第百九十五話「起業」
リニアは家には置いとけない。
家の中の空気は悪くなるし、誘惑が続くようなら、俺もいずれ我慢できなくなるだろう。
放置して一家離散になったり、誘惑に負けて浮気をして、シルフィがルーシーを連れて家出して、その結果、またあの日記のような結末にならないとも限らない。
それは、事前に回避するべきである。
というわけで、俺はリニアを何か仕事につかせる事にした。
無論、借金を帳消しにして放逐する、というのも考えた。
が、友達だからといって超えちゃいけないラインはある。
世間一般的に『大金』と呼ばれる金は、返さなきゃいけない。
その辺りをなぁなぁにするのは、俺自身のためにもならないしな。
さて、リニアの仕事だが……。
正直、彼女に何かが出来るというイメージは無い。
魔術も出来るし、戦う事もできる。
しかし、金貨1500枚の借金を返せるようなものとなると、すぐには思いつかない。
俺も、いろいろと考えては見たのだ。
まず、クリフやザノバの研究を手伝わせ、報酬をもらう方法だ。
リニアは成績優秀だったし、何かの役には立つかもしれないと、最初は思った。
だが、すぐに彼女は研究系の性格ではないと思い直した。
ああいう、地道な作業はリニアには向いてないだろう。
あと、無いとは思うが、子供が生まれたばかりのクリフに、誘惑するような相手を押し付けるのも気が引ける。
ルイジェルド人形の売買の責任者……という考えも浮かんだが、すぐに捨てた。
商売を始めてすぐに借金をして首の回らなくなった奴には任せたくない。
魔法大学でノルン専属のメイドにする。
という形も考えたが、これもすぐに却下だ。
ノルンも嫌がるし、多分、今回と似たような結果に終わる気がする。
冒険者にして貢がせる。
というのもあるにはあるだろうが、冒険者ってのは言うほど儲からない。
リニアは冒険者資格を持っていないし、大金を稼げるようになるまでに時間もかかるだろうし、その前に死ぬ可能性だってある。
それらのどれにしたって、金貨1500枚に到達できるかというと、首を傾げざるを得ない。
だが、想像だけで「できない」と決めつけるのは早計だろう。
実は、いま挙げた仕事の中に高い適正があるかもしれない。
そう考えた俺は、リニアを学校に連れていくことにした。
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メイド姿のリニア。
学校の敷地内に入ると、彼女は俺の先に立ち、意気揚々と生徒たちを蹴散らして始めた。
「オラオラ、番長のお通りニャ! 道を開けにゃいと踏み潰すぞ!」
どこからどう見てもチンピラである。
「チッス! お久しぶりっす!」
「ウッス!」
止めようかとも思ったが、獣族の男どもが嬉しそうに挨拶してくるので、ひとまず様子を見ることにした。
リニアが卒業してから二年。
在校生の中には、まだまだリニアを知っている者も多い。
最上級生あたりには、リニアがまだツッパってた頃に配下だった奴もいるかもしれない。
そこら辺から、何か仕事の手がかりが見つかるだろうか。
「リニア先輩! お久しぶりッス!」
なんて思っていたら、そのうちの一人が近づいてきた。
誰だっけこいつ。
その昔、紹介された気がする。二年生になった頃に。
名前が思い出せないけど、一号生筆頭だったやつだ。
「おう、お前か、気合はいってるかにゃ?」
「ウッス!」
「よし、その調子で行くニャ」
「ウゥッッス!」
リニアは実に偉そうだ。
メイド姿なのに。
借金まみれなのに。
「てゆーか、リニア先輩、いいんすか?」
「ん? にゃにがだ?」
「今のジョーキョー、聞きましたよ。生徒会長のアニキに奴隷にされたって話じゃないッスか」
「まあにゃ。ちょっとミスってこのザマにゃ。でも、強者の配下になるってのも、獣族の理想ではあるからニャ、悪くはニャい」
そう自慢気に答えたリニアに対し、後輩君はハァと溜息をついた。
「…………正直、幻滅ッス」
「にゃに?」
「卒業する前のリニア先輩は、まだルーデウスやアリエルからこの学校のテッペン取り戻そうって気概があったのに、今のリニア先輩は……まるでただの飼い猫じゃないっすか」
リニアはその言葉に、数秒止まった。
そして、牙をむき出しにして怒る……かとおもいきや、フッと笑った。
「確かに、今のあちしは落ちぶれた。でも、今に見ているニャ、必ずや下克上を果たして見せるニャ」
「ゲコクジョっすか?」
「そうニャ。下克上でテッペンを取るには、一度は下に付かなきゃいけないからニャ……」
リニアがそう言うと、後輩君は目から鱗が落ちたような顔で、パァっとリニアを見た。
「リニア先輩、サスガっす! ジブン、そこまで頭が回らなかったっす!」
「ま、ここが違うニャ」
リニアは額をトントンと叩いて、自慢げに言っていた。
その後、後輩君は尊敬の目をリニアに向けて賞賛の嵐を送ってから、自分の教室へと戻っていった。
まあ、仲がいいのはいいことだな。
「……」
俺は研究棟への道を行く。
道中では、リニアへの挨拶は止まらなかった。
だが、研究棟に入り、人がいなくなった途端、挨拶はやんだ。
静かな校舎を歩いていると、リニアがクルリとこちらに振り返った。
「ボス、さっきの話にゃんだけど、建前だからニャ?」
「さっきの話?」
リニアは揉み手をしながら、ごろにゃんと擦り寄ってきた。
「下克上の話ニャ。さっきはメンツの問題でああいったけど、ボスに逆らうつもりはにゃいのよん?」
「そうか」
リニアの事だから、あれが本心かと思っていた。
語尾がおかしい所を考えると、今こうして喋っているのが建前で、さっきのが本心なのだろうと、今でも思う。
「お前が上を目指すのはいいけど、あんまり恩を仇で返そうとするなよ」
「もちろんニャ、嘘だと思うんだったら、今からそこの空き教室で証明してもいいニャ、優しくしてほしいニャ、うっふん」
何がうっふんだ。
あ、下克上って、もしかして「俺の上」じゃなくて「俺の配下の中でのトップを目指す」という意味か?
俺のお手つきになり、シルフィ・ロキシー・エリスの三羽烏よりも愛してもらって一番嫁になるとかいう。
なんて狡猾な……!
こいつ、実はうちの家族をバラバラにするためにヒトガミから送られてきた刺客じゃないだろうな。
「……お前さ、ここ数年で、夢の中で神を名乗る奴にお告げとかされなかったか?」
「突然ニャんだ? 夢でお告げ? 特に覚えはニャいけど……」
「隠すとタメにならんぜ?」
すごみつつ言ってみる。
龍神裁判は『疑わしきは殺せよ』だからな。
俺はそこまで乱暴じゃないが。
「き、昨日みた夢は、空からたくさんの魚が降ってくる夢だったニャ……その前は、えっと、覚えてニャいです……」
幸せな夢を見てやがる。
きっと、魚を一つ取るたびにポイントが増えて、100尾集めるとワンナップするに違いない。
ただし、時折混じっている鉄アレイに注意だ。
ともあれ、一応、ヒトガミの使徒ではない……と思う。
俺がヒトガミなら、こういう状況を引っ掻き回しそうな奴を使ったりはしない。
「……まあいいか。でも、もしそういう夢を見たら、すぐに俺に言うように」
「はいニャ」
俺はため息を付きつつ、ザノバの所から行ってみる事にした。
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「あ、師匠……むぅ!」
ザノバの所にいくと、彼はリニアを見た途端、顔をしかめた。
「……お久しぶりですな」
「おう、ザノバ、ご無沙汰にゃ」
ザノバは冷や汗を垂らしつつ、部屋を見渡した。
「失礼、少し片付けますゆえ、そこでお待ちを」
そして、目に付く所にある人形を、次々と箱へとしまい始めた。
そそくさと。
大事そうな人形から、耐久度の低そうな人形まで。
ジュリはルイジェルド人形の着色中だったが、
途中から真似をして、自分の机周りも片付け始めた。
「ふむ、これでいいでしょうな。では、あちらで話をしましょう」
ザノバは、作業場から少々離れたテーブルを指した。
すぐにジュリが机を離れ、とてとてと移動しようとするのを制する。
「ジュリは作業の続きをするように」
「はい、マスター」
俺とリニア、ザノバの三人が席につく。
しかし、ザノバはまだ落ち着かないようで、部屋の隅にいたジンジャーに声を掛けた。
「ジンジャー」
「ハッ!」
名前を呼んだだけだったが、彼女は作業場とテーブルの間に立った。
作業場を守るかのように。
「それで師匠」
そこで、改めてといった感じで、ザノバはこちらを向いた。
「本日はいかなる用件で?」
ザノバはリニアの方をチラチラと見ながら、問いかけてきた。
随分と警戒している。
口に出してこそ言わないが、
リニアをここに入れるのは嫌だったのかもしれない。
悪いことをしたな。
「いや、野暮用だったんだけどな」
「ふむ」
これでは、ザノバの所で研究の手伝いをさせるってわけにもいかんな。
予想通り、いや、予想以上に相性が悪そうだ。
かつて、リニア達がザノバの人形を壊したのが原因だろう。
モノを壊す系のイジメってのは心にのこるからな。
イジメじゃないが、アイシャの我慢が限界に達したのも、カップを壊されたのがキッカケのようだし。
ザノバも表面上は平然としているが、ここでリニアを手伝わせると提案したら、嫌な顔をするだろう。
「時に師匠、なにゆえにリニアを連れているのですか?
師匠の所の侍女になったという話は小耳に挟んでおりますが……」
「まあ、ちょっと色々あってな、彼女の仕事を探しているんだ」
「左様、で、ございます、か」
ザノバは目が泳いだ。
あるいは、何らかの仕事の心当たりがあるのだけど、それでリニアを押し付けられたら嫌だなって顔だ。
安心しろよ。
ちゃんと連れて帰るから。
それにしても、こういう時に過去の悪行ってのはついて回るな。
「まあ、それはそれだ。今は研究の事を話そうじゃないか」
「おお、そうですな!」
俺が暗にこの一件をザノバに振るつもりはないと示すと、
彼はいつもどおり、嬉しそうに魔導鎧の話をし始めた。
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昼飯は食堂で取った。
端の方でモソモソと食事を取る俺たちを尻目に、リニアの周囲には人が集まっていた。
「ニャハハハ! そんであちしは言ってやったにゃ、プルセナ、お前デブなんじゃにゃーの……ってニャ」
「流石、リニアさんッス!」
「あのプルセナさんにその物言い、半端ないっす!」
アリエルがいた頃はわからなかったが、リニアも一種のカリスマを持っている。
不良のカリスマだ。
あいつの周囲には、自然とガラの悪い連中が集まってくるのだ。
それを利用すれば、彼女にも出来そうな事があるとは思うのだが。
人を集める仕事……うーむ。
まあ、ひとまずはクリフの所にも行ってみるか。
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結論からいうと、やはりクリフの所もダメだった。
使えそうな事はあるのだが、クリフもザノバ同様、リニアに苦手意識を持っているらしい。
自分の傍には置きたくないようだ。
まあ、クリフやザノバを手伝わせた所で、借金を返せるアテにはつながるまい。
さてどうしたものか。
「君自身の仕事を手伝わせればいいんじゃないか?」
クリフに相談してみた所、そんな返答が帰ってきた。
俺の仕事というと、世界をヒトガミの魔の手から、オルステッドの魔の手の上に載せ替える下準備の事か。
だが、それには問題がある。
「オルステッド様の呪いがなければ、そうする所なんですがね」
「あの呪いは、魔力を直接見なければいいんだ。だから、オルステッドに会わなければいい」
そうか、なるほど……いやダメだ。
「同じ事務所で仕事をすれば、いずれ顔を合わせてしまいますよ」
「そうか……そうだな。それに、もしかすると獣族の場合は臭いでも、呪いの影響を受けてしまうかもしれないし……」
臭いでも呪いの影響を受ける?
なにそれ、ちょっと興味深い。
「それは、獣族が鼻で魔力を嗅ぎとっているって事ですか?」
「ああ、まだ確証は無いけど、そんな可能性もある気がするんだ……リニアがいるなら、確かめておくのも悪くないかもしれない。どうする?」
臭いも呪いの元。
もしそうなら。
オルステッドの臭いを抑える研究もしなきゃいけない。
動物の嗅覚は人の数百倍……てことは、人も微量ながら嗅ぎ取れるって事だ。
その説が正しいなら、呪いを完全になくすのに、消臭が必要だろう。
香水とかで上書きできるかどうかも、確かめる必要が出てくる。
フローラルの香りで、臭いも呪いもダブルでブロック。
芳しい香りのヘルメットで頭を覆うオルステッド……うーむ、猟奇的だ。
「じゃあ、その方向で、少し調べてみますか」
「ああ、そうだな。でも、できればアドルディア系がいいな。あっちの方が鼻が効くって話だし」
猫より、犬か。
そういえば、プルセナはどうしているだろうか。
族長にはなれただろうか。
「嗅覚の鋭さか……でも、それなら獣族にかぎらず、色んな種族で調べた方がよさそうですね」
人と他生物では、認識できる色の数も違うという。
この世界で「人」と称されている生き物にさほどの差は無いだろうが、
それでも「魔力が見える魔眼」なんてものもある。
種族毎の違いを調べていくうちに「この粒子が呪いの原因だった!」というものが見つかるかもしれない。
「……そうだな、けど獣族や魔族と一言で言っても色んな種族がいるからな。集めるのは大変だ」
「そうですね……」
この魔法都市シャリーアには、様々な種族がいる。
魔法大学が、どんな種族でも拒むことなく迎えているからだ。
でも、常に全ての種族がいるわけじゃない。
入れ替わりも激しい。
そうした希少な種族を集めて、一つずつ検証して、総当りで原因を追求する。
気が遠くなるな。
しかし、研究とはそういうものだ。
基本的には総当りだ。
「ともあれ、まずは人集めからですね」
「そうだな、といっても、僕はあまり動けないし、人を集めるのは苦手だ」
クリフもコミュニケーション能力不足な所があるからな。
俺も人の事は言えないが。
「人望があって、何もしなくても人が集まってくる人物……か」
俺とクリフの視線は、自然とリニアの方に向いた。
ガラの悪い奴限定で言うなら、彼女の周囲には人が集まってくる。
そして、人が集まっている所には、より人が集まるものだ。
必要なものだけを集めるより、母数を大きくした方が、結果的に痒い所に手が届く。
むろん、その分、問題も多く起きるだろう。
人は集まると危険な存在だ。
単に集まっているだけで気が大きくなり、一人だとしないような悪い事をしてしまう例も数多くある。
リーダーのいない集団は暴徒と変わらない。
だが、かつてのリニアは不良どもを手懐け、従えていた。
人を集めた後のリーダーシップにも期待できるのではないだろうか。
「にゃ、にゃんだ……ふ、二人でやろうってのかニャ?」
彼女は、部屋の隅で暇そうにあくびをしていたが、視線を受けてビクリと身を震わせた。
しかし、どうやって集めるか。
リニアなら何もしなくとも人は集まるだろうが、何かした方が、より集まるだろう。
人が集まる理由……やはり金か。
金のめぐりのいい所に、人は集結する。
賞金の出るイベント……いや、一時的に集めるだけじゃ意味がない。
となると、やはり商売か。
商売としても、どのみち元手は必要だろう。
その元手に俺の金を出す……なんだか本末転倒な気もするが、投資と考えればいいのだろうか。
あ!
そうだ。
集まった奴らにオルステッドの、ひいては俺の仕事の手伝いをさせればいいんだ。
考えてみれば、俺も一人はしんどいと思っていたのだ。
サポートをしてくれる組織があるのは、望ましい事なんじゃないだろうか。
サポートだけじゃない。
簡単な仕事を肩代わりして貰えば、一度に三人、四人と多くの人間を助けられる。
そして、その分だけ、未来のオルステッドが楽になる。
もちろん、ヒトガミに乗っ取られる可能性はあるから、重要な仕事は任せられない。
が、オルステッドの息が掛かっている俺が、組織を裏で操っていたなら、ヒトガミも、そううまく手出しは出来ないかもしれない。
しかし、仕事が無い時はどうしようか。
タダ飯喰らいを増やしても、あまり面白くはない。
一人一人に仕事を与えよう。
仕事……どうしようか。
やはり人材派遣的な……いや、金はオルステッドが持っているんだ。
総合商社的な形で、才能ある奴に出資して、色々やらせてみるのもいいかもしれない。
だが、リニアにそれを管理出来るだろうか。
出来ないな、誰かをサポートにつけた方がいいだろう。
数字に強そうな人物……心当たりは、ある。
ついでに、あの事についても、話しておこう。
よし。
「リニア」
「ニャ、ニャに……?」
「これから、お前には、人を集めてもらう」
「集めてどうするのニャ?」
「そうだな、気の合う奴同士で組ませて、商売でも、傭兵でも、なんでもいいからやらせてみろ」
「か、金はどうするのニャ?」
「元手は俺が出す。それで、成功したやつから上納金を巻き上げろ。その上納金の何割かを、俺への返済に回すんだ」
足りない分は、オルステッドに事情を説明して出してもらおう。
場合によっては、アリエル信金に頼る事になるかもしれない。
「…………? わ、わかったにゃ、場所とかは、どうするにゃ?」
「それも、今から用意しにいこう」
「今からって……そんな行き当たりばったりで、うまく行くのかにゃ?」
リニアは納得したような、してないような顔をしていた。
もちろん、俺だって最初から何もかもがうまく行くとは思っていない。
最初に集まるのは十人ぐらい……恐らく獣族だけだろう。
けど、それだけの人数でもうまく使えば、利益を出すことは出来るはずだ。
もし運良く商才のありそうな奴がいたら、そいつにルイジェルド人形の販売をやらせて見るのもいいだろう。
「うまくいくかどうかは、やってみなきゃわからないさ」
「あちし、コレ以上借金が増えるのは勘弁してほしいんニャけど……」
リニアは不安そうだ。
やはり、一度失敗しているのが大きいだろうか。
だが、地道に稼いで一生俺の奴隷というわけにもいかないだろう。
そんな事を続ければ、俺の家庭は確実に崩壊する。
そんな事になったら、またタイムスリップの魔術を開発するに至ってしまうかもしれない。
「……そうならないように、頑張れよ」
「うぅ……」
リニアは、まだ少し納得していないようだったが、最終的には首を縦に振った。
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その後、帰りに不動産屋に立ち寄り、事務所となる建物を一件、購入した。
大きさは小屋レベルで、立地もよくない。
ただ、ひとまずの拠点として、屋根がある建物があったほうがいいだろう。
値段は相応。
金額は経費で落とすつもりだ。
現在はそこを購入し――今はアイシャに掃除をしてもらっている。
「ひとまず、ここを拠点としてもらう」
「わかったニャ」
早い段階で、我が社の事務員も見つけられればいいな。
書類整理や事務処理をしてくれる職員だ。
オルステッドの呪いに掛かったら解雇する可能性もあるので、どうしても使い捨てになってしまうが。
「これが、当面の資金だ」
とりあえず、アスラ金貨10枚相当の金をリニアに渡しておく。
ラノア王国で起業をするには十分すぎる金額だろう。
「お、おぉ……こ、こんなにくれるのかニャ?」
リニアは金を見て、目を輝かせていた。
猫に小判という言葉がある。
小判は高価だが、価値のわからない生物に見せても意味は無い。
だが、もし猫が小判に価値を見出したら、刹那的な生き物である猫は、その小判を湯水のように溶かしてしまうから、渡してはいけない。
という教訓が込められたことわざだ。多分。
「へ、ヘヘヘ、ボス。任せて欲しいニャ、これだけ元手があれば、絶対に失敗しないニャ、今度こそ、今度こそうまくやってやるニャ……」
目をドルマークに変えているリニア。
実に不安だ。
こいつに大金を渡すのは、良くないのだろう。
俺はこの後、またオルステッドの仕事に従事するわけだが。
帰ってきたら、借金が2倍にふくれあがっていて、リニアは地下で歯車とか回しているかもしれない。
もしくは、エリスあたりに本格的に飼われて、首輪とヒモが付いているかもしれない。
「お兄ちゃん、掃除終わったよ」
そこで彼女。
アイシャの出番だ。
「アイシャ、お前に頼みがある」
「……なに?」
そう言うと、アイシャは不満そうな顔をして、俺の顔を見上げた。
むすっとした顔をしているのは、先日のことを、まだ根に持っているのかもしれない。
「リニアの目付け役をしてほしい。リニアが金をヘタに使わないように見張って、ついでに、大きなミスをしないように、サポートをしてやってほしい」
「……あたし、家の仕事もあるんだけど」
「常時見張る必要はない。数日に1度ぐらいでいい」
「それさ、どうしてもやんなきゃダメなの?」
リニアの方をチラチラと見ている。
先日の事もあり、アイシャはリニアとは働きたくないのだろう。
こういう態度を見ると、本当にリニアに人が集まるのか不安になるが……。
なに、ラフレシアにだって虫は集まる。
さて、嫌がるアイシャだが。
彼女に任せるのは理由がある。
「どうしてもってわけじゃないけど、俺はお前がやった方がいいと思ってる」
「なんで? リニアをメイドにしたいって言ったのが、あたしだから?
それとも、家の中の空気を悪くしたのが、あたしだから?」
ふてくされた態度を取るアイシャに、俺はしゃがみこんで目線をあわせた。
いつもはまっすぐ視線を合わせてくるアイシャだが、今日はそっぽを向いている。
「そうじゃない」
「……」
「ただ……お前さ、リニアがヘマばっかりするってわかった時、すぐに切り捨てようとしただろ?」
「だって、本当に使えなかったし。これ以上被害が出る前にって……」
リニアが視界の端で傷ついた顔をしてるが、気にしない。
「でも、逆に言えばそれは、お前がリニアの能力を上手に引き出せなかったから、とも言える」
「……うん。仕事教えたのは、あたしだし、そうだろうね」
「つまり、お前は失敗したわけだ」
アイシャは驚いたような顔で俺を見た。
憮然とした表情。
失敗なんかしてない、って目だ。
ちょっと言い方を間違ったかもしれない。
ええと……。
「俺はね、アイシャ。何かが悪かったからって、すぐに他人を見捨てるのは、良くない事だと思ってる」
「……うん。知ってる。お兄ちゃんのそういう所、すごいと思うよ」
「ありがとう。でな、その考え方をアイシャに押し付ける形になっちゃうけど……アイシャには将来、他人を見捨てる奴には、なってほしくないんだ」
アイシャは、デキる子だ。
いわゆる天才型で、何をやってもうまくやれる。
けど、それがゆえに、出来ない奴の気持ちがわかってない時がある。
日記では死ぬまで俺の傍にいてくれたようだが、未来は変わった。
もしかすると、アイシャも家を出て、どこかに就職とかするかもしれない。
アイシャはうまくやるとは思うが、自分より出来ない奴をすぐに切り捨てる嫌な奴として、周囲から疎まれてしまうかもしれない。
結果、爪弾きにされたり、誰かに陥れられたりするかもしれない。
そうなる前に、アイシャには何かを学んで欲しいと思う。
何かってのが何かは俺もよく分かってないが……要するに人付き合いしないとわかんない何かだ。
「もう一度、リニアと、同じ立場で、ゼロから、やってみてくれないだろうか」
「……」
アイシャは俺とリニアを交互に見た。
そして、目を瞑った。
1秒、2秒。
何かを考えるように、無言で。
「それは、あたしのため?」
「そのつもりだけど……まあ正直、お前をサポートに付ければ、最悪な状況を回避してくれるだろうって気持ちもある」
「そっか、正直にありがと」
アイシャは目を開いた。
そして、不安そうな目で俺を見てくる。
「お兄ちゃん、ここで断ったら、あたしの事、嫌いになる?」
「ならないよ。どうしても嫌なら、それでいいと思う」
「……」
アイシャはおずおずといった感じで、俺に両手を伸ばしてきた。
俺が手を広げると、背中に手を回されて、ギュっと抱きつかれた。
「わかった、お兄ちゃんがそこまで言うなら、あたし頑張ってみる」
「うん」
自分でも偉そうな事を言ったと思う。
けど、間違ってはいない。
これでいいはずだ。
リニアと一緒に、新しい仕事をさせることで、アイシャは何かを学んでくれるはずだ。
俺が想定していたものと違うことを学ぶかもしれないが、それはそれでいいはずだ。
そう思いたい。
……ていうかアイシャ、ちょっと見ないうちに胸が大きくなったな。
これ、Dカップぐらいあるんじゃなかろうか。
背は小さいのに胸がでかい。
トランジスタグラマーってやつだろうか。
もうちょっとしたらリーリャぐらい大きくなるのだろうか。
いや、どうでもいいな。妹の胸なんざ。
「お兄ちゃん、ありがと」
「いや、素直に聞いてくれて、こっちこそありがとう」
「あたし、お兄ちゃんの言うことはなんでも聞くよ」
アイシャはイタズラっぽく笑って、俺から離れた。
いつもの笑みだ。
アイシャはその笑顔のままリニアの方に向き直り、手を差し出した。
「そういうわけです、頑張っていきましょう!」
「おうニャ!」
固くかわされる握手。
上司と部下ではうまくいかなかった二人。
過去を忘れて、今度はうまくやってほしい。
最後に、アイシャに計画概要と将来的な理想像を話し、その場は解散とした。
ひとまずは次回、帰ってきた時に酷い事になっていないのを祈ろう。