第2話 レース・プレイヤー

 昼時はすっかり過ぎていた。

 狸の少年——分成わけなりを缶詰屋に紹介し、ラーメン屋台の列待ちをしていたためだ。

 ようやく食事にありついたのは、午後二時半である。朔夜は立ち食いのそこで、大きな鞄を椅子の代わりにして座り込みラーメンを啜っていた。

 分成も夢中で掻き込んでいたが、少ししてこんなことを聞いてきた。


「お兄さんたちって、アレだろ……妖術師ってやつだろ。お屋敷とかに仕えてなくていいのか?」

「屋敷に仕える術師だけが妖術師じゃないんだ。俺たちみたいに根無草の術師も結構いる」

「そうですよ。お金さえもらえれば協力する、まあ言ってしまえば妖術を使える何でも屋です。ああ、でも免許はしっかりいただいてるんですよ、退魔院から」


 退魔院とは裡辺皇国の国家機関の一つで、妖術師を監督、管理するものだ。この機関が交付する免許がなければ公式に妖術師は名乗れない。

 完全な民間妖術師なんぞ、今時辺鄙な山奥の集落などにしかいないだろう。下手に無免許で妖術師稼業をしていれば罰金刑、最悪懲役刑だ。


「そっか、そういう術師もいるんだな。そうだ、面白い話聞きたいって言っただろ。一個、あるんだぜ」

「うん? 聞かせてくれよ」

「十六年前にある妖術師一族が襲撃されたんだけど——」


 鬼灯が目を見開き、ひゅっと息を吸い込んで歯を食いしばった。朔夜が素早く睨みを利かせて鎮める。

 子供の言うことだ、という朔夜の無言の言葉を、彼女はなんとか噛み砕いて頷き、何事もなかったかのようにラーメンを啜り出した。周りにいた妖怪たちは急に鋭くなった妖気にぎょっとしていた。

 分成と鬼灯の間に朔夜がいなければ、彼もきっと萎縮していただろう。


「その家にあった蒸気の秘宝を盗み出した盗賊王のおかげで、今の文明があるんだってさ」

「盗賊王、ね。そいつについてなんか知ってるか?」

「知らない。でもべらぼうに強くて、龍を従えてるんだってさ。眉唾だろうけどな」


 龍——鬼灯から聞いた通りだ。朔夜の屋敷を襲った賊も、——盗賊も、龍をけしかけてきたと言う。

 それは飛空艇のカメラにはっきりと映っていた。当時最新鋭の技術であったカメラも、今ではテレビという機巧に利用されている。もっとも、カメラとテレビはどちらも超高額。一般市民がおいそれと手を出せる品ではない。

 朔夜はラーメンを平らげた。脂っこいこってりしたラーメンで、味も悪くない。がつんとくる食べ応えは、一時間待った甲斐がある。


「でも、盗賊王が文明を発展させたように、そのせいで貧富の格差が広がったわけだろ? 俺、昔のままの方が良かったんじゃねえかって時々思うんだ」


 分成の言わんとすることはわかる。

 その責任の一部が己にあるとわかっていたからこそ、朔夜たちは彼を助けたのだ。


「大将、ラジオの音量あげてくれよ!」

「あん? これで目盛いっぱいだよ、お前らがジョーヒンにしてりゃあいいんだ」

「ガハハ、ミミズに箸の使い方を覚えさせる方が簡単だぜ!」


 朔夜は何の気なしにラジオに耳を傾けた。


「——く、速報です。昨夜未明、移送中の山賊の集団が脱走したとの情報が入りました」


 ぴく、と眉が跳ねた。

 朔夜は手帳を取り出して、万年筆を走らせる。

 場所、時間帯、事件概要を手早く記入。その様子を眺めていた鬼灯は素早くラーメンの残りを食べて、朔夜の懐に手を突っ込んで(周りは昼日中から乳繰り合うのか!? と慌てていたが無視した)代金を支払う。


「じゃあな分成。二度と悪さすんなよ」

「え、ああ! ありがとな! 名前、いつか教えろよ!」


 朔夜は手をひらひら振って、屋台を離れていった。


 雑踏を超えて市庁舎までやってくると、朔夜はおもむろにさっき取ったメモを取り出す。


「昨日の深夜、おそらく日付は跨いでるだろうが、山賊団がここらの峠で脱走した。移送していた蒸気自動車は強奪され、乗っていたムショの職員は行方不明。人質かなんかだろうな」

「ポイントは、山賊」

「そう。手がかりがない以上、量をこなすしかない。賊共を片っ端から締め上げて吐かせる。親父と、一門の仇を打つにはそれしかない」


 市庁舎の前には、すでに何名か集まりがあった。どう考えてもか弱い小市民とは思えぬ屈強な男や、女、術師らしい風体の妖怪などだ。

 彼らは脱走犯を捕らえて賞金を得るために集った腕自慢や民間の妖術師だろう。

 朔夜は軽く首を回しつつ、役所の職員を探す。


「なんだよ僕ちゃん。ここは託児所じゃねえんだぜ。さっさと回れ右して帰れよ」


 見るからにおあつらえ向き——そんな人相の悪い男が絡んできた。朔夜は無言で、やや呆れを滲ませつつ呼吸する。

 どう見ても術師ではない。それどころか、妖力のコントロールさえろくにできていない。確かにただの山賊を一人二人殴り倒すことはできるだろうが——。


「シカトくれてんじゃねえよ!」


 あくびが出るほど遅いテレフォンパンチが飛んできて、朔夜はそれでも直撃をもらってはまずいと妙に冷静に考え、手早く結界を張った。

 人差し指と中指を揃える剣印で結界を維持し、相手の拳の力を押し返すのではなく、逃すように妖力を流す。


「俺は短気だ。次やったら前歯を全部叩き折る。本気だ。非術師だろうが容赦しない。引っ込んでろ、粗チン野郎が」


 僅かばかりも進まない拳を引っ込め、男は舌打ちして踵を返した。悔しそうに顔が歪んでいたが、術師には敵わないというくらいの頭は回るらしい。

 大方むしゃくしゃしていたから難癖をつけて適当に殴りたかったとか、そんなところだろう。金目当てのゆすりなら、こんな警察のお膝元といわんばかりの環境ではやらない。

 腕自慢を集う場であれば荒事の一つ二つはあるが——相手が悪かった。


「言い過ぎじゃないですかね」

「突っかかってくる方が悪いんだろ」


 妖術師一人に勝つためには、その術師の力量の約十倍の人数がいるとされる。

 たとえば朔夜の術師としての力量が一般人十人分だとしたら、その十倍なので百人いる計算になるのだ。

 それだけ妖術師とは馬鹿げた力を持つ存在であり、だからこそ十六年前に盗賊王が革命を打ち立てるまでの間、術師貴族たちが蒸気機関を牛耳ることができていたのである。

 故に——その技術を漏らした八雲家は、貴族界隈でも汚点とされているのだが。


「あの程度の暴漢なんて、餌にしかならないでしょうに」

「餌になるから、ああいうのが集まるような文句で宣伝したんだ。ある程度の遊びがないと犯人は警戒する。相手の隙を作るために、まずはこっちが緩みをみせるんだ」


 と、市庁舎から妖力と機巧を合わせた妖巧あやくりメガホンを手にした人間男性が現れた。

 仕立てのいいスーツを着込んでおり、やり手の職員のようにも見える。歳は四十半ばくらいの人物だ。


「お集まりの皆様はこちらへ。水森市民の安全安心のためのご協力、感謝いたします」


 互いに本心ではそう思っていないことが明け透けだ。職員としてはさっさと頭の痛い案件を片付けたいんだろうし、参加者は報酬が欲しいだけだ。

 利害とは得てしてそう言うもので、情でほだされてどうこうするものではない。時にはドライな関係の方が円滑に進こともあるのだ。


「市長は大変遊戯を好まれる方でして、今回の一件もレース、などと仰る始末でして。ええ。ですから皆様も、このレースに参加いただくプレイヤーなわけであります」


 集まった面々——プレイヤーにそのように語って聞かせる職員の顔には、ありありと苦労の色が浮かんでいた。

 若手からはウケる市長なのだろうが、昔から勤めている古株には嫌われるタイプだとすぐにわかった。まあ、老犬に芸を仕込むだけ時間の無駄だし、新人に好かれる上司の方があとあと安定するのかもしれないが……。


「脱走犯の全員を捕まえる必要はございません。ええ。一名、主犯格を捕らえていただければ構いません。なるべく生捕りでお願いします」

「殺したらだめなのかい」


 若い狐目の男がそう尋ねた。二尾の妖狐だ。赤みがかった橙色の毛並みで、身に纏うのは緋色の着流し。腰には脇差が一振り。

 彼が言う通り、手っ取り早いのは殺してしまうことだが——。


「ええ。可能なら生かしておいていただきたいのです。主犯格——虎徹こてつから情報を吐かせれば、他の山賊も芋蔓式に捕らえられると市長、そして警部殿はお考えでして」

「なるほどねえ。僕はてっきり、秘密の取引で犯人を殺さない決まりでもあるのかと思ったよ」


 狐目が鋭くそう言うと、職員は本当に何も知らないのか、本気で憤慨した。


「失敬な! 我々が不正を働くと!? 血税を頂く身としてそのようなまねは致しませんとも! 燦仏天陽之慧ひのえ様にかけて誓いますとも!」

「ごめんごめん、ごめんって。本気で言ったんじゃあないんだ。ただ、僕はどうしても疑り深いから」


 へらへら笑う狐目に、職員ははっきりと嫌悪を抱いていた。けれど朔夜もその懸念を抱いていた。

 なぜ生捕りにこだわるのか——。司法取引であるならば隠し立てする必要がない。もっと別の何かがあるんじゃないか? と。


「失礼。ええ、本当に。ではこのレースの参加を希望されます方は名簿に筆記事項をご記入してください。記入後、午後四時より各自レース開始となります。もちろんフライングも可能です。市長はその辺、ルーズな方なので。ええ」


 鬼灯が頬を掻きながら、


「ええばっかうるさいですね、ええ」

「やめろお前」


 口癖は、人それぞれだ。


 さっさと報酬が欲しいプレイヤーはひったくり合うように名簿に記入するが、あとは随分落ち着いていた。最初のかませ役に泳がせる以上、ここで先走っても意味がないとわかっているからだ。

 朔夜は遅れて名簿にペンを走らせている狐目をチラリと見て、内心奥歯を噛んだ。


 こいつがダークホースだろう。

 二尾とはいえ、油断ならない相手だ。


 朔夜は回ってきた名簿を受け取り、己の名前と連絡先、所属先を記すのだった。

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