第百九十話「近況」
『拝啓、パウロ様
早いもので、アスラ王国の騒乱から約一年半が経過しました。
俺も20歳になり、妹達ももうすぐ14歳です。
俺はオルステッドに与えられる仕事をしながら、鍛錬を続けています。
オルステッドはなんでも知っていますが、教師としてはあまり優秀ではないようです。
人に教えるのが、得意ではないのでしょう。
それに加えて、魔力も使ってくれないため、実演が無い。
詠唱やコツのようなものは教えてくれますが、彼自身が天才肌なせいか、イマイチうまく理解できない事が多いです。
俺も生徒としては優秀ではないのでしょう。
1を聞いて10を知るような賢さは、俺には無いのです。
生前の知識が残っているため、それに応じた事の理解は早いけど、習得するものが聖級、王級とランクが上がっていくと、生前の知識を用いての理解すらおぼつきません。
例えば、火聖級の魔術『
いわゆる光を利用して熱を発生させる術、ベギ○マ……ような気がしますが、どうも違うようです。
一応、無詠唱魔術を駆使してそれっぽい魔術を使えるようにはなりましたが、オルステッドは首をかしげていました。
オルステッドは魔術だけでなく、知識も教えてくれました。
各流派や、魔術師との戦いに関する知識です。
剣神流はこうした動きが多いため、まずこれに気をつけて、その後はこうする。
火系を得意とする魔術師は、こういう連携や混合魔術を使ってくる事が多いため、この魔術でレジストする。
剣士と魔術師が同時にいた場合、こういう連携が多いため、こちらはこう対応する。
という、言ってみれば対人戦に関する知識ですね。
俺は攻撃力は高い上、術が豊富で予見眼も持っているので、
相手を撹乱しつつ追い詰めて選択肢を狭め、一撃必殺を叩き込むスタイルが向いている……と言われました。
今までとあまり変わりないですが、意識的にやるのとそうでないのとでは、大きく違うでしょう。
これを、オルステッドやエリス相手に模擬訓練を行い、
時にはシルフィ、ノルンやアイシャに教える事で、自分の中に根付かせる。
そんなサイクルを続けたせいか、
火と風の攻撃魔術を聖級。
治癒魔術・解毒魔術を聖級。
神撃魔術を中級まで習得するに至りました。
一年の成果としては、上出来でしょう。
自分が今まで、どれだけ怠けていたのかというのがよくわかります。
もっとも、魔法陣はまだ上手に描けないし、召喚魔術も手付かずで、まだまだ課題は多いです。
使えるものは多いので、これからも怠けず頑張っていこうと思います。
ともあれ俺も、少しは強くなったでしょう。
訓練の甲斐あってかオルステッドの仕事は、順調です。
といってもアスラ王国での一件以降は、あまり難しい仕事は多くありません。
どこそこの迷宮に赴いて、迷っている冒険者を助けるとか、
どこそこの森に赴いて、魔物に食い殺されそうになっている商人を助けるとか、
どこそこの商会に赴いて、奴隷となっている少年の身柄を買い取り、どこかに売り渡すとか。
まあ、雑用というか、人助けがメインの仕事ばかりで、俺も張り切っています。
基本的には、そうして助けた者が、将来的にオルステッドの役に立つらしいです。
例えば、先日助けたタル・チーという小人族の女盗賊。
彼女自身は何もしないけど、彼女の息子は将来的にアサシンギルドの首領となるそうです。
そして、ある人物をアサシネイトするわけですが、その殺される人物が、オルステッドにとって損となる人物、というわけですね。
無論、将来オルステッドの邪魔になるその人物を、直接オルステッドが殺しても構いません。
けれど、事前に手を打っておくことで、オルステッドはその時間に別の事が出来て、魔力も温存できます。
過去を変える事で、未来の手間を省くわけですね。
『決戦』にオルステッドをどれだけ万全の状態で臨ませるか。
それが鍵となるそうです。
オルステッドは長いループで『若くして死ぬ人物が生き残った場合、何を為すか』を知っています。
将来的に「自分のためになる事件を起こす人物」を作っていく事で、
全ての時代において効率よく動くことが出来る、ってわけです。
乱数調整とかフラグ立ての作業にも似ていますね。
やっている事は仲間作りの一種なんですが。
そんなわけで、オルステッドは基本的に手伝ってはくれません。
俺とは別の場所で、別の事をしているのです。
彼にしか出来ない、重要なフラグ立てを。
ヒトガミの妨害はさほどありません。
少なくとも、俺が単独で動いている時は皆無です。
オルステッドの方には妨害が来ている所を見ると、彼のやっている任務の方がヒトガミにとってクリティカルな出来事なのでしょう。
実際、何度かオルステッドと共に動いた時もありましたが、
その時には、ヒトガミの使徒が一人か二人、現れました。
不思議な事に、三人同時に出てくる事はなかったため、もしかすると裏で誰か、単独で動かしているのかもしれません。
今のところ、確かめるすべは無く、不安が募ります。
こんな事ばかりしていて大丈夫なのか。
もっと、ヒトガミに対して攻勢を掛けるべきではないのか。
そう聞いてみると、オルステッドが軽く首を振って言いました。
「日記によると、ヒトガミが変えようとした未来はまだ先だ」
それまでに備えておけ、と。
ヒトガミが変えようとした未来。
……俺の予想では、次に全面的な対決となるのは、クリフの事だと思います。
日記において、俺はクリフを死なせてしまいましたしね。
もしかすると、そこにヒトガミの関与があるのでしょう。
まだ断定は出来ませんがね。
オルステッドも、肝心な事は言ってくれない事が多いのです。
ともあれ、俺はそうやって一ヶ月仕事をして、事務所に戻って報告して、2~3日の間に家や友人関係に顔を出して、5日~10日という短い休日を訓練に費やし、また仕事に赴く。
そんな生活を繰り返しています。
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そうそう、仕事と言えば。
仕事に関して、いくつかかねてより考えていたものを実装してもらいました。
まずは、事務所です。
魔法都市シャリーア郊外の小屋。
魔導鎧を作った場所を事務所としていたわけですが、
これから拠点として利用していくには不便という事で、改築しました。
一階建ての平屋ですが、仮眠室や会議室、資料室を作り、ある程度の寝泊まりや作戦会議を行いやすくしました。
会議や行動の資料を残す……というのは少し不安が残りましたが、どこの誰が何をして、誰を生き残らせると、未来にどんな影響が出るか、というのがあまりにも膨大過ぎて、俺が覚えられないから仕方がありません。
離れには、武器庫も作っておきました。
魔導鎧や、そのほか俺が使えそうな魔道具・
魔導鎧は一応ながらも小型化に成功したのですが……それについての詳細は割愛しましょう。
武器庫には仕事に使えそうな道具が大量においてあります。
盗まれたら、一生遊んで暮らせるだけのモノですね。
ひとまず俺しか使わないということで、扉は土魔術で接着してありますが、盗まれるのは怖いです。
オルステッドにとってはいらないものかもしれないが、会社の備品の管理はしっかりしとかないといけません。
やはり、管理人的な存在は欲しい所ですね。
それだけじゃありません。
事務所のメインとなるのは地下室。
俺の土魔術によって作られた、迷宮とも言えるような巨大な地下室です。
地下は20の部屋に分かれており、それぞれの部屋には転移魔法陣があります。
それに飛び乗ると世界各国の主要な場所へと転移することが出来る……予定です。
転移魔法陣はまだ5つほどしか埋まっていません。
アスラ王国、ミリス神聖国、大森林、王竜王国、魔大陸南部。
これだけです。
魔法陣を作るには、現地の方にも転移魔法陣を設置しなければならないせいですね。
そして、オルステッドは人のいない所にはあまり行かない。
人の多い場所には、転移魔法陣は設置しにくい。
という事で、まだ数は少ないです。
もちろん、これから増やす予定です。
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さて、パウロ様。
俺の仕事の話など、つまらなくて聞きたくも無かったでしょう。
そこでお待ちかねです。
子供達の事、あなたの孫について、話しておきましょう。
まず、我が長女。
ルーシー・グレイラット。
彼女はすくすくと成長しています。
先日3歳の誕生日を迎えたルーシーは、あんよもお上手となり、家中をドタドタと走り回るようになりました。
言葉も結構覚えてきた上、エリスの影響か大声で話すので、家の中は賑やかです。
また、最近はシルフィが人間語と魔術を教えているらしいですね。
三歳からの英才教育って奴でしょうか。
シルフィは、教育ママになってしまうのでしょうか……。
三角形のメガネとかつけたら、俺との夜のレッスンが激しい事になってしまうでしょうね。
ま、シルフィの事はさておき、ルーシーなんですが。
やはり俺との接点が少なかったせいでしょう。
たまに、帰るときょとんとした顔をされる時があります。
誰こいつ、って顔です。
とても悲しいですね。
でも、シルフィが「パパだよ、挨拶しなさい」というと、「おかえりなさい、パパ」とは言ってくれます。
食べてしまいたいぐらい可愛いけど、直後に「パパってなんだっけ?」って顔をした後、シルフィの後ろに隠れてしまうのです。
とても悲しいです。
この調子では、きっと将来的に、父親として尊敬とかしてもらえないのでしょう。
自分が選んだ道とは言え、悲しくなりますね。
そんなルーシーを、一度だけオルステッドの所に連れて行った事があります。
ルーシーにオルステッドの呪いは効くのか、どうなのか。
ヒトガミの言っていた事は本当なのか。
そう思って連れて行ったのです。
結論からいうと、ルーシーに呪いは効きませんでした。
オルステッドと初めて会ったルーシーは、眼を輝かせました。
その銀色の髪に手を伸ばし、「パーパ! パーパ!」と叫んだのです。
あなたが私の父でしたか!
とでも言わんばかりの態度でした。
俺はその場でオルステッドを殺そうかと思いました。
嘘です、ごめんなさい。
そこまで強い殺意は抱いていません。
ただ、やっぱり、ちょっと面白くなかったですね、ええ。
普段、シルフィの白い髪を見慣れているルーシーにとって、
似たような髪色を持つオルステッドは、身内に見えたのかもしれません。
一応、オルステッドという名前を教えてあげると「オーステッ、オーステッ!」と名前を覚えてくれました。
ネイティブな発音です。
オルステッドは俺の苦り切った顔を横目で見つつ、ルーシーを肩車してくれました。
ルーシーはオルステッドの髪を引きちぎらんばかりに掴んでいました。
俺が「髪を引っ張っちゃダメだよ」というと、
オルステッドは「問題ない、俺の龍聖闘気はこの程度ではビクともせん」と面白い答えを返してくれました。
彼も、我が娘に懐かれて、満更ではないようです。
当然でしょう、こんなに可愛いのですから。
しかし、これでヒトガミの言っていた言葉も信憑性を増してきました。
俺の子孫とオルステッドが一緒になって、ヒトガミを倒す……。
その事についてオルステッドに言ってみると、
「ヒトガミの言葉は信用するな」
と、怖い顔で睨まれました。
もちろん信用しているわけではありません。
しかし、全てが嘘でもない気がします。
都合のいい考え方かもしれませんがね。
しかし、俺も最近、オルステッドの機嫌がわかるようになってきましたが、ルーシーと戯れているオルステッドの機嫌はめちゃくちゃ良かったですね。
やはり自分に懐いてくれる相手というのは可愛いのでしょう。
というのに加え、やっぱり似たようなループの中で、新要素と出会えたのは嬉しいのでしょう。
彼の今までのループ回数を考えれば、その気持ちは察して余りあります。
俺も配下として、オルステッドに面白い毎日を届けようと思います。
と、話が逸れましたね。
『子供達』という言葉通り、ロキシーも出産しました。
あれは大雪の日でした。
まだ事務所が完成していなかった頃。
首尾よく任務を終了して帰ってきた俺を、オルステッドが迎えてくれたのです。
社長直々のお出迎えというのは、さほど珍しくもありません。
当時の小屋は部屋が一室しかなかったし、
俺の任務もオルステッドへの報告がセットですからね。
オルステッドも、自分の仕事が終わって、次の仕事まで間がある時は、待っていてくれる事が多かったのです。
その日もいつも通り報告しようかと思った時、彼は言いました。
「そろそろではないか?」
開口一番。
さて、何がそろそろなのだろうか。
と、考えるまでもありません。
俺とて、仕事中にかなりソワソワしていましたからね。
まさかオルステッドの方から言われるとは思いませんでしたが……。
しかし、俺も人の子。
「報告は後でいい」
と言われれば、はいその通りにしますと事務所を後にし、ラッセル車の如く雪をかき分け、自宅へと帰りました。
帰ってみればロキシーは臨月。
出産直前でありました。
もう、あと二日も帰還が遅れれば、俺は出産に立ち会う事は出来なかったでしょう。
「ああ、ルディ……大丈夫でしょうか、本当にわたしに産めるんでしょうか」
俺が帰った時、ロキシーは可哀想なぐらいテンパっていました。
真っ青な顔で何度も何度も「大丈夫でしょうか、無理かもしれない」と言って、俺の手を離さなかったのです。
俺を産んだ時のゼニス母さまも、そんな感じだったのでしょうか。
その時の俺は「ロキシーは心配性だなぁ」ぐらいにしか思っていませんでした。
――でも、ロキシーの不安は的中してしまいました。
出産は難産だったのです。
胎児の肩が引っかかってしまったのだそうです。
いわゆる肩甲難産というやつでしょうね。
原因はわかりません。
ロキシーの体の小ささゆえでしょうか。
ミグルド族の年齢的には十分に適齢期ですが、ハーフの子供となれば体も大きく、サイズ比率を考えれば若年出産と言えなくもありません。
人族である俺の種が原因だった可能性は高いです。
ロキシーは母子共に危険な状態……。
には、なりませんでした。
もはや熟練と言ってもいい腕前のリーリャに、天才肌のアイシャ。
さらに俺が雪の中をラッセルして治療院からつれてきた医者と産婆さんが加わり、パーティ編成は完璧です。
アイシャはルーシーの時に助産婦を経験した事もあり、非常に落ち着いていました。
対処はスムーズに行われ、誰一人、何一つ、ミスすることはありませんでした。
そうして、ロキシーは子供を産んだのです。
無事に。
帝王切開する事もなく、母親か子供のどちらかが死ぬ事もなく。
無事に、子供を産んだのです。
生まれたのは女の子でした。
ルーシーと比べると、やや大きめでしょうか。
肥満というほどではありませんが、ややふてぶてしい顔をしているように見えました。
誰に似たんだか……。
「目元はロキシーそっくりで、口元はルディそっくりだね」
とは、シルフィの言です。
ふてぶてしい顔は俺とロキシーをミックスしたもののようです。
まあ、俺とロキシーの子供なんだから、そうじゃないと困りますがね。
「女の子ならララ……でしたね」
彼女はララと名付けられました。
ララ・グレイラットです。
生まれてから少しして判明した事ですが、彼女はロキシーと同じ髪色をしていました。
綺麗な青色の髪です。
ミグルド族の象徴とも言える色ですね。
それを見て、ロキシーとシルフィは複雑な顔をしていました。
俺は最初、二人がなんでそんな顔をするのかわかりませんでした。
ロキシーの髪の色は綺麗で、ララは女の子。
さぞや可愛い子に育つだろうと、信じて疑わなかったのです。
けど、シルフィが教えてくれました。
髪の色が違うだけで、イジメられることもあるのだ、と。
この魔法都市には人族以外の種族も多く住んでいます。
とはいえ、やはり一番多いのは人族。
そして、人族と見た目が大きく違えば、イジメられる事もあります。
母親ゆずりの髪の色が、ララにとって災難となるのか。
イジメられたりとかするのか。
今はまだわかりません。
ただ、俺としては、家族でしっかりとフォローしていきたいと考えています。
余談となりますが、ロキシーと時を同じくして、エリナリーゼも出産しました。
そりゃもう手慣れた感じで、ササッと産んでしまったのです。
クリフから「そろそろ生まれる」という話は聞いて、次に会った時には、エリナリーゼは元通りのスレンダーな体で子供を抱えていました。
彼女も出産に関してはベテランということでしょう。
もう2桁以上も経験しているでしょうしね。
さて、グリモル家の最初の子供は、男の子でした。
クライブと名付けられた子供。
クライブ・グリモル。
エリナリーゼは「跡継ぎを産めましたわ!」と非常に喜んでいました。
跡継ぎ。
俺は、別に跡継ぎが男である必要は無いと思っています。
ルーシーでもララでも。
俺の後を継いでオルステッドの手伝いをしたいというのなら、止めるつもりはありませんしね。
呪いも効かないようですし。
でも、エリナリーゼの言葉に触発された人物は一人いました。
エリスです。
彼女はそれまで、俺と一緒に仕事に従事していました。
オルステッドコーポレーションの派遣社員といった感じでしょうか。
俺の傍にいて、俺の前衛、俺の剣として、目の前に立ちふさがる敵をバッタバッタと倒していたのです。
しかし、エリナリーゼの言葉を受けて「次は私の番ね!」と言わんばかりに、仕事中でもお構いなしに俺から絞り取るようになったのです。
出来てもおかしくないというか、出来ない方がおかしいぐらい、俺は彼女に押し倒されました。
その度に俺は蹂躙される乙女の……いや、それは割愛しましょう。
ともあれ、運が悪かったのか、彼女はなかなか子宝に恵まれませんでした。
これには流石のエリスも不安を覚えたようです。
帰宅後、夜な夜なシルフィに相談している姿がよく見られました。
俺にその事で悩んでいる事を知られたくないそうで、詳しい内容は隠されていましたが「もっとするべきかしら……」なんて恐ろしい発言を聞いたことがあります。
これ以上されたら、ケツの毛まで抜かれて鼻血もでなくなってしまいます。
とはいえ。
妻の不安を取り除くのも、夫の役目でしょう。
そう思って、俺も頑張ってみました。
持てる知識を総動員し、オギ○式に始まり、食生活に気を配ったり、訓練を控えめにしたり……と、あれこれ努力してみたのです。
彼女の不安を取り除くため。
そう建前を置いたものの……興奮しなかったと言えば嘘になりますね。
一時期ゼニス母さんも不妊に悩んでいたと聞きます。
父さんも、その不安を取り除くために、こうして奮起したのでしょうか。
当時は毎晩のように頑張っていましたもんね。
そうして生まれたノルンも、今は元気に学校にかよっています。
……ノルンはさておき。
努力の甲斐あってか、エリスも無事に妊娠しました。
訓練を控えめにさせた、翌月の事です。
どうやら彼女の毎日の激しい訓練が原因だったようですね。
飛んだり跳ねたり殴ったり蹴ったり。
子供というのは強いもので、それでもできる時はできるのでしょうが、エリスの場合はその頻度も激しさも人一倍です。
出来たばかりの卵がしがみつけずに滑落してしまっていたのだとしても、おかしくはありません。
そんなわけで、エリスは派遣を切られました。
俺と一緒に仕事には出られないが、それでも満足そうでした。
ぽっこりと膨れたお腹を撫でつつ、むふふと笑うエリス。
小さい頃から彼女を知る身としては、なんとも感無量です。
あのエリスが立派になったものだと……。
亡きフィリップやサウロスも、草葉の陰で泣いている事でしょう。
ちなみに妊娠が発覚したのは、今から1ヶ月前ぐらいですかね。
今は妊娠4ヶ月。
つわりの影響もあってか、最近は大人しくしているようです。
次の仕事が終わって帰ってきたら、妊娠5ヶ月といった所でしょうか。
安定期に入ってまた激しい運動を始めないか、少し心配です。
当時を知る者としてギレーヌにも手紙を送っておきました。
ギレーヌは今、大変でしょう。
というのも、長いこと病床にあったアスラ国王が崩御したからです。
アリエルはもうすぐ王になります。
第一王子グラーヴェルが最後の抵抗をしているそうですが、微々たるもの。
アリエルに負ける要素は無いそうです。
でもあと2~3年は戦いが続きそう、ということで、ギレーヌが暇になることは無いでしょう。
子供が生まれた後、アスラ王国方面に行くことがあったら、訪ねてみるつもりではありますが。
ちなみにエリスですが、子供の名前は男の名前しか考えていないようです。
なので俺の方で、こっそり女の子の名前を考えておくことにしています。
男の子でも女の子でも、元気な子供を産んでくれれば、俺としてはそれでいいです。
妻と子供の方は、そんな感じです。
仕事に訓練に家庭に……。
子供にあまり構えないことを差し引いても、充実した日常を送っていると言えるでしょう。
最後に。
ゼニス母さんの記憶についてです。
未だ、戻る気配はありません。
感情なども、ある時期を境に、変化が止まりました。
言葉も、ほとんど話しません。
オルステッドにもあれこれと聞いてみましたが、治療法に心当たりはないそうです。
彼が知らないなら、やはり治療法は無いと見るべきか……。
まあ、オルステッドも、ループの中でゼニスが廃人になったのは初めてのようなので、もしかすると彼が知らないだけで、治療のための
諦めず、探していきたいと思います。
ともあれ、気長にやっていくしか無いとも思っています。
父さん。
かつて、ミリス神聖国で、あなたは俺を叱りました。
母親のことをほったらかしにして、女の心配か、と。
そんなつもりはありませんが、母のことが後回しになっている現状を、どうかお許しください。
これからも出来るだけの事は、やっていこうと思います。
敬具』
---
俺は日記帳をパタンと閉じた。
誰に出すわけでもない、手紙のような日記。
しかし、こうしたものを書くことで、自分の中に決意が芽生える日もある。
そうした決意は高いモチベーションとなり、俺の体を動かしてくれる。
「よし、行くか」
今日もやる気満々で、俺は立ち上がった。
向かう先は魔法陣。
仕事が始まる。