第5話 炎と刃と依頼主と
月嚙峠は切り立った岩壁で構成される急勾配な地形だった。
踏み外せば眼下の奈落へ真っ逆さま。真下はどうどうと音を立てる河川になっており、助かる見込みは万にひとつもない。いかな妖怪とはいえここから落ちて地面に叩きつけられ、川で揉まれればおしまいだ。
徒歩でやってきた朔夜たちは早速周辺の捜査を開始していたが、最初の三十分ほどは根気強く手掛かり探しに真剣になれても、だんだんと集中力が切れてきて、思うように成果がでないとなると見るからにやる気も低下していた。
「なーんもないな。ここまで綺麗に手がかりを消せるもんか」
「やっぱり山賊の脱走自体が作り話だったんじゃないですかね」
その可能性は充分にありうるが、今の手詰まりの状態でそれをあまり考えたくなかった。
少しでも可能性があればと思ってやってきたのだから、当然といえば当然である。
とはいえないものはない。やる気だけでなにか手がかりを得られるのなら、それこそ警察も探偵もこの世には必要ないのだ。
朔夜はぽりぽりと頬を掻いて、
「燎原さん、なんかネタないか?」
燎原は手帳を取り出して、ぺらぺらとページを捲る。
「市内の下層区にいる骨董屋が、昔ここらの山賊から品物を買い取ったという話を聞いた。でもこれは……」
「市内、だもんな」
「虎穴にいらずんば、ですか。市内に入る方策を考えると——」
ざりっ、と土を噛む音がした。気配でなんとなく気づいていたが、不意をついてくる気配もなかったので出てくるまで泳がせていたが……。
「昨日レース参加の場にいたわね。その狐目を渡しなさい」
「おいおいハニー、力づくで奪えばいいんだぜ。あの狐目以外は殺したって構わねえんだ」
そこにいたのは三尾で細身の化け猫女と、色付き眼鏡をしたガタイのいい鬼男。
見るからに妖術師だろう。化け猫の方は腰に刀を差し、鬼男の方は指貫グローブをしている。
どちらも肉弾戦等型の術師。妖力による強化術を中心に使ってくるタイプだろうと踏んだ。
朔夜は袂から式符を素早く抜き、左手で挟む。右手はしっかりと握られ、微かに妖力の粒子が散っていた。鬼灯も無言で柄に手をかけ、いつでも抜刀できる構えである。
「ハニー、やる気だぜ、あいつら」
「後腐れなくていいでしょ、その方が」化け猫が刀を抜いた。「私は
「
峯子と大吾が名乗り、構えを取った。彼らとしてもさっさと報酬をもらって帰りたい——この様子では成功報酬は釣り上げられたのだろう。かなりのやる気でいきりたっている。
貧富の拡大による金品への執着——それは誰しもが逃れられない宿命のようなもので、朔夜たちにだってそういったどろどろした感情はあるので、全否定はできない。
しかしここまでくると嫌に醜くて、見ていられないというのもまた本音としてあった。
「八雲朔夜。引く気はない。理由はどうあれ邪魔をするなら容赦せんぞ」
「鬼灯童子です。朔夜様の式神ゆえ、主人の意志には服従します」
コキッ、と峯子が首を鳴らした。手首をくるりと回して刀が朝日を反射、——即座に反応した鬼灯の鎬が火花を散らし、斬撃を防いだ。
「へえ、やるぅ」
「朔夜様、デカい方を任せます」
「わかった!」
そのデカい方はすでに臨戦体制で目の前に来ていた。拳を振りかぶり、一気に振り下ろす。朔夜は左に跳んで回避。岩場の地面がバラバラに砕け、石礫が舞った。
「いい反応だ、小僧」
「鬼っつうかゴリラみてえだ」
「ははっ、あんなのにゃあ負けんがなあ!」
左のフック。朔夜は剣印で指を揃え、結界を張った。バチィッと妖力子が散り、朔夜の右腕に強い反動が返ってくる。
「小僧、等級は」
「二等級」
「みたところ十五、六か? 凄まじい才能だ。殺すには惜しい」
燎原は慌てて岩場の陰に隠れた。あんな妖怪大戦争に巻き込まれたら挽肉にされてしまう。彼の得意分野は情報収集や撹乱だ。決して表立ってドンパチすることではない。
引いた拳に合わせ、朔夜は式符を振った。現れたのはヤマアラシを思わせる、剣山のような毛針。
「俺がこの程度で止まると思うなァ!」
大吾は拳に妖力を纏わせ、空中に漂う毛針盾をぶん殴った。
ゴンッ——と激しく打ち合わされ、毛針が粉々に砕かれる。
「!」
「甘い甘い! ババアの卵焼きみたいな甘さだ!」
「甘い卵焼き美味いだろ! 甘卵になんの恨みがあるんだお前!」
距離を置いて、朔夜は袂に手を突っ込んだ。式符を振って火の玉を空中に漂わせ、機雷のように使う。
「俺は祖母が嫌いでな。祖母が作る卵焼きがちょうどそういうもんだった。あと、単に俺は甘いもんが嫌いだ」
「そーかよ。複雑な家で育ったんだな」
物理的な盾は防がれる。では触れた瞬間焼いてしまえばいい。
大吾はトン、と軽くジャンプ。そして抉り込むような角度でアッパーを放ってきた。朔夜は強化術を駆使してそれを受け流し、勢いを上方へ逃す。
炎がゆらめいて大吾に向かって突っ込み、炎を振り撒いた——が、彼は拳圧だけで何事もなかったかのように炎を吹き飛ばす。
拳が微かに赤くなっている。完全に防げたわけではないようだ。
朔夜は漂う二つの火球を掌に呼び寄せ、圧縮した。大吾が目を眇め、口角を持ち上げる。
「ほう。ようやく攻撃に打って出るか」
朔夜は無言。ギュゥ——と炎を高圧縮し、突っ込んでくる大吾に向けそれを放った。
火球というよりは熱線というに相応しい朱色の光線が放たれ、大吾はそれを腕を交差して受け止める。
「ぬぅ——ぅううううっ!」
「今避ければ腕の一本で済むぞ!」
大吾にその言葉が届いたかは定かではない。彼は咄嗟に左腕を盾に右に飛び退き、熱線を回避した。しかし妖力で防いでいたとはいえ直撃を受け焼かれた左の前腕は、半ばまで炭化していた。
「ぐぅ……っ、さすがは二等級。てっきり式神におんぶに抱っこだと思ってたぜ」
「勝負はついたな。片腕で勝てないことはわかるだろ」
「いいや、続けるね。戦いは相手を殺すまで続くもんだ」
大した根性だ。朔夜は式符を抜き、火の玉を形成。合計五つのうち二つを飛ばす。
大吾の剛腕が、おそらくは利き腕であろう右腕がそれを吹き飛ばす。
朔夜は二つの火球を圧縮した。さっきの熱線攻撃の再演である。
大吾が姿勢を低くし、朔夜が熱線を打ち出すと同時に跳躍した。後方に逃れていった交戦が岩を焼き、赤熱化させる。
「ははっ、ガラ空きだぞ、小僧!」
「あんたも足下がお留守だ」
大吾が着地——と同時に、地面が爆発した。
「ぎゃぁぁああああああああああッ!」
全身が燃え上がり、のたうち回り、そして足を踏み外し断崖絶壁から飛び降りていった。
こだまする絶叫が川にのまれ、消えていく。
朔夜は深呼吸を一つして、舞い散る土煙を払い除けた。
二発を陽動に使い、二発を熱線——残る一発を足下に仕込ませ、地雷のように使ったのだ。
直接的な殴り合いで勝てる道理はなかった。であれば得意分野の術と作戦で勝つしかない。
一方の鬼灯は終始善戦していた。
峯子の斬撃を確実に防ぎ、豚の丸焼きを削ぎ落とすかのように小さな傷を重ねていく。衣服の切れっ端があちこちに散り、そこには血の球も混じる。
上段から振り下ろされた峯子の一撃を鬼灯は横にステップして躱し、抜き胴。脇腹を裂き、背後に回って右腕を肩口から切り落とした。
「ぐぅ——ぁああああああっ、があぁっ」
決め手、である。
血飛沫が上がり、峯子が絶叫する。
だが彼女は冷徹なまでに戦士だった。すぐに式符を取り出して掌に炎を纏わせると、失血死を防ぐため傷口に炎を押し当てて強引に傷を焼き塞いだのだ。
その間も猛獣のような呻き声が漏れ、峯子は鼻水と言わず涎と言わず、なんだかよくわからないものまで垂れ流して激痛に耐え、傷を塞いだ。
「はぁっ、はぁ……はぁ、はぁ……」
三白眼めいた目でこちらを睨み、次の瞬間にやりと笑った。
「私の勝ちね」
「なにを、」
そう言った次の瞬間、岩場から「ぐあっ」と燎原の悲鳴が聞こえた。
ハッとしてそちらを見ると、峯子たちを隠れ蓑に接近していた別働隊二名が燎原を確保し、峯子に「捕らえたぞ!」と声をあげている。
朔夜は瞬時に逃げる算段を立てようとした。一旦ここは引いて、次の一手を打つための——、
しかし周りには水森市の兵隊——おそらくは市長の傀儡であろう市兵隊が現れ、朔夜たちを取り囲んでいた。
「逃げられないわよ。腕の代償は支払わせてやる」
峯子はケタケタ笑い、
「この鬼ガキが。男共の慰み者にしてやろうかしら。剥いてやれ!」
峯子が命じると、男たちが下卑た笑い声をあげて手を伸ばし——、
カラン、コロン、と円筒缶がそこに転がった。
それがなんなのかを察した朔夜は鬼灯を庇って目と耳を塞ぎ、口を開ける。
きっかり二秒後、爆音と爆発的な閃光を撒き散らし、それは——閃光弾は役目を果たした。
ぐわんぐわん揺れる頭で包囲網を脱するためふらつきながら、鬼灯と走り出す。すると横から伸びてきた手に掴まれ、何かに乗せられた。
それが馬車の荷台だと気づき、朔夜はにわかに身構えるが、
「警戒しなくて、いい」
犬妖怪の男性にそう言われ、朔夜は警戒を解いた。
軽く頭を叩きながら「あんたたちは」と問う。若い犬妖怪の青年は、
「依頼主だ。アムリタ醸造を止めたい」
そう言った。
【未完】アヤカシ・マヤカシ・ドレッドノヲト 夢咲ラヰカ @RaikaRRRR89
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