第二百九話「誰もがみんな空回り」
戦いはなし崩し的に始まった。
まだ戦う気はなかったが、始まったのなら迷うわけにはいかない。
俺はスイッチを切り替えた。
「うおおおおお!」
まずザノバが飛び出した。
相手は七大列強だが、ザノバはそんな事実をものともしなかった。
何の技術もなく、ただまっすぐに走り、愚直に攻撃を仕掛けたのだ。
棍棒が唸りを上げて死神に迫る。
死神はそれを余裕をもって回避した。
だが、ザノバが攻撃を当てられない事は、俺は予見している。
ザノバの攻撃は一撃必殺。
当たればクリティカルだが当たる可能性は極めて低い。
そいつを命中に導くのが、俺の仕事だ。
俺は死神が回避するであろう場所に、すでに泥沼を設置していた。
「おっと?」
泥沼に足を取られ、体勢を崩す死神。
「『氷撃』」
そこに、ロキシーが放った魔術が叩き込まれる。
死神はとっさに剣で受け流すも、体勢はさらに崩れた。
畳み掛けるようにザノバが襲いかかった。
不死魔王ですら身動き出来なくなるほどの怪力。
そこから放たれる殴打は、容赦なく階段の踊り場に穴を開ける。
死神はさすがというべきか、それを回避していた。
だが、誰の目にも、彼が攻勢に移れないのはわかった。
尻もちをつき、足の裏が地面を捉えていない。
剣先はあらぬ方向を向き、左手は肘が接地している。
今が攻め時だ。
死神の顔は驚愕に彩られていた。
「まさか、こんなはずは……」
その呟きを聞いて、俺はイケると踏んだ。
ロキシーに目配せをして、一歩前に出る。
ザノバもまた、止めを刺すべく死神に迫る。
両手を死神に向ける。
ザノバの攻撃が当たればよし。
当たらなければ、予見眼にて回避方向を特定し、そちらに電撃を叩き込む。
麻痺した所に、左手の魔道具から岩散弾をぶち込んでフィニッシュだ。
それすらも回避されるようなら、今一度ロキシーが牽制をして体勢を崩し、当たるまで続ける。
特に申し合わせたわけではないが、必殺の連携となった。
奴は袋のネズミだ。
「むぅっ!」
ザノバの一撃が死神に見舞われる。
だが、俺は信じられない光景を目にしていた。
なんと、死神は受け止めていたのだ。
ザノバの怪力を。
棍棒を、素手で。
すさまじい膂力だ。伊達に七大列強とは言われていない。
だが、ここまで。
受け止めた腕が折れているのは、俺の目にもハッキリと映った。
チェックメイトだ。
「ザノバ、どけ!」
俺の叫びで、ザノバが弾かれたように横に飛んだ。
俺の右手から、紫電が走る。
バリンと中空に音を残す稲妻は、死神を舐めた。
直撃。
死神は全身を硬直させ、ガクリと横たわる。
ガイコツのような顔がこちらを向いている。
何をされたのか理解出来ていない顔。
電撃は闘気で防御しても、麻痺させることが出来る。
トドメだ。
俺は岩砲弾を放つべく、左腕のパーツへと魔力を注ぎ込んだ。
「『ショットガン・トリガー』」
王級とも、帝級とも言われる岩砲弾が群れを為してが死神へと飛んだ。
岩砲弾はオルステッドにも認められた、俺の撃てる最高の必殺技。
当たれば、オルステッドですらダメージを負うほどの威力だ。
この姿勢、このタイミング。
死神といえど回避は出来ず、当たれば死なないにしても、大ダメージは免れまい。
勝った。
「………………え?」
そう思った次の瞬間。
岩砲弾が掻き消えた。
中空で砂のようになり、死神に降りかかったのだ。
理解出来なかった。
「おお、助けに来てくれたのですね! 死神様!」
ランドルフがそう言って、俺の後ろを見た。
「!」
新手!?
死神?
じゃあ今戦っていたのは!?
最初の自己紹介の時にミスリードさせられた!?
俺は後ろを振り向いた。
誰もいなかった。
月夜に照らされた階段があるだけだった。
「ルディ!」
ロキシーの叫びが聞こえた時には、俺は突き飛ばされていた。
腰のあたりに青い髪が見える。
ロキシーに突き飛ばされたのだ。
なぜだろう、と疑問に思う前に、俺は空中でロキシーを抱くように姿勢を変えた。
背中から階段に落ちる。
魔導鎧がガキンと音を立て、床に落ちた。
ダメージは無い。
「えっ……」
仰向けになって階段の上を見上げる。
まだ何が起こったかわかっていないザノバと、剣を振りぬいた姿勢の『死神』がいた。
死神は何事もなかったかのように立っていた。
電撃で麻痺していたのではなかったのか?
体勢を崩していたのではなかったのか?
おかしい、なんでだ。
「ルーデウス殿、死神は常に後ろに立つものですよ」
余裕の表情、余裕の言葉。
それで理解が追いついた。
演技だ。
電撃でしびれていたのも、体勢を崩したのも、わざとだった。
俺に背後を振り向かせるための……。
ああ、くそ、ミスったな。
オルステッドに、ランドルフはそういう戦い方をするって聞いていた。
油断していたつもりはなかったけど……。
それにしても、さっきのは何だ。
岩砲弾がかき消された。
いや、見覚えがある。
あれはマナタイトヒュドラと戦った時と同じ現象だ。
てことは……。
「吸魔石か」
「おや、一度でタネがバレるとは……さすが、侮れませんね」
死神はそう言いつつ、手のひらを広げた。
革製の篭手の掌部分に、吸魔石がハメこまれていた。
先ほどは気づかなかったが、あれで吸い取ったのだろう。
そういう手の内があるとは聞いていなかったが……。
ていうか、あの吸魔石、俺がベガリットから持ってきたヤツじゃなかろうな……。
王竜王国の騎士なら、そういった装備を集めていても不思議ではない。
そして、それをオルステッドが知らなかったとしても、だ。
まあいい。
少し油断したが、七大列強にそう簡単に勝てるとは思っていない。
魔術が効かないとなると戦いにくいなか、吸魔石の特性は知っている。
吸魔石はその方向に手を向け、魔力を込めて初めて発動できる。
つまり、手の平さえ向けられなければいい。
背後に回るか。
踊り場が狭いのが難点だな……。
でも、三人いれば出来ない事は無いはずだ。
見たところ、吸魔石は一つ、俺とロキシーで前後から同時に魔術を放てば、さらにそこにザノバの追撃が入れば……。
いや、そんな簡単じゃないだろう。
でも、ダメなら、別の方法を試せばいい。
トライアンドエラー。
倒すまで続けるのだ。
「ロキシー、ザノバの後ろ側に回りこんでください」
「……」
返事がない。
そういえば、さっきからロキシーが動かない。
手がぬるっとした。
肩口のあたりに、何か変な感触がある。
「……ん?」
なんだこれ。
赤い。
「ロキシー……ちょ……嘘でしょ?」
ロキシーのローブが切られて、その下から、赤い血が流れだしていた。
心臓が早鐘を打つ。
走馬灯のように、昔の場面が思い浮かんだ。
俺を突き飛ばして死んだ男の姿。
倒れて動かなくなった男。
パウロ。
最後に俺に手を伸ばした、パウロ……。
パウロみたいに。
ロキシー……!
そんな、え?
嘘だろ。
「嘘だ! ロキシー!」
「……嘘じゃないですから、傷口を触らないでください、痛いです」
気づけば、ロキシーにじとっとした目を向けられていた。
「あ、はい」
大丈夫そうだ。
ロキシーを離すと、彼女は小声で治癒魔術を唱え、傷を治した。
ほっとした。
心臓に悪い。
「おや、確かに致命傷だったはずですが……」
死神は顎に手を当て、不思議そうに首をかしげていた。
ぞっとするような事を言ってるが、ロキシーはこの通り、ピンピンとしている。
猿も木からなんとやらだ。
ロキシーを仕留めた気でいたらしいが、残念だったな。
俺の寿命が縮んだだけの結果に終わったぜ。
さぁ、試合再開だ。
「ん?」
と、そこでロキシーの首からピキリと音がした。
見ると、出発前に彼女にあげた首輪がひび割れ、みるみるうちに砕け散った。
続いて、彼女の指。
そこにハマっている指輪も、砕けた。
「……………………」
あれはそう。
『致命傷を受けると身代わりになる
『物理攻撃に対するバリアを張る
「ああ、ソレでしたか……なぁるほど」
ゾッとした。
背筋に氷柱を打ち込まれたかのように寒気が襲った。
死神から強風が吹いているような圧力を感じた。
この風は知っている。
臆病風だ。
わかっていても止まらない。
思わず、ロキシーをギュっと抱きしめた。
「る、ルディ……?」
ダメだ。
ここまでだ。
俺が想定していたのはここまでだ。
あの首輪は、予め用意していたものだ。
だから運じゃない。
ここまでは、想定の範囲内だ。
でも、ここからはどうだ。
一撃で即死級の攻撃を放ってくる相手。
トライアンドエラー?
こんな相手に、何度トライ出来るっていうんだ。
コンティニューは無い。
今ので使いきった。
これ以上、こいつとやると、誰かが死ぬ。
勝てない。
七大列強に正面から挑んで、勝てるはずもない。
大体、なんで七大列強に、真正面から挑んでいるんだ。
オルステッドも、真正面から挑むなって言ってたじゃないか。
そうだ、最初からそうだったんだ。
「ザノバ! ダメだ! 撤退しよう!」
「師匠!?」
「こいつには勝てない! 一式を取りに戻って再戦するんだ!」
ザノバは棍棒を構えたまま、二歩下がった。
そして、肩越しに俺を見てくる。
「いえいえ、なかなかいい勝負をしていますよ。
特に、さっきのなんか危なかった。
もう一度やられれば、防ぎきる自信はありませんね。
奥の手も使わされてしまいましたし……」
死神が囁く。
確かに、さっきは行けそうな気がしたが、きっとこれは嘘だ。
オルステッドも言っていた。
奴は誘うと。
攻撃を誘う、防御を誘う。
今のこの言葉だって、きっとそうだ。
いや、それとも本当なのか?
例の幻惑剣とやらは使わず、素で言っているのか?
今のはあからさますぎる一言だった。
誘うと見せかけて……。
ええい!
もう、こいつの言葉は何も信じられん。
一つわかることがある。
今の俺には死神は倒せない。
一瞬で、俺の心に、そう刻まれた。
だが、ザノバはそうは思わなかった。
「なら、師匠はそこで見ていてください。余は一人ででも戦い、突破し、弟に会います!」
ザノバが突進した。
俺の目には、それがスローモーションで映った。
時間が遅れ、音が消え、世界が色あせた。
一歩、二歩と走るザノバ。
予見眼の中で、すでに死神は動いている。
先ほどのぎこちない動きが何だったんだと思えるほどの速度。
眼にも止まらない、俺の動体視力では到底とらえられない速度。
時間が戻る。
剣閃が走った。
「ザノバ!」
斬撃は、ザノバの脇腹から入り、肩口へと抜けた。
逆袈裟。
鎧が粉々に砕け、ザノバは天井へと吹っ飛んだ。
ザノバは勢い良く天井にぶち当たり、そのまま俺の目の前にドシャリと落ちてきた。
音はまだ聞こえない。
全ては夢の中のようだ。
「はぁ……はぁ……」
動悸が激しい。
大丈夫なのか?
鎧は砕けている。
分厚い胸当て部分と、肩当てがガラスのように粉々だ。
一体どういう斬撃を放てば、金属がこうなってしまうのか、皆目見当がつかない。
「奥義『砕鎧断』に手応えなし……」
死神の言葉で、世界に音が戻った。
確かに。
確かに、よく見ればザノバの体には傷一つ無い。
鎧の下に来ていたチュニックはバッサリだが、肌は青い痣ができている程度だ。
「うぅ……ぐぅ……」
ザノバがうめき声を上げながら、上体を起こした。
階上にいる死神を睨みつける。
「さすがは神子、やっぱり切れませんか」
死神はガイコツのような笑みを貼り付けたまま、見下ろしている。
そして、ゆっくりと剣を鞘に戻した。
「でも私、剣神ではないので、斬ることにこだわりはないのです……たしか火魔術は効くのでしたよね? パックス陛下から、そういう話は伺っています」
ああ、こいつ魔術も使えるのか。
でも、ザノバの身につけた鎧は火を無効化……。
いやダメだ。
こんな砕けた状態で、効果が発揮できるとは思えない。
「……」
ザノバが立ち上がった。
まだやろうと言うのか、棍棒を拾い、階段に足を掛けた。
ロキシーも立ち上がっている。
俺を守るかのように、一歩前にでて、ザノバを援護するため杖を構える。
俺も立ち上がった。
ザノバは頑固だ。
死ぬまで戦い続けるかもしれない。
もちろん、殺させるわけにはいかない。
ロキシーもだ。
彼女が死んだら俺は死ぬ。
俺の精神は死ぬ。
「まだやるのですか?」
ランドルフは、無表情でこちらを見下ろしている。
特に構えているわけでもないし、魔術を詠唱するわけでもない。
余裕の立ち姿だ。
向こうから攻撃を仕掛けてくる気はないらしい。
くそっ、何がいい勝負だ。
むしろ、手加減してもらった感覚すらある。
奴は、俺の岩砲弾を無効化した。
最初から魔術を無効化する術を持っていたのだ。
であるにも関わらず、他の魔術で俺の行動を釣った。
まだ、他にも奥の手を隠しているかもしれない。
オルステッドは何と言っていた?
攻めるべき時に守り、守るべき時に攻める?
じゃあ、俺がいまこう思っているのは、奴の思惑通りって事か?
わからない。
どう動けばいいのかわからない。
首輪は無い。
鎧も無い。
相手の手の内はわからず、攻撃は致命傷となる。
『魔導鎧・二式改』で奴の攻撃を防げる保証もない。
ダメだ。
どう考えてもダメだ。
一度撤退しなければならない。
ザノバをどうする?
説得しよう。
ダメなら後ろから攻撃し、気絶させよう。
そして、一式の所まで戻り、それで闘う。
「ザノバ、今のでわかっただろ。ただまっすぐに攻めても、殺されるだけだ」
「しかし、師匠。パックスが」
「死神は待っていた、まだ時間はあるはずだ。確実を取ろう」
ザノバの動きに迷いが見えた。
彼も、勝てない事を悟っているようだ。
「お帰りになるのですか?
しかし、恐らくですが……陛下の方ももうすぐ終わりますよ?」
これは罠だ。
聞く必要はない。
「ああ、一度出直させてもらいます」
問題は、逃してくれるかどうかだな。
「いきなり襲いかかった事は謝罪します。だから、今は見逃してくれませんか?」
下手に出つつ、息を整えつつ、様子を伺う。
戦いながら今まで通ってきた道を逃げ、魔導鎧の所まで。
そこで再戦だ。
追ってこないなら、それでも良し。
「はぁ、それは構いませんが……」
あ、いいのか?
なんか拍子抜けだな。
どうにも死神の意図が読めない。
こいつの目的はなんだ?
聞かずにはいられない。
「死神さん、あなた、ヒトガミからどんな指示をもらってるんだ?」
「別に、どんな指示も。会ったこともありませんので」
え?
「でも、さっき、知ってるって」
「私の親戚が、かつて会った事があるので、名前を聞いたことはありますが……それだけですよ。私自身はヒトガミには会ったこともありませんし、話した事もありません」
するってぇと何かい。
「つまりあなたは、ヒトガミの使徒ではない?」
「使徒が何かは知りませんが……その通りです」
早とちりか!
ああ、くそっ!
最近、空回りが多すぎるなぁ!
「てことは、あなたはパックス王の敵ではない?」
「はい。私はずぅっと、パックス王とベネディクト王妃の味方ですよ。なんせ、あの方たちだけですからね、私の料理を褒めてくれたのは……」
「つまり、部屋の奥でなにか怪しげな儀式をしていて、それの時間稼ぎをしているわけでもない?」
「ええ……小さな女の子のいる場で口に出すのは憚られる儀式ですが」
死神はそう言いつつ、ロキシーを見た。
ロキシーは小さな女の子と言われ、憮然とした顔をしている。
確かに、外見的に子持ちには見えまい。
それにしても、そうか。
戦わなくても良かったのか。
そうか……。
謝ろう。
俺の早とちりなんだから。
「それは……申し訳ありませんでした。
我々もパックス王の敵ではありません。
突然の襲撃、改めて謝罪させてください」
「いえ、私もうまく説明できず、申し訳ありません」
逆に頭を下げられた。
これはこれは、どうもご丁寧に……。
いやまて。
こうしているのも、実は死神の手中かもしれない。
実は彼は即死技の準備をしていて、今こうして話しているのは時間稼ぎ……。
ってのは無いと思うんだけどなぁ……。
ああ、ごちゃごちゃしてわからん。
これが死神の術中なら、俺はいま、完全にハマっている。
と、その時。
「おや?」
ランドルフが、フッと力をぬいた。
でも俺は気を抜かない。
こいつは隙を見せちゃいけない。
「終わったようです」
何が終わったのだろうか。
俺たちの命運か?
「まぁ、そう警戒しないでください。
私もあなた方を殺すつもりなど無いのですから」
「……嘘つけ、さっき致命傷がどうのとか言ってただろうが」
「はは、確かに……ルーデウスさん、あなた面白いこと言いますね」
ガイコツに笑われた。
今の返答の何が面白かったというんだ。
「私はパックス王に、事が終わるまで誰も通すなと命じられました。事が終わったら、その命令も終わりですよ」
ランドルフはそう言いつつ、剣を鞘に戻した。
そして、ふぅとため息をつきつつ、椅子に座り直した。
「さぁ、どうぞお通りください」
罠だろうか。
背中を見せた瞬間、バッサリという可能性もありうる。
「私に背中を見せるのが嫌なら、どこかに行ってましょうか?」
「いいや、必要ない。信じようではないか」
ザノバは男らしくそう行って、棍棒を腰に戻した。
俺も鉾を収めた。
こうして、戦いは終わりを告げた。
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王城最上階。
王の寝室。
シーローン王国が贅の限りを尽くした、最高のスイートルーム。
壁には絵画が並び、美しい彫刻を施された机も備わっている。
奥の部屋には、幅にして5メートルはあるのではないかという、天蓋付きの巨大なベッド。
ベッドシーツは乱れており、中心では一人の少女がシーツにくるまっていた。
青い髪をした少女が、静かに寝息を立てていた。
王妃ベネディクトだ。
周囲には服が散乱しており、ベッドの中は全裸であることが伺える。
また、部屋の中には、嗅ぎ慣れた臭いが充満していた。
男と女がアレをした時の臭いだ。
そりゃあ、小さな女の子の前では言えない事だ。
今の今まで、パックスと王妃は真っ最中だったというわけだ。
国の一大事に。
ザノバがこれだけ必死に助けにきたというのに、呑気なものだ。
パックスはバルコニーにいた。
バルコニーの手すりから、外を見ていた。
子供のように短い手足、大きな頭。
似つかわぬ、醜悪とも言える顔立ち。
服装はパンツ一枚だ。
その背中は、貧相な、とは決して言えない程度に鍛えられている。
また、傷跡も多かった。
痣の跡や、切り傷。
その全てが、彼の今までの人生を物語っているかのようだった。
「随分騒がしいと思ったら、兄上が来ていたのか」
パックスが振り返った時、俺は「呑気」という感想を打ち消した。
その顔は疲れきっていた。
その顔は諦めきっていた。
そして、落ち着いていた。
ランドルフは「心を鎮めている」といった。
文字通りの意味だったのだろう。
俺にも経験がある。
出すものを出して、心を鎮めたのだ。
「陛下、お助けに参りました。
さぁ、この城を捨て、共にカロン砦へと向かいましょう」
ザノバがバルコニーの前まで行き、パックスに手を差し出した。
対するパックスはその手を見て、鼻で笑った。
「助ける? カロン砦? 何を言ってるんだお前は」
「ここは一旦城を明け渡し、別の場所で牙を研いで待つのが良いでしょう。
兵力さえあれば、城を取り戻すのはたやすいはずです」
「……そして、また繰り返すのか?」
パックスはザノバを見た。
ぞっとするほど、冷たい眼で。
こいつが死神と言われた方が理解が早いぐらいの眼で。
「繰り返す、とは?」
ザノバの疑問。
それに対してパックスはフッと鼻で笑った。
どうせわかるまい、と小声で呟き、バルコニーの外を横目で見る。
「余は、これでも頑張ったつもりだったのだ。
父上が置いていた、腐りきった大臣を罷免し、別の者を置いた。
戦争に備えて傭兵も受け入れた。確かに治安は悪くなったが……。
それも、この国の未来を見据えての事だ」
パックスはバルコニーの手すりに背中を預け、ザノバを指さした。
「兄上の帰国を許したのもそうだ。
兄上に無理な願いをしたのもそうだ。
余なりに、考えた末の結論だ。
正直、余は兄上の事なんて嫌いだが、神子としての力は認めているつもりだからな」
「存じております。陛下の苦慮は、このザノバにも、十分に伝わっておりますゆえ」
ザノバの努めて冷静とも言えるような言葉。
それが、パックスの癇に障ったらしい。
彼は拳をグッと握りしめ、憎々しげな目でザノバを睨みつけた。
「何が伝わっているだ!
余の気持ちなど、誰にも伝わるか!
見ろ、この景色を!」
パックスは大仰にバルコニーの向こう側を指し示した。
城の真下には、反乱軍が篝火を焚いているものの、町中はシンと静まり返っている。
城壁の外には、大勢の人の気配がある。
篝火が焚かれ、キャンプのようなものが張られている。
ここから見ると、大軍勢が首都を包囲しているかのようだ。
「あれだけの兵がいるのに、一向に反乱軍を鎮圧しようなどという気配は無い!」
「違います陛下、あれのほとんどは兵ではなく、ただの民。
それも、どこの馬の骨とも知れぬ冒険者や、商人たちでございます」
「だから何だというのだ! 余がこの国の全てに疎まれているという事実に変わりはあるまい!」
バルコニーの手すりに拳を叩きつけて、パックスは喚いた。
俺はその光景を言葉もなく見ているだけだった。
口出しをしてはいけない。
ザノバが話さなければならない、そんな気持ちすら湧いてくる。
「陛下、それは違います。決して全てではなくっ……」
「何が違う! 現に、お前も三人ではないか。
もっと大勢兵を連れてきてもいいのに!
たった三人!
そっちの二人も、余を助けるのではなく、お前自身の護衛だろう!」
「それは……」
違わない。
俺はパックスを助けるのには反対した。
シーローン王国がどうなってもいいってのが本音だ。
ザノバが死んで欲しくないから、ついてきた。
「そうさ! 余は昔からそうだった!
どれだけ努力しても、誰も認めてくれない!
ちょっといい結果が出せたかなと思っても、すぐに裏目に出る!
台無しにされる! いつもそうだ!」
パックスは大声で喚きながら、次にロキシーを指さした。
ロキシーは面食らったように体を硬直させる。
「ロキシー! 覚えているか、昔の事だ!」
「え?」
「余が中級魔術を初めて使えた時だ!」
ロキシーは目を白黒させている。
「余が、自分なりに勉強して!
訓練して! ようやく中級魔術に成功した時!
お前はどんな反応を見せた!」
「いえ……その」
横目でロキシーは見るからに狼狽していた。
覚えているのだろうか。
忘れてしまったのだろうか。
俺にはわからない。
「ため息だ!」
「え……」
「喜んでお前に見せた余に、お前はため息を返したのだ!」
「いえ、それは……」
「『やっとこの程度か』と言わんばかりのため息に、余がどれだけ傷ついたと思っている!」
ロキシーは目を見開き、下唇を噛んだ。
まさかとは思うが、本当にため息をついたのだろうか。
あのロキシーが?
俺が何かに成功するたびに褒めてくれたロキシーが?
「それでも余はな! お前の事が好きだった!
お前はまだ、シーローンの中でも、余を認めてくれている方だった!
だからその後も、お前の気を引こうと頑張った!
でもダメだった!
お前はずっと上の空で、余の事など眼中になかった!
知らぬ男と文通をしていた!
馬鹿馬鹿しくもなる!
努力して認められないのに、なぜ頑張ろうという気になるか!
そうして余が頑張らなくなると、お前はあっさりと余を見捨てた!
ゴミでも見るような目で余を見て、どうせやっても無駄なんだろうと言わんばかりの指導をして!
最後にはもういいやと言わんばかりに国を出た!」
パックスは頭をグシャグシャと掻きむしった。
当時の事を思い出しているのか、目は充血し、涙が溜まっている。
「そ、それは……申し訳、ありませんでした……その、わたしも当時は……」
「黙れ! 言い訳なんか聞きたくない!」
ロキシーは押し黙った。
その表情には、深い後悔が見えた。
努力というものは、自分のためにするものだ。
でも、そんな説教臭いことを言える義理は、俺にはない。
少なくとも、この世界に来てから、俺は認められてきた。
努力すれば成果が出た。
成果が出ない時もあったが、ともあれ成果が出た時は認められてきた。
だから、俺にパックスを説教する資格はない。
「いいさ……実際、余はこの程度だ」
パックスはそこで、ふっと力を抜いた。
「王竜の陛下は余にシーローン王国を下さったが、このザマだ。
誰も余を王と認めず、誰も付いてこなかった。
それどころか、父上の血を引いているかわからぬ者を旗頭に、反乱まで起こす始末だ。
その混乱で、王竜の陛下に頂いた騎士たちも死なせてしまった。
王竜の陛下も、さぞや余にガッカリしただろう」
パックスは自重げに笑い、目からポロポロと涙をこぼした。
「結局、余を認めてくれたのは、ベネディクトだけだった。
彼女だけが、ありのままの余を愛してくれた。
言葉は少なかったが、一生懸命、笑いかけてくれたのだ」
力の限り叫ぶパックスの声は、どうやら階下にも届いたらしい。
篝火の中から、ざわざわと声が聞こえ始めた。
下からは、パックスの姿は見えるのだろうか。
パックスはそれを見て、つまらなそうに言った。
「なぁ、兄上……余は、どうすればよかったのだろうなぁ」
「わかりませぬ。ただ、親兄弟を皆殺しにしたのはやり過ぎだったかと」
「……だろうなぁ。でも、きっと他の兄上たちが生きていたら、こうやって反乱を起こしただろうさ」
「で、しょうな」
だが、ザノバはそこで首を振った。
「しかし、誰でも失敗はするもの。
反省し、次に活かせばよいではないですか!」
ザノバの快活な声が最上階に響き渡る。
こんな時でもこんな声を出せるザノバは、凄いよな。
「余は生かせないさ。そういう奴だ。
何度も何度も繰り返すだけだ」
パックスはゆっくりと首を振った。
その仕草はザノバとよく似ていた。
見た目は全然違う二人だが、仕草だけは似通っていた。
パックスは顔を上げ、俺の後ろを見た。
「ランドルフ」
「ハッ」
びっくりした。
いつの間にか、俺のすぐ後ろに、ランドルフが立っていた。
死神が後ろに。
心臓に悪い。
「前に話した通りに頼む」
「仰せのままに」
「よし」
前に話したってなんだろう。
そう思った次の瞬間。
パックスがバルコニーの手すりをヒョイと乗り越えた。
「あ」
ここは五階。
落ちた。
え?
飛び降りた!?
え?
「うおおおおおっ!」
ザノバが走った。
間に合うはずもないのに、手を差し伸べながら走った。
手すりを掴んで身を乗り出し、そのまま手すりを破壊して、落ちていった。
「ざ、ザノバ!」
俺は慌てて踵を返し、部屋を飛び出した。
---
パックスは庭で死んでいた。
ザノバは膝をついてその亡骸を抱き、呆然としていた。
「ああ、師匠、はやく治癒魔術を……」
ザノバは呆然とした顔でそう言った。
俺は懐から治癒魔術のスクロールを取り出し、ザノバに貼り付けた。
五階から落ちたせいか、こいつも打撲の跡がある。
「余ではなく、パックスに……」
「……」
俺は無言で首を振った。
パックスはすでに死んでいる。
頭から落ちたのだろう。
無残なものだ。
痛みはほとんどなかったと思いたい。
「そうですか……」
「ああ、残念だが」
あんな唐突に飛び降りるとは思わなかった。
でも、最初からそう決めていたのかもしれない。
周囲は敵だらけで。
城を脱出しなかったのも、味方がどこにもいないと思っていたからかもしれない。
それで、数日は悩んだのだろう。
結果、自分が王になるのを失敗したと悟って。
最初から、死ぬつもりで。
「師匠……」
ザノバは、パックスの亡骸を抱いたまま、空を見上げた。
きれいな満月をバックに城の最上階が見えた。
王のいない城。
もぬけの殻。
「余は何をしていたのでしょうな……」
「……」
「もしかして、余はずっと空回りをしていたのでしょうか」
「そんな事はないさ。お前はお前なりに頑張ってたよ」
ただ、その頑張りはパックスにはわかってもらえなかった。
パックスは他人に認められたいと言っていたが、
他人を認めることが出来なかった。
まあ、それ以前に、ザノバに眼中もくれていなかった感じだが。
それでも、もっと時間を掛ければ、わかってくれたんじゃないだろうか。
俺はパックスを、どうしようもない奴だと思っていたが、
それでも、パックスがザノバを認める日は、あったんじゃないだろうか。
「どうして、こんな事になったのでしょうなぁ」
「…………わからん」
ザノバはしばらく沈黙した。
その後、ふと思い出したかのように、俺の顔を見た。
「もしかして、これも、ヒトガミとやらの仕業なのですかな?」
今回、どこにヒトガミがいたのかはわからない。
結局、使徒を名乗る奴も出てこなかった。
ただ、本来ならパックスは、色々あって、この国を共和国にするはずだった。
それがなくなった。
関与しているのなら、共和国誕生を阻止された形になる。
あるいは、ヒトガミの目的は、最初から最後まで、パックスの命だったのかもしれない。
あいつは未来が見える。
直接的に殺さなくても、精神的に追い詰めれば、パックスが自殺することはわかっていたのかもしれない。
そうじゃないにしても。
今回、ヒトガミがまったく関わっていないにしても。
思い返せば、俺は最初、ヒトガミの指示でこの国にきたのだ。
オルステッドいわく、ヒトガミは将来のシーローン共和国が煙たい存在らしいし。
結果、パックスは王竜王国に行った。
なら、ヒトガミがパックスをどうにかしようとしていた事には、間違いあるまい。
「そうだな」
「…………そうですか」
ザノバは、ゆっくりと亡骸を地面に横たえた。
そして、ゆっくりと、息を吐いた。
泣きそうな顔に見えるが、涙は流れていない。
俺だったら泣くだろうな。
ザノバは最後に、ぽつりと言った。
「帰りましょう」
俺はそれ以上なにも聞かず、うんと頷いた。