【未完】アヤカシ・マヤカシ・ドレッドノヲト

夢咲ラヰカ

【壱】血の轍

第1章 神の乳酒

第1話 十六年前の落日を

 遠くから警鐘を鳴らす音が聞こえた。

 天守に据えられた銃眼に取りついた衛兵たちが不届者に銃弾を浴びせる中、幼子を抱き抱えた当主が急な階段を上がっていく。


「旦那様、敵の狙いが見えませぬ。如何にして対処しましょうか」


 口早に家令が問う。偉丈夫は「まずは息子を逃す。兎にも角にも防備を固めよ。蒸気エンジンに火を入れ、自動術式を起動」と命じた。

 家令は式神を通じて班を束ねる兵に伝令し、当主は最後の階段を登り切った。

 さすがというべきか、誰も息が上がっていない。


 城の蒸気機関が次々目覚め、防衛機能が励起していく。

 当主は抱えた幼子を、まだ生まれて半年ほどの息子を愛おしそうに撫でた。


「今ここで八雲の血を絶やすわけにはいかん。息子を頼むぞ」


 偉丈夫から幼子を渡されたのは、若い少女だった。彼女の頭部には鬼の角が二本あり、三日月のように伸びた赤みがかっている白いそれが、天をついていた。

 白銀の髪が背中の辺りまで伸び、腰には刀が一振り。動きやすさを重視した丈の短い和装という格好。

 白と赤のハナカマキリのような色合いであった。


「はい、朔吉さくよし様」

「皆の者、輩どもを生かして返すな! 多く首を挙げたものには褒美を取らすぞ!」


 地をどよもすような怒号が上がった。

 少女は幼子を——八雲家十三代当主、八雲朔吉の一人息子である八雲朔夜さくやを抱きしめ、脱出艇に乗り込んだ。

 素早く蒸気エンジンを起動してプロペラを蒸すと、遠くから驚くべきものが飛来してくるのが見えた。


「あれは、まさか——龍……!?」


 それは紛れもなく龍であった。

 幻想生物——幻獣の頂点に立つ存在で、それを従える者は天下を取るとさえ言わしめる恐るべき生物である。

 龍が高度を落とし、城内に飛び込んだ。爆裂したかのように火の手が上がり、鬼の少女はそこに焼かれ火だるまになった女中が映ったのを見て、カメラ映像を思わず切る。


 ぶんぶん首を振った。


「気を確かに持て、鬼灯童子ほおずきどうじ。私がしくじれば八雲一族への大恩を返すどころか、顔に泥を塗る始末。そうなれば同胞の名折れと心えよ……!」


 ブルルルンッ、とエンジンに火が入った。飛空艇が上昇し、二基のプロペラが高速回転。浮力を生み出す術式を組み込んだ長方形のコンパクトな気嚢が機体を調整、メーターに素早く目を通し、


「さらば、朔吉様。朔夜様は必ずや私が立派な男子にしてみせます」


 飛空艇が天守を去った。

 それを見届けた当主・朔吉は微笑みを浮かべ、賊を睨んだ。

 彼らの目的、出所は不明。しかし術師として一つの財産を成した身を狙う者なんぞ枚挙にいとまがない。

 するりと太刀を抜き放ち、裂帛の気合いをあげて切りかかった。


 八雲の城が落城したのは、その二十分後であった。


×


「えぇ〜? 四六〇〇蕗貨ろっかですかぁ? もうちょっと安くなりません?」


 ある露天商で、腰をくねらせて無理してしなを作る少女がいた。

 白銀の髪に、ハナカマキリのような丈の短い和装、そして二本の天を衝く角——腰には刀。間違いない、鬼灯童子だ。

 十六年前と変わらぬ背格好なのは、彼女が純血の妖怪であればこその特徴だろう。

 鬼灯の鬼といえば、かつて人里に恐れられた一族——その末裔が、一体何をしているのだろうか。


「お嬢ちゃん、ここにある呪具はおもちゃじゃないんだ。使い方一つで人一人あっちゅうまに肉片になるっちゅう代物よ。わかってんのかい」


 ここは裡辺皇国りへんこうこくの南東部の内陸にある、河川に面した街——水森みずもり市。

 旅の途中で補給のため立ち寄った鬼灯は、お使いの帰り道にこの面白そうな露天商を見つけて寄り道していた。

 あたりには似たような露天やら屋台やらが軒を連ね、蒸気と排煙で煙る街に喧騒という彩りを与えている。


「わかってますよ! これでも術師に仕えてるんですから。で、いくらまでまけてくれるんですか」

「四〇〇蕗貨もまけたじゃないか」

「ふぅーん? こ・れ・で・もぉ?」


 胸元を少し緩め、谷間を見せる。鬼灯の豊かな乳房を前に、しかし店主は真顔で、


「悪いけど儂は貧乳派。無駄乳に用はないの。で、買わないんならさっさと帰ってくれるかい」


 まいど〜、と声をかけられながら店を離れる鬼灯の顔は赤く紅潮していた。

 お色気はおろか自慢の胸を無駄乳呼ばわり……私の色気は四〇〇蕗貨の価値かよ! と、場所が場所でなければ怒鳴っているところだ。


 パイプが軋みをあげ、歯車が回る。

 蒸気機関が街を動かすようになって十年。

 落城から六年後には蒸気の技術は一般にも普及し、そこから経ったの十年で主要な都市の多くはこうなった。

 人間の進歩は早い。

 ついこの前まで蒸気機関はごく一部の特権階級の武器だったのに、もう市井にまで広がっている。


 本当にあっという間だ。


「あれから、十六年……」


 鬼灯は紙袋を抱えて、何度も反芻するようにその言葉を噛み締めた。


 高く伸び上がる建物の合間から覗く空には、大小様々な飛行船。

 その飛行船が泳ぐ海に一瞬影が生じた。鬼灯は目をすがめ、


「朔夜様?」


×


「待ぁちやがれ!」


 屋台でラーメンの順番を待っていたら置き引きにあった。間抜けだが、朔夜の現状はそれである。

 犯人は化け狸の小僧で、人いきれをかき分けながら前へ前へと押し進んで逃げていく。


「このままじゃ人垣に紛れられる……!」


 朔夜は思い切って壁を蹴り、屋根まで駆け上がった。妖術基礎として知られる、妖力を用いた身体強化術である。フィジカル面では妖怪に遥かに劣る人間の妖術師が優れた身体能力を保有する、これがその理由だ。

 屋根から見えるのは黒髪の少年。歳は人間基準で十三、四ほどか。尻尾の数は一本。妖力器官しっぽの分裂が起きていないほど未熟な個体だ。


 化け狸小僧は辻を右に折れ、やがて裏路地に入った。

 朔夜は舌打ちと同時に屋根を伝って、小僧の目の前に落下する。


「よう、散歩コースにしては治安が悪そうだぜ」


 小僧が驚いたように喉を鳴らした。

 朔夜はゆっくりと姿勢を正し、手を差し出す。


「盗ったもん返せ。今なら警察に突き出さないでやるよ」

「な、なんだよ! あんなところで飯食うってことは金持ちなんだろ! いいじゃんか、ちょっとくらい!」

「いいわけあるか。こっちだって爪に火ぃ灯して暮らしてんだよ。今時生活がきついのは俺らだけじゃねえだろうが」


 黒い髪を揺らす朔夜の腰にはポーチが巻かれており、そこには多種多様な呪具が詰まっている。それは見ただけではわからないにしても、しかし彼が発するただならぬ気迫がそこらの少年ではないことを如実に物語っていた。

 化け狸の少年は喉をひくりと鳴らし、尻餅をつく。

 数多の敵対術師を下してきた気迫が目に見えぬ刃となり、切りつけてきたと言ったところか。


「なんか面白い話でも聞かせてくれるんなら、一杯くらい奢ってやる」

「えっ」

「こんなことしてるんだ。面白いヘマをしたとか、変なカモがいたとかあるだろ? とにかく離れるぞ。いいか、こういうところってのは負の念が集まりやすいから——」


 ずる、と何かが蠢いた。

 ソレがぴちゃりと水音を鳴らしながら迫る。狙いはより弱い、化け狸。

 彼我の距離は約十メートル。しかしその間はあってないようなもの——そこへ、銀光が貫かんばかりに突き刺さった。


 刀を逆手に抜き、頭足類のような怪物を貫き踏み潰す少女。

 ゆっくりと切先を抜き、付着した墨汁のような黒い血をパッと払い飛ばした。ゆっくりと納刀すると怪物が雲散霧消していく。


「ほらな。だから、気をつけたほうがいい」

「うわっ……あ……」


 後に残ったのは路面に刻まれた刃の跡だけである。しかしそこに怪物がいたことは、確かだった。その証拠に、一粒の赤い石のようなものが落ちている。

 朔夜はそれを拾って携帯灰皿のようなケースに入れ、少年に向き直る。


「お前の負の感情もまた、こういう化け物を……魍魎もうりょうを形成する助けになる。盗まれた被害者の感情もな。だからもうやめろ」

「……なんだよ、畜生」

「そーいえばなんですけどねえ、私が寄った缶詰屋さん、力仕事のできる若い子が欲しいとかって言ってましたよ。朔夜様、どうですか?」


 白銀髪の少女——鬼灯がそう言った。


「悪いが手一杯だ。でも、ちょうどいい妖材じんざいがここにいると思うぞ」

「えっ、俺?」

「いいじゃないですか。大荷物持って逃げ回れる体力あれば充分。で、朔夜様。聞いちゃったんですけど」

「……何を」

「ラーメン、奢ってくれるんでしょ?」


 お前には言ってねーよ、と呆れたが、助けられた手前強く出られない。


「そうだな。ほら、狸小僧。行くぞ」


 朔夜は盗まれた荷物を手に、裏路地を出た。

 空回りする歯車と、高圧の蒸気の音が反響し、残響し、遠くへと響き渡っていく。


 落城から十六年。

 外見上は同い年ほどになってしまった朔夜と鬼灯は、未だあの日の賊の正体を追っている。

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