藍彗のデフェクトゥス(SS版)
夢咲ラヰカ
第1話
"こいつも失敗か。拒絶反応が出て破裂しやがった。出来損ないが"
焼き入れられたように記憶にこびりついた光景がある。
大勢の子供達が集められた石組みの研究施設。最低限の知能テストと、しつこすぎるほどの戦闘訓練の日々。そして、日を追うごとに減っていく子供たち。
自分はその都度失敗作と小馬鹿にされ、足蹴にされてきた。
仲間と信じてきた子供達からでさえ陰で笑われ、次第に自分は笑みを忘れ、淡々と訓練をこなす機械のようになっていった。
そんなクソッタレな日常が瓦解したのは突然だった。
一人のバカデカい剣を背負ったおっさんが何人かの連れを伴って襲撃してきて、助けに来た。
"小僧、ずいぶん空っぽな目ェしてるじゃねえか"
"当たり前だろ。ここに何があるってんだ"
狼族で、半獣人の獣臭いおっさんはニヤリと笑い、自分を担いだ。
"何するんだ、放せ!"
"真っ直ぐでひねくれてねえと人間幅がでねえ。来い、鍛えてやる"
人間。
他人から人間扱いされたのなんて、初めてだ。
"俺はジョエル。お前は"
"さあな。長たらしい番号で呼ばれてたよ"
"そうか。……じゃあ、シキってのはどうだ。東の国で、一年を巡る四つの季節の呼び名だ"
"シキ……"
ジョエルと名乗ったおっさんはそう言って抵抗する残党を切り伏せながら、シキと名付けられた少年を担いで研究施設から出ていった。
初めて見た外は、初夏の季節。瞬い太陽が青々とした木々を照らし出す、そんな光景が広がっていた。
それから十年ほどが経ち、現在――。
エルトゥーラ王国の海辺の街、アンゼリカシティは夏至祭に向けた準備で忙しなく一日が巡っていた。
街のあちこちに飾られた旗や幟に装飾を施し、既にやってきている観光客に対して呼び込みに余念がない商人や宿屋の主人たち。
自警団の一員が厳しく監視の目を光らせ、通行人までもが踊り出しそうな熱気の中をシキは駆け抜ける。
青灰色の髪と藍色の目。僅かに黄色っぽい白い肌と、スラリと背が高い体躯。顔立ちは青年らしい爽やかさと、血を求める狩人のような獰猛さが同居していた。
補足した獲物は五十メートル先を疾走し、屋根に飛び上がる。
シキは壁を蹴って跳躍し、垂直に駆け上がって屋根に登るとそのまま屋根の上を走り出した。
「待て!」
高くはないが低すぎもしない声。他人――特に女性に警戒されにくい中性的な声だ。シキはこの声があまり好きではなく、男らしい威厳ある、バリトンボイスに憧れていた。
無論、たかだか二十二の若造に威厳など出ようはずがないのだが――。
「くそっ、しつこい野郎だ!」
追われていた男が掌に魔力を集中した。
青い炎のようなモヤが可視化され、シキは素人め、と鼻で笑う。
放たれた橙色の火球を、シキは素早く屈んで回避。拳大の炎は彼を通過して僅か数メートルで失速し、消滅した。
彼我の差は僅か十メートル。こんなコソ泥に剣を抜くまでもない。
「いい加減にしろよ、お前っ」
「だったら悪さなんてすんなよ」
足を止めて対峙した男を見る。
魔術の素養はあるが、恐らく独学だろう。他人の施しを受けずに、最初級魔術を習得できたことは素質があると判断すべきだが、それを悪事に使っていては無才だった自分より救いようがない。
それでもまだやり直しが効くところには立っている。まだ引き戻せる。
「店の人に謝って、盗ったもん返せよ。そうすれば俺だってこんなに追いかけねえって」
「たかがそんなことで追っかけてくる方がおかしいんだろ! 盗みなんてありふれてんだろ!」
「だーからって目の前でやられて黙ってられっか。おら、いいから盗ったもん出せ」
シキが左手を出してちょいちょい指先を跳ねさせると、男は俯いて、
「あの梨なら食っちまったぜ」
「はあ? じゃあいいや、謝るだけ謝れって。許してもら――」
「いちいちうるっせえんだよ! 恵まれたやつに何がわかるってんだ!」
魔力が巡り、男の体を覆った。ロスが大きく無駄だらけだが、立派な強化術として機能している。
シキは舌打ちして足を肩幅に取り、左をリードした構えを取った。
「素手ェ? 舐めすぎだろ!」
「お前と違って魔術の才能がないんだよ」
「ご愁傷様!」
拳が振り下ろされ、瓦を吹き飛ばした。そこにシキの姿はなく、彼は横に回り込んで素早く左の二連撃を叩き込む。
魔力が膜となって防御力を増している中で抉り込むように鋭い拳打は脇腹に食い込み、男を悶絶させた。
「ぐぅっ」
「しっかり脇締めろ」
右のアッパーカットを顎に打ち込み、左のフックを素早く叩き込む。反撃のつもりか、苦し紛れに薙ぎ払われた左腕をこちらの左肘でブロックし、右のボディブローを打ち込んだ。
「がっふぁ……」
「おら、もうやめようぜ。謝って説教されたほうが絶対いいだろ。あの婆さん話長いけど」
「畜生……」
強化術が解けた。シキも拳の構えを解いて力を抜く。
片膝をついた男に肩を貸し、立ち上がらせた。
「俺はシキ。お前は」
「ローエルだ。予想通り、孤児。ここらをシメてた」
「ちっさ」
「なんだと!」
「小さいっつったんだ。そんなので天狗になってるから、俺にさえ負ける」
ぐうの音も出ないのか、ローエルは黙り込んだ。
「お前には俺と違って魔術の才能があるんだ。正しい方法で強くなって、正しい方法でガキどもをすくってやれよ」
「正しいって、何がだよ。俺らが搾取されるこの世界にへこへこすることか?」
「違う」
シキは前を見て、彗星のように真っ直ぐな目で言う。
「死んだ時に後悔がない方法のことだ」
それから屋根を降りて盗みを働いた婆さんの青果店に向かった。道中シキを知る街人から声をかけられて、適当な挨拶と簡単な世間話をして、件の店先につくと……。
案の定、婆さんはいつになく仏頂面でシキのことを待っていた。
「そいつが盗人かい」
「あ、ああ。俺はそろそろ、」
「あたしのありがたい話を聞いていかない気かい?」
「時間がねえんだよ。予定がだな」
「女が喋っている時は黙って聞く!」
結局拒否権ないんじゃねえかよ、と呆れながら、シキとローエルは婆さんの長話に付き合う羽目になった。
「……っと、そろそろ店を開ける時間か。ちょうどいい。ローエル、手伝いな」
「えっ……」
「給料は現物支給だ。腹空かせたガキがいるんだろう。不満かい?」
「い、いえ。ありがとう、婆さん! それと、シキも……」
シキは手をひらひら振って、「じゃあ俺は行くぞ。ニコに叱られる」と言って、去っていった。
「婆さん、あの人って何者なんだ」
「日陰者は詳しくないだろうね。あいつは十年前にふらっとやってきた傭兵の養子さ。私もよく知らんが、普段はふざけた態度で不真面目極まりないが、本当は強い……らしい。親子共々ね」
ローエルは去っていくシキの背中を見た。
彼が街の人々から愛されていることは確かで、そりゃあ誰かを傷つける真似をすれば許さないだろうことは分かりきったことだった。
けれどシキのおかげでローエルや、ローエルの子分が救われたのもまた事実である。
「ほら、ボケボケしてないで働きな」
「っ、はい!」
アンゼリカシティの朝はこれからだ。
朝の珍事など人々の記憶から消え去り、忙しい一日が幕を開けるのである。
藍彗のデフェクトゥス(SS版) 夢咲ラヰカ @RaikaRRRR89
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