第3話 狐の探偵

 近場の宿泊街に入り、安い民宿を取った。

 宿泊費用は一人五〇〇〇蕗貨。ちなみに食事はついていない。ただ、裏の風呂場は自由に使えるし、遊戯施設もご自由に——とのことだった。

 夕刻も過ぎて風呂を済ませた朔夜たちは浴衣に着替え、荷物を妖術鍵で封じた後、外に繰り出した。


「相変わらず刀は持ってんだな」

「ええ。朔夜様の次に大事な命と同じくらい大事ですからね。この一振りは鬼灯一族の結晶でもありますから」


 桜の花弁をあしらった浴衣は自前のもので、鬼灯はこれを好んでいた。名前的に植物の鬼灯を好みそうなものだが、そう言うわけではないらしく、彼女の好きな花は桜を公言している。

 蒸気で温めた河川を用いた人工温泉街を歩いていると、客引きから酔漢から観光客から、多くの人種が見られた。

 老若男女種族もさまざまな、人間と妖怪とが行き来し、気づけば朔夜は味見と言って渡された黒糖饅頭が二つも握らされている始末である。


 街頭で商売トークを熱く語っているのは提灯お化け。土産を宣伝するのは可愛らしい傘をした傘おばけの少女。

 イタズラ好きの鎌鼬三姉妹が舞いを披露し、豪放磊落そうな大柄な鬼男性が力車を牽いている。


 しばらく歩き回って適当な定食屋に入ると、そこにあの狐目がいた。

 彼は壁際の板前席できつねうどんを美味そうに啜っている。やはり初日は他のプレイヤーに泳がすつもりらしい。

 じっと見ていたら視線に気付いたのか、狐目がこちらを振り返った。


「おや、あなたは確か……」

「どうも。市庁舎の前で会いましたね。俺たちが一方的にそう思っているだけかもしれませんが」

「いえ、僕もそのつもりだったんで。お若いのに大した結界術だったね。びっくりした」


 あの場面から見ていたのかと、朔夜はかすかに鼻を鳴らした。わざとらしいようで、本心から誉めているようでいて、どこか嫉妬が見られる声音だ。あまり額面通りには受け取れない。

 狐目は「よければ隣とかどうかな」と言って、手で隣の空いている席を示した。断るのも申し訳ないし、競う相手であってボコボコに打ちのめし合う敵ではない。朔夜は頷いて隣に、そのさらに隣に鬼灯が座った。


「カウンター席も馴染んできてるねえ。もっぱらこの国では板前席と言うようだけども」

「あなたは裡辺の方じゃないんですか?」

「十年ほど恵国……エルトゥーラ王国に渡っていまして。向こうではまだ封建主義が強く、市井に蒸気機関は一切出回っていないみたいで。まー裡辺がこうなってるんじゃあ、この技術の拡散も時間の問題じゃないかなあ」

「そうですか」


 なんとなく居心地が悪い。狐目は微笑んで、


「ごめんね。糾弾する気はないんだよ、八雲君。君はまだ赤子だっただろうし、相手は噂では龍使い。並の貴族では勝てないから仕方ない」

「知ってるんですね、俺のこと」

「確信は八割というところだったけど。でも個人的に、盗賊王が気になるついでに調べていてその関係でね。お会いできて光栄だよ。僕は稲塚燎原いねづかりょうげんと。見ての通り狐だよ」

「改めて、八雲朔夜です」

「鬼灯童子です」


 胡散臭い。胡散臭いが、いい胡散臭さだ。言うなれば金で動くタイプの情報屋を前にしたあの感じである。


「ご注文は?」


 接客方の女性に声をかけられ、朔夜は壁の品書きに目を通してから、


「天そばを一人前。あとどぶろく」

「天丼を大盛りで。酒、人肌で」


 注文を終えると、燎原が油揚げを嚥下してうまそうに目を細め、


「僕は売れない探偵でね。恵国ではブームなくらい流行っている職業だけど、知っているかな?」

「民間の警察みたいなものだと」


 鬼灯がそう言った。燎原は頷き、


「そうですそうです。探ね偵う人……まあ、概ねそんなものかな。僕にとっては事件の裏を明かし、真の黒幕を検挙して犯罪を根絶することが全て。警視庁にいた頃は内部まで腐敗していて、いやはや腐臭が身につくところだったよ」


 鬼灯が目を丸くする。


「警察だったんですか?」

「ええ。十二年前に、十年ほど勤めて退職を。見た目が見た目なんで、詐欺グループの潜入捜査で結構活躍しててね」


 胡散臭い自覚はあるらしい。

 信頼度は——ビジネスの関係であれば充分。お互いにそれをわかっている。報酬の配分交渉の後で、互いの情報交換と立ち回りの——。


「っ、朔夜様!」


 鬼灯が怒鳴り、朔夜を押し倒した。燎原も物音に気付き、素早く伏せる。

 頭上を銃声と共に銃弾が擦過。料理を手にしていた女性の胸を弾丸が貫き、後ろへ吹き飛ばす。

 店内に水を打ったような静寂——そして、煮方の悲鳴を呼び水に狂乱がぶちまけられた。


「なんっ——」

「市長かな。やっぱりクロか。詳しくは安全が確保されてからお話ししようか。護衛をお願いしていいかい?」

「……くそっ。わかった。鬼灯、行くぞ」

「わかりました」


 朔夜は燎原を後ろに回し、前を睨んだ。回転式拳銃を手にこちらを睨む人間の男の顔には見覚えがある。


「ええ、残念です。勘のいい元刑事さんがいらしているとは」

「やっぱりか。大根役者が鼻についてたぜ、あんた」


 発砲。朔夜の結界が弾丸を防ぎ、ぽとりとそれを落とす。

 懐に潜り込んで顎に掌底を打ち込み、喉に抜き手。鳩尾に拳を二回叩きつけて、ボディとレバーにそれぞれ一発。とどめとばかりに思い切りよく股間を蹴り上げて、ノックアウトさせた。


「朔夜様、やりすぎでは?」

「人殺しにはちょうどいい」

「子種まで潰れてますよ」

「あんなクソ野郎のガキなんぞ残す価値はない」


 燎原が「南無南無」と言いながらたどたどしく走り、鬼灯に「急いでください!」と捲し立てられている。

 朔夜は狂瀾怒濤の温泉街を飛び出した。旅館に預けてある荷物はいずれも変えが効く仕事道具である。手放して惜しいものはないし、失くして困るものは全て式符に封入してあるので問題ない。

 朔夜は衣類を封じた式符を取り出して己に押し付け、仕事着に——狩衣を簡略化したような装束に着替える。


「鬼灯、お前も着替えろ」

「はい。どーせなら口調の割にウブな誰かさんの目の前で一枚一枚脱いでいきたいんですけどねえ」

「黙ってやれ」


 べーっと舌を出して式符を押し付け、丈の短い和装に着替える。

 燎原は狐目で周囲を伺いながら、追っ手の存在を探っていた。


「あの一人だけだとしたら、僕も随分と甘く見られたなあ」

「そんなわけねえだろ。見てみろ」


 朔夜が街頭の大型の機械を指差した。妖巧式の機械であり、電視器テレビというカメラで捉えた映像を出力するものだ。

 そこには大きく燎原の顔が映し出されており、その下には——


「『料亭殺人容疑者、逃走中。稲塚燎原二七七歳』……なるほどねえ。こう来るかあ」

「感心してる場合じゃないですよ! 一緒につるんでた私たちも同罪なんですから!」

「急ぐぞ。飛空艇まで押さえられたら困る」


 朔夜は近くにあった旗を引き抜いて布をちぎり取り、それを乱雑に燎原に巻きつけた。

 それから断腸の思いで小銭をあちこちにばら撒いて混乱を招き、追っ手の速度を落として発着場に急ぐ。


 飛行船・飛空艇発着場につくなり、鬼灯が矢継ぎ早に格納庫番号と発進番号を口頭で告げ、妖力の補給しか済んでいませんという報告に「親が病院で死にかけてるんですよ! 早く旦那の顔を見せたいんです!」と文字通り鬼の形相で(しかも大嘘を)訴えていた。

 朔夜は色んな意味で平静を装い、あたりの客に紛れるよう努める。


 すると出入り口から紺色の制服に着込んだ犬妖怪の警官がやってきた。

 利用客一人一人に人相書きを見せる。まるであらかじめ燎原を炙り出すためにこの騒動を仕組んでいたかのような手際だ。

 山賊の脱走というのも、よもやこのための自作自演だったのではないだろうか。


「はい、発進確認が取れました。二号五番格納庫へどうぞ」

「行きますよ!」


 朔夜は人いきれに紛れ、燎原を引っ張った。しかしそこで客の一人の荷物に燎原の顔布が引っかかり、はらりと取れてしまう。


「あっ、先輩、あいつですよね!」

「いたぞっ! 容疑者発見! 応援を寄越せ!」

「ええいクソ、走れ燎原さん!」

「わばばばっ、僕運動は苦手なんだよなあ……!」


 あわててまごつく燎原に痺れを切らした朔夜は「ああもうっ!」と怒鳴って横抱きに抱えて走る。背後から「止まれっ! 止まらんと撃つぞ!」と怒鳴られるが、構わず走った。

 格納庫に飛び込むと銃声がして、火花と共に銃弾が散る。


「マジか、本当に撃ってきやがった!」

「そりゃあ警察ですから、警告したら撃つに決まってる」

「警察なら少しは足腰鍛えとけよ! なにやってんだ!」


 敬語も忘れて朔夜は反駁はんばくした。

 青く塗装された飛空艇に乗り込むと、すでに鬼灯が計器のチェックを進めている。


「まさか冤罪で大きく飛行隊を出せるはずもないだろう。適当に飛んで、まいて、補給できそうなところで降りよう」

「ええ。それに今回の一件、きな臭さが尋常じゃないです。ちょっとおかしいですよ。座って安全帯ベルトをしてください」


 朔夜は副操縦席に座り、燎原は後部の居住区画に座ってもらう。

 一応防護結界を張っておくかとボタンを押し込み、術を発動した。機体表面に結界膜が展開される。


「降りろーッ! お前たちが連れているのは殺人犯だぞぉッ!」

「うるさいまだ容疑だろうが。冤罪だったら誰が責任取るんだ!」


 朔夜がマイクをオンにして怒鳴った。警官が黙り込んで、何か喚いた後発砲。

 しかし元が貴族御用達の軍用機だった機体である。拳銃弾程度ではびくともしない。まして今は結界を使っているのだ。

 そのまま徐々に浮遊し、動き出した飛空艇から警官たちが離れた。


「凄いねえ。お若いのに飛空艇まで持っているとは」

「八雲家の遺産だよ。維持費諸々はパトロンが出してるけど」

「ますます驚きだよ。パトロンがついている妖術師だなんて。非常に興味深い」

「その胡散臭い喋り方どうにかしてくれ」


 カメラ映像をチェックするが、特に飛空艇が出てくる様子はない。

 朔夜はほっと安心した。


「鬼灯、念の為レーダーを欺瞞ぎまんしよう。隠密術起動許可を求める」

「隠密術使用を許可」

「術式起動、隠密状態よし」


 朔夜はコンソールを操作して機体に搭載されたレーダー欺瞞装備の対レーダー隠密術を起動し、あたりをカメラを使って見まわした。

 こちらに追い縋る様子は見られない。

 あとは適当な場所で降りて、事件の真相を探るだけだ。全てのタネを明かせば、燎原の冤罪も晴れる。


「僕も晴れてお尋ね者、か。犯罪者っていうのはどうしてこんな惨めな気分を味わってまで、他者にひどいことをするのかねえ」


 胡散臭い。胡散臭いが、その言葉には切実な思いのようなものがありありと滲んでいた。

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