34℃の銀座の暑さをおぼえている。
毎朝、起きる度に気温をチェックしたりする習慣はないが、銀座だけは別で、
たしか「サトちゃん」という名前の製薬会社のマスコットのオレンジ色の象さんがのっかったパナソニックの気温掲示板があって、例えば電気ビルのてっぺんにある外国人特派員協会(FCCJ)のバーから見えていた。
うん?
バーじゃなくて、鮨屋のほうだったかな?
それとも鮨屋とバーの両方から見えるんだったかしら。
なにしろ13年以上前のことなので、わからなくなってしまっているが、まあ、とにかくFCCJから、いつも見えていて、今日は28℃か、ほんなら夕方は銀ブラでもいいな、とおもったりする。
なんでもかんでもうるさい人のために言うと、ここで、「銀ブラ」という言葉は、たいへん古い言い方だと判っていて使っているので、なんで、そんな日本語を使うのかと解説すると、
なんで解説しようとおもうのか考えると、コントロールフリークが集団で松明をかざして、日本語の闇のなかを、「まちがった日本語はいねがあー」「嘘をついているやるはいねがあー」と蹌踉と歩き回る日本語社会の特殊状況がおもいだされて、ゾッとしないが、
こちとらは、なにしろ岡本綺堂や新派芝居や、インテリ風ならば築地小劇場の新劇や、
なにしろ文明が、てんこ盛りになっていた昔の日本が好きなので、銀ブラ、という言葉を頭のなかで転がしてみると、甘い香りがするくらい、昔の日本が好きだからです。
日本にいるときは、そこが外国人の浅はかさで、よく土地柄を判っていなくて、広尾山にアパートを買ってしまって後悔したが、朝、目が覚めたときに、寝床に入ったままシャンパンと一緒に朝食を食べる習慣が日本でも脱けなくて、ところが、日本では「家の人」というものがなくて、
パートタイムの、やたらめたら頭がきれる女の人が来てくれているだけで、朝のシャンパンを用意してもらうわけにはいかなかったので、よく帝国ホテルに泊まっていた。
このホテルは、例えばフランス語版の緑ミシュランを見ると、「日本式のサービスで、ひとによっては煩いと感じるだろうが、なにくれとなく頻繁に面倒を見てくれて、それはそれで良いものである」なんて書いてあります。
そのとおりで、東京にはいくつか縁があるホテルがあって、子供のときから、そのホテルごとの、
おおげさに言えば「ライフスタイル」があったが、帝国ホテルは、サービスは日本式でも、滞在中のミニライフスタイルは、自分が生まれた国とおなじで十分にやっていけて、レセプションに説明する必要もなくて、まして、朝からシャンパンを飲んでいる胡乱なガイジンがいる、と警察に通報されたりもしなくて、「シャンパンブレックファスト」として、初めから、メニューに載っている。
ちょっと足りないので、もう1本シャンパンをつけてね、シェリーをデカンタでひとつ、と煩い客で、いま考えても、ごめんごめんとおもうが、しかし、いまおもいだしても、あれは、なかなか客のわがままを聞いてくれる、よいホテルだった。
実は帝国ホテルから、晴海通りの反対側まで、冷房が入っている地下だけを通っていける。
歴史が古い国とは、そういうもので、「地下通路でいける」といっても、シンガポールのように、広い、天井への高さが十分にある、清潔で明るい地下を通っていけるわけではなくて、
油断すればダクトにデコをぶつけて昏倒しそうな低い天井を、ときどき腰を屈めたりしながら、
なにしろ都会といえば古ければ古いほど好きなので血湧き肉躍り、欣喜雀躍しながら、晴海通りの地下をくぐって、反対側の有楽町に出ます。
なぜそこまでして有楽町に出たかったというと、いまでもあるのかどうか知らないが、
有楽町側の地下にクリスピークリームドーナッツがあって、二日酔いであったりすると、
矢も盾もたまらず甘いものが欲しくなるので、遙々遠征して、買って、いそいそと部屋に戻って食べることになっていた。
数寄屋通りの割烹屋や、西銀座デパートのイタリア料理屋、どこにあるかはいまでも内緒の劇場の隣のビルの天ぷら屋などと1セットで、切り離せなくて、天丼が食べたければ、子供のとき以来だい好きな天一本店へ行くし、とんでもない昔昭和から存在するらしいSONYビルのパブカーディナルや、そういう「習慣」が渾然一体となっていて、日本にいたときの「数寄屋橋セット」をつくっていた。
銀座という街は、初めて日本にやってきたわしガキのころから好尚に適った街で、大好きで、ミニライフスタイルも2セットあって、もうひとつは「築地歌舞伎座セット」です。
おなじ銀座でも、こちらは、日比谷セットと呼んだほうがいいのかもしれない「数寄屋橋セット」と性格がまったく異なっていて、モニさんが好きな真珠のミキモトがあり、わしが大好きだった文具の伊東屋があって、地下には長崎料理「吉宗」が潜伏し、もちろん築地市場があって、驚くべし、味噌カツの「矢場とん」まであるという至れり尽くせりの街だった。
ホテルからは行かなかったけどね。
広尾山の家からでかけていた。
だって、ほら、ベッドでシャンパン飲んでごろごろできないでしょう?
だから、こっちのセットに行くときはタクシーです。
タクシーで行って、タクシーで帰って来る。
どういう連想なのか、こっちの銀座セットに出かけたときは、一日の終わりに、よく六本木の「香妃園」に寄って鳥そばを食べて帰っていた。
なんでだかは、判りません。
そうだこうだと話がバラバラになりながら、晴海通りを越えて、じゃないか、潜って、かな?
ドーナッツを買って、いそいそと、いま来た地下を戻ろうとしたら、なにかがヘンである。
突然、足が前に進まなくて、しかも、尾籠であるが、お腹がぐるぐるしてきた、もうあとは必死で、部屋に戻って、ダイブするようにトイレに駈け込んで、ああ、死ぬかとおもった、のが、どうやら、わしの生まれて初めての「熱中症体験」であったようです。
気をつけていて、ちゃんと冷房があるところだけ選んで作戦計画を立てて、そのとおり辿っても、あれなんだからね、と、いま思い出してもおもう。
日本の夏の暑さの恐ろしさよ。
地球温暖化は、おぼえている限りでは、2000年代くらいまでは、マスメディアが大騒ぎをしているだけで、科学世界の友だちは、地球温暖化が一方向の長期的な現象なのか、「そう見える」だけなのか、懐疑的な人が多かった。
ひどい人になると「あの業界は予算がつきにくいから、ここぞとばかりオカネ集めに奔っているのでは」と笑う人もいたりして、科学の心得がある人は内心は「半信半疑」という人が多かったでしょう。
いま見ると、アル・ゴアのAn Inconvenient Truth(邦題:「不都合な真実」)が公開されたのが
2006年です。
まともげな本を買ってきて、開いてみると、「人口が増えて、人間の活動が盛んになったので地球が熱くなってきた」というような、判りやすいお話しではなくて、考えてみれば地球という惑星規模の複雑な「系」の話なのだから、あたりまえだが、一見、いきなり読む気がなくなるような、ややこしいお話なので、旅先でテキトーに買ったイタリア語の本(←どーして、ちゃんと読めもしないのに、そういうことをするの)は放擲して、あらためて英語で買い求めたりして、いろいろ勉強してみて、その結果は、「うーん。一方向かどうか。丁か半か」
たいへん科学的結論に到達していた。
ところが2010年代の中盤あたりから、問答無用で気温が上昇していった。
長期に及ぶもなにも、最新EVのような加速度で、あっというまに、もうあまりに暑くて、選挙の結果、極右キングメーカーになろうがどうなろうが、どうでもいいやな、昨日のスペイン友からのemaiをみると戸外で48℃かな?
わっはっは、な気温が書いてあります。
縷々として、もう人間が生きていける気温ではない、と書いてあるが、特に縷々されなくても、
48という数字だけで、たいへんな説得力で、説明は暑気払いにしか見えないもののようでした。
ニュースも、たとえばアメリカではファーストフード店の店員が「暑くて、やってらんねえ。
こんなクソ暑いのに仕事なんかやれるか」という理由で、ストライキに入っている。
むかし、ダーウィンの気象サービスを見ていたら、これはいい考えで、街のCCD映像に、庇の上や、歩道の表面、信号機、….通りの部分部分の「気温」が表示されていて、
35℃の日で、庇だったか、70℃なんてのまであって、
そーかそーだったな、と迂闊なわしにも納得された。
ほら、むかしなら、百葉箱とかっこいい名前のケースがあったそうだが、いまでも、
「太陽が直接当たらず、照り返しもなく、風通しの良いところの地表から1.2m~1.5mの高さ」で、貴人風というか、涼しげなガゼボというか、見るからに爽やか風な地点で測っているので、公式気温が30℃も超えるくらいになると、市井に棲息する人間にとっては、すでに、
ぐあああああ、な暑さであるはずです。
そのうえにローカルなことをいうと、わし滞在のころにはもう汐留に防風壁みたいな、でっかい屏風みたいなビルを建てた愚かなデベロッパーがいて、おかげで東京名物「夕方の東京湾からの涼しい風」もパタと止まってしまっていた。
そんなこんなで、東京は、きっと、いまごろは、オブンのなかみたいになっていて、
都民はピザみたいにこんがり焼けているのではなかろーか。
オークランドは、いまグーグルホームさんに訊いてみると10℃で、オークランドの冬として、まともな気温だが、このあいだまで18℃だったりして、気配として不穏です。
夏は、きっと、とおもうと、惨めな天気でいい、今年のクリスマスはロンドンで、という家族提案を行おうかしら、と考える。
人間の予想を遙かに超えて、快速で気温が上昇するので、対策が間に合うわけはなくて、地球の上を逃げ回るしかない。
もうひとつ難儀なのは、気温が上昇するにつれて、いまおもえば郷愁を感じるのんびり語で
「ゲリラ豪雨」と呼んでいたものが「テト攻勢豪雨」になって、いまや「ノルマンディ上陸作戦豪雨」くらいにはなっていて、激しい雨が降り出すと、止まりません。
オークランドでも、いままでの歴史で降ったことがない激しい雨で、
そーか、ここも斜面だからな、とおもうような、よく整備されて、樹も根付いていて、しっかりした住宅地の地盤が、突然崩れて人が死んだりしている。
一応、ということで豪雨がくるまえに裏庭のやや水はけが悪い箇所のdrainageを整備しなおしておいて、豪雨でも水が溜まらなくてすんだが、来年は、もっとすごいだろうということで、もっかは業者とfrench drainを城塞の掘のように家の周りを巡らす計画を遂行ちゅうです。
オークランドベイからイルカが姿を消したり、釣れる魚の種類が変わって、釣りのポイントも、変化したりで、もちろん、海もおおきく反応していて、第一、むかしなら北島の遙か北にしか進出しなかったサイクロンが、今年は到頭、オークランドの沖にまでやってきて、
オークランド近郊の別荘地として有名なコロマンデルの半島は交通遮断されて半島ごと孤立したりしている。
むかしむかし、子供のころ、家にあったカール・セーガンの科学啓蒙書に、地球が将来直面しそうな危機を挙げてゆくなかで、地球の温暖化の「可能性」が書かれていて、
「しかし、温暖化は、ゆっくりとした変化なので、人間の叡知で必ず対応可能で、最も心配する必要がない危機である」と述べられていたが、要するに、おっちゃんが考えたほど人間は「叡知」など持っていなくて、ゆっくりゆっくり、あれえー、あれえー、と言っているうちに、きゃあになっていて、やっぱり人間って、バカなんちゃうか、と自分のことは棚にあげて考えてみる。
この一世紀で人口が40億人増えて、いま、この時点で80億人をやや上廻る世界人口が百億を超えるのは時間の問題です。
流行りのことばで言えば、地球自体がsustainableでなくなるという未曾有の事態で、世界の政府のなかで、国民性なのか、長い文明のちからか、常にいちばん遠くまで未来を見透して行動する中国政府は、すでに食料を始めとする資源の確保に乗り出していて、例えば、いよいよとなればブラジルがあるさ、と気休めの種になっていたブラジルの、まだ食料生産に転用されていなかったブラジルの大草原は、すでに、化学肥料の供給と引き換えの形で、中国が抑えてしまっている。
まるで地球の急速な温暖化で食料生産量が世界中で低下するのを、予め知っていたかのような勘の良さです。
日本の食料自給率は肥料その他、生産過程で輸入に依存しているボトルネックを、計算にいれると僅か8%だそうで、なんども述べたがフランスのジャック・アタリ辺り(←駄洒落)は、2023年の終わりには日本人は飢えることになると警告している。
たしかにJAその他、世界の至るところで「買い負け」していて、危ないが、いままで、ずっと見てきて日本の人は、底力というのか、土壇場になれば知恵が出てくる民族性で、わし個人としては大丈夫なんでないかとおもっているが、
しかししかし、
この地球温暖化と、それにつれてcome undoneと言いたくなる地球の乱調は、どうやら一方向で、しかも加速がついていて、恐ろしいという言葉以外、おもいつきません。
どうなるんだろうね、と、額を集めて、ヒソヒソと話してみたくなる。
最も恐ろしいのは、社会の複雑化に加えてダメ押しのように地球が乱調になると、自分の能力を超えてしまって世界の仕組みが理解できなくなったひとびとや、「どうして、おれがこんな目に遭わなきゃならないんだ」とフラストレーションを募らせるひとびとが増えて、欧州を見れば、ひと目でわかる。
グローバルな人間社会のよく知られた敵、「非寛容」が快速で世界の表面に広がっていることです。
脅かすわけではなくて、日本の人に「汚染水の海への放出だけは止めた方がよい」と余計なことを述べたのは、比較的人口規模が小さい文化グループとして、ストレスがたまって行き場のない憤懣に耐えかねた世界のひとびとから袋だたきに遭う可能性があるとおもう。
なんだか「汚染水でなくて処理水だから安全だ」とか「他の国だって放出してるじゃないか」と一生懸命に述べているが、そういう是非の議論は問題のピンとが外れているのが、わかりますか?
出来れば、日本の人が得意なはずの「空気を読」んで、国として、巧く世渡りをしていかなければ、過去の教訓からは想像もできないほど、いまの非寛容世界は感情的になっている。
ほんのちょっとだけど、心配しています。
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