新連載 関東大震災100年、虐殺現場を歩く/第1回 神奈川・横浜
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子安海岸に数百の遺体、軍の関与示す『法務部日誌』
100年前の1923年9月、関東一円を襲った大震災時に、朝鮮人の身に何が降りかかったのか。誰の指示の下で、誰が武器を取り、誰が朝鮮人を殺したのか。関東大震災から100年の節目に際して、あらためて朝鮮人虐殺の現場を訪ね歩く。連載第1回は神奈川県横浜市。「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」(以下、神奈川実行委)のメンバーの案内の下、神奈川朝鮮中高級学校生徒らとともに虐殺現場跡地を歩いた。
神奈川区高島台の頂上に位置する高島山公園の高台に立つ。横浜市を見渡せるこの地には1923年9月当時、戒厳令による神奈川警備隊司令部があった。「今夜此方面へ不逞鮮人が300名襲来することになって居るそうである。(略)十六歳以上六十歳以下の男子は武装して警戒して下さい」(八木熊次郎『関東大震災日記』)。警察の指示の下、この高台周辺でも朝鮮人狩りが起こった。そして眼下では、大虐殺が繰り広げられた――…