日本の鉄道網をつくった重要人物! 広軌化を巡って後藤新平と対立した「原敬」の偉大さとは

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日本で初めて本格的な政党内閣を組織した人物として知られる原敬。そんな原は、日本の鉄道網の整備に大きな役割を果たした人物でもあった。

原が目指した地方的利益

岩手県盛岡市にある原敬記念館(画像:(C)Google)
岩手県盛岡市にある原敬記念館(画像:(C)Google)

 この後藤の前に立ちはだかったのが原敬だった。原も同じように「積極的経営」を主張していたが、鉄道政策において原が望んだのは地方新路線の建設だった。

 原は地方に鉄道を建設することで、自らが率いる立憲政友会の党勢を拡張しようと考えていたのだ。後藤の広軌化を認めてしまっては、新路線の建設は遅れ、政友会は党勢拡張のための武器を失ってしまう。

 輸送力の強化については原も認めるところだったが、この問題に対しては地方港湾の整備によって対応しようとした。これもまた政友会の党勢拡張の武器となる。原が「積極的経営」によって実現しようとしたのは地方的利益であり、それは後藤の国家的利益とは明らかに異なるものだった。

 原は、桂太郎首相が自分が退陣した後には政友会に政権を譲るという「情意投合」に訴えて、

「「広軌案は後藤の発案と云ふより、自分の発案故、通過を望む」と懇請したにもかかわらず、これを峻拒(しゅんきょ)し、「政党員をして立場を失はしむるは、政党の発達を期する所以にあらず。然して、政党発達せずんば憲政の進歩見るべからず」と応酬した」(206ページ)。

 こうして鉄道広軌化は延期されることになった。原にとって、鉄道建設を通じた地方利益の実現と、それを通じた政党の発展は決して譲れない一線だったのだ。

 議会の多数派だった政友会によって鉄道広軌化は退けられ、その後、第2次西園寺(さいおんじ)公望内閣において原は内相兼鉄道院総裁となり、地方鉄道の整備と政友会の党勢拡張を進めていった。

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