第百九十一話「借りてきた猫」
今回も無事に仕事を終えた。
森の奥で死ぬはずだった、狩人のファム・ハインドラを助ける。
概要を聞いた時は、簡単な仕事だと思った。
村長の息子を解毒魔術で治し、森の奥でドラゴンもどきを一匹退治する。
とても簡単だ。
なんて思いつつ行ってみたら、ファムはすでに森に入っていた。
焦りつつ全力で追いかけ、追いついた時には、ファムは死にかけていた。
危なかった。
意識が戻らない間は、冷や汗ものだった。
運んでいる途中、何度も小声で治癒魔術を掛けたものだ。
それと、ファムと一緒にいた薬剤師のアンジェ。
あいつも危なかった。
色っぽすぎる。魔性の女って奴なんだろうか。
ちょっと間違ってたら、そのまま押し倒してしまっていたかもしれない。
念のため持っていった御神体レプリカがなければ即死だった。
神事を人前でするなど本来ならあってはならない事だが、仕方がなかった。相手にあきらめてもらい、俺も我に返るには、あの方法しかなかったのだ。
「ふぅ……」
ともあれ、早く帰ろう。
家に帰って、子どもたちの頭をなでて、
晩飯にアイシャの作った米を食べて、
夜になったら妻とエロい事をするのだ。
それだけが俺の生きがいだ。
毎回、そのためだけに生きて帰ってくると言っても過言ではない。
そう思いつつ、俺は自宅へと戻ってきた。
玄関門扉に近づくと、アサガオのように入り口に巻き付いているビートが開けてくれた、いつのまに、うちの家は自動ドアになったのだろうか。
まあいいか。
犬小屋にアルマジロのジローはいないな、てことはロキシーはまだ学校か。
庭先でぼんやりしているゼニスと、洗濯物を干しているリーリャに手を振る。
リーリャが頭を下げるのを見てから、家の中に入った。
「ただいまー」
「あ、お兄ちゃんの声だ! おかえりー、おかえりお兄ちゃーん! あなたの妹は今ちょっと手が離せないけど、おかえりなさいと言ってるよー!」
地下室の方から聞こえてきた。
あの声はアイシャだな。
「聞こえてるよー」
アイシャは何やってんだろうか。
肥料の整理でもしてるんだろうか。
「お帰りルディ」
そう思ってると、リビングの方からパタパタとシルフィが出てきた。
その後ろには、アヒルのヒナのようにルーシーがくっついている。
「ただいまシルフィ……今回も疲れたよ」
「お疲れ様」
シルフィは俺のローブを脱がせ、パパッと土埃を叩いてハンガーに掛けてくれた。
ちなみに魔導鎧は事務所で外してある。
入り口脇に設置した大鏡が映しているのは、この世界ならわりとどこにでもいそうな若者だ。
だが、今日のルーデウスさんはだいぶグッタリしてる。
疲れたサラリーマンみたいだ。
「パーパ、おかえりなしゃい」
鏡の自分を見ていると、ルーシーが俺を見上げて言ってくれた。
明るめの茶髪に、凛々しいとも言える顔つき。
まだ三歳ぐらいだというのに、エルフっぽい美少年顔だ。
シルフィよりも耳は短いが、幼い頃の彼女にそっくりだ。
そんなのが、ちょこんと立って、俺にお帰りなさいと言ってくれているのだ。
ああ!
パパ、おかえりなさいって!
ああぁぁ!
「ただいまルーシーィ!」
感激のあまり抱き上げようとしたら、ルーシーはドタタっと後ろに下がり、シルフィの後ろに隠れてしまった。
警戒の目つきで俺を睨んでくる。
ショック!
あ、やばいどうしよう。
泣きそう。
「こーら、ルーシー」
「やーぁー」
ルーシーはシルフィの手によって抱き上げられ、俺の方へと差し出された。
俺は遠慮なくそれを受け取る。
ルーシーは軽くて、暖かい。
シルフィもそうだけど、彼女らは俺より基礎体温が高いのよな。
脂肪が少ないせいか。
それとも、種族の特性か。
なんだっていいや、ルーシーたん、はぁ、はぁ……ちゅっちゅ、頬ずりもしちゃうぜ、うへへ。
「やーだー、じょりじょりー」
キスの雨を降らせたら嫌がられた。
そういえば、仕事中にヒゲを剃ってなかった。
いかんいかん。
ともあれ、嫌がってるならやめとこう。
うん、嫌がってる事をやっちゃいけないよね。
嫌われたくないもんね。
ルーシーを下ろすと、彼女は逃げるように食堂の方へと走っていった。
そんなに俺が嫌なのか。
しょぼん。
「もー、ルーシーったら……」
シルフィが腰に手を当てて溜息をついた。
でも、一時期に比べると、ルーシーも俺になついてくれたように思う。
ちゃんとパパって呼んでくれるし、こいつ誰だっけって顔もしなくなった。
まだちょっと距離がある感じだが……しかたないか。
「あっ」
ひとまず、俺は失ったぬくもりを取り戻すべく、シルフィを抱き寄せた。
キスをして、ついでにお尻とかも触っちゃおう。
「もう、ルディ……」
あ、なんかムラムラしてきた。
このまま寝室に連れ込んじゃおうかしら。
でも、子供が起きている時に……。
「ダメだよ。そういうのは後にして」
「はーい」
シルフィにメッとされて、俺は彼女を解放した。
ともあれ、彼女らが愛情をくれる限り、俺は魔性の女の色香に引っかかったりはしない。
「ロキシーとララは?」
「ロキシーは学校。ララはリビングにいるよ」
という言葉に従い、俺はシルフィと共にリビングに移動した。
ララはベビーベッドに寝ていた。
ララ・グレイラット。
俺の二人目の娘。
綺麗な青い髪をした赤子。
だが、ふてぶてしそうな顔をしているせいか、ベッドの周囲に「バァーン!」という効果音と集中線が見える気がした。
ベビーベッドのすぐ下でレオが丸まっているのも相まって、どうにも偉そうな感じだ。
「ララ、ただいま」
「あーう」
ララはまだ幼いというのに、こうして返事をくれる。
まだ生まれてから一年も経ってないのにだ。
もしかすると、ウチの子は天才かもしれない。
あるいは、今度こそ転生者かもしれない。
相変わらず、日本語にも英語にも反応しなかったが。
しかし、ふてぶてしい顔をしているせいか「ご苦労、ゆっくり休みたまへ」と言っているようにすら聞こえるな。
将来、偉そうな感じに育ってしまうのだろうか。
「ララ、あんまり泣かないんだよね。笑わないし……ちょっと心配だよ」
シルフィは、俺とは違う意味でララを心配している。
もっとも、そのへんは大丈夫だと思うけどな。
だって、こんなにふてぶてしいんだもん。
これは大物になる顔だよ。
間違いない。
いやまぁ、シルフィの心配もわかる。
世の中には知的障害ってものもあるし、他と違うってのはイジメの元だ。
「まあ、何かあっても家族でフォローしてあげればいいんだよ」
「ボクはそのつもりだけど、ロキシーが責任感じちゃいそうなんだよ」
「その時は俺が抱きしめて愛でなんとかするよ」
手をペロペロと舐めてくるレオを撫でながら、適当なことを言っておく。
でも、確かにロキシーは責任を感じそうだな。
俺は子供を産んでくれたってだけでもうれしいのに……。
彼女、たまに完璧主義っぽい所あるしなぁ。
「あれ?」
と、そこで俺はある事に気づいた。
一人足りない。
いつもなら、うちの核弾頭が、アイシャと競うように俺を迎えてくれる。
そして、「はい!」とお腹を触らせてくれる。
順調に大きくなっているのだと示すように。
その時、ついでに胸も揉んで、ブン殴られるまでが、いつものパターンなのだが……。
今日は、なぜかそれが無い。
どうしたのだろうか。
「エリスは?」
「あー」
聞くと、シルフィはちょっと困った顔をした。
「ちょっと、今朝からアイシャちゃんと揉めてるんだ」
「え? なに、喧嘩でもしてんの?」
「喧嘩……ってほどでもないかなぁ……うーん……」
シルフィが煮え切らない。
百聞は一見に如かず。
「わかった、ちょっと見てくるよ」
「うん」
ララの頭を撫でてから、リビングを出る。
途中、扉の隙間からルーシーが覗いていたが、目が合うとドタドタと二階へと走って逃げていった。
俺はルーシーを追いたい衝動にかられつつも、地下室へと足を向けた。
---
階段を降りると、アイシャが地下室の扉をドンドンと叩いている所だった。
「エリス姉ー。ウチにはもう、レオとジローとビートがいるんですからねー」
「わかってるわよ!」
扉を叩くアイシャと、扉ごしに返事をするエリス。
「どうしたの?」
声を掛けると、アイシャがパッと振り返った。
「あっ、お兄ちゃん。聞いてよ! エリス姉がさ、なんか猫拾ってきたみたいでさ、朝からニャーニャーうるさいんだよ」
「猫」
猫か。
まぁ、エリスは動物好きだからな。
俺は動物にはあんまり懐かれないから、さほど好きじゃないが。
でもレオは懐いてくれてるから、犬派といっても過言ではないだろう。
誰だって、好意を向けられれば好意を返したくなるものだ。
「あたしも猫が嫌いってわけじゃないけど、ウチはもう三匹もいるでしょ?
せめてお兄ちゃんの許可を取ってからにしてって言っても、聞いてくれなくて」
なるほど。
俺の意見が必要なのか。
一応、家長だものな。
「俺は別に飼ってもいいけどな」
「ほんとっ!?」
扉の向こうから嬉しそうな声が聞こえてきた。
あんまり甘やかしてもアレだと思うが、きっとエリスも妊婦生活でストレスをためている事だろう。
猫の一匹や二匹でそれが解消できるなら、安いものだ。
「ただ、ウチは赤ん坊もいるし、俺もあんまり家に帰ってこれないから。ちゃんと躾をするんだよ」
「わかったわ! もちろんよ!」
エリスの嬉しそうな声に対し、アイシャはむくれていた。
「むー、結局、餌とか買ってくるのあたしなんだけど」
ああ、そうかアイシャの手間が増えるのか……。
エリスは途中で世話とか飽きる可能性もあるし。
「ごめんよアイシャ」
「別に、お兄ちゃんの決めたことだし」
「ごめんよー、今度なんか埋め合わせするよー」
「もう、しょうがないなぁ……」
頭をぐしぐしと撫でてやると、ちょっとだけ機嫌が良くなった。
でも、髪型が崩れたせいか、微妙な顔だ。
「じゃあエリス、扉を開けてくれ」
「ええ」
そう言うと、ゆっくりと地下室への扉が開かれた。
中から、口をへの字に結んだエリスが姿を現す。
妊婦だというのに弱々しさのかけらも感じられない。
妊婦の剣王様って感じだ。
「……」
そして、俺は扉の奥。
地下室に鎮座している、首輪を付けられた猫を見て、息を飲んだ。
立派な猫だった。
汚れてはいるものの、ピンと耳が立ち、尻尾もスラっとかっこいい。
それだけじゃない。
まず目に飛び込んできたのは、胸だ。
大きな胸。エリスと同じぐらいだろうか。
着ているのはボロで、かろうじて胸と腰だけを隠している状態。
活動的な筋肉のついた太ももが、日に焼けた健康的な肌が、惜しげもなくさらされている。
「ああっ! ボス、お久しぶりニャ! 助かりますニャ! ご恩は一生忘れませんニャ!」
「今朝、散歩の途中で拾ってきたの! 名前はリニアよ!」
リニア・デドルディア。
俺の先輩で、数年前に学校を主席で卒業した獣族の女。
ああ、よく憶えている。
なるほど。
よし。
「捨ててきなさい」
「嫌よ!」
俺の目の前で扉が乱暴に閉じられた。
---
扉をもう一度あけさせるのに、また小一時間。
その後、リビングに移動して、話を聞くことにした。
なんでも。
リニアを見つけたのは、エリスがレオの散歩をしている時だったそうな。
妊娠五ヶ月。
つわりが収まり、歩けるようになったエリスはレオの散歩を始めたらしい。
まず始める運動が散歩。
きっと、縄張り意識が強いのだと思う。
まあ、妊婦にも適度な運動が必要というし、悪くは無いと思いたい。
で、散歩中に奴隷市場の近くを通りかかった時、事件は起きた。
まず、物陰から、リニアが飛び出してきたのだそうだ。
彼女を追って、荒くれ者という感じの男たちも。
リニアは尻尾を捕まれ、あえなく御用……。
という光景を見たエリスは、即座に決断した。
腰の剣を抜き放ち、哀れな荒くれ者たちを、ザックリと真っ二つ。
「私が助けたんだから、私のよ! うちで飼うわ!」
と、エリスは主張している。
まるで山賊のような主張だ。
「……は、はい。あちしはエリス様のものですニャ」
リニアはというと、エリスの膝の上で耳をもにもにと触られている。
なすがままだが、その体は小刻みにプルプルと震えている。
恐怖の震えだ。
強い者には尻尾を振る。それが獣の掟か。
まあ、それはいいんだけど……。
「ていうかリニア、お前、どうしてこの町にいるの? なんでそんなカッコしてんの?」
確か、あの日、リニアと別れた日。
彼女は颯爽と格好良く、商人になると言ってこの町を出て行った。
それが、今は奴隷のようなボロをまとっていて、全体的に小汚い。
「よくぞ聞いてくれましたニャ。思い出せば長く苦しい、聞くも涙、語るも涙……」
「短くまとめてくれ」
「ニャ」
リニアは、学校を卒業してこの町を出た後、宣言通り、商人になろうとしたらしい。
アスラ王国で何かを仕入れて、北方大地に持っていって売る。
北方大地のものを仕入れて、アスラ王国に持って行って売る。
要するに行商人だな。
そのために馬車を購入したそうだ。
借金をして。
ついでに、商品も仕入れたそうだ。
これまた借金をして。
普通は、自分の足で隣町ぐらいの距離を往復するのが普通だと思うのだが……。
要するに、一気に稼ごうとしたらしい。
結果として、借金の利子で、赤字が続いた。当然だ。
日に日に貧乏になる生活。
少しずつ借金は返せていたらしいが、完済までいつになるかわからない、そんな日々が続いた。
そんな彼女に、ある日、光明が指す。
借金をしていた商会に所属する商人が、リニアにある話を持ちかけてきたのだ。
お前は熱心に借金を返そうとしてくれている。けれど見ていると商売がうまくいっていないようで心苦しい。
借金を帳消しにする事は出来ないが、商会のメンバーになれば、借金の利息がゆるくなり、今よりもっとずっと楽に返済することが出来る。
メンバーになるためには、商会に上納金としてアスラ金貨20枚が必要となるけど、これは俺が建て替えておこう。
後になって返してくれればいい。
一応借用書は書いてもらうが、お前を信用しているからな、と。
リニアはその話に乗った。
傍から聞いていると胡散臭い話だが、猫もおだてりゃ真珠に当たる。
リニアはアスラ金貨20枚で、その商会のメンバーズバッヂを購入した形になった。
しかし、そのメンバーズバッヂというのが、真っ赤な偽物。
借金をしている商会に対してバッヂを見せると「何言ってんだこいつ」という顔をされ、気づいた時には男はドロン。
でも、借用書は本物。
リニアは単純にアスラ金貨20枚の借金を背負った。
アスラ金貨はこの世界で最も高価な金の単位だ。
20枚となれば、そこから発生する利子は相当なものになる。
元々、利子で首が回らなかったリニアには、当然ながら払いきれない。
馬車と商品は差し押さえられ、リニアの身柄は拘束された。
「あちしはまんまと騙され、奴隷に身をやつしてしまったのニャ」
半分は自業自得だと思うが……。
まあ、詐欺は詐欺だ。
詐欺する奴が悪いにきまっている。
「ふーむ」
とはいえ、だ。
エリスが奴隷商人の一味を斬ってしまったのは、いただけないな。
ウチには可愛らしい未成年が二人と、赤子がいる。
そんな状態で、悪いやつと敵対したくはない。
「どうしたものかな……」
「ボス、助けて欲しいニャ、なんでもするニャ……奴隷は嫌ニャ……」
リニアは手を合わせて懇願している。
ボロをまとっただけの格好で、首輪付き。
なんていうか、エロい。
「リニア……お前さ……」
「はいニャ」
「もう、ヤられちゃった?」
「ニャッ!」
リニアが立ち上がる前に、俺は天井を見ていた。
ボレアスパンチが炸裂し、椅子ごとひっくり返ったのだ。
「ルーデウス! なんてこと聞くのよ!」
「そうだよルディ、今のはちょっとデリカシーが無いと思うな」
「お兄ちゃんサイテー」
女性陣からのバッシング。
「ごめんなさい」
ここはすなおに謝っとこう。
うん。そうだな。
確かにちょっと下品すぎた。
「失礼なことを言うニャ! あちしはまだ正真正銘のオトメニャ!
なんか、その方が価値が上がるからって、手出しされニャかった!」
「そっか、よかったな」
自分でもなんで聞いたのかわからない。
なんとなく確かめておくべきだと思ったのだが、もし酷いことされてたら、トラウマをえぐる形になったろう。
反省だ。
それにしても価値が上がる、か。
やはりこの世界にも、処女性を大切にする勢力が存在するのだな。
大森林には、ユニコーンも生息してるっていうし。
なんて思いつつ、体を起こす。
鼻が痛い。
触ってみると、鼻血が出ていた。
シルフィが慌てて治癒魔術を掛けてくれる。
「しかしまぁ、困ったもんだな」
すでにエリスは奴隷商人たちを斬ってしまった。
顔も割れているだろうし、報復に来るかもしれない。
どうにかしないといけないな……。
リニアを返して穏便に済ませるか。
奴隷商人と敵対して徹底的に潰すか。
後者を選び、ノルンあたりが浚われたら嫌なんだよなぁ……。
かといって、リニアを見捨てるのも寝覚めが悪い。
友達だし。
うーむ。
「ごめんくださーい!」
と、玄関の方から声がした。
知らない男の声だが、リニアは体をビクリと震わせて、ピョンと飛び上がってソファの後ろに隠れた。
「や、奴だニャ!」
どうやら、奴隷商人らしい。
---
玄関へと出向く。
「ウチの奴隷、いるんでしょ、わかってるんですからね」
「なんのお話かさっぱりわかりません、お引取りください」
俺が行くとすでにリーリャが対応をしていた。
相手は三人。
先頭に立つのは小柄で背の低い男だ。
もしかすると小人族かもしれない。
その後ろには、筋骨隆々としたスキンヘッドの男と、モヒカンの男。
体全身から、暴力の気配が立ち上っている。
アドンとサムソンって感じだ。
「そう言わずに……この町で、人を真っ二つにできる赤毛の妊婦と、大きな白い犬の組み合わせなんて、他にいませんよ」
「エリス奥様はところ構わず暴れるお方です。もしかするとそうかもしれません。しかし、うちに奴隷など存在いたしません。お引取りを」
毅然とした態度のリーリャに、後ろのスキンヘッドがチッと舌打ちした。
小男を押しのけるように前に出て、リーリャへと手を伸ばす。
「てめぇ、ババァ。あんまり調子こいてっと――」
リーリャはびくりと身を震わせつつ乱暴に肩を掴ま――。
「わー、まてまてまてまて、手を出すな、手を出すな、絶対に手をだすな……!」
掴まれなかった。
小柄な男が、スキンヘッドの腕につかまるようにして腕を下げさせたのだ。
「アニキ、なんでッスか。いつもは……」
「お前はヴァカか! このメイドは、あのルーデウス・グレイラットの乳母で、異母妹の母だぞ! 痣の一つでも作ってみろ、一族郎党皆殺しにされっぞ!」
そう言うと、スキンヘッドはおののいた表情でリーリャを見た。
「じゃ、なんのために俺ら連れてきたんすか……」
「そらぁ、話の通じねぇ『狂剣王』が出てきた時に盾にするためだよ……」
「ひでぇ」
と、そこで小男は俺の存在に気づいた。
途端に柔和な顔をつくり、揉み手をした。
「あっ、こりゃどうもルーデウスさぁん……」
ねちっこい声だ。
やたら
まぁ、本当に掴んでたら俺も怒ったのは間違いあるまい。
そんな、一族郎党皆殺しとかはしないけど。
少なくとも、俺はね。
エリスは知らん。
「……リーリャさん、あとは俺が対応します」
「分かりました旦那様」
リーリャは一礼し、数歩下がった位置で止まった。
控えていてくれるらしい。
「どうも、初めましてルーデウスさん」
小男は揉み手をしながら、改めて頭を下げてきた。
「あっしはリウム商会傘下・バルバリッド商店で揉め事を担当をしとります、キンチョと申します」
「初めまして、ルーデウス・グレイラットです」
キンチョか。
蚊によく効きそうな名前だな。
「で、そのキンチョさんが、どのようなご用件で?」
要件はだいたい想像がつくが、一応聞いておこう。
別の用事だったら馬鹿らしいしな。
「いやねルーデウスさん。この間、うちの奴隷が一匹、逃げ出したんですわ」
「ほう。どんな奴隷ですか?」
「ドルディア族の娘。戦闘能力も高くて魔術も使える、最高の奴隷ですわ」
おお。聞いたかよリニア。
最高だってさ。
お前の評価、めちゃくちゃ高いぞ。
「でね、その奴隷を、ウチのが追っかけてったんですが、全滅してたんですわ。
それも、全員、キレーに真っ二つでね」
「ほう」
エリスの仕業だ。
なんだか申し訳ないな。
奴隷商だって仕事なのに、逃げてた奴に返り討ちってんならまだしも、まったく関係ない奴に斬られたんじゃ、やるせないだろう。
「ま、そりゃいいんですわ。あっしらも、こんな仕事ですしね。切った張ったで犠牲が出るなんて日常茶飯事ですわ。まして相手が、かの七大列強の二位『龍神』の配下で、しかも次期アスラ王の知己ともなりゃあ……ねえ?」
「そう言っていただけると、助かります」
オルステッドとアリエルの名前にビビってるらしい。
やっぱり世の中コネだな。
ありがとうオルステッド社長! アリエル部長!
なんとか問題にならずに済みそうです。
しかし、オルステッドの配下って事は別に喧伝して回っているわけではないんだけどなぁ。
ま、噂ってのはどこからでも広まるもんか。
「ただ、ねぇ……ルーデウスさん」
「はい」
「その、奴隷ってのがね、ちーっとばかしね、お値段の方がね、張るんですわ」
「……最高の奴隷って、言ってましたものね」
能力は高くても馬鹿では使い道が少ないと思うのだが。
まあ、俺に人の頭の良さをとやかく言う資格は無いか。
「そんじょそこらの奴隷だったらね。
献上ついでに、うちの店をどうぞよろしくって言う事もできるんですがね。
ヘヘ、さすがにあの奴隷はねぇ、気軽にどうぞってわけにもいかないんですわ。
すでに、買い手の方もついてますしね」
「その買い手って『ボーース・グーーーート』って感じですか」
「ええ、ええ、そうですそうです。ルーデウスさんも、よくご存知の、あの!」
あの。
エリスの実家の。
「ドルディア族の姫君で、戦えて魔術も使えて、しかも美人で生意気な処女。
そう聞いて、前金でアスラ金貨300枚、ポンとくれましたよ」
ジェイムズ叔父さんか、息子の方かは知らんけど、本当にグレイラットって家は……。
奴隷買ってる余裕があるならフィットア領の復興に金を回せよなぁ。
でもエリスもリニアに一目惚れしてたし、限定販売の二度と手に入らないであろう商品が手に入るとなったら、つい金も出しちゃうだろう。
「こんな大金の奴隷、滅多にいませんからねぇ。こっちも泣き寝入りするわけにはいかないんですわ」
「まあ、そうだろうな」
「わかっていただけますかねぇ。こっちも引くに引けないんですよ。仕入れにも金が掛かっていますから……」
「……」
ふーむ。
仕入れにも、か。
まあ、あんまり大きな損失が出ちゃうと、彼らも潰れるしかないもんな。
俺は彼らが潰れても、なんの痛痒も感じないけど。
恨まれるのは嫌だしなぁ。
「そういえば、ルーデウスさん」
迷う俺に、キンチョはやや凄んだ笑みを向けてきた。
「妹さんと奥さんの一人、魔法大学に通ってらっしゃるんでしたよねぇ。ともすると居心地が悪くなったりとか……」
「お前……ノルンとロキシーに手を出すつもりなの?」
もし本当に手を出されたら、俺も手加減しないよ?
ラノア王国ごと滅ぼす覚悟でいくよ?
「あ、あー、今の無し、今の無しです。
もちろん。もちろん、ルーデウスさんと敵対したいってわけじゃないんですよ?
ラブアンドピースです。仲良くしたいんです」
「俺もそうです」
「でしょう?
だからね、奴隷さえ返していただけりゃね。
あっしらもね、命を掛けてルーデウスさんにどうこうってつもりはないんですよ。
でも、ほら、わかるでしょ?
このままじゃ、あっしらも首をくくんなきゃいけなくなるんですわ。
同じ死ぬなら、戦って死にたいってもんでしょう?」
うん、言い分はわかる。
彼らだって必死なのだろう。
アスラ金貨300枚もの前金をもらった状態でキャンセルなんてしたら、信用はガタ落ちだ。
頭金でそれってことは、仕入れにも金が掛かっているのかもしれない。
確実に倒産だろう。
そして、倒産ともなれば、死に物狂いでなんとかしようと思うだろう。
手負いの獣は、いつだって怖いものだ。
「ふぅ」
……まあ、仕方ないか。
今回はリニアだって迂闊だったのだ。
借金をして、借金をふくらませて、あからさまな詐欺に引っかかった。
自業自得。
刑務所に入るようなつもりで、ボレアスにもらわれればいい。
少なくともサウロスの所では、獣耳のメイドさんたちが辛そうにはしていなかった。
過酷な労働があるわけではない。
まあ、エロいことはされるだろうが、あそこの一家はエリスやフィリップ似のイケメンも多いし、獣族大好きだし、かわいがってもらえるだろう。
なんだったら、俺が一筆書いてもいいな。
奴隷ですが、知り合いなのであまり酷い事はしないであげてください、って。
よし、それでいこう。
「わかりました」
「わかっていただけましたか」
「ええ、今……」
リニアを連れてきます、と言いかけつつ振り返って。
――言葉を飲み込んだ。
階段の上にいる存在に目がいった。
「……」
ルーシーだ。
我が可愛い愛娘。
彼女は不安そうな顔で、階段の手すりの影からこちらを見ていた。
「……………リーリャさん」
「はい、なんでしょう旦那様」
ここで、こんな脅しに屈して、へーこらと頭を下げてリニアを引き渡してもいいのか。
不安そうにしているルーシーの前で。
父親が。
うちを頼って怯えている子を、引き渡してもいいのか?
――否だ。
「俺の部屋の金庫から、あるだけ持ってきてください」
「……かしこまりました」
リーリャは迅速だった。
パタパタと小走りで家の奥へと消えたのち、すぐに一抱えもある大きな袋を持って戻ってきた。
少し、重いものを運ばせてしまったか。
袋を開くと、中には小分けされた袋が、ぎっしりと詰まっていた。
そのうちの一つを手に取り、キンチョに向かって放った。
「……これは?」
キンチョは訝しげに顔をしかめつつ、その袋を開く。
「!」
そして、顔色を変えた。
「魔石です。しかるべき所に持っていけば、それだけでアスラ金貨500枚ぐらいにはなるでしょう」
「え? あ?」
「それと、もう一つ」
俺は二つ目の小袋を放った。
キンチョは慌ててそれを受け取る。
「もしかして、デドルディアだけでなく、アドルディアの姫君も捕まえてるんじゃないですか?
あの二人は、いつも一緒にいましたからね」
「え? い、いや、奴隷は一匹だけですよ?」
「嘘をいうと為になりませんよ」
俺はそう言いつつ、三つ目の袋を投げ渡した。
キンチョはそれをキャッチしつつ、しかし表情には戸惑いの色が強くなる。
「言っておきますが、俺があなた方の店を消し炭にした後は、こうやって金を積んだりするつもりはありませんからね」
キンチョの顔がサッと青くなった。
「ほ、本当です。奴隷はデドルディアの娘一匹です。一匹だけなんです!」
……まあ、一応聞いてみたけど、そうか。
リニアは野に商人に、プルセナは故郷に長に、それぞれ道を違えたのだ。
同時に捕まったりはしないだろう。
今頃は、プルセナも故郷に帰り着いているだろうし。
「そうですか……じゃあそいつで、俺がリニアを買い取ります」
「ええっ!? これ、三袋!?」
「足りませんか……じゃあ、もう一つ? それとも
次の袋に手を伸ばす。
2000枚分、ポンといくぜ。
この一年で、俺も稼いだって所を見せてやるよ。
「い、いや、こ、これで、これで結構!」
「まぁ、そう言わずに。
俺も最近は家を開けている事が多いですからね。
俺が見ていない所で、家族に危害が……なんて事になったら嫌なんですよ。
わかるでしょう?」
「あ……ああ……」
ここでキッチリと釘を刺しておかなきゃいけない。
威圧外交だ。
「今後も、仲良くしてほしいんですよ。
例えば、さっき言ったアドルディアの娘が奴隷になったりとか。
俺の妹や娘が、もし万が一、奴隷になってしまった時。
ちょこっと融通してくれるぐらいには、ね」
「え、ええ、そりゃ、もちろん、融通させていただきます」
「なんなら、マジックアイテムもつけましょうか。かぶると額の宝石が光り、懐中電灯代わりになる兜なんてどうです」
キンチョの体がブルリと震え、怯えた表情で頭を下げてきた。
「わ、わかった! 売る! 十分だ。あんたを敵に回すつもりはないんだ、脅すのはもう勘弁してくれ」
「どうも」
勝った。
金の力の勝利だ。
とはいえ、こちらも奴隷商人を敵に回すつもりはない。
ついでに、ボレアス家も。
「ボレアスに対しては俺から一筆書いておきますよ。また後日、取りに来てください。領収証といっしょにね」
「ああ、た、助かり……ます」
キンチョはそう言うと、大男を連れて、足早に去っていった。
「ふぅ……」
ふふ……ついムキになって大金を使っちまった。
金貨1500枚分の魔石。
大金だ。
リーリャは何も言わないが、呆れているに違いない。
「旦那様」
「リーリャさん……」
「お見事です」
「ありがとございます」
リーリャは、少し笑って、頭を下げてくれた。
こんな俺を許してくれるらしい。
でも、アイシャにも怒られるかもしれないな。
……なんとか経費で落とせるようにオルステッドを説得してみようかしら。
ま、それはさておき。
見てくれたかいルーシー。
パパはね、いざって時はビシッと言ってやる事も出来る男なんだよ。
もし君がピンチになっても、こうやって助けてあげるからね。
安心だよ。
さぁ、パパの胸に飛び込んでおいで。
「……あっ!」
そう思いつつ後ろを向くと……なんということでしょう。
すでに階段の上にルーシーの姿はありませんでした。
しょぼん。
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ともあれ、こうしてリニアは救われ、うちで暮らす事となった。
奴隷として。