PROFILE
プロフィール
- 名前鈴木 徳真(スズキ トクマ)
- 生年月日1997/03/12(26歳)
- 出身地栃木県
- 身長/体重168cm / 64kg
- ポジションMF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
小学生になる前年にあった日韓W杯を見て、サッカー選手になりたいと思い、ボールを蹴り始めました。小野伸二選手のイメージが強く残っています。小学生になり、地元の大谷東FCで始めました。元々、興味が散漫して、続かない子どもだったのですが、親によると、ある日突然、「サッカーする」と言って、選手募集の張り紙を持ってきて、勝手にのめり込んでいったようです(笑)。小学生の頃は、楽しみながら、ポジションは色々やっていました。サイドバック以外は全部やったと思います。当時から、「どうやったらゲームに勝てるか」ということは考えていました。「一番後ろに守れる強いヤツがいたら勝てる」とか、「前に点を取れるヤツがいたら勝てる」とか、勝つ方法は幼心に考えていましたね。あとは、とにかく負けず嫌いでした。
-中学~大学-
中学では、FC古河というクラブでプレーしました。茨城県ですが、家から電車で15分くらいです。進学する中学校の部活があまり強くなく、「もっとサッカーうまくなりたい」という考えの下、サッカー経験のある指導者がいるところでプレーしたいと思って決めました。もう一つは、1つ年上に野口翼さんという方がいて、地元では有名で、「その人と一緒にサッカーをしてうまくなりたい」という理由もありました。中学時代はサッカー、サッカーの日々でした。とにかく走って、基礎練習もいっぱいやりました。小学生の頃からプロになりたい思いがありました。周りの大人からは、「サッカー選手になれるのは一握り。難しいよ」と言われましたが、「プロになる」意志は固かったので、耳に入りませんでした。高校進学にあたっては、野口翼さんが進まれたサンフレッチェ広島ユースに行きたくて、僕も練習参加しました。だた、受からずに進路を探すことになったところ、前橋育英高校からオファーをもらいました。練習参加したら凄く楽しくて、フィーリングが合いました。前橋育英高のパスサッカーと、自分が頭で描く「つないで勝つ」というスタイルが合いました。
前橋育英高は、“強豪校”そのままでした。うまい選手がいっぱいいて、みんなプロになりたくて入ってくるので、分かりやすいピラミッド社会です。負けたら落ちていく。それが目に見える環境でした。同じポジションで競争して勝たないと落ちていく。練習でも皆激しくやり合っていました。僕は中学生の頃に年代別代表に入っていたので、最初からトップチームに入れてもらいました。先輩からすれば、「1年の若造が入ってきた」みたいな感じですよね。3年生、2年生とやり合う感じでした。1年生でトップチームに帯同していたのは、僕以外には、途中から入ってきた渡邊凌磨だけです。前橋育英高では、松田直樹さんが付けていた14番が伝統として継承されているのですが、1年の10月頃から付けさせて頂きました。U-16アジア選手権で準優勝して、U-17W杯出場権を掴んで帰ってきてから14番を渡されました。翌年のU-17W杯も印象深いです。日本のエンブレムを付けて初めて世界と戦う経験をしたので、特別な大会でした。前橋育英高に話を戻すと、1年では途中出場が多かったですが、2年以降はずっとスタメンでした。2年次のチームは、U-18プリンスリーグ関東で優勝するくらい強いチームだったのですが、夏のインターハイは全国1回戦負け、冬の選手権は県予選の決勝で負けました。その悔しさもあり、翌年は「絶対に負けたくない」という思いで臨みました。3年ではキャプテンをしました。考えていたことは単純で、「どうすればこの組織が結果を出せるか」。それだけを考えていました。個性的な選手が集まっていましたが、結果が一番分かりやすい。口で言うよりプレーや試合の結果で示す。それが自分のキャプテンとしての役割だと思っていました。3年次はインターハイでベスト4、選手権は準優勝でした。入学の時、「前橋育英の名前を復活させる」という目標を持って入ったので、ある程度のタスクは達成できたかなと思います。夏で結果を出さないと、みんなの大学の進路にも響くと分かっていたので、みんなの進路を確保することもできました。結果は準優勝でしたけど、選手権で最後に優勝して終われば、前橋育英の名前を世に出して、監督にも恩返しできると思っていたので、ある程度、高校でやらないといけないと思っていたことは全部やり切って出ることができたと思います。当時の同級生でプロになった選手は多いですが、セレッソつながりでは、坂元(達裕)選手がいました。タツはよくドリブルの練習をしていました。ただ、細かったので、このままではプロに行けないだろうと、何となく思っていました。大学に行ってどれだけ伸びるかなと。そこから彼はめちゃくちゃ頑張って努力して、モンテディオ山形からのオファーを掴み取って活躍し、セレッソへ移籍してJ1でも活躍し、欧州へ行きました。相当、努力したと思うし、彼自身が持っているパーソナリティーの部分で、運も掴み取ったと思う。みんな真似して欲しいし、僕も真似したいと思います。お互いやりたいことをやって、進みたいところに進みながら、どこかでまた一緒になれたら嬉しいですね。
高卒では、プロからオファーもありました。色んな人から「プロに行け」と言われました。ただ、練習参加した時、雰囲気や熱量など、当時の自分には少し合わないかもと感じました。逆に大学の環境は伸びそうだと感じたので、大学進学を決めました。ここから、同じ年の選手がJのクラブで活躍したり、海外へ移籍したり、焦る気持ちもありました。ただ、自分の中でやれること、「ここでしかできないことは何だろう」と探し始めてから、考えがまとまって、勢いも出てきました。1年では試合に出たり出なかったりを繰り返しましたが、2年からはずっと出ていました。2年でインカレに優勝し、3年では関東大学リーグで優勝して、天皇杯でジャイキリも起こしてベスト16まで行きました。大学で得たことは自己管理です。時間の使い方、栄養、トレーニング、量や質をコントロールすることを学びました。
-プロ以降-
プロ1年目は、徳島ヴォルティスに加入しました。いくつか選択肢があった中で徳島に決めたのですが、この時も、「ここにいたらうまくなるだろう」というフィーリングで決めました。徳島での3年間は濃かったですね。1年目、リカルド ロドリゲス監督という初めてスペイン人監督の下でプレーしました。当時から考えてプレーしてはいたのですが、どちらかと言えば“感覚体質”だったので、監督の言っていることがよく分からないこともあったのですが、1年かけて消化して、何が言いたいのか、何がしたいのかを理解してきた時に、それまでは“感覚6考える4”だったのが、逆の割合になりました。理屈でサッカーする部分も覚えました。この年はJ1昇格プレーオフの末、昇格できませんでした。より来季は結果にフォーカスしようと臨んだ中で、2年目は優勝して昇格できました。タイトルを獲れたことは大きかったですね。キャリアを進める上で、大きなヒントを得ることができました。「何々をやったから優勝できた」という答えが出るので、それを確認できたと思います。あのチームは、岩尾(憲)さんのマネジメントが優勝できた要因の大きな一つだったと思います。隣でプレーして学ぶことは多かったですし、今でもサッカー談義をします。本人にも言っていますが、「いつまで経ってもアナタを越せません」と。「お前はもう越したよ」と言ってくれるのですが、あの人は引き出しの量が半端じゃない。あの人のようになりたいと、いつも思っています。3年目は(ダニエル)ポヤトス監督でした。リカルドは、自陣で回して相手を引き出して、空いたスペースを使って攻めることが狙いでしたが、ダニは、よりスペインサッカーっぽく、横に、横にボールを動かしながら、最後、前に運ぶみたいなスタイルでした。ビルドアップの仕方が違ったので、新たな引き出しが増えました。
プロ4年目の昨年、「もっと個を高めたい」と思ったタイミングでセレッソからオファーをもらい、「成長できる」と思って、迷わず決めました。キャンプでセレッソと対戦した時も、凄く個があるチームだと思ったし、「こういうチームでサッカーしたい」と思い、すぐセレッソに決めました。実際、昨年1年間で、J1で戦うフィジカルは鍛えてもらいました。僕はフィジカル面での強度が高くないことは理解していますが、その分、戦術や予測で一歩先に動くことで、空間や場所を使うこともウリにしているので、その磨きがかかり、そういうところでの個も高まったと思います。昨季はリーグ戦では2G3A、ルヴァンカップも含めると2G5Aでした。今季はリーグ戦で5G5Aが目標です。チームとしては、タイトル獲得です。そこだけを目標に戦います。将来的には40歳までプレーしたい思いがあります。僕自身、セレッソでずっとプレーしたい思いもあります。チャンスがあれば、海外でもプレーしてみたいですが、今はセレッソの環境でうまくなっていることも分かるので、セレッソで活躍して代表に入って、自分に何が足りないのか、どこを伸ばさないといけないのか、その確認作業をしたい。その作業が海外でできるなら、してみたい思いもあります。もっともっと高いレベルに自分を持っていって、もっともっとうまくなりたい。好きなサッカーを突き詰めたい。それをずっとセレッソでできるなら、セレッソでやりたいです。クラブでタイトルを獲って、今のフロンターレのようなクラブになっていけたらベストだと思っています。そういう目標から逆算して、今、自分のやるべきことをやっています。人生なので、何が起こるか分からないですし、思いが変わることもあるかも知れませんが、そういう毎日を思い描いて生活しています。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
トクマ トク2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
25.54 スパイクのこだわり
カンガルー皮5 自分のプレーの特徴
ゲームメイク6 遠征に必ず持っていくもの
ヘッドマッサージ7 オフの過ごし方
家族でお出かけ8 ストレス解消法
出かける9 サッカーを始めた年齢
6歳10 サッカーを始めたきっかけ
2002日韓ワールドカップ11 影響を受けた指導者
FC古河の監督12 仲の良い選手/理由
山中亮輔、鳥海晃司、中原輝、毎熊晟矢、上門知樹/一緒にご飯食べに行ったりする13 チームメイトの意外な一面
上門選手/ご飯食べるの遅い14 憧れの選手
シャビ・エルナンデス選手15 今季対戦が楽しみなチーム/理由
全チーム/色んなチームと試合したい16 この人にだけは負けられない/理由
前橋育英の同期/サッカー仲間だから17 将来の夢(サッカー面)
セレッソでタイトルを取ること18 もしサッカー選手じゃなかったら
カフェ経営19 あなたにとってサッカーとは
生きがい20 今季の目標(サッカー目標)
3冠21 セレッソ大阪の好きなところ
選手みんなが温かいところ22 セレッソ大阪のイメージ
タレントが多く輩出されている23 大阪の好きなところ
美味しいご飯屋さんがいっぱいあるところ24 趣味・マイブーム
美味しいご飯屋探し25 資格や特技
教員免許、指導者C級26 自分の性格
好奇心旺盛27 生きていて1番ワクワクする瞬間
サッカーしてる時28 人生で1番悔しかったこと
サッカーで負けた時29 座右の銘、好きな言葉
意志あるところ必ず道は拓ける30 初めての給料の使い道
奥さんにプレゼント31 好きな芸能人/アーティスト/芸人
千鳥、ミスターチルドレン、32 好きな女性のタイプ
尽くしてくれる人33 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
キングダム、ワンピース34 好きなキャラクター
ルフィ35 好きな映画のジャンル
成り上がり系、スパイ映画36 好きな音楽のジャンル
邦楽、洋楽37 好きな食べ物
寿司38 苦手な食べ物
パクチー39 この世で一番好きなもの
奥さんの手料理40 この世で一番怖いもの
ポルターガイスト41 今一番欲しいもの
ファミリーカー42 最近チャレンジしたこと
英会話43 最近嬉しかったこと
子供の成長44 これから取り組みたいこと、やってみたいこと(サッカー以外)
海外旅行45 子どもの頃の夢
サッカー選手46 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
サッカー47 思い出の一品(食べ物でも、身につけるものでも可)
サッカー始めた時の、1番初めに使ったボールとスパイク48 誕生日にもらって嬉しかったもの
ケーキ49 ほっとする瞬間
家族でいるとき50 いつもつけている香水(銘柄等)
ティファニー51 将来の夢(プライベート)
指導者