第4話 神の乳酒
朔夜たちを乗せた飛空艇は水森市から北へ二十キロほど飛んだ山中の町に降り立った。小さな発着場にアプローチし、着陸する。
やはりさっきの騒動は市の独断だったのか燎原のことは知られていないが、念を入れ物資の補給は朔夜が一人で行うことになった。
発着場の格納庫に残った鬼灯童子と稲塚燎原は、それぞれ間隔をおいて座っている。燎原は外の方に出て煙草を吸い、鬼灯は煙を忌々しげに睨みつつ、彼の一挙手一投足を穴が開くほどに見つめていた。
「僕が怪しいかい」
「式神として朔夜様の判断に疑問を差し込む気はありません。しかし保護者としては別です。あなたは怪しい」
「そうですか……。……。……僕はもともと妖術師を目指してたんだよ。常盤家という家に仕え、術師のイロハを学んでいたんだ」
「常盤家……それって、五大名門じゃないですか!」
「そうだね。でも僕は才能がなくて。打ちのめされ現実を叩きつけられるうちに、とうとう努力さえ投げ出して落伍しちゃってね。でも昔から話術巧みで、結構騙す騙されるが得意だったんだ。つまり警察の才能はあったんだよ」
組織犯罪対策課。そう言った。それが燎原の所属していた部署らしい。
けれどそれも十年勤めたが、警察内部の腐敗に幻滅し、十二年前に退職。そして裡辺皇国の友好国で隣国である大国・エルトゥーラ王国に渡り、探偵という生き方を知った。
「僕は色々あって探偵という天職を見つけた。警察という肩書がないから、信頼を勝ち取るのが本当に困難極めるところだけどね」
苦笑する燎原の顔は、イタズラがバレて叱られている子供のように無邪気だった。
「懐に入ってくる愛嬌は、狐譲りですか。すみません、過度に疑ってしまって。謝ります」
「いいえ、僕の方こそ厄介ごとを持ち込んですみません」
煙草の吸いさしを揉み消して、携帯灰皿に落とす律儀さは警察っぽいなと思った。
そこに手押し車に物資を乗せた朔夜が戻ってきた。
「燎原さん、一応狐が食えないものは入ってないから安心して食っていい。あと煙草、この『
敬語は不要、と出る前に言われていたので、朔夜もすっかりタメ口である。が、ケジメとして敬称はつけていた。
「ありがとう。町はどうだった?」
「水森市は全面封鎖らしい。こっちじゃ凶悪犯三名が脱獄して封じ込めを行っているってことになってる。好都合だ。封じ込めの体裁を取った以上大々的に外で捜査をするわけにはいかない」
鬼灯が鶏の串焼きを手に取って、こう言った。
「ですが脱走した山賊の一件があります。その捜査の一環とすれば、こちらまで人員を割くことも考えられます」
「僕らは目撃されていないから、文字通り山狩りをするようなものだよ。至難さ」
鮭の握り飯を頬張り、燎原が「美味いねえ」と感激の声を漏らした。
朔夜はどぶろくを一口飲んで、唇を湿らせる。
「でも、このまま逃げる気はないんだろ」
「もちろん。悪徳市長を挙げる。じゃあ、僕の行動動機をお話ししようか。市長についても話す約束だし。さて、どこから言えばいいか——」
燎原は記憶の糸を手繰るように、顎に手を当てる。
「そうだね、あれは……」
×
黒電話が呼び出し音を激しく鳴らし、じめついた事務所を激しく引っ掻きまわす。
春の終わり、梅雨も半ば。裡辺の片田舎にある地方都市で売れない探偵をしている燎原は、安い集合住宅の一室を借りて日がな一日依頼を待って図書館に通う日々を送っていた。
直近では迷子の飼い猫捜索、不審火の調査などを行なっていた。迷子の猫は路地裏で寝ていたところを確保、不審火はイタズラ目的でふらついていた天火だったので、説教をぶって追い払った。
そんなこんなでなんとか糊口を凌いでいるが、このままではまたぞろ近いうちに家賃の催促に尻を追い回されるハメになる。
かといって、困っている者がいないというのは世界が平和である証だ。燎原としては警察、軍隊、消防が税金でタダ飯をくらう役立たずと足蹴にされるくらいでちょうどいいと本気で考える狐だった。
なので真夜中の電話に、燎原は嫌な気配を感じていた。
非常、緊急、異常。
往々にして深夜の電話は嫌なものである。
「はい、稲塚探偵事務所です」
「稲塚燎原だな」
「その通りです。失礼ですがお名前を、」
「わけあって名乗れない。水森市が危ない。燎原、あんたは腕利きと聞いた。警視庁にいた頃、幾つもの組織犯罪を防ぎ、多くの犯罪組織を崩壊させた。その腕を見込んでいる」
「わけあり、か。手短に。盗聴されているだろうから」
燎原は己の毛を数本抜いて、分身を生み出した。彼らに旅支度をさせる。
「……わかった。依頼を受けるよ。あなたも逃げた方が——」
「っ、まずい。この案件は予想以上に重大だ。頼むぞ」
そこで銃声を最後に、電話が途切れた。
分身を一体残し、時限式に消えるよう仕込むとその分身を布団に寝かせた。
燎原は荷物を持って窓から飛び降りる。術師としての才能はないが、妖狐としての身体能力はしっかり発揮できていた。運動は……得意でもないし、好きでもないが。
「水森市……——伝説の術法増幅器……」
×
「「アムリタ!?」」
声がデカくなったことを互いに防ぐため、朔夜と鬼灯は両者の口を己の手で塞いだ。
「そう。電話口の、術で誤魔化していたから性別がわからないけど、口調からして男と思しき人物はそれを伝説の術法増幅器アムリタと呼んでいたよ」
燎原は組んだ掌をもみあわせながら、口を開く。
「僕は好きが高じて知っているが……アムリタは乳海に様々な素材を投入して撹拌した飲み物だそうだ。でも、神話のそれとは違う現実のアムリタは——」
「人間の命を攪拌する」
朔夜が断言した。
「鬼灯と乗ってきたこの飛空艇には親父の本がいくつかあった。手記とか、そういうのもあるから多分に主観があるんだろう。その中で親父は繰り返しアムリタは禁じられた酒だと」
「ソーマとは逆、ですよね。燎原さん、その話はその……本当ですか?」
「僕も嘘でした、って笑いたいよ。でも本当なんだ。あの依頼主もイタズラとは思えない気迫だった。僕は現場で多くの通報を聞いていたからわかる。イタズラじゃあないんだ、あれは」
山賊の脱走、出会った探偵、濡れ衣——そしてアムリタ。
大きく膨らんできた事態に、朔夜は眉間を強く摘む。
「そのアムリタの一件、報酬は俺たちも貰う。あんたの護衛料として」
「八雲君、本気かい? これに関われば命だって危ないんだよ」
「知ってる。鬼灯も、そのつもりだろ」
「ええ。市民の命がかかっています。その中には分成君だっているんです。燎原さん、取り分は六:四でどうです。六は私たち」
「いいよ、乗った。でも、僕も報酬については詳しく聞いてなくてね」
朔夜は思わずおいおいと内心突っ込んだ。見かけによらずお人好しだ。
「じゃああんたのところの経費で落とせばいいだろ。明日、明け切る前に行動開始。まずは山賊が脱走したあたりを洗おう。何かあるんじゃないか?」
「それなら僕が事前に聞き込んだ情報がある。この
地図を出して印をつけた燎原から、その紙切れを受け取った。朔夜は頷いて、
「行動方針が固まったな。そうだ、一つ言っておくことがある」
「なんだい?」
「私たちは慈善家じゃありません。敵対する相手には容赦なく迎撃します。何かあっても、止めないでください」
「……ああ。僕も、汚れ仕事の経験がある。大丈夫だ、割り切る」
脱走犯捜査に集められた面々が敵として立ち塞がる可能性は大いにある。
朔夜たちは明日に備え、飛空艇の中に戻って仮眠を取るのだった。
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