アヤカシ・オーヴァドラヰヴ(冒頭試し書き)
夢咲ラヰカ
ほんへ
排煙と青白い妖力子が煌めく夜空。
安全コーティングが施された薄壁一枚の向こうでは歯車がぐるぐる回り、冷却水がめぐり、高圧の蒸気管が唸りを上げる。
上空を飛行船が
人類に危害をもたらす危険な生物から身を守るため建造された外部防護壁の内側で発展した都市は、夜になっても眠らず光を放ち、煌々と、毒々しく照らされていた。
霧雨が降る中を小走りで駆ける人影。
息を切らせるそいつは赤みがかった橙色の狐耳とセミショートの毛髪、二本の尻尾を持つ妖狐の青年だった。
粘土ベラでスッと切り込みを入れたくらいの目つきであり、見るからに狐という様子である。
そんな彼は学生鞄を傘がわりにして、一軒の建物の雨除けに入った。
大学に通い兼業で私立探偵をしている
ゴンゴン、とノックして「先生、稲塚です。どうかされましたか」と声をかけた。
しかし反応はなく、燎原は嫌な予感がしてそっとドアに手を触れた。
キィ――と音を立ててドアが開く。研究室は汚くとも、部屋やロッカーの施錠を忘れない先生にはありえないことだ。
なにか、よからぬことが起きている証拠であると燎原は察した。
革の手袋をして証拠品になりえそうなものを押収していく。
燎原は生唾を飲み下して玄関口から一歩踏み込んだ。
先生は片付けが苦手だと公言していたし、大学の研究室も雑多としていたが、家もやはりというか――言葉を選ばず言えば汚かった。
汚れ物をそのままにしているし、空のインク壺がそこらに転がっている。酒瓶はオブジェのように立てられていて、その他細々としたゴミもとっ散らかっていた。
今度掃除でも手伝おうかと思って奥の寝室の
「先生!」
四尾の化け狸――大三郎は頭から血を流し、座卓に身を突っ伏して倒れていた。
「先生、先生っ!」
「……ぁあ、稲塚君。すまん、賊の侵入を許してしまったみたいだ」
「すぐに医者を呼びます!」
「待て、その前にこれを」
大三郎が懐から取り出したのは瓶だった。真っ黒に塗り込まれていて、何が入っているのかわからない。
「これは?」
「毒、とだけ言っておこう。これを解毒できる者に渡してくれないか。河内大三郎の研究成果といえば、通じる。だが、みだりに言ってはいかん」
「それって、僕に務まることでしょうか」
「わかっている。だが、それが一番安全だ。私が信頼できるのは未来の探偵、稲塚燎原ただ一匹だ」
ゼェ、ゼェ、と大三郎は肩で大きく息をしていた。
燎原は迷っている場合ではないと己を叱咤し、瓶を受け取って懐に突っ込む。
「わかりました。必ずや毒を解毒します」
「よろしい。これを」
大三郎が鍵を手渡してきた。
「私の蒸気車のキーだ。これで距離を稼ぎなさい。賊が、我らの密会に気づかんとも限らん」
「わかりました。途中で医者を――」
「はぁ、ふぅ――私に時間がないことは自分がよくわかっている。何、悔いのない生涯だった。構わん、行け」
燎原は最期に何か言おうとして、咄嗟に出てきたのが「ありがとうございました」という味も素っ気もないものだったが、大三郎は生徒の成長を見守れて満足したように頷いた。
すぐに部屋を出ると、怪しげな蒸気車が一台停まっている。燎原は身を低くして助手席側から大三郎の車に乗り込んで運転席へ。車の中は意外と綺麗だった。さすがに事故につながるので掃除しているのだろう。
運転席に座ってベルトをし、鍵を入れて捻る。
「おいっ、何をしてる! 降りてこい!」
黒尽くめたちがこちらに気づいた。彼らは黒を基調に赤の差し色という威圧的なデザインの服で頭からつま先まで覆っており、式符を手に威嚇していた。
燎原は本当ならコテンパンにしてやりたいところだったが、自分にそんな力がないとわかっているので、手に取った式符も逃亡用のものだった。
「悪いが従う気はない!」
開け放った窓から投げた式符は白煙を撒き散らした。
古典的な逃走用式符の煙幕である。
すでにここらのルートを誦じている燎原は、視界が塞がれても問題なく走れる。何か飛び出してくる気配があっても、自慢の耳で察知できるのだ。
バックギアに入れて車を後退させ駐車場を出る。ギアを入れ直して前進。
道路を走る。免許は一年前にとって以来ほとんど運転していないペーパードライバーだが、もともと記憶力がいいので運転方法は熟知している。
後ろから黒と赤の威圧塗装の車が一台、追いかけてきた。
バックミラーでチラリと見、何かがチカっと光った瞬間リアガラスが破砕音を立てて吹っ飛んだ。
「撃ってきた……くそ!」
姿勢を低くしてさらに加速。警察が見逃すはずがなく、
すかさずマイクで、
「そこの車ァ! 停まりなァあがッ!?」
威圧塗装車が射撃し、警邏車の運転手を射殺。執拗に撃っており、確実に息の根を止めようとしていることがわかる。
制御を失い妖力線を張り巡らす柱に激突した警邏車から黒煙があがり、あたりの人々が逃げ惑った。
燎原は本物の殺しをリアルタイムで見せつけられ、吐き気が止められなかった。
込み上げてきた胃の中身を左手で押さえ、必死に飲み込む。微かに漏れた吐瀉物を羽織りで拭い、冷や汗を乱暴に拭った。
こんな小瓶如きで――なぜ人を殺められる。
とにかく街を出ねば。このような非常事態ではいつ外部防護壁の門が閉じられるかわからない。最悪下層区に潜伏することも考えなくては――。
と、
「なっ、んっ――」
ガクンッ、と車が制御を失った。ガタガタと激しく車体が揺れ、燎原はパンク――おそらくタイヤを撃ち抜かれたことを悟った。
なんとかハンドルを切って制御しようと試みるが、目の前に化け狸の少年がおり、慌てて右によけた。
車は曲芸のように一回転。派手に横転し、とまった。
「ぐっ――おえっ」
視界が逆さまになっている。焦げ臭い。
このまま炎で焼かれれば毒も消えるだろうか――それは希望的観測だ。
万が一炎で死滅せず、蔓延する羽目になれば大勢が死ぬだろう。
燎原は懐をまさぐり、瓶を取り出した。
視線の先には側溝が見える。
「後は野となれ山となれ……か」
このままではあの人殺しに奪われるだけ。であれば、当座しのぎでも未来に可能性を賭ける。
燎原は瓶を側溝に向けて転がし、ぽちゃんと音を立てたのを聞き届けて目を閉ざした。
瓶はそのまま側溝を流れていき、さらに下り、下層区へと流れ着いていくことになる。
燎原はそれを知る由もなく、事故から十分後、彼を乗せた蒸気車は炎上し、死体は見つからないほどに焼け爛れたあとになって消化活動が終わったという。
アヤカシ・オーヴァドラヰヴ(冒頭試し書き) 夢咲ラヰカ @RaikaRRRR89
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