第百九十七話「ドルディアの村再び」
前回までのあらすじ:やっぱり聖獣様はまずかった
大森林には、俺とリニア、聖獣レオの三人で行くことにした。
エリスも行きたがったが、流石にお腹も大きくなってきたという事で、遠慮してもらった。
最近、自分のおもちゃが無くなった事で、またストレスを貯めているエリス。
そんなのを獣族のたくさんいる所になんて連れて行ったら、また別の子を連れ帰ってきかねない。
逆に、リニアは、「行きたくない、行ったらプルセナの配下にさせられる」とダダをコネたが、俺だけだと信用してもらえない気がしたので、説得役だ。
本当なら、レオを呼び出した時点で手紙でも出しておけばよかったんだが。
失敗したなぁ。
まあ、獣族は頑固だが、今回は俺も大人になった。
前のような事は無いだろう。
きちんと説明して、聖獣もリニアも連れて帰ってこよう。
傭兵団の事はアイシャに任せる事にした。
経営そのものは、元からほぼ彼女一人で回しているから問題ない。
団員はリニアを頼ってきた連中だが、今はアイシャのことも重んじている。
リニアが一時的に出張するぐらいなら、なんの問題も起きないだろう。
正直、オルステッドの仕事の予定は少し狂う。
だが、こういう後々の禍根になりそうなものは、先に片付けておいた方がいい。
じゃないと、もっと狂う事になるからな。
一年後に、獣族の大群が押しかけてきたりとかね。
そういうのは困るからね。
と説得してみたのだが、オルステッドは特に嫌な顔をするでもなく、むしろレオが留守の間の家の守りを引き受けてくれた。
俺の出現のおかげで、いつもより多めに布石を置けているから、何の問題も無いらしい。
というわけで。
我が社の事務所の地下の大森林行きの魔法陣からドルディアの村へ。
と、行きたい所だったが、その魔法陣は、ドルディアの村までちょっと距離がある。
って事で、挨拶がてらペルギウスに頼んでみる事にした。
彼なら、あるいは大森林北部にある廃棄された転移遺跡の場所も知っているかもしれないしな。
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俺が訪ねると、ペルギウスは10人の精霊と1人のシルヴァリルに囲まれて、いつも通りふんぞり返っていた。
一人足りないのは、アリエルの所に名代として派遣されているからだ。
「大森林か?」
「何か問題が?」
「いや、すぐに行くのか?」
「早い方がいいでしょう」
ペルギウスは大森林に行くと伝えると、一瞬だけ迷う顔をしたが、すぐに了承してくれた。
タクシー代わりに使っても許してくれる。
やはりペルギウス様は寛大なお方だ。
「それにしても、聖獣か……嫌な思い出がよみがえるな」
ペルギウスはレオを見て、複雑な顔をしていた。
召喚によって聖獣様が呼び出されたことは知っていたはずだが、一応は初対面か。
レオはペルギウスの視線を受けても、お座りをしてすまし顔だ。
むしろ、リニアの方がビビっていた。
アイシャと一緒に一度は会ったらしいが、それでも慣れないか。
「先日は、妹がご迷惑を掛けたようで」
「構わん。我は賢き者は嫌いではないからな」
アイシャの事で謝辞を述べると、ペルギウスはどうでもよさそうに手を振っていた。
しかし、ことさら不機嫌そうな様子も無い所を見ると、アイシャもうまくやったのだろう。
「時に、娘が生まれたようだな」
「はい、アイシャからお聞きに?」
「うむ。良かったな、髪が緑の男子でなくて」
ペルギウスは探るような声音でそう言った。
「……ええ。ラプラスの転生体でなくて、ほっとしています」
そう返事をすると、ペルギウスはニヤリと笑った。
「ほう、その様子だと龍族の転生のことをオルステッドから聞いたな?」
「はい」
「ならば、憶えておけ、我はラプラスが生まれた場合、貴様の息子であっても食い殺すとな」
ペルギウスは歯をむき出しにして笑った。
怖い。
「……俺としては、そうならない事を祈るだけです」
ラプラスに対するスタンスというのは、俺の中ではできていない。
オルステッドの話によると、彼はヒトガミと長いこと戦い続けてきた最後の志士だという。なら、俺にとっては味方である。
だが、ヒトガミに敗北し、分裂したあとのラプラスは、ルイジェルドを騙し、ペルギウスにも敵意を持たれている。俺にとっては敵だ。
そんなのが俺の息子として生まれてきたら。
俺もどうしていいのかわからない。
もっとも、あまり心配はしていない。
オルステッドは、ラプラスがいつどこで誰に転生するか、知っているような口ぶりだったしな。
俺の出現で未来が変わった可能性もあるが。
ラプラスの運命も強かろうから、そうそう左右されないと思いたい。
「もっとも、我も貴様と矛を交えたいとは思わん。もし、ラプラスと思わしき者が生まれたら、事前に相談に来るが良い」
ペルギウスは慰めるようにそう言って、玉座から立ち上がった。
相談でどんな話をしてくれるかはわからない。
だが、ラプラスを見逃すということはしそうにない雰囲気だ。
いきなり殺さないというのが、彼なりの温情なのかもしれない。
「では、これより転移魔法陣の準備に掛かる、部屋にてしばし待つがよい」
ペルギウスはそう言うと、玉座を出て行った。
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転移魔法陣の準備にしばらくかかる。
ということで、ナナホシにも挨拶をしておこうと思ったが、いつもの部屋にはいなかった。
どこにいったのかと、廊下を歩いていた贖罪のユルズさんに聞いてみると、今は、転移魔法陣の応用についていろいろと学んでいる時間らしい。
覚えるべき事が多くて大変そうだ。
何かあれば協力してやるつもりだが……。
今はとりあえず、家で拵えてきたポテトチップスと塩おにぎりを置いといてやろう。
食は癒しだ。
その後、個室の一つに移動して、待つことにした。
リニアは超豪華な部屋に目を輝かせ、あっという間にふかふかのソファに飛び込んだ。
「はぁ~……ボスはともかく、アイシャは怖いもの知らずニャ、あんな怖いのと対等に話せるニャんて……」
リニアはグッと伸びをしつつ、ぼやいていた。
アイシャとペルギウスがどんな会話をしたのかわからない。
アイシャなら問題は無いと思うし、ペルギウスの機嫌も悪くなかった。
でも、アイシャもたまにサラッと
少し心配ではある。
……布石を置いておくか。
「リニア、対等じゃないよ。俺たちが下だ。アイシャがちょっと失礼な話し方をしても許されたのは、ペルギウス様が寛大だからだよ」
「そうかニャ? ボスのオヤブンの龍神にビビってるだけじゃにゃいのか? 会ったことないけど、怖い人ニャんだろ? クリフもマジでビビってたからニャ」
「やめろよ! そんなわけないだろ!」
お前の方が怖いもの知らずだよ。
この会話、全部ペルギウスに筒抜けなんだからな。
出てくるお茶に雑巾の絞り汁とか入れられてもいいのかよ。
まったくもう……。
待ち時間にそんな会話をしてると、ちょっと不機嫌なシルヴァリルが現れた。
やはり聞かれていたらしく、
「ペルギウス様は寛大なお方で、ルーデウス様のことを良き友だと思っておられます」
と、釘を差された。
もちろん、調子になんて乗ってない。
この馬鹿猫が言ったことは気にしないでほしい。
いやあ、あのペルギウス様に友人扱いされてるなんて光栄だなぁ。
と、お世辞を並べてみたが、あからさますぎたのか、シルヴァリルの機嫌はあまり直らなかった。
「……用意が出来ましたので、どうぞおいでください」
シルヴァリルは不機嫌そうなまま、俺達を部屋の外へと促した。
彼女に案内され、空中城塞の地下へと移動する。
魔大陸に行くときにも利用した、暗い迷宮のような場所。
その薄暗い部屋の一つに、ペルギウスとナナホシの二人が立っていた。
彼らの前には、いつも通り、転移魔法陣がある。
だが、なぜか魔法陣は光を放っていなかった。
まだ起動していないらしい。
どうしたのだろう、と待っているとナナホシが深呼吸をして両手に魔力結晶を持った。
「応用だが、いつも通りやればいい」
「はい……」
ナナホシは、そう言いつつ、魔法陣の前へと進み出た。
「ルーデウス、乗って。失敗したらごめん」
ナナホシは緊張の面持ちで、俺たちを指し示した。
どうやら、今回はナナホシが起動させるらしい。
授業の練習台か。
文句は言うまい。押しかけたのはこっちだ。
「シルヴァリル、地図は渡したか?」
「おっと、失念しておりました」
ペルギウスの言葉で、シルヴァリルが懐から地図を取り出し、こちらに差し出した。
受け取って中身を見てみる。
端の方にドルディアの村の位置が示してある所を見ると、おそらく、今から転移する遺跡の場所を示した地図だろう。
ドルディアの村まで、半日って所か。
森の中にあるせいか、かなり近く見えるが……。
ひとまず、リニアにも見せてみる。
「あ、ここならわかるニャ。大丈夫、近いニャ」
と、返答がきた。
なら、大丈夫だろう。
十数年離れていたとはいえ、地元民に任せるのがベターだ。
ていうかシルヴァリルさん。
何も言われなかったら、地図を渡さないつもりでいたでしょう。
よくないよ、そういう陰湿なのは。
ペルギウス様に言いつけるぞ。
「では、始めろ」
「はい」
ナナホシが地面にしゃがみ、魔力結晶を魔法陣に近づけ、筆で地面になにかを書き始める。
「万が一に備えて、一瞬だけ魔法陣を起動する。
向こうにいったら、自分でなんとかしろ、いいな」
「? ……はい」
作業が続く中、ペルギウスが言った言葉に反射的に返事をした。
……魔物でもいるのだろうか。
いやまて。
今の時期って、もしかして。
「あ、今って――」
同時にリニアも気づいた。
しかし、その時には、ナナホシは準備を終えていた。
彼女が筆で書いた地面の上に、魔力結晶を載せる。
その途端、魔法陣が薄ぼんやりと輝きだし、俺の体は魔法陣へと吸い込まれた。
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「うわっぷ!」
気づいた時、俺の体は水に浸かっていた。
腹まで浸かった水の底に、魔法陣がある。
魔法陣は、すぐに光を失った。
「ニャー! やっぱり雨期だった!」
リニアが叫びながら、レオを持ち上げている。
レオは当然という顔で持ち上げられているが、全身ずぶ濡れだ。
荷物も濡れた。
いかんな、菓子折りも濡れてしまったかもしれない。
水は冷たい。
はやく乾いた場所に上がらなければ、風邪を引いてしまう。
いや、風邪ごときは解毒で直せばいいんだけどさ。
そう思いつつ階段を探すが、登り階段が見当たらない。
てことは……。
と、灯火の精霊を呼び出して部屋を探ってみると、階段は下にあった。
どうやら、ここは建物の最上階らしい。
「ボス、ニャんとかして!」
「ちょっとまってろ」
ひとまず、上だ。
水位がここまでなら、上には水がないはずだ。
そう思って、土魔術で壁に段差を作り、天井を触る。
「ふっ!」
魔術で破壊し、穴を開ける。
外に出た。
土砂降りの雨。
見渡す限りに巨大な大木が立ち並び、上を見上げれば枝葉で空が見えない。
下は、全てを洗い流そうかというほどの濁流。
大河の中にあるのだと錯覚するような森。
間違いない、大森林だ。
現在、俺がいるのは遺跡のてっぺんだ。
建物全体が水没しているのだ。
「やばいニャ、どうするニャ? これは想定してなかったニャ」
リニアもレオと一緒に上がってきた。
「水を凍らせてその上を歩くか、船を作って魔術で操れば移動は出来る」
「おお、さすがボスだニャ」
「でも、この雨だと方角がわからない」
「あちしも、これじゃ道なんてわかんニャい……」
だろうな。
なにせ、遺跡の最上階付近まで水没しているのだ。
水深にして、5メートルぐらいか。
目印となるものも、見えないだろう。
「ど、どうするニャ?」
「ここで雨期が終わるまで待つか?」
「雨期が終わったら発情期が来るニャ、そしたら、多分あちしは使い物にならニャくなる」
なるほど。発情期。
家の中ならまだしも、旅の途中では俺も我慢できなくなるかもしれない。
移動した方がいいか。
いやまて、一度戻って、オルステッドあたりに何かいいマジックアイテムでも借りてくるか。
「ワン!」
と、そこでレオが吠えた。
彼は胸を張りつつ、俺の方を見上げている。
何の用だろう。
「本当ですかニャ!」
応えるリニア。
「ワン!」
「さすが聖獣様だニャ!」
吠えるレオと、理解するリニア。
よかった、リニアを連れてきて。
やっぱり、バウ○ンガルは必要だな。
「リニア、なんて?」
「道は自分がわかるから、船を用意しろって言ってるニャ」
「おお、了解です」
さすが聖獣様だ。
そう思いつつ、俺は土魔術で船を作った。
俺の作る土魔術は、魔力を込めれば込めるほど重くなる。
だが、強度を下げれば、軽くすることは可能だ。
ハニカム構造でそこそこの強度を維持しつつ、内部に空気を保つことで浮力を上げよう。
などと考えながら、小一時間ほどで船が完成。
不格好な四角い筏。
まぁ浮いてるし、推進力は魔力の力だ。
問題ないだろう。
「よし、行きましょうか」
「大丈夫かニャ……ボス、魔力足りるかニャ? 途中で沈むとか勘弁ニャよ?」
「無理そうなら、途中で木の上にでも登って休めばいい」
なんていいつつ、筏の上へ。
ちょっと不安定だが、道中で直していけばいいだろう。
「うう、不安ニャ……」
「ワン!」
「あ、ボス、あっちだそうニャ」
「了解。じゃあ、出発進行」
俺は筏の周囲の水を操り、聖獣レオの指す方向へと進み始めたのだった。
---
二日後。
俺たちはドルディアの村へとたどり着いた。
距離的にはそう遠く無かったのだが、道中で魔物に襲われて水に流された事で、少々迷ってしまった。
うまいこと聖剣街道まで流されなければ、もうあと十日ぐらい彷徨ってしまったかもしれない。
「おい、見ろ!」
「聖獣様だ!」
「ギュエス様に知らせろ!」
ドルディア族の村は、俺たちを見て騒然となった。
蜂の巣をつついたように戦士たちがワラワラと集まってきた。
全員が武装している。
「人族の男だ」
「まさかあいつが誘拐したんじゃ……」
「そういや、10年前にも誘拐騒動があったんだ」
筏を近づけると、獣族の警戒の色が強くなった。
このまま近づけると、問答無用で拘束されそうな雰囲気すらある。
どうしよう、また捕まって全裸で牢屋に入れられるかもしれない。
と、不安に思った所で、リニアが立ち上がった。
「皆の衆、ギュエス・デドルディアが娘リニア・デドルディア、ただ今戻ったニャ!」
「え?」
リニアの名乗りに、戦士たちは静止。
そして、リニアの顔をまじまじと見てから、全員で一斉に鼻をクンカクンカと動かした。
「本当だ、リニアだ」
「あいつ、大きくなったな」
「十二、三年ぶりぐらいか?」
懐かしそうな雰囲気。
これなら大丈夫だろうと、俺が安心した、次の瞬間。
「お前! プルセナから聞いたぞ!」
「何が商人になるだ!」
「村での務めを果たせ!」
野次が飛んできた。
「あぁ、やっぱり! ボス、バック! バックお願いしますニャ!」
俺はリニアの言葉を無視し、ドルディアの村へと乗り入れた。
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ドルディアの村は前にきた時と、なんら変わっていなかった。
閉鎖的で、他所者に対する風当たりが強い。
もっとも、今回はリニアが一緒な上、俺のことを憶えている人も結構多かった。
俺がこの村に来たのは10年前。
当時の子どもたちは戦士団に入っており、臭いを嗅いですぐに思い出してくれた。
ベテラン戦士の中にも、俺の事を憶えている人がいた。
例えば、かつて俺に水をぶっかけた人とか。
あの人は10年かけて子供を5人産んだ後、また戦士に戻ったらしい。
仕事熱心な事だ。
彼らは俺を歓迎する反面、リニアをバッシングした。
「族長の娘のくせに役目を放棄しやがって!」
「一族の面汚しだ!」
リニアは小さくなって俺の後ろに隠れていた。
小声で「だから来たくなかったのニャ……」と涙目で言っていた。
もちろん、自業自得だ。
獣族はしばらくリニアに対して唸り声をあげていたが、聖獣がブルブルと濡れた体を震わせると、そちらに意識が向いた。
「リニアなんかより、聖獣様だ!」
「そうだ、ようやくお戻りになられたぞ!」
「一体、今までどこにおられたのだ!」
その後、俺が連れていた聖獣様のことで話題になった。
どこにいたのか、どうやって連れてきたのか。
そんな話題から、次第に俺を知らない連中が「まさかあいつが連れ去ったんじゃ」という疑惑の視線に変わる。
こういうのも懐かしいな。
誰かが「そういえば十年前、あいつは聖獣様に懸想してた」なんて誰かが言い出せば、きっと俺は牢屋にぶち込まれるのだろう。
と、思っていた時、集団の中がひときわ大きな声が上がった。
「全員静まるニャ!」
「静かにして!」
出てきたのは、二人の女戦士だ。
顔に覚えがある。
俺がかつて助けた獣族の娘。
ミニトーナと、テルセナだ。
二人はリーダーのように振舞って周囲を抑えつつ、俺の前までやってきた。
「ここで騒いでいても意味は無いニャ!」
「まずは族長の家で事情を聞きます! 道を開けて!」
と、いうわけで俺はギュエスの家へと連行された。
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ギュエスは族長になっていた。
元族長であるギュスターヴは、数年前の雨期に魔物との戦闘で大怪我を負い、引退。
今は、この村をギュエスに任せ、別の集落で悠々自適な生活を送っているのだとか。
そのせいか、なにやらギュエスには貫禄のようなものが見えた。
前に出会った時よりも、随分と落ち着いて見える。
これなら、いきなり冤罪でしょっぴかれることも無さそうだ。
俺はその事に安心しつつ、シャリーアで買ってきた燻製肉の詰めあわせを渡し、事情を説明した。
ある強大な敵と戦っている事。
その強敵と憂いなく戦うため、家族を守ってくれる存在を召喚した事。
すると、聖獣様が現れた事。
聖獣様がうちの守護魔獣となった事。
話を聞き終えた時、ギュエスは渋い顔をしていた。
「にわかには、信じがたい話だ」
だろうな。
俺も、聖獣レオが出てきた時は、びっくりしたものだ。
「ワフっ!」
「でも、聖獣様もこう言ってくださってる事ですし」
何を言ってるかわからないが、俺の左隣にお行儀よく座る聖獣様も、きっと俺の援護をしてくださっているのだろう。
「聖獣様は『お前の家の飯がうまい』と仰っているだけだが?」
「あら?」
「冗談だ。『為すべきを成すために、彼の娘の元へ行った』と仰っている」
ギュエスはため息をつきつつ、そう言った。
冗談かよ。
ギュエスめ、冗談言うようになったのかよ……。
それにしても、俺の娘。
ルーシー、いや、ララの事だろう。
レオはララになついているしな。
俺が見る限り、何かなければララのベビーベッドから離れない。
オルステッドも「ララは特別だろう」と言っていた。
「ワン!」
「ほう、運命ですか?」
ギュエスはレオと向い合って、何やら話している。
しかし、レオの言葉はワンワン語であるため、俺にはわからない。
「リニア、通訳頼めるか?」
「ん? 分かったニャ」
俺は右隣に座るリニアに通訳を頼み、その会話を聞くことにした。
「確かに、聖獣様は生まれてから100年後に、世界を救う者を手助けする……と伝承にはありますが……」
「ワン!(貴様、ドルディア族の使命はニャんだ!)」
「ドルディア族の使命は、救世主が現れるまで、聖獣様を守り通す事です」
「ワフン!(我輩は見つけたのニャ、こやつの娘は救世主だ!)」
「確かに、そうなのでしょう。ですが、前代未聞です。救世主の父親が聖獣様を召喚し、赤子の頃から守らせるなど……」
リニアの脳内では、聖獣様の一人称は我輩らしい。
筋肉系の魔王を思い出す。
それにしても、俺の娘は救世主、か。
あのふてぶてしい顔をしたララが救世主。
オルステッドも思わせぶりな事を言っていたが……。
そうか……。
実感はわかないな。
やはり幼い頃から拳法とか習わせた方がいいのだろうか。
一子相伝のやつを。
「ワンワン、ワンワンワン!(伝承では、成長する前に、救世主が死ぬ可能性についてもあっただろう! その時、我らはどうなる!?)」
「……伝承によれば、救世主が死ねば、聖樹が枯れ、聖獣様は衰弱して死んでしまうと」
「ガルルルル!(我が主は狙われている! 貴様、我輩を殺したいのか!)」
「…………いえ、決してそのような事は」
「わふ!(ならば、なんの問題もないであろう!)」
ギュエスは渋い顔をしていた。
その後、忌々しそうに、ノリノリで通訳しているリニアを睨みつけてきた。
リニアは、縮こまりながら俺の背中に隠れる。
やめようぜ、通訳頼んだのは俺だけど、変な通訳したのはお前なんだから。
自分の罪に対する罰は、自分で受けようぜ。
と、そこでギュエスが口を開いた。
「リニア、聖獣様の話は本当か?」
「ハ、ハイですニャ。確かに聖獣様はボス……ルーデウス殿のお子の守護についておりますニャ」
リニアの敬語は珍しいな。
シャリーアでぶいぶい言わせている不良娘も、父親は怖いのだろうか。
「人族の娘か……聖獣様が生まれてから20年、もうあと80年はあると思っていたが……」
「人族と魔族のハーフですから。長生きすると思いますニャ」
「そうか、なるほど、魔族という可能性もあったのか……」
ギュエスは腕を組んで考えた。
ここ10年で、彼も思慮深い顔になった。
10年前の彼は、頭を使わない猪突猛進の若造という感じだった。
だが、今はもう少し落ち着いて見える。
獣族ってのは、30歳を超えると落ち着くんだろうか。
そこで、ギュエスの後ろに立つ二人の若手が叫んだ。
「魔族が救世主なんてありえないニャ!」
「召喚魔術で呼び出したって言ってたから、きっと変な魔術で聖獣様が騙されてるんです!」
ミニトーナとテルセナの方が、昔のギュエスみたいだ。
おかしいな、昔はもっとこう、俺に助けられた事を感謝してたと思うんだが……獣族に染まったのかな?
二人はさておき。
確かに、俺はオルステッドの作った魔法陣でレオを呼び出した。
その魔法陣には、俺に絶対服従するような術式も入っていたらしい。
レオがその魔術のせいで、うちの娘を救世主と錯覚している可能性もある。
「その可能性も低かろう。
もしそうなら、ルーデウス殿も我らが村までは来るまい。
今のルーデウス殿の住居と大森林では、世界の端と端。
そうそう手は出せぬのだから、心にやましい事があるなら、知らぬ存ぜぬを通すことだろう」
「そ、そうですね」
いやほんと。
……すいません、知らぬ存ぜぬを通そうとしてました。
ごめんなさい。
「聖獣様の一件は、ひとまず良いだろう」
「いいんですか?」
「聖獣様がそう仰っているのですから、我々としては従うまでです」
「ワフ!」
レオが当然だって顔をして俺の膝の上に頭を置いた。
反射的に撫でてやると、心地よさそうな顔をした。
ミニトーナとテルセナが「なんてことを!」って顔をしてるが、知ったこっちゃない。
それにしても、聖獣様がそう言うんだから大丈夫、か。
なんだかんだ言って、リニアの言葉通りだったか。
そういや、ギレーヌも似たような事言ってたな。
「ですがルーデウス殿。
一応……そうですね、約15年後。
ルーデウス殿のお子が成長した頃に、ここに連れてきてください。
しきたりに従い、聖木の儀式を行いたいと思います。
片道で一年は掛かる道のりで大変でしょうが、お願いします。
我らにも役目がありますゆえ」
「わかりました」
儀式か。
何をやるのかは分からないが、形式的なものだろう。
忘れないようにしとかないとな。
今から15年後、ドルディア村でララの成人式。
……忘れないように日記に書いとこう。
ひとまず、レオの一件はこれにて一件落着か。
あっさりしたものだった。
俺はほっと息を吐き、ギュエスも肩の力を抜いた。
部屋全体の空気が弛緩。
そこで、ギュエスはふとリニアの方を向いた。
リニアがビクリと身を震わせる。
「それで、リニアは……うちのドラ猫は、なぜルーデウス殿の所に?」
「ああ、それはですね、こいつ、商売をしようとしたんですが、でかい
「よくぞ聞いてくれましたニャ!」
俺の言葉を遮って、リニアがずいっと前に出てきた。
「実は、プルセナと別れて商売を始めようと思ってたんだけど、ある日空より天啓のようなものが降ってきたんだニャ、あちしはソレに従い、魔法都市シャリーアへと戻った、そこにおわしたのが何を隠そう聖獣様! あちしはコレだと思ったニャ、自分はこのためにここにいると、聖獣様をお世話するために天が遣わしたのだと! つまりあちしはドルディア族の使命を忘れたわけではなく、むしろ逆、使命のために村に戻らず、戦士としての役割を全うしていたのニャ!」
凄いな。
よくもまぁ、いけしゃあしゃあとこんな嘘が出てくるもんだ。
前々から考えていたのかもしれない。
ギュエスは半信半疑って顔だが、ミニトーナとテルセナは信じてしまっている。
さっきまで軽蔑の視線だったのに、今では尊敬の目線だ。
単純だな、こいつら。
でも、人は人を軽蔑すると停滞し、尊敬すると成長できる……とどこかの漫画で読んだ事がある。
ダメな奴のいいところを見つけるって事は、己の成長につながることなのだ。
……まあ、嘘はよくないけどな。
「ギュエスさん、こいつ、商売をしようとしてたんですが、でかい借金を作りましてね、それが元で奴隷にされた所を助けてやったんですよ。まあ、借金を肩代わりしただけなんですが」
「なるほど」
「ニャア! ボス、本当の事を言っちゃダメ!」
ミニトーナとテルセナの表情が、軽蔑へと変わった。
「今は借金を返してもらうために、ウチで働いてもらっています」
「それは……ルーデウス殿の奴隷ということですかな?」
むっ。
考えてみると、リニアはギュエスの娘。
娘が男の奴隷にされていると聞くと、父親としてはどう思うだろう。
俺だったら、ルーシーが奴隷にされたら、主人を亡き者にして、事実も無きモノにする。
いや、でも嘘はよくない。
「その、有り体に言えばそうです……けど、決して奴隷として扱っているわけではなくてですね。友人として社会復帰をですね……」
「いえ、構いません。使命を捨てて金儲けに走った挙句、借金をこしらえて我が一族の英雄たるルーデウス殿に迷惑を掛けるなど、一族の風上にも置けません。煮るなり焼くなり、好きにしてください」
おおう。
ギュエスめ、ちょっと見ない間に、話のわかる男になっているな。
いや、あの顔は、むしろ娘の不出来を嘆いている顔か。
「父ちゃん、ちょっと酷くニャいか? あちし、結構ピンチだったんニャけど。もう少しで変態貴族の慰みものになるって所で……」
「確か、ルーデウス殿は子供の頃から精力旺盛なお方でしたな。
もうすぐ発情期も始まりますので、その時にはリニアを好きにお使いください」
「ニャ! 父ちゃんは娘の貞操をニャんだと思ってるの!」
ムキーと拳を振り上げるリニアに、ギュエスは鋭い眼光を一閃。
唸り声と共に一喝した。
「黙れ。ドルディア族なら、恩は体を張って返せ」
「う、うう……わ、わかったニャ……あちしが悪かったニャ……」
リニアはあっという間に縮こまり、俺の後ろに隠れた。
隠れるのはいいけど、胸を押し付けないの。
俺はお前を発情期にどうこうするつもりはないんだから。
「どのみち、聖獣様のお世話役は必要でしょうし、我々にリニアの借金を支払えるだけの余裕もありません。連れて帰ってください」
「わかりました」
世話係か。
レオにそんなのは必要無いとは思うが、ドルディア族にも使命がある。
お世話をしたいというのなら、断る理由も無い。
俺としても、今、リニアに村に戻られたら困るしな。
せっかく、傭兵団の方も軌道に乗り出した所だし。
「しかし、リニア一人では、こちらも不安です」
「でしょうね」
「ボス、そこで同意しニャいで欲しいニャ……」
リニアが情けなさそうに言うが、俺もギュエスの気持ちはわかる。
リニアは別にダメな子じゃないはずだが、最近はかなりダメな方に傾きつつある。
「誰かもう一人……そうですね、ここにいるミニトーナかテルセナの片方を世話係として連れて行くのはどうでしょうか」
言われ、ミニトーナとテルセナが前に出てくる。
二人とも、獣族の戦士らしい格好をしている。
皮の鎧に、肉厚の剣。
鍛えられた体に、巨乳。
小さな頃から胸は大きかったが、更にでかくなっている。
獣族は巨乳好きにはたまらん種族だな。
「自分が行くニャ」
「いえ、わたしがいきます」
「自分の方が、剣もうまいし、頭もいいニャ」
「嘘です。わたしたちはザントポートの学校に通ってたけど、成績はわたしの方がよかったです」
そんなに聖獣様の世話係になりたいのだろうか。
15年もこの地を離れたら、族長になる目はほとんど消えてしまうと思うのだが。
それとも、族長になるより聖獣様の世話係のほうが名誉な事なのだろうか。
「魔術の成績はテルセナの方が上だったけど、それ以外は自分の方が上だったニャ」
「そんな事ない、トーナの嘘つき」
「嘘はテルセナの方ニャ」
二人は、往年のリニアとプルセナのように張り合い、自己を主張しあった。
あ。
そういえば。
「プルセナって、まだ帰ってきてないんですか?」
そう聞いた瞬間、ギュエスの顔が苦み走った。
---
こちらです、と案内された場所は村の端にある建物だった。
俺にとっては、懐かしい建物だ。
実に懐かしい。
俺も、ここに一定期間住んでいたことがある。
中々に居心地がいいのだ。
途中から猿顔の中年とルームシェアをしていたが、それでも居心地が良かった。
特にセキュリティが万全で――もういいかこれは。
要するに、牢屋である。
リニアはこの建物に嫌な経験があるようで、中には入ってこなかった。
「……」
プルセナは、かなりだらしない感じで、備え付けのベッドに寝転がっていた。
俺と違って全裸に剥かれているわけではなかったが、かなり露出が多い格好だ。
色気もへったくれもない薄手のシャツに、七分丈のズボン。
そんな格好で、鉄格子に背を向けながら、ズボンの裾から手を突っ込み、ボリボリと尻尾の付け根を掻いている。
女子力の低下が著しい。
「おい、プルセナ、起きろ」
「んー、もう食べられないの……」
ギュエスに呼ばれ、彼女はベタな寝言で返事をしつつ、パタパタと尻尾を振った。
「ご飯の時間だぞ」
「……んあっ!」
そして、ベタなネタでビクリと身を震わせ、体を起こした。
「ふぁー……」
グッと伸びをすると、薄手のシャツが胸に押し上げられた。
相変わらずでかい。
パツンパツンだ。
目の毒だ。
解毒が効かない類の毒だ。
「あれ? ご飯の臭いがしないの」
彼女は鼻をヒクヒクと動かしつつ、寝ぼけ眼のまま周囲を見渡した。
そして、こっちに気づいた。
「プルセナ、面会だ」
プルセナは、牢屋の中で、きょとんとした顔をしていた。
しかし、俺の姿を見て、鉄格子に飛びついてきた。
「ボス! 違うの! 私は無実なの! 助けてほしいの!」
俺は鉄格子を掴んでそう叫ぶプルセナを見て呆気に取られ、
ギュエスは深い溜息をついたのだった。