャも、よく覚えています。あなたが私の孫である証拠はなにかありますか?」


 証拠か、証拠と言われてもな。

 ゼニスとアイシャを連れてきて、手紙まで持ってきた。

 それ以上のものが……。


「必要ありますか?」

「なんですって?」

「母さん……ゼニスとアイシャを連れてきて、あなたからの手紙も持ってきた。それ以上の証拠は必要ですか?」


 そう言うと、クレアは眉をぴくりと震わせた。


「ならば、あなたをラトレイア家の一員と認める事はできませんね」

「構いません。俺はグレイラット家の人間……当主ですし、この家の敷居をまたいだのも今日が初めて。ラトレイア家の人間だと主張するつもりはありません」


 取り入ろう、という気持ちはある。

 傭兵団のためにもな。

 だが、向こうがそれを警戒してるなら、表に出していく必要はない。

 ひとまずは、ゼニスの帰郷が目的であることだし。


 クレアはやや面白くないのか、眉をぴくぴくと震わせながら、睨んできている。


「グレイラット家の当主にしては、ずいぶんと安っぽいのですね。グレイラットはアスラの四大領主の一つ……ラトレイア家は名家と云えど所詮は伯爵家。しかも伯爵本人ではなく、伯爵夫人に対し先に名乗り、先に頭を下げるなど……」

「俺はアスラの四大領主の血は引いていますが、領主の本筋ではありませんし、そもそも貴族の位を持っているわけでもありません。当主とは言いましたが、シャリーアに住む一般家庭の大黒柱に過ぎません。もっとも、仮に高い身分を持っていたとしても、初めて会う己の祖母に礼を尽くすのは当然だと思いますがね」

「……ほう」


 そう言うと、クレアの目線が俺を見下したものに変わった気がした。

 いや、気のせいかもしれないが……。


 にしても、この人は家柄第一の人なのだろうか。

 めんどくさいなぁ……。

 一応、牽制しておくか。


「貴族としての位はありませんが、昨年戴冠したアリエル陛下とは、個人的な付き合いがありますし、私自身は七大列強二位『龍神』オルステッド様の配下です。あまり軽視しないでいただきたい」


 別に軽視されてもいいのだが、アイシャの一件もあるしな。

 あくまで対等か、それに近い立場であることを明示しておこう。


 クレアは俺の言葉に、口を真一文字に結んで、アゴを上げた。

 値踏みするように、じろじろと俺を見ている。


「こちらが、龍神配下の証拠です」


 龍神の紋章が入った腕輪を見せる。

 クレアはそれを数秒見た後、いつしか脇に立っていた執事に小声で何かをきいた。

 執事が頷く。「確かに、龍神の――」という言葉が聞こえた。

 あまり有名ではないと思うのだが、あの執事は、龍神の紋章を知っているらしい。

 こんなものいくらでも偽造できる……とか言われると困るが。


「なるほど……わかりました」


 クレアはそう言うと、すっと顎を引いて、両手を腹の辺りで合わせた。

 そして、自然な動作で頭を下げた。


「私の名はクレア・ラトレイア。

 神殿騎士団・剣グループ『大隊長(ラージリーダー)』カーライル・ラトレイア伯爵の妻です。

 現在は、この屋敷を切り盛りさせていただいています。

 先ほどの失礼は、平にご容赦を」


 身分を証明できたのか。

 それとも俺の態度が何かのハードルを越えたのか。

 わからないが、クレアは頭を下げると同時に、謝罪をしてきた。


 それにしても、神殿騎士団の『大隊長』か。

 ゼニスの妹、テレーズも神殿騎士団の所属だったし、この一家は神殿騎士団と関わりが深いのだな。


「では、改めて。

 ルーデウス・グレイラットです。

 パウロ・グレイラットとゼニス・グレイラットの息子です。

 現在は『龍神』オルステッド様の下で働かせていただいております。

 先ほどの事は気にしないでください。俺も用意と配慮が足りませんでした。

 警戒するのは当然のことかと思います」


 お互いに頭を下げ合って、一件落着だ。

 ふぅ。

 これで一息つけそうだ。

 挨拶だけでずいぶんと遠回りをしてしまったが、これでなんとかなったろう。


「では、どうぞ、お座りください」

「はい、失礼します」


 俺は促されるままソファに座る。


「まずは長旅、ご苦労様でした。もうあと数年はかかるかと思いましたが、迅速な対応を感謝いたします」


 クレアはそう言ってポンと手を叩くと、扉が開いた。

 扉から、カートを引いたメイドが入ってくる。

 カートの上に乗っているのは、ティーセットだ。

 お茶会か。

 いいだろう。空中城塞で鍛えた、俺のお茶スキルを見せてやる。


 あと、その前にアイシャを座らせてやるか。

 彼女はメイドじゃなくて、俺の妹だ。

 客人としてもてなしてもらわないと困る。

 なら、こういう所から、主張してかなきゃいかん。


「アイシャも座りなさい」

「え、でも……」

「今日、お前はメイドではなく、俺の身内として来ているんだ、座りなさい」


 アイシャはクレアの方をチラチラと見ながら、ゆっくりと腰をおろした。

 クレアは何も言わず、眉をぴくりと動かしただけだ。

 一応、許されたらしい。


 ちらりとゼニスの方を見る。

 彼女は、まだ医者の診察を受けているようだ。

 舌とか目とかを見られている。

 まぁ、そんなものを見た所で、どうにもならないとは思うが……。

 クレアとしても、人伝に記憶が戻らないと聞くより、自分の信頼できる医者に見せた方がわかってくれるだろう。


「母さんは……治そうと努力はしてみたのですが、手立てはありませんでした」

「……遠い田舎の地では、取れる手段も限られるのでしょうね」


 あらカチンと来る言葉。

 オラの村さ田舎だ言うか!

 ……でもね、俺はちゃんとそういう事を言われるって予想してました。

 このぐらいは想定の範囲内です。


「確かにシャリーアはミリスに比べると治癒魔術は発展していませんが……見てくださったのはこの世のありとあらゆる魔術に精通するオルステッド様や、転移や召喚に詳しいペルギウス様です」

「ペルギウス? あの三英雄の? ……にわかには信じがたい話ですね」


 ですよね。

 信じてもらえないのもわかる。

 かといって連れてくるわけにもいかん。


 まあ、ミリシオンには数ヶ月は滞在するつもりだ。

 その間に、クレアもゼニスの治療は無理だと悟ってくれるだろう。

 まあ、あんまり無茶な治療法を試されても困るけど……。


「時に……ノルンはどうしていますか」


 そのへんについてもう少し話しあおうと思った所、唐突に話題が変わった。

 ノルン?


「彼女は、ラノア魔法大学に在学中です。学業の方が忙しかったため、おいてきました」

「そうですか。彼女はあまり出来がよくなかったと思いますが、しっかりやっていますか?」

「はい。今は生徒会長として、学校の頂点に立っていますよ」


 やや大げさに言うと、クレアは意外そうな顔をしていた。

 彼女の中では、ノルンはよっぽどダメな子だったのだろう。

 まぁ、アイシャと較べてたら、そうだろうな。


「そうですか……卒業後はどうするのですか?」

「まだ決めていないようですね」

「縁談は?」

「色恋沙汰とは無縁なようで」


 そう言うと、クレアは顔をしかめた。

 何か気に障る事でも言っただろうか。


「では、卒業後に連れてきなさい」


 有無をいわさぬ命令口調だ。

 ここからシャリーアまでの距離とか考えないんだろうか。

 往復で4年はかかるってのに……。

 まあ、実際には転移魔法陣使うから、一週間で行き来できるけどさ。


「それは構いませんが……」

「ラノア王国などという片田舎ではロクな相手もいないでしょうし、私が見繕います」


 ん?

 どういうことだそれ。

 見繕う?


「ノルンを、誰かと結婚させるって事ですか?」

「その通りです。進むべき道も無く、当主が縁談を持ってくる事もないというのなら、私が面倒を見ます」

「いやいや、ちょっとまってください。そういうのはノルンの意思を聞いて……」

「何を言っているのですか? 家の女を結婚させるのも、当主の役目でしょう?」


 ……え?

 そうなん?

 と思いつつ、アイシャを見る。

 彼女は、肩をすくめていた。「そうなんじゃないの?」って態度だ。

 もしかすると、このミリス神聖国の貴族では、それが常識なのかもしれない。

 そうだ、そうだな。

 前世の世界でも、親が子供の結婚相手を決めるって世界はあった。

 俺がしっくり来てないだけで、案外普通な考えなのだ。


 でも、ウチにそんな決まりはねえ。

 ノルンが結婚したい、兄さんちょっと誰か連れてきて、っていうんなら合コンとか開いちゃうけど。


「……ノルンの事は、俺が責任を持って見届けます」


 一応、そう言っておいたほうがいいだろう。


「そうですか、わかりました……あなたは当主なのですからしっかりなさい」


 上からの叱責がきた。

 さっきから、こういうのが多いな。

 見下しているのがわかる感じというか。


 けど、落ち着こう。

 想定内だ。

 嫌な相手ってのはわかってたわけだしな。


 そもそも常識が違うから、そのへんで反論しても喧嘩になるだけ、平行線だ。

 今日はお互いに初対面。

 まずは互いを知ることからはじめなきゃいけない。

 要求はその後だ。


「――終わったようですね」


 俺が深呼吸していると、アンデル氏がゼニスを連れて戻ってきた。

 即座にアイシャが立ち上がり、ゼニスをソファへと座らせる。


「どうでした?」

「体は健康そのものです。お聞きしていた年齢よりも若くみえるぐらいです」


 だって。

 やったねゼニス。若作りしてないのに若くみえるんだって!

 ……いや、逆か?

 不安に思った方がいいのか?

 もしかして呪いの影響か……とか。


「ご家族の方に幾つか質問をしたいのですが、いいですか?」

「もちろんです、なんでも聞いてください」

「では――」


 質問内容は多岐に渡った。

 普段なにを食べているか、量はどんなもんか、運動はどの程度しているか、月のものはあるか。

 といった健康上の質問から、

 生活はどの程度自分でできているか、普段の仕草は、自分を傷つけたりすることはあるか。

 といった精神上の質問まで。


 医者っぽい質問で、俺はペラペラと答えた。

 たまにわからない所は、アイシャが補足した。

 リーリャがいればもっと詳しく説明できたのだろうが、いないのだから仕方がない。


「なるほど、わかりました」


 アンデルは質問を細かくメモを取り、頷いた。

 そして、クレアの所にいき、何やらブツブツと相談を始める。


「どうですか?」

「そうですね。問題無いかと思います。世話係のメイドが一人、付きっきりで見れば。病気や怪我もありません。精神も安定しているようです」

「子供は?」

「月のものもありますので産めるかと……。これも数名が付きっきりで介護をすれば可能です」

「よろしい」


 何がよろしいのだろうか。

 あんまり良さ気な話はしていない気がするが……。


「まるで、うちの母さんを再婚させるような会話ですね」


 冗談めかしていったつもりだった。

 だが、クレアからかえってきたのは冷ややかな視線だ。

 凄まじく強い視線。

 有無をいわさない、強制の意思を感じさせる目。


「……このミリス神聖国における女の価値は子を産めるかどうかです。子が産めねば、人として扱われない可能性もあります」


 ちょっと待ってほしい。

 否定しないって……ウソだろ?


 いや、落ち着け。

 否定はしていないが、肯定もしていない。彼女はこの国の常識を語っただけだ。

 子供が産めないと人として扱われないなんてことはないとは思うんだが、この手のおばあちゃんは自分でこうと決めたら、それが真実だと思い込むからな。


「ああそうだ。あなた方、教皇派の神父とは縁を切りなさい」

「……え?」

「あなた方が、教皇派の神父と懇意であることは知っています」


 また唐突に話が変わり、戸惑いが生まれる。

 会話の主導権を握れていないのは、先ほどからクレアが強い言葉を使っているせいだろうか。

 それとも、先制の挨拶に失敗したせいだろうか。

 アウェイだ。


「確かに、俺はクリフとは仲良くさせてもらっていますが……なぜ、縁を切る必要が?」

「現在、ラトレイア家は枢機卿派として動いているからです。教皇派の者と付き合うことは許しません」


 枢機卿派ってのは、魔族排斥派の事か。

 今のトップが枢機卿なんだろう。


「別に……俺自身が教皇派に肩入れするつもりはないんですから、それぐらいはいいのでは?」

「いいえ、許しません。この家に滞在する以上は、この家のルールに従ってもらいます」


 うーん。

 うーん。

 まぁ、確かに、クリフがある程度地位を確保したら、教皇派に肩入れしちゃうもんなぁ。

 そういう部分をわかってて言ってるなら、駆け引きとしてわからんでもないけど。

 そんな感じじゃないなぁ……。


「クリフには、学校で世話になりました。ノルンも彼にはお世話になっているはずです……友人として付き合うぐらいはいいでしょう?」

「いけません。どうしても教皇派の神父と付き合いたいというのなら、この家に滞在することを許しません――」


 ダメか。

 そうか。わかった。

 じゃあ、いいや。

 ひとまず今日は、別の所に泊まるとしよう。


 よし、大丈夫だ。怒ってない。怒ってないぞ。

 俺は落ち着いているぞ。俺は冷静でクレバーなルーデウスだ。

 慌てるこたぁない。クレアがそういう奴だってのは聞いてたんだ。覚悟もしていた。

 俺自身の交友関係にまで口出しされるのは想定の範囲外ではあったが……俺たちは水と油で、相容れなかった。それだけの話だ。

 せめて喧嘩せずにここは丁重に挨拶して、この家を出――。


「――ゼニスを置いて、早々に立ち去りなさい」



 思考が停止した。



「一応、以後この家の敷居をまたぐことだけは許しますが、あくまで他家の者として――」

「置いてって? どういう事ですか?」


 言葉が出てきたのは、一つ前の言葉への返答だった。

 数秒は意識が飛んでいた。


 クレアは言葉を切り、俺を見て、冷ややかな目をしながら言った。


「こうなった以上、他に道はありません。こんなのでも、子が産めるのであれば、まだ婚姻の道も残されています」


 口の中が乾いている。

 視界の縁が黒いもので覆われている。

 まるで黒い霧の中にいるようだ。


「……」


 なんだそれはと、誰かが叫んでいる。

 俺だ。

 俺が叫んでいるのだ。

 いや、さっきは常識で言っただけだろ? まさか、本気で言ったのか? って。

 ただ、言葉は出てこない。

 口がパクパクと動くだけだ。


「この子は、枢機卿派の貴族と結婚させます。何度か離婚することにはなるでしょうが、問題ないでしょう」


 自分の意思を伝えることすらできない人間を、誰かと結婚させる。

 自分の娘を、「こんなの」という。

 モノ扱いする。


「健康なのが、不幸中の幸いでしたね」


 俺は、血管が切れる音というのは、聞いた事が無い。

 聞こえるはずがない。

 あれはそういう比喩だから。

 エリスを怒らせた時に、その手の幻聴を聞いた事はあるが、

 大抵はその後、すぐに気絶するので、あんまり覚えていない。


 自分の血管が切れる音を聞いたのは、今日が初めてだ。



---



 気づいた時には、夕暮れの中、ゼニスの手を引いて歩いていた。


 あのあと、自分が何を言ったのか覚えていない。

 大声で喚いたのは覚えている。

 だが、内容が曖昧だ。

 普段は言わないような罵倒が飛び出したのは間違いない。


 クレアが目を見開いていたのは覚えている。

 メイドたちが何事かと顔をのぞかせたのも覚えている。

 連れて帰ると宣言し、ゼニスの手を引いて立ち上がらせた時に、クレアが「なりません、ゼニスも正気ならそういうはずです」と言い放ったのも覚えている。

 その言葉は俺の心に油を注ぎ、怒りに我を忘れた俺は、拳を握りしめたまま魔術を使おうとした。

 覚えている。

 そこで、「やっちゃえお兄ちゃん!」というアイシャの声で、少しだけ我に返ったのだ。

 それからクレアが衛兵を呼び、俺が衛兵を蹴散らし、ラトレイア家と縁を切ると言って、そのまま飛び出してきた。


「ふぅ~……」


 いつしか、神聖区との境まで戻ってきていた。

 怒りのせいで、視界がぐるぐる回っている気がする。

 思い出してもイライラする。

 あんな胸糞悪い言葉を聞くとは思わなかった。


 ああ、くそ。

 何が不幸中の幸いだ。

 来なきゃよかった。あんなセリフ聞きたくなかった。


 なんなんだ。あの自分勝手な婆さんは。

 いやもう、最初に挨拶を無視したのはいいよ。

 まぁ、見知らぬ男にいきなりおばあちゃんなんて言われても、ドン引きするだけだしね。

 ノルンに婿連れてこようって話もわかる。

 前世でも、名家ってのはそういうもんだと聞いたことあるし。

 そっちの常識にしたがって動いてる。

 うん。わかる。


 けど、ゼニスはダメだろ!


 彼女は記憶喪失で、自分のことも満足に出来ない。

 そんなのを、どうして、嫁にいかせようなんて考えるんだ!

 あまつさえ、体は健康? 月のモノがきてるから子供は産めるのが不幸中の幸い?

 結婚したゼニスは、昼は介護を受けながら、夜は結婚相手に抱かれるって事?

 俺、それなんて言うか知ってるぜ。

 ダッチワイフだ。


 そして妊娠したらどうすんの? 産めんの? 産めると思ってんの?

 仮に産めるとして、そこにゼニスの意思は?

 俺の気持ちは? 残された子どもたちがどんな気持ちになると思ってんの?

 人の母親を何だと思ってんだ!

 自分の娘を何だと思ってんだ!

 大体使い道ってなんだよ!

 道具扱いか?

 産む機械か?


 ふざけやがって!

 久しぶりにトサカに来たぞ!

 何がクレアだ!

 クリームシチューでも作ってろ!


「ふぅ…………」


 最後に変なワードが出てきたせいか、少し落ち着いた。


 腹がグルグルと音を立てた。

 そういや、腹減ったな。

 昼に何も食わなかった。

 シチュー以外のものを食いたい。


「お、お兄ちゃん……」


 呼ばれて振り返る。

 アイシャがもじもじと立っていた。

 なんて言っていいかわからない、困ったような顔で。


「アイシャ」


 俺は即座に、無言で片手を伸ばし、彼女を抱きしめた。

 彼女は抵抗なく、俺の腕の中にすっぽりと収まった。


 アイシャやノルン、リーリャまでもが言葉を濁していた理由がわかった。

 そうだな。

 あんなのには、会いたくないよな。

 アイシャやノルンが、かつてあの人から何を言われて育ったのかはわからない。

 けど、きっと嫌な思いはしていたのだろう。


「ごめんな。連れて来ちゃって」

「う、ううん。いいよ。でも、その、コネは作れなかったね」


 こね?

 米?

 稲?


 コネクション。

 ああそうだ。

 傭兵団を作るのに、あわよくばラトレイア家の力を借りようと思っていたんだ。


「まあいいさ。あんなのの力を借りる事はないよ」


 別のコネを作ろう。

 クリフあたりに頼んで、クリフの爺さんにツテを作ってみるか……。

 クリフにはあんまりいい顔はされないかもしれないが……まあ、いい。

 もしそれもダメなら、コネ無しでやってみるしかないだろう。

 何にせよ、今日はつかれた。

 帰って休もう……。


 あ、帰るっても、泊まる場所が無いな。

 今から冒険者区まで行って宿を取ると、深夜になるし、ゼニスをそこまで歩かせるのもどうか……。

 よし。またクリフの所に泊めさせてもらおう。


 そう思い、俺はクリフの家へと戻った。

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