第二百十六話「そしてミリシオンへ……」
シルフィが妊娠した。
二人目の子供である。
出発直前のこの時期。
以前なら、どうしようと頭を抱えた事である。
しかしながら、こうして長期出張に出るときに子供ができるのは四度目である。
心配な事に変わりは無いが、今までとくらべて余裕があった。
実におめでたい事だ。
名前は何にしよう。
今度は男の子かな、女の子かな。
ルーシー、弟か妹が出来るよ?
またおねえちゃんになるね?
と、俺は喜び勇んで庭駆け回ったのだが……。
「シルフィ奥様が……ど、どうしましょう……!?」
リーリャは狼狽していた。
いつもは冷静な彼女が、青い顔をして、迷っていた。
「ゼニス奥様の世話をするのは私しか……でも、家事が出来るのは身重のシルフィ奥様だけで……万が一があっては……」
ゼニスの世話をするためにミリスについていく。
その間の家事は、シルフィが一任する。
という流れで決まっていた所に、妊娠である。
一応、ロキシーもひと通りの家事は出来るし、なんだったら一時的にお手伝いさんでも雇えばいい。
そう思う面もあるのだが、妊婦を置いて数ヶ月も留守にするというのは、やはり不安が残るようだ。
リーリャは迷っていた。
ゼニスについていくべきか、残ってシルフィを見るべきか。
こうしてリーリャが狼狽しているのを見ると、俺もオロオロしなければいけない気がしてくる。
もしかして無邪気に喜んでいる場合ではないのだろうか。
もともと、オルステッドの配下になると決めた時点で、妊婦を置いて出張に出る可能性については覚悟していた。
だが、考えてみれば、それはアイシャかリーリャという、信頼できる世話係の存在を前提にしてのことだ。
もしかして、今回はまずいのだろうか。
おろおろ……。
「えっと、ボクは大丈夫だよ。二回目だし、ロキシーもエリスもいるし、お祖母ちゃんもいるから」
悩むリーリャに、シルフィはそう言った。
確かに、シルフィ自身も二度目だ。
何をどうすべきかはわかっているだろう。
頼れる人も多い。
ロキシーは家にいないことも多いだろうが、エリナリーゼに定期的に見に来てもらえるなら、それが一番だろう。
エリスだって、何かあれば積極的に動いてくれるはずだ。
うん、そうだ。
最初の妊娠の時は、家にはノルンとアイシャしかいなかった。
今でこそ三人の妊婦の世話を経験したアイシャだが、当時は妊婦の世話など未経験だったろう。
そう考えれば、今の状態はマシだ。
一年も留守にするわけじゃないし。
だから大丈夫だ。
「そうね、なんとかなるわ! 私が守るもの!」
「わたしは昼間いないので不安な所はありますが、でも周囲に常に人がいますので、そうそう危険な事はないかと思います」
ロキシーとエリスもそう言う。
でも、不安の種はつきない。
リーリャは、ロキシーのローブの裾を掴んで立っているララをちらりと見下ろして言った。
「しかし、今は子供もいて、負担も増えています。何が起こるかわかりません……」
確かに、子供ってのは何をやるかわからない。
ルーシーもララも、活発に動いている。
二人が害意を持ってシルフィを襲ったりすることはない。
だが、例えばルーシーが練習で放った魔術がシルフィを直撃したり。
レオの背中に乗ったララが家の外に出ようとして、慌てたシルフィが階段を転げ落ちたり。
……いや、そんな事を言い出せば、キリが無いのはわかっているんだが。
とにかく、子供ってのはアクシデントの塊だ。
悩ましい。
誰のせいで妊娠したかなんて、言うまでもない事だ。
「種族柄、多分もうできないよ」
なんていうシルフィに。
「どうかな、確かめてみないとわからないじゃないか」
なんて言って、家族計画など考えずにオイタしちゃったのは俺だ。
いや、もちろん遊びで作ったつもりは毛頭ない。
ずっと二人目を切望していた。
ルーシーが生まれてから5年だから、シルフィの言うとおりできないのかなと思い、最近はあまり気にしないでやってたけど……。
ともあれ、悔やんでもしかたない。
責任は俺にある。
俺は、妻が妊娠で大変な時期に、イマイチ付いていてあげれてない。
三人の時はみんなそうだ。
それにしても、どうして、俺が遠出しようとするタイミングで子供が出来てしまうのだろうか……。
ヒトガミの呪いなのだろうか。
いっそミリス神聖国行きを遅らせる、という案もある。
一年ほど遅らせて、シルフィの出産を見届け、それから改めて出発する。
そのときには、次はロキシーが! エリスが! と連鎖する可能性もあるが……。
何にせよ、ミリスまでの移動時間を考えれば、一年や二年遅れた所で、向こうも文句は言うまい。
クリフと同じだ。
しかしそう、クリフの件もある。
エリナリーゼには、せめて最初だけでも見ていて欲しいと頼まれている。
クリフは、仮に俺たちが行かないと言っても、行くだろう。
大丈夫だとは思うが、一年の間に取り返しのつかないレベルで追い詰められてしまうかもしれない。
シルフィにしろ、クリフにしろ、『万が一』だ。
どちらも緊急性は無い。
選ばなければいけない。
クリフを取るか、シルフィを取るか。
仕事を取るか、愛を取るか。
将来的な事を考えれば、さっさとミリスに傭兵団を作り、クリフを援助して未来の大教皇様に導いてやるのがいい。
俺にとっての都合が一番いい。
けど、それでいいのか。
その影でシルフィと子供が泣いていたら、何の意味もないのではないか。
俺が何のためにオルステッドに協力しているかを考えろ。
本質を見失うな。
「…………」
そう思った時。
ふと、ゼニスが動いた。
「っ? ゼニス奥様?」
彼女はふらりと、夢遊病患者のように予備動作のない動きで、リーリャの手を掴んだ。
かなり力強い動作だったらしく、リーリャはたたらを踏みながら、ゼニスに連れられて歩いて行く。
ゼニスが向かった先は、シルフィの所だった。
「えっと……ゼニス、さん?」
戸惑うシルフィ。
ゼニスはリーリャの手を、シルフィの肩の上に、そっと載せた。
まるで、リーリャはこの子を見ていて、と言わんばかりに。
自分は大丈夫だから、と言わんばかりに。
「お、奥様……!」
リーリャの目が潤んだ。
ゼニスが時折見せる強い意志。
それが、子供や孫が関係した時にこそ、そうしたものを見せることは、家族の誰もが気付いていた。
ゼニスなら、リーリャには自分の世話より、シルフィとお腹の子供の面倒を見させるだろう。
誰もがそんな事はわかっていた。
「わかりました」
リーリャは涙を拭い、ゼニスの目を見て頷いた。
迷いの吹っ切れた顔だ。
「アイシャ!」
「は、はい!」
ぽかんと見ていたアイシャに、リーリャは言った。
「私の代わりに、ゼニス奥様のお世話をし、無事にラトレイア家に送り届けなさい。ワガママは許しません!」
「………………はい!」
アイシャは一瞬迷った。
正直、ラトレイア家の敷居はまたぎたくないのだろう。
だが、それでも今の流れを見て、ノーと言えるほど、悪い子ではない。
「ルーデウス様、そういう事で、よろしくお願いします」
「……はい、お手数を掛けます」
リーリャが見てくれるのであれば、シルフィに万が一はない。
そんな確信があった。
俺は憂いなく、ミリス神聖国で仕事をしてくればいい。
「シルフィ」
「……なに、ルディ」
だが、一つだけ言っておかなければいけないこともある。
大事な事だ。
「愛してる」
「うん。ボクもだよ」
シルフィは立ち上がり、俺の背中にそっと手を回した。
俺は彼女の髪に顔を埋めるようにして、力を入れ過ぎないように抱きしめた。
「子供の名前、考えておくから」
「うん、帰って来たら教えてね」
シルフィははにかみながら笑った。
いつもなら、まだ不安が残る所だ。
だが、シルフィの後ろにはリーリャがいる。
頼れる二人目の母さんだ。
その後、ロキシーとエリスにもそれぞれハグをしてから、俺達は出発した。
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移動を開始した。
俺、アイシャ、ゼニス、クリフ。
たった四人での移動だ。
荷物は厳選したが、どうしても多くなった。
通信用の石版と、魔導鎧『一式』召喚用のスクロールがかさばるのだ。
相変わらず『二式改』を装備しての移動なので重量は問題ない。
だが、どんな力持ちでも、手は二本しかなく、背中は一つしかない。
人の大きさは変わらず、自分より大きな荷物を持てば動きにくくなる。
一抱えもある、空のダンボールを持っているようなものだ。
そんな大荷物を持ちながら郊外でクリフと合流する。
メンバーが減っていることについて説明すると、クリフは驚いていた。
だが、子供ができたと聞いて、朗らかな笑みと共に祝いの言葉をくれた。
「僕の立場だと、君の状況はあまり褒められないけど……。ミリス様も言っている「新たなる生命の誕生は、それがいかなる存在であれ、喜ばしい」と」
「そういって頂けるとありがたいです」
「君の子供達が、僕の子供の良き友となってくれる事をミリス様に祈るよ」
俺がどれだけミリス教的に悪いヤツでも、子供に罪はないのだ。
まぁ、俺から生まれた子供が、将来的に相手をとっかえひっかえする可能性もあるけど……。
その時は、またクリフが説教してくれるだろう。
いや、俺が説教しなきゃいかんな。うん。
「ところで、クリフ先輩はラトレイア家について何かご存知ですか?」
「ラトレイア家か……」
この一ヶ月で、妙に嫌な顔をする妹たち+リーリャに、ラトレイア家のクレアばーちゃんについてあれこれと聞いてはみた。
結論から言うと「頑固で厳しい人物」だ。
ノルンは「出来が悪いと怒られた記憶しかありません」と顔をそむけて言い、
アイシャは「ノルン姉を立てろって怒られた」とため息混じりに言った。
リーリャは「とにかく血筋と教義を重んじる方です」と答えてくれた。
要するに、この三人は、ミリシオンに滞在している頃、かの家に厄介になりつつ、家柄や結婚のことについてだいぶネチネチとやられたらしい。
もっとも、俺はクレアに対しては、あまり心配していない。
確かに前情報だけ聞くと、会いに行くのが怖くなるが……。
「頑固で厳しい人間」には俺も一人、心当たりがある。
もう故人ではあるが……。
サウロス・ボレアス・グレイラット。
エリスの爺さんだ。
かの爺さんは、重んじているものがクレアとは違ったが、それでも一本筋は通っていた。
きちんと礼節を持って接すれば、相応の対応をしてくれた。
クレアも人間だ。
血筋を重んじるにしても、俺も一応はラトレイア家とグレイラット家の血を引いている。
教義を重んじる、という点は少し怖いので、重婚しているということは隠しておいた方がいいだろう。
何にせよ、あの大声と暴力の支配するエリスの実家でも暮らしていけたのだ。
クレアもサウロスの女バージョンあたりを想定していけば、多分大丈夫だろう。
妹達も思い出補正で嫌なヤツだと断定しているが、会ってみたら、ちょっと頑固なだけで情に厚い好人物、って可能性も十分にありうる。
ルイジェルドみたいにな。
何にせよ、母親が娘に会いたいというのを止めるつもりは、俺にはない。
一応、情報は集めておくけど。
「魔族排斥派の幹部の一つで、優秀な神殿騎士を何人も輩出している名家だな」
「なるほど」
神殿騎士団。
思えば俺の叔母であるテレーズも、神殿騎士団の一員だった。
元気にしてるかね、あのひとは。
「僕もミリスにいた頃は小さかったし、詳しい事はしらないけど、厳しい家だという事は、ノルン君から聞いてる」
ノルンはクリフを信頼しているらしく、在学中は困った事があると色々と相談していたようだ。
その流れで、かつてラトレイア家で、「出来の悪い子」の烙印を押されたということも話したようだ。
アイシャと常に比べられ、妾の子に負ける出来損ない、と。
クリフはそれに対し「他人と自分を比べることはない、常に今の自分を超えるように努力しろ」と言い続けたのだそうだ。
その結果、ノルンは生徒会長となった。
口には出さないが、ノルンはクリフの事を尊敬しているようだ。
恋慕の域には達していない。
でももし、エリナリーゼがいなかったら、ノルンとクリフの二人がくっついていた可能性もあるだろう。
あれ、でもそうなると、魔族排斥派のラトレイア家と、魔族迎合派のグリモル家がくっつくってことで。
あ、いやいや。
ノルンは違う。
うちの子はグレイラット家だ。
ミリス教団の派閥争いなんて関係ない。
「僕としては、君がラトレイア家の一員になって、敵にならない事を祈るのみだよ」
「俺がクリフ先輩の敵になるわけないじゃないですか」
「もちろん信用してる。けど、時にはどうしようもない事だって、あるだろうからな……」
クリフはそう言って、苦笑していた。
確かに、考えると面倒な形だな。
ラトレイア家は神殿騎士団、魔族排斥派で、クリフの敵。
その家と繋がりを持つのは、考えた方がいいのだろうか。
いや、血がつながっているのは確かなのだ。
だから、俺はあくまで魔法都市シャリーアのグレイラット家。
オルステッド配下、『龍神の右腕』のルーデウス・グレイラット。
クリフの友人のルーデウス、として立ち回ればいい。
「積極的にクリフ先輩の手伝いはしませんが、でもだからって敵に回る事はありません。嘘だったらクライブ君にうちの娘の一人をあげてもいいですよ」
「ああ、それはいいかもしれないな。君の娘と僕の息子の婚約……うん、悪くない」
「あ、ちょっとまってください。やっぱり子供の結婚を親が決めるのは……」
「わかってるわかってる。冗談だ、さ、早くいこう」
クリフはフッと笑って歩き出した。
ホントに冗談だよな?
でも、ルーシーもララも可愛いからなぁ……。
きっと二人とも、将来は母親に似た美人に育つだろう。
クライブ君は、そんな美人姉妹を見て育つ。
きっと初恋の相手はルーシーとかだろう。
クライブ君はエリナリーゼの息子だし、もしかすると早い段階で告って付き合いだすかもしれない。
どこの馬の骨ともわからぬ輩ならまだしも、クリフの息子だ。
クライブ君がどうしてもというのなら、お願いしますお義父さんと頭を下げて頼むなら、交際を認めてやらんでもない。
もちろん、君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無いのだが――。
「お兄ちゃん、置いてくよー」
ゼニスの手を引くアイシャに呼ばれ、我に返った。
「ああ、すまんすまん」
何にせよ、まだまだ先の話だ。
そう思いつつ、俺たちはクリフの後を追った。
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事務所に寄って、オルステッドに挨拶。
その後、地下に移動し、転移魔法陣に乗った。
ミリス側の転移魔法陣は、以前この付近に来た時に作った。
ミリス首都からそう遠く離れていない森の奥。
そこにある廃屋敷の地下だ。
なぜ森に廃屋敷があるのか、と思うだろうが、
この世界では森の近くにあった村が、唐突に侵食してきた森に飲み込まれる事がある。
ここも、そんな村の一つなのだ。
苔むして、蔦だらけになった屋敷の地下。
そんな場所に、ボンヤリと光る魔法陣。
屋敷自体は管理されていないが、木々に支えられているせいか、すぐに潰れる事はあるまい。
たまに近所の町から冒険者がやってくるが、魔法陣のある部屋は隠し通路でつながっており、その通路への入口のある部屋には、宝箱を置いておいた。
中には、どうでもいい魔力付与品が入っているだけだが、大抵のヤツはそれで満足して帰るだろう。
そこからは徒歩での移動だ。
廃人状態であるゼニスを連れての旅であるため、少々時間も掛かる。
ミリスの近くであるため、強い魔物はいないが、ゆっくり進む必要があるだろう。
そうそう、魔物と言えば。
魔法陣を設置するためにオルステッドとこの森に訪れた時、
初めてあの魔物に出会ったのを思い出した。
ゴブリンだ。
緑色の肌をして、人間の半分程度の大きさを持つあいつだ。
好色で好戦的、世界でも最弱クラスの個体。
群れで生活し、時折他の種族を捕まえてきて交配し、妊娠させる。
話は通じないし、人を敵として見ており、見かけると襲い掛かってくる。
でも正直、ゴブリンという生物は、魔物ではなく魔族なのではないか、と思う部分もあった。
彼らは、森の奥にある洞窟で非常に原始的な生活をしている。
横穴式の住居で、集団による狩りで生計を立てている。
工作レベルは低いにしても、棍棒や石包丁といった道具も使っている。
また、チラリと見ただけだが、親のゴブリンは子供のゴブリンに対して、愛情のようなものを見せていた。
単に知能が低すぎるため魔物扱いされている、というだけで、原始時代の人間とそう変わりはしないのだと思う。
これで言葉を理解出来れば、もう少し違ったのかもしれない。
でも、ここはミリス大陸。
ミリス神聖国ではあの手の生物は認められていない。
もしかすると、ゴブリンが人を見ると問答無用で襲いかかってくるのも、
そうした過去のしがらみがあったからかもしれない。
きっと、ゴブリンとミリス神聖国には、俺の知らない闘争の歴史があったのだろう。
思えばゴブリンもかわいそうな生物だ。
せめて生息していたのが中央大陸だったら、話は違ったかもしれない。
完全な魔物ではなく、最下級の魔族として認識されていたかもしれない……。
そんな事を考えながら、俺は道中で襲い掛かってくるゴブリンを難なく排除して、ミリシオンへと向かった。
いや、俺はゴブリン愛護団体じゃないしね。
可哀想だからって襲ってきたら容赦はしないよ。
森を抜けてから、ミリシオンまでは7日程度の距離がある。
途中で村に寄って、馬車を購入した。
馬車といっても荷車のような粗末なものだが、歩くよりはマシだろう。
石版も重いしな。
馬車を操りながら街道を行く。
この国はアスラ王国よりも平原が多く、畑作より放牧をしている農家が多い。
アスラ王国はアメリカの麦畑的な風景が多いが、
こちらはアルプスの放牧地のような風景が多い。
アスラは黄と緑。
ミリスは青と緑。
どちらも緑が多いという点では一致している。
緑の多さは豊かな証拠だ。
道中における魔物の多さは、一応ミリスの方が多いが、その程度だ。
魔大陸や北方大地に比べれば、ぬるま湯のような環境と言える。
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そして、俺はやってきた。
ミリス神聖国首都・ミリシオン。
豊かな自然と7つの塔に囲まれた、この美しい都へ。
かつてパウロと再会したこの都市へと。
間章 - 終 -