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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第19章 青年期 配下編

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第百九十四話「家庭崩壊の兆し」

 あれから十日が経過した。


 俺は我が社の事務所に泊まりこみをしつつ、修行に明け暮れている。


 オルステッドがいる時は、朝は体力づくり、昼は模擬戦、夜は事務所内で座学、寝る前には部屋の掃除と書類整理、というサイクルを続ける。

 オルステッドが出かけていていない日は、基本的には一人で訓練だ。

 魔導鎧を着込んで、疲れ果てるまでオルステッドに教えてもらった型のようなものを続けつつ、連携についての模索をする。

 たまにシルフィがお弁当を持ってくるついでに連携の出来を確かめてくれるが、今日は一人だ。


 さて、この教えてもらった型だが、

 なんと400年前の龍神、ウルペンが残したものらしい。

 龍神ウルペン。

 巷では「魔神殺しの三英雄」なんて呼ばれている、あの人物だ。

 ペルギウスの同僚だな。


 オルステッドによると、実は彼は歴代の龍神の中で、最も魔力総量が少ない(・・・)人物だったそうだ。

 当時の龍神候補の中で最弱と呼ばれ、まず龍神を名乗ることは無いと呼ばれていた人物。

 そんな彼は、まったく新しい独自の龍神流を開発した。

 その龍神流で見事に龍神の称号を勝ち取り、魔神ラプラスをも打倒した。

 現在でも『歴代最高の天才』の名を欲しいままにする偉大なる人物、だそうだ。


 ウルペンの龍神流は、体内の魔力を極力使わず、最小限の力で相手を追い詰めるものであった。

 オルステッドはウルペンの残した秘伝書を見つけ、

 彼の戦闘術と、その最大の奥義である『龍聖闘気』を習得する事に成功したそうだ。


 魔力を使わない。

 という考え方は俺には必要ないようだが、

 無駄なく最低限の労力で相手を追い詰めるという、その考え方は重要である。

 それに、魔術と武術を織り交ぜた体術というのは、魔導鎧を装備した俺に合ったものだろう。


 さて、今日も連携の模索だ。

 まずは岩砲弾だ。

 俺の岩砲弾は直撃すればオルステッドにも手傷を負わせられる。

 極めて高威力だ。

 剣神流の光の太刀にも匹敵する。

 だから、これを主軸に連携を作る。


 それから、泥沼だな。

 泥沼は何度も何度も使ったせいか、俺の魔術の中でもトップクラスの発動スピードを持つ。

 これを、高速で移動する相手の足元に正確に置けるようにする。

 そうすれば、攻撃の起点として使える。


 あるいは電撃だ。

 泥沼に比べて発動までにやや時間が掛かるものの、闘気を貫通して相手を麻痺させるこの魔術は、非常に有効だ。

 泥沼が通用しない相手でも、電撃なら通用する、そうした場面も多かろう。

 これも起点。あるいは泥沼の次に使うのが望ましいだろう。


 脚を止めたら、濃霧やフロストノヴァといった魔術で、相手の体勢を崩させる。

 攻撃に使うものは、基本的に岩砲弾だけでいいだろう。

 他はすべて、相手の動きを止めたり、動きを制限するための牽制として使うのだ。


 どんな手を使ってでも、相手に回避と受け流しの出来ない体勢を作らせる。

 そしてトドメの岩砲弾だ。

 その形になれば、誰が相手であっても、俺の勝利はほぼ確定する。

 ――と、オルステッドは言っていた。


 大切なのはルーチンだ。

 ルーチンができていれば、相手が奇抜な動きをしたとしても、タイムラグ無しで対応出来る。

 泥沼→相手の行動→相手の行動に対応した魔術→さらなる相手の行動→さらなる相手に対応した魔術

 というのを繰り返し、追い詰めて、岩砲弾を打ち込む。


 うん。

 言うのは簡単だな。

 実際には、剣士は魔力ごと魔術を切り裂くし、先制攻撃をされる場合もある、そういう補助魔法だって無効化される可能性が高い。

 難しい所だ。



 そういえば、各種の王級以上の魔術についても、オルステッドから教えてもらった。

 とはいえ、あまり成果はなかった。

 結局の所、王級以上の攻撃魔術は『聖級までの混合魔術をアレンジしたもの』がほとんどであるらしい。

 例えば、水帝級魔術『絶対零度(アブソリュート・ゼロ)』。

 これは『水蒸ウォータースプラッシュ』と『氷結領域(アイシクルフィールド)』の混合魔術である『フロストノヴァ』を高威力・高速化させたものである。

 『水蒸ウォータースプラッシュ』で周囲を濡らす、という手順を踏まずに、一気に広範囲を凍結させる、それが『絶対零度(アブソリュート・ゼロ)』だ。


 俺はすでに、それが出来る。

 何のことはない。

 俺はすでに帝級を習得していたのだ。


 だからこそバーディガーディは俺の岩砲弾を見て「土帝級を名乗ってもいい」なんて言ってたのだ。

 本来なら、岩砲弾の威力を高める魔術なんてものは無いが、原理としては一緒だから。

 四種の攻撃魔術を聖級まで覚えた俺は、ある意味、すべての攻撃魔術を習得していたのだ。


 もっとも、神級はおそらく、俺でも使えない。

 神級の魔術を使うとなると莫大な魔力と、複雑な魔力制御が必要になり、長い詠唱に加えて制御用の魔法陣を用いなければならないらしい。

 その威力の程は、世界の地形を変えるほどだとオルステッドは言っていた。

 この世界における、奇妙な地形の部分は、そうした魔術の痕跡なのだ。


 正直、俺は魔法陣の描画はまだまだ苦手だし、そこまで大規模な魔術は使わなくていいだろうと思う。

 基礎と応用と混合魔術。

 これだけ使えれば、倒せない相手はいないはずだ。


 足元から固めていこう。

 やることは、一緒だ。



「ルーデウス」


 と、俺が魔術の特訓をしていると、オルステッドが帰ってきた。

 俺は即座にオルステッドの方を向き、頭を下げた。


「おかえりなさいませ!」

「ああ」


 社長が出社したら、頭を下げるは社員の勤め。

 俺は流れる汗を拭いつつ、腰を45度に折り曲げて挨拶を続けた。

 俺一人では寂しいだろうが、それもクリフの研究が完成するまでの辛抱だ。

 いずれ、大勢の社員ができたら、社長の出社に合わせて次々と頭を下げさせたい。

 ブラック企業と言われても構うものか。


「仕事だ」


 オルステッドも最初は俺に「普通にしろ」などと言ってきたが、今ではもう慣れたものだ。


「三日後には発ってもらう、内容は今から説明する」

「謹んで拝命いたします!」


 俺はオルステッドより直々に社命を受け取った。

 次の仕事が決まったらしい。


「いつも通り、大した仕事ではないが……近日中に家族との別れを済ませておけ」

「ハハッ!」


 という事で、一旦家に戻る事にした。



---



「あ、お帰りニャさいませ、ボス……じゃにゃくてご主人様」


 自宅に戻ってくると、玄関の前で猫耳メイドが正座をしていた。

 何してんだ、こいつ。

 なんかヘマでもしたのかな。


「ただいま、リニア。何やってんの、こんな所で」

「ウニャハハ……ちょっと失敗して、反省させられてるニャ……」


 リニアは耳を力なく垂れ下げつつ、しょんぼりと言った。


「そっか」


 反省中なら放っておこう。

 俺は彼女の脇を素通りし、家の中へ。


「ただいまー」


 すると、リビングに続くドアの影からルーシーが顔をのぞかせた。

 ああ、また逃げるのかな。

 と思ったら、彼女はパッとドアの影から飛び出してきた。

 ドタドタと走り、俺の脚に飛びついてくる。


「パーパ! おかえりなさい!」


 なんだろう。

 今日は歓迎されている雰囲気。


「あーい、ただいまルーシー!」


 そのまま抱き上げようとしたら、尻の方に隠れ、ローブにしっかとしがみついてしまった。

 なにかしら、今日はいつになく距離が近いわ。

 パパ嬉しい。


「マーマ! パパかえってきたー!」

「うん、聞こえたよー、ちょっと待っててねー」

「マーマー!」


 シルフィの声は風呂場の方から聞こえた。

 洗濯か、風呂掃除中なのだろう。


 ルーシーはその後、何度かシルフィを呼んでいたが、やがて業を煮やしたのか、俺のローブを離して、ドタドタと風呂場の方に走り去ってしまった。

 なんだったんだろうか……。

 ま、深く考える必要はないか。子供のすることだ。

 いつもうっとおしく迫ってくるから、たまにはサービスしてやろうっていう、ルーシーの配慮か何かだろう。


 そう思いつつ、家の中を徘徊する。

 リビングでララとレオを発見。

 すやすやと気持ちよさそうに眠っている。

 今日も健康そうだ。


 そのまま台所に移動すると、料理の下ごしらえをしているリーリャを発見した。

 ちょっと疲れた顔をしている。

 どうしたんだろうか。


「リーリャさん、ただいま」

「おかえりなさいませ、旦那様」

「お疲れですか?」

「いえ」


 そう言いつつも、リーリャの顔には疲労の色が出ている。


「休んだ方がいいんじゃないですか?」

「大した事はありません」

「本当ですか?」

「はい」


 本人がそう言うなら、いいが。

 彼女にも苦労を掛けているからなぁ。


「もし体の調子が悪いようなら、気にせず休んでくださいよ?」

「お気遣いありがとうございます。ですが、本当に問題ないのです」


 リーリャがそう言うのなら、信じよう。

 しかし、体ではないとすると、心の方だろうか。

 いわゆる心労ってやつだ。


「何かあったんですか?」

「……先ほど、エリス様が学校に行かれました」

「エリスが? 何しに?」

「ノルン様に剣術を教える日だと仰っていましたが……」


 剣術って……。

 本当にじっとしない妊婦だな。

 エリス、教師にでもなりたいんだろうか。

 別に反対はしないけど、妊娠中はちょっと控えてほしいな。

 やきもきする。


「申し訳ございません。私も含めて皆様で止めたのですが、気づいたら外出しておりまして……」

「ああ、うん。お疲れ様です」


 言って聞く子じゃないものな。

 リーリャも疲れただろう。


 一度、俺の方からも強く言っておいた方がいいんだろうか……。

 もっとも、俺の言葉も聞いてくれるか微妙だ。

 うーむ。

 シルフィの言葉も聞かないだろうし、口のうまいアイシャあたりがうまく言い含めてくれれば、エリスも納得する気がするが。


「あ、そういえばアイシャは?」


 そう聞くと、リーリャは苦笑しながら答えた。


「裏庭です」



---



 リーリャの言葉通り、アイシャは裏庭にいた。

 庭の隅で座り込んでいる。

 見ると、肩がふるふると震えていた。

 アイシャにしては珍しい、弱々しい気配だ。

 泣いているのだろうか。


「アイシャ?」

「あ、お兄ちゃん……おかえり」


 振り返ったアイシャから、平坦な声が帰ってきた。

 顔の様子を見るに、泣いていたわけではないらしい。


「はぁ……」


 しかし、すぐにため息をついた。

 見ると、園芸用のシャベルを片手に、庭の隅に穴を掘っていたようだ。

 穴の中には、陶器の破片のようなものが散らばっているのが見えた。


 破片は、見覚えのある模様をしていた。

 よく見ると、取っ手のパーツもある。

 この取っ手も見覚えがある。

 その昔、アイシャが自分の小遣いで買ってきた、オシャレなティーカップと同じ模様、同じ取っ手だ。


 あのティーカップは、かなりお気に入りだったはずだ。

 自分でお茶を飲む時は必ず使っていた。

 俺も一度だけ使わせてもらった記憶がある。

 確かその時は非常に嬉しそうな顔で「お兄ちゃんだけは特別だよ」とか「いいカップで飲むお茶は一味ちがうでしょ?」とか言ってたように思う。

 正直、俺に違いはわからなかったが、アイシャが嬉しそうにしてたので、なんとなく美味しかったのを憶えている。

 その、お気に入りのカップが。

 残骸になっているのだ。


「あのさ、お兄ちゃん」


 アイシャは普段からは考えられないほど、低い声で言った。


「……な、なにかな?」


 これは怒気だ。

 アイシャが静かに怒っているのだ。

 やばい、俺、何かしちゃっただろうか。

 謝るのはやぶさかではないが、何が悪いかもわからずに謝っても、相手の怒りに火を注ぐだけだ。

 どうしよう、どれが原因だろう。

 と、悩む俺に、アイシャは淀んだ目を向けて言った。


「あの猫さ、捨てない?」

「え?」


 あの猫って、どの猫だろうか。

 いや、多分、入り口で正座してた猫なんだろうけど。


「あ、捨てるのはよくないよね。奴隷商人に……いや、エリス姉の実家に売ろうよ。確か、あそこが高く買い取ってくれるんだよね? アスラ金貨1500枚は出してくれないかもだけど、半分ぐらいは出してくれるよね?」

「ちょ、ちょっとまて。落ち着こう。まぁ、座って」


 俺は土魔術で椅子をつくり、アイシャに勧めた。

 アイシャは穴の中から破片の一つを取り出し、立ち上がった。

 俺の足元に、破片の一つを投げる。

 そして、どかっと椅子に腰掛けた。


「それさ、別に高いものじゃないけど。もう手に入らないんだよ。

 作ってた人も死んじゃったし、取り扱ってたお店も潰れちゃったし」

「……でも形あるものはな、いつか壊れるんだよ、うん」


 俺も椅子を作り、アイシャの前に座る。

 ちょっと落ち着かせよう。


「それはわかってるよ。別にさ、あたしだってカップ壊されたぐらいで怒ったりはしないよ」

「うん」


 とりあえず、あのカップをリニアが壊したのは間違いないらしい。

 そして、アイシャはそれを怒ってるのだ。

 怒ったりしないと言いつつも、かなりトサカに来ているのは間違いない。


「ただ、あたしはさ、あの猫が、うちのメイドにはふさわしくないって思うの。洗い物をすれば食器を割る、掃除をすれば鏡を割る、洗濯をすればシーツを毛だらけにする」

「最初は、誰だって失敗するものさ。リニアはああ見えて、いい所のお嬢様だし」

「あたしは……!」


 アイシャは大声で何かを言いかけて、ぐっと飲み込んだ。

 あたしは失敗しなかった、とでも言いたかったのかもしれない。


「……この前も、リビングを掃除してて、ララちゃんに水をぶっかけそうになったんだよ?」

「ララに水を? ど、どういう経緯で?」

「高い所を掃除するのに、片手でバケツを持って、片手で雑巾持ってたの。それでバランス崩して落ちかけて……まあ、大事には至らなかったけど」


 あの猫は、掃除の仕方も知らないのか。

 そういえば、昔あいつの部屋に一度だけ入ったけど、結構散らかっていた気がする。


「それもよくないんだけど、でもそれだけならあたしも何も言わないよ。ノルン姉なんて、もっと酷いし、物覚えも悪いし」

「さりげなくノルンをディスらないの」

「ディス? ……ああ、いや、ノルン姉の悪口言うつもりはないんだけど、とにかく、あの猫は別に物覚えが悪いわけじゃないんだよ。同じ失敗もあんまりしないしさ、でもさ」


 アイシャは続けて、ため息をついた。


「あの猫、謝らないんだよね」


 謝らないのか。

 それは良くないな。


「ほう」

「何か失敗してもさ、悪びれもせず「ニャハハハ、悪い悪い、次から気をつけるニャン」って……」


 それは一応、謝ってるつもりなんだろう。

 リニアの中では、だが。

 しかし、謝罪というものは相手に通じてこそだ。

 謝っている内には、入らないだろう。


「それは、よくないな」

「でしょ?」


 俺だったら許してもいいが、アイシャはリニアの上司だ。

 そこんところはきっちりしていかなければならないだろう。


「だから、ね、お兄ちゃん。解雇しよ? お願いお兄ちゃん。あたし、あんなのと一緒なんて耐えられない」


 アイシャがここまで悪しざまに言うのは珍しい。

 よっぽど腹にすえかねたのだろう。

 とはいえ、何か大きな出来事があったわけではなさそうだ。

 カップの一件も、きっかけにすぎない。

 一つ一つはきっと、笑って許せる出来事だけど、積み重なって、アイシャをここまで言わせているのだ。


 うん。

 とはいえ、だ。


「いや、確かにあいつもな、ちょっと調子に乗る所があるし、悪い部分もある。

 でも、今はあいつにとっても辛い状況だし、

 新しい環境で馴染もうと、明るく振舞っているだけかもしれない。

 それが、アイシャの目には反省してないって映るだけかもしれない。

 だって、同じ失敗はあんまりしないんだろ?」


 リニアもリニアなりに頑張っているのだと、俺は思う。

 人は同じ失敗をしてしまうものだ。

 けど、その確率を減らす事は出来る。

 そのための反省だ。

 大きなミスを繰り返していないのなら、それは反省ができていると言えるだろう。

 少なくとも、玄関前で見たリニアは反省しているように見えた。

 悪びれた様子ってやつが感じられた。


「嘘だよ。

 あの猫は、きっと反省なんてしてない。

 大体、態度だっておかしいもん。

 ロキシー姉とエリス姉とレオにはへりくだるくせにさ、

 シルフィ姉は軽く見ててさっ……」


 アイシャは口をツーンと尖らせて、そう言った。

 頑固な事だ。


「シルフィの事、軽くみてんの?」

「なんか、エリス姉とかより、軽々しい。たまにフィッツって呼ぶし」


 一時期とはいえ、魔法大学では、争っていた仲だ。

 ある意味、シルフィとリニアは気安いのだ。


「それはきっと、シルフィとリニアの付き合いが長いからだよ」

「……だったらそれでいいけど、なんかリニアが来てから、家の中、変な感じだよ」


 変な感じ、か。

 確かに、ロキシーが来た時も、エリスが来た時も、あまりこういった問題は起きなかったように思う。


「とにかく、リニアには、失敗したらもっとしっかり謝らせよう。

 モノを壊した分は、借金にプラスしておく。

 態度をもっと畏まったものに改めさせる。

 ……ってのを、俺の方から言い聞かせよう。

 それで、もうしばらく様子を見てやって欲しい、どうかな?」

「つーん」


 アイシャは口を尖らせたまま、目を瞑ってそっぽを向いた。

 こういう態度を取る所を見ると、ひと通り愚痴りたかっただけで、もうあんまり怒ってないのかもしれない。


「なぁ、頼むよアイシャ。あんなのでも、お兄ちゃんの友達なんだ」

「………………まあ、今回はお兄ちゃんに免じて許してあげてもいいけど」


 アイシャはそう言いつつ、パッと立ち上がって俺の方に向き直った。


「でもねお兄ちゃん。あたしの気持ちを抜きにしたって、このままは、あんまりよくないと思うよ」


 アイシャはそう言って、家へと戻っていった。



 その後、リニアにはよく言い聞かせておいた。

 リニアは「了解ニャ」と答えはしたものの、どうにも軽い感じだ。

 改善すればいいが……。


 ついでに、ロキシーと共に帰ってきたエリスに、激しい運動は控えるように、と注意もしておいた。

 エリスは腕を組みつつ、口をへの字に曲げて「わかったわ!」と言っていた。

 でもあれはきっと、あんまりわかってない時の「わかったわ」だ。


 一応、剣を持って暴れまわったりはしていないようだし、エリスももっとお腹が大きくなってきたら自然と大人しくなると思いたい。

 けど、やはり心配だな。

 子供には、振り落とされないように、しっかりしがみついていて欲しい。

 俺とエリスの子供なら、出来る、頑張れ。



 

 夕飯の席は、アイシャがむすっとしているせいか、いつもより暗く感じた。

 また、夕飯が終わったあたりで、シルフィからもこっそりと「リニアが家に馴染んでいない」という点について、申し訳無さそうに言われた。

 シルフィが申し訳なさそうにする理由など無いのだが、家を預かるものとして責任を感じているのかもしれない、

 

 やはり、アイシャの言うとおり、このままだとあまり良くないのだろうか。

 仕事に行く前に、なんとかした方がいいのだろうか。

 それとも、もう少し様子を見た方がいいのだろうか。

 うーむ。



---



 その日の晩。

 シルフィとロキシー、両方ともアノ日だというので、俺は一人で眠ることにした。

 正直、十日も禁欲的に修行していたせいで辛抱たまらんのだが。

 まあ、こういう日もあるだろうと諦めることにした。


 すると俺のリビドーを察知したのか。

 それとも、単に自分がやりたかったのか。


「ルーデウス」


 寝室へと続く部屋に、エリスが待っていた。

 いつも通り腕を組んで、足を肩幅に開いて。

 ぽっこりと膨らんだお腹をネグリジェに包んで。

 最近、寝間着は温かい格好をしていたはずなのだが、今日は珍しく、エロ用のネグリジェだ。

 いかんよ、お腹が冷えてしまう。


「するわよ」

「しませんよ」


 子供は大事だ。

 妊娠中はしないというのが、ウチのルールである。


「でも、したいんでしょ? 聞いてたわよ、シルフィもロキシーも今日は出来ない日だって」

「今日はいいよ、我慢する」

「あなたは旦那様よ。我慢なんてする必要は無いわ」


 エリスはそう言うと、強引に俺の手を掴んで引っ張った。

 とても力強く、俺は引きずられるように寝室へと連れ込まれる。


 いかん、このままでは流されてしまう。

 一度してしまうと、歯止めが効かなくなるだろう。

 それはいかん。

 いくらエリスが妊娠中も運動をしてるからって、これはいかん。


「や、エリス、やめよう。妊娠中はよくない。

 子供が流れちゃったら、俺もエリスも後悔する。

 よくない、絶対よくない」

「そんな事はわかってるわ。だから私だって、いつも気を使ってるもの」


 気を使ってるのに学校にいったり、犬の散歩に出たりするのか。

 まあ、じっとしてるより動いた方がいいのだろうけど。

 でも、ええと、俺と基準が違うだけで、いいのだろうか。

 俺が心配性すぎるのだろうか。

 いやいや、それとこれとは話は別だ。


「だから、ほら!」


 エリスは俺をベッドの脇まで引きずってくると、

 ベッドの毛布をバッとめくった。


「…………にゃ、にゃん」


 ベッドの上には、リニアが寝転がっていた。

 エリスのネグリジェと思わしきものを着て、艶やかな格好で体を縮こまらせていた。


「私がダメなら、リニアを抱けばいいんだわ!」

「うにゃあ……」


 リニアは覚悟を決めたような、諦めたような顔で、俺を見上げている。

 ネグリジェが透けていて、胸の先端とかが見えそうだ。

 腰はキュっとくびれていて、適度に筋肉がついているが、足のラインはむっちりとしている。

 彼女の猫目は暗闇でギラギラと光っていた。

 俺はそれらにエロさを感じる以前に、あっけに取られてエリスを見た。


「なにこれ」

「だから、リニアよ!」


 つまり、俺にリニアを抱けって事なのだろうか。

 エリスが?

 あっさりしているようでいて実は嫉妬深くて、シルフィとイチャついてるとムッとした顔をするエリスが?


「えっとね、エリス、これは、浮気になるんじゃないのかい?」

「奴隷は浮気にならないわ。お祖父様もお父様もそう言ってたもの。それに、私も一緒なんだから、何も問題ないわ!」


 サウロス、フィリップ、ちょっとこっちに来て正座。

 ヒルダさん、ヒルダさんはいませんか、ちょっと叱ってやってくださいよ。

 親父さんたちが、娘に変なこと教えてますよ!


「ああ、大森林の父ちゃん、母ちゃん……哀れなあちしは本日、奴隷として慰み者になるニャ……」


 リニアは小声でブツブツと、何かに祈っている。

 やっぱ嫌なのだろう。

 やめさせるべきだ。

 エリスのワガママに、彼女を付き合わせるべきではない。


「それとプルセナ……一足お先に失礼するニャ。あちしの勝ちニャ、ざまあみろニャ」


 いや、実はあんまり嫌ではないのかもしれない。

 合意ならいいんだろうか。


「リニア」

「ニャ……!」


 俺が声を掛けつつ手を伸ばすと、リニアはビクリと身を震わせた。

 体を硬直させつつも、しかし逃げる事はない。

 太ももから手を回し、尻に触れる。

 肉食獣のようなしなやかな筋肉が付いているが、柔らかい所は柔らかい。

 背中に手を回し、腰に触れる、こちらもキュっとくびれていて、艶かしい。


「は、初めてニャから、優しくして欲しいニャ……」

「…………」

「む、無言は怖いにゃー……うっふん、ごろにゃぁーん、にゃんちて……ニャああ!」


 俺はぐっと力を入れて、そのままリニアを持ち上げた。

 そのままお姫様だっこの状態で寝室を横断。

 隣の部屋に移動して、そこも横断。

 足でドアノブを回して、蹴り開ける。

 目の前にあるのは、暗くて寒い廊下。


 俺はそこに、リニアをペッと捨てた。


「ギニャッ!」


 尻もちをついたリニアを目前に、扉を閉める。

 鍵も掛ける。


 ふう、これでもう、安心だ。

 悪は去った。


「ちょっとー、ボス、それは酷いんじゃニャいか!?」


 何も聞こえない。

 もう、誘惑をしてくる化け猫はいない。

 俺の貞操は守られたのだ。


「ちょっとルーデウス! 何するのよ!」


 後ろからエリスが追いすがってくるが、なんのその。


「エリス、勘違いしちゃいけない、俺が抱きたいのはお前だ、あんな猫はいらないんだ」

「そ、そう……? そ、それならいいけど、子供が生まれるまではダメよ?」

「ああ、もちろんさ」


 この通りだ。


「ボス、開けてー! このままじゃあちしの乙女のプライドはズタズタニャ!」


 扉がドンドンと叩かれる。

 だが、気にすることはない。

 あれはいないものだ、うん。


「ボスー、お願いニャー! もうアイシャにネチネチいびられるのは嫌なのニャー!」


 そう考えていると、リニアが叫びだした。

 リニアの側からもこう言うということは、やはり二人の相性は悪いのだろうか。

 先日、アイシャがリニアのメイド服を縫った時は、結構相性よさそうに思えたのだが……。


「せめて妾にしてもらって、立場を上げたいのニャー!

 体だけの関係でいいから、お願いニャー!

 ホント! あわよくば子供ができたら第四夫人、借金も有耶無耶に出来るとか考えてニャいから!」


 ていうか、そんな事を企んでやがったのか。

 でもまぁ、わからんでもない。

 借金は多すぎるし、返済に時間が掛かり過ぎるもんな。


 かといって、俺はリニアを性奴隷のように扱うつもりは無い。

 エロいことをしたくないと言えば嘘になるが。

 リニアとは、友人なのだ。

 友人でいたいのだ、俺は。


 それに、今は娘も二人いるし、ついでに言えば、昼間にあんな話をした後にリニアを抱けば、アイシャも怒るだろうし、ロキシーやシルフィだっていい顔はすまい。

 一時の情に流されて不誠実なことをしたら、家庭崩壊の危機だ。

 俺は家族を守らねばならんのだ。


「オギャー! アー! アー!」


 そこで、家のどこかからか泣き声が聞こえてきた。

 どうやら、リニアの声で、ララが起きてしまったらしい。

 どうしよう、ひとまず扉を開けて、リニアを黙らせるべきだろうか。

 と、一瞬迷った所で、バンと扉が開く音が聞こえた。


「ちょっとリニア、今何時だと思ってるのさ! ルーシーもララもおきちゃったじゃないか!」

「ギニャ! フィッツ! す、すまんニャ、悪気があった訳じゃニャいんだ!」

「フィッツじゃなくて、シルフィ! とにかくもう遅いんだから静かにしてよ!」

「は、はい……」


 シルフィの一喝で、リニアは静かになった。

 とぼとぼと、どこかへと移動していく音が聞こえた。

 恐らく、寝床であるエリスの部屋に戻ったのだろう。


 しばらく、ララの泣き声が聞こえていたが、それもすぐに静かになった。


 ひとまず、静かな夜が戻ってきた。



---



 しかし、リニアも可哀想ではあるな。

 半分は自業自得とはいえ、借金をして、うちに飼われて返済のアテも無く。

 仕事もうまく出来ず、メイド頭のアイシャとも折り合いが取れず、

 せめて体を売ってご主人様に気に入られようとしたら、拒絶されて……。

 今頃は、枕を涙で濡らしているかもしれない。


 それに、家の中に嫌な空気が充満している感じがする。

 アイシャはどんよりしてるし、リーリャも疲れてるみたいだし、シルフィが怒鳴る所なんて久しぶりに聞いたし、ララも大泣きだ。

 もしかすると、エリスが学校に行ったり、先ほどのような提案をしてきたのは、家の中の空気を読んでの事だったのかもしれない。

 行動自体は空気を読み切れていなかったとは思うが、彼女なりに気を使ったのだ。


 ともあれ、どうにもギスギスし始めている。

 性質が悪いのは、元凶であるリニアがそれに気づいてないっぽい所か。

 空気の読めないヤツではないはずなんだが……。

 やはり多額の借金を抱えて奴隷になって、売り飛ばされかけて、情緒不安定になっているのだろうか。


 ……リニアを買い取った俺の責任だ。

 なんとかせねばなるまい。



 ひとまず明日、リニアにメイド以外の仕事を探してやろう。

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