第百六十六話「呼び出し」
『ルーデウス・グレイラットへ。
その後、体調はどうだ? 魔力は回復したか?
今後の事について話をしたい。
シャリーア郊外にある、お前らの使っていた小屋にて待つ。
当方の事情により、お前一人で来ることを望ましく思う。
オルステッド』
俺はその手紙を読んだ後、アイシャに食事を用意してもらった。
しっかりと食事を取り、自室に戻って着替えをした。
できる限り良い服を選び、アイシャに見てもらっておかしな所が無いか、何度も確認してもらう。
そして、アクアハーティアと未来の日記を手に取り、家を出た。
行きがけにベビートゥレントのビートと戯れていたゼニスに声を掛ける。
「母さん、行ってきます」
ゼニスは行ってらっしゃいとばかりに、ふらふらと手を振っていた。
ビートもその隣で、ゆらゆらと枝葉を揺らしていた。
シルフィ達には声を掛けない。
伝えれば、付いてくるというだろう。
手紙には、一人でこいと書いてある。
なら、一人で行こう。
今回は戦いにいくわけではない。
もしオルステッドのいるという小屋を魔術でふっとばしたら、戦いになり、今度こそ俺の命はないだろうが、そんなつもりは無い。
オルステッドを信用しているのか、と聞かれると難しい部分はある。
だが、手紙からは、こちらを気遣っているような気配は伝わってきた。
ナナホシも、感情的な面でオルステッドと戦うことは避けた方がいいと思っているようだったし、個人的にも、ヒトガミより信用がおける相手であると思う。
「でも、緊張するよな」
そう独りごちつつ、シャリーアの道を歩く。
道すがら、水溜りを見つけて、自分の姿におかしな所が無いか、何度か確認した。
俺はオルステッドの下に付くと決めた。
つまりオルステッドは俺のボスだ。
ボスの前に、変な格好で出るのは、よろしくない。
「香水とか付けてきた方がよかったかな?」
一応、お湯で身は清めたものの、もしかするとエリスとの情事の残り香があるかもしれない。
社長室に呼び出した社員がエロい匂いをプンプンさせていたら、社長はどう思う?
いきなり首にはしないかもしれないが、良くは思わないだろう。
オルステッドからの心証は良くしていきたい。
オルステッド。
ヒトガミと戦い、あるいは勝てる可能性もある人物。
彼は俺の子孫の援助を得て、ヒトガミを殺すという。
ヒトガミには気の毒だが……。
だが、先に裏切ったのは向こうだ。
奴はロキシーやシルフィを手に掛けるような奴なのだ。
同情してはいけない。
俺はオルステッドに尻尾を振る。
扇風機のように尻尾を振って、ヒトガミに牙を剥く。
そうやって、家族を守り切ってみせる。
「よし」
決意を新たにして、郊外へと向かう。
馬車の撥ねる泥水を引っかぶらないように気をつけながら。
---
郊外の小屋には、異様な雰囲気が漂っていた。
なんか、違う。
一言では言い表せないが、何かが、違う。
きっと、漫画にしてみると、ズモモモという効果音と同時に、小屋からグニャグニャとした効果線が出ていることだろう。
ああ、オルステッドがいるんだな、と一目見てわかった。
「すぅー、ふぅ……」
俺は深呼吸を一つ。
扉をノックした。
「ルーデウス・グレイラット! 参りました!」
「ああ……早かったな」
居るとわかっていたのに、返事が聞こえた時、俺は身震いをしてしまった。
やはり、オルステッドに対する恐怖心のようなものは、まだ残っているようだ。
「入ってもよろしいでしょうか!」
「なぜ許可を求める。ここはお前の所持している小屋だろう?」
「ハッ! 失礼します!」
扉を開けて中に入ると、オルステッドがいた。
中にある椅子の一つに座って、俺を睨んでいた。
いや、睨んでいるわけではない。
ただ見ているだけだ。怖い顔なだけなのだ。
俺は扉を閉め、できる限りキビキビとした動作でオルステッドの前へと移動した。
椅子の真横に立ち、気をつけのポーズをとる。
オルステッドは、訝しげな顔で俺をねめつけた。
「大勢の仲間を引き連れてくるかと思っていたが……二人か」
「はい、一人で参り……え、二人?」
想定外の言葉に、耳を疑う。
オルステッドが老視で俺が二重に見えているのでないかぎり、俺は一人のはずだ。
「エリス・グレイラット! 入ってくるがいい!」
オルステッドがそう叫ぶと、バンと音を立てて、勢いよく扉が開いた。
エリスだった。
彼女は、抜き身の剣を引っさげていた。
殺気をまき散らしながら。
「オルステッド! ルーデウスに手を出したら、私が叩き斬るわよ!」
エリスはオルステッドに剣を突きつけて、そう宣言した。
尿が漏れそうな程のすさまじい気迫。
オルステッドはそれを受けて、平然としていた。
「そのつもりは無い」
「信用できないわね!」
「だろうな」
エリスはそれだけ言うと、小屋の隅に陣取り、腕を組んで立った。
俺はエリスの登場に硬直しつつ、オルステッドとエリスを見比べる。
やはり弁明すべきか。
俺はエリスを連れてきてはいない。一人できたのだと。
敵意はないのだと。
でも、剣を持って現れたエリスを、どう説明すりゃいいんだ。
どうしよう、どうすればいい?
「どうしたルーデウス・グレイラット。座れ。話をする」
と、迷っている所にオルステッドに急かされた。
「あ、はい。失礼します」
言われるがまま椅子に座るも、エリスが気になる。
抜き身の刃物を持っているエリスが。
「あの、エリスは……」
「お前の態度を見ればわかる。尾行されたのだろう」
「あ、はい。そういう感じです……その、話の前に、エリスとちょっと話をしてもいいですかね?」
「構わん」
怒ってはいないらしい。
俺は座ったままエリスに向き直り、ちょいちょいと手招きした。
「何よ」
「エリスは、何をしにここに?」
「ルーデウスがおめかししてたから、どこに行くのか気になっただけよ」
おめかし。
確かに、良い服を選んで、髪型とかに気をつけた。
見ようによっては、おめかしに見えなくもないかもしれない。
「俺がオルステッドの下についたってのは、理解しているよね?」
「……してるけど、こいつの事だもの、何をたくらんでいるかわからないわ。ルーデウスがだまされてるかもしれないし」
「かもね。でも、それを判断するのはまだ早い。できれば邪魔しないで静かにしてもらっててもいいかな?」
「……」
「騙されてるってわかったら、二人で戦おうエリス。頼りにしてるよ」
「っ! わかったわ!」
エリスは納得したのか、剣を納めると、俺の隣に座った。
単純だな。
……さて。
「失礼しました」
「構わん」
「どうにも、エリスはまだオルステッド様の事が信用できないようで……でも、呪いでは仕方がありませんよね」
そう言うと、オルステッドの目が光った気がした。
「俺の呪いについては、どこで聞いた?」
「……ヒトガミです。オルステッド様は、いくつかの呪いに身を犯されていると」
正直に答えた。
俺がヒトガミから何を聞き、何を知らされたのか。
全てを伝えておいた方がいいのだろうか。
「そうか……」
と、オルステッドは顎に手を当て、やや上の方向を見た。
その視線の先には、何もない。
……考えるポーズか。
「とにかく、まずは約束を果たそう」
「えっ?」
「なにを不思議そうな顔をしている。俺はヒトガミとは違う。約束は守る」
そうじゃなくて、約束なんてしたっけかって話でね。
「ヒトガミから、お前の家族を守る方法だ」
ああ、そうか。
その通りだ、何を忘れているんだ俺は。
いや、約束という形で覚えていなかっただけだ。
もっとこう、契約という感じで認識していた。
悪魔との契約だ。
でもそうか、契約も約束の一種か。
「俺はまだ何もしていませんが、よろしいのでしょうか」
「お前も、家族が危険にさらされていては、気が気ではないだろう?」
「まあ、そうですが」
なんか気を使ってもらっている感じがする。
ていうか、思った以上に親切な感じだな。
もっとこう、頭ごなしに命令とかされるかと思ってた。
顔は怖いのだが、意外と部下思いの人なのだろうか。
隣のエリスがやたらピリピリしているのが信じられないぐらいだ。
「そう難しくはない。強い運命を持つ守護魔獣を召喚し、それに守らせればよい」
「召喚ですか? しかし、俺はまだ、召喚術は使えません」
「ならば、俺が魔法陣を描いてやろう。魔力は自分で込めろ」
「あ、はい、お手数かけます」
強い運命を持つ守護魔獣か。
運命、確か因果律の事だったか。
「本当に、それだけで守れるんですか?」
「ヒトガミは人外は操れん。
また、一度にそう多くの人間を操れるわけではない。
我々が動く限り、奴はそれを妨害するので手一杯となるはずだ。
奴の性格上、それだけで十分すぎるほどの予防となろう」
性格の話かよ……。
それにしても、一度にそう多くの人間を操れるわけではない、ってことは、最低でも二人以上は操れるわけだろうか。
俺を操る傍らで、他の奴も操っていたのだろうか。
「だが油断はするな。ヒトガミが何をしてくるのかわからん。魔獣に任せきりにせず、こまめに様子を見てやるといいだろう」
オルステッドが「こまめに様子をみてやるといい」なんて言うと、なんか違和感があるな。
そういう事言わなさそうに見える。
印象だけで相手を決めつけちゃいけないのは知っているが。
まあいい。
ともあれ、用意してくれるというのなら、まずはそれに乗っかろう。
さて、本題だ。
「それで、私はこれから、何をすればいいのでしょうか」
聞きたいことは数あるが、まずは俺の方が筋を通すのが礼儀だろう。
態度を示すのだ。
「……お前は、もっと聞きたい事はないのか?」
と思ったのだが、逆に聞き返された。
「たくさんあります」
「なぜ聞かない?」
「あまり教えて君になるのもよくないかと思って……」
そう言うと、オルステッドは「はぁ」と溜息をついた。
「お前は、俺の仲間となった、即ち――」
「配下です。上下関係はしっかりさせておきましょう」
ボコボコにされて、家族を守る方法を考えてもらって。
それでもなお対等だと言い張れる程、俺の面の皮は厚くない。
「お前がそれならそれでもいいが……ともあれ、すなわち俺と貴様は共にヒトガミと打倒のために動く事になる。知るべき事は、知っておくべきだ」
「そんな事を言って、実は俺がヒトガミのスパイだったらどうするつもりですか? 夜な夜な、ヒトガミにオルステッドさんの情報を伝えるかもしれませんよ」
「俺はお前を信用している」
強い目線で、そんな事を言われた。
「死に物狂いで家族を守ろうとした、お前の姿勢をな」
そう言われると、少し恥ずかしいな。
確かに俺もあの時は必死でやったが。
だが、まあ、そういうことなら、お言葉に甘えるか。
聞きたいことは何だったか。
いくつかあるな。
ヒトガミとオルステッドの確執について。
ラプラスの因子とやらについて。
転移事件について。
運命とやらについて。
とりあえず、そんなものか。
「では、一つずつ、教えてください」
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・オルステッドとヒトガミの関係について
ヒトガミとオルステッドの関係。
まずはそれを聞くことにした。
自分のことも知りたいがね。
「俺自身の事か?」
「そうです。お願いします」
「ヒトガミからはどう聞いた? 呪いのことを聞いたようだが?」
「ええっと……」
なにぶん、五年も前のことだからな。
思いだせ、思いだせ。
ヒトガミがあの時、なんと言っていたのかを。
「呪いを4つ、持っている」
「……続けろ」
「1つ、この世界のあらゆる生物に嫌悪されるか恐怖される呪い。
2つ、ヒトガミから見えなくなる呪い。
3つ、本気を出せない呪い。
あと一つは、分からないみたいな事を言っていましたね」
「なるほど」
オルステッドはそう言って、静かに頷いた。
「まず、一つ目だが、確かに俺は生まれた時より、世界中のあらゆる生物から忌避されている」
「……でも、俺はそんなに嫌いではないのですが」
「そういった者も、時には存在する、ナナホシ等がそうだ」
「なるほど」
例外はいるということか。
もしかすると、俺やナナホシが元々はこの世界の人間ではないというのも、関係しているのかもしれない。
その事を言うべきか、言わざるべきか。
エリスが隣にいるので、少しためらうが……。
しかし、ここで黙っているのは、得策ではないだろう。
「オルステッドさん。隠し立てするつもりはありませんが……俺は元々はナナホシと同じ世界の人間でした。その辺りも関係しているのでしょうか」
「……ルーデウス・グレイラットは偽名だというのか?」
「そこら辺は話すと長くなるのですが、俺はナナホシと違い、その……気付いたら、この世界でルーデウス・グレイラットとして誕生していたんです……ええと、なんて言えばいいでしょうかね」
「転生か」
驚いた。
オルステッドの口から、転生という言葉が出てこようとは。
いや、でも龍族には転生法なるものがあると日記に書いてあった気がする。
死んでも、何十年かして生き返る、と。
彼らにとっては、転生とはメジャーなものなのだろうか。
「恐らく、貴様が俺を怖れないのは、転生体なのも関係しているだろう」
「他にあなたを怖れない人物はいるんですか?」
「何人かの例外を除けば、古代龍族の血を引くものだけだ」
ペルギウスとかか。
いや、でもペルギウスはかなりビビってた気がする。
……それは呪いとは関係ないのか。
呪いとは別に、人に嫌われたり恐れられたりする事だってあらぁな。
「2つ目の呪い、ヒトガミから見えなくなる呪いに関してだが……これは呪いではない」
「と、言いますと?」
そう聞くと、オルステッドは少し考えた。
考えた上で俺の目を見て、言った。
「大昔に、初代龍神がヒトガミと戦うために編み出した秘術……運命を見る力を得ると同時に、世界の理から外れる術だ」
「ほう」
「ヒトガミもまた強力な未来視と遠視の力を持っている。だが、この世界の理から外れた者を見ることは出来ない」
なるほど。
世界の理から外れるというのがどういう事かはわからないが、ヒトガミの目から逃れられるというのは素晴らしい。
「運命を見る力というのは、どういったもので?」
「そうだな……」
オルステッドは、再度考えるようなポーズを取った。
もしかして、今考えてるんじゃあるまいな。
「その人物がたどるはずの、大まかな歴史がわかる」
大まかな歴史とな。
「てことは、オルステッド様も未来が見えると?」
「いや……見えるのは、未来ではなく、歴史だ。
運命によって定められた、な」
うーん?
なんか、哲学的だな。
いまいち、未来視との違いがわかりにくい。
ひとまずは「ヒトガミよりもワンランク下の未来視」とでも考えておくか。
「その秘術、俺にも掛けていただけるのですか?」
「いや、やめておいた方がいい」
「……というと?」
ヒトガミから見えなくなる、というのは非常に魅力的な利点だ。
掛けてもらえない理由については、聞いておきたい。
「この秘術を掛けると、副作用で…………魔力の回復速度が著しく遅くなる」
「著しくというと、どれぐらい?」
「貴様は枯渇状態から10日程度で回復したが、それが約1000倍になると考えておけば問題あるまい」
1000倍。
てことは、1万日か。
約30年。
「ゆえに、俺は魔力を自由に使う事ができない。
『本気で戦う事は滅多に出来ない』というわけだ」
なるほど、魔力を回復できないから、本気を出せない。
オルステッドの魔力総量がどんなものかわからないが、数年でも回復しきらないとなると、本気で戦うわけにもいかないか。
節電しないと。
「ゆえにお前に秘術は掛けられないが、お前に渡した腕輪には、似たような効果が付与されている」
俺は左手につけている腕輪を見る。
これにはジャミングの効果があるらしい。
「これには、副作用は無いんですか? それなら量産すれば……」
「それが出来るなら、すでにやっている。俺のこの身に掛けられた呪いの解呪と一緒にな」
まあ、そうか。
「ともあれ、俺はお前との戦いでかなりの魔力を消耗してしまった。しばらくは本気で戦う事は出来まい」
「えっ、マジですか。でも、瞬殺だったじゃないですか」
「お前の魔術を三度も真正面からレジストし、神刀まで抜いたのだ。相応の魔力は消耗した」
オルステッドは苦々しく言った。
俺の視点だと何もできずにぼっこぼこにされたと思ったが、意外と善戦していたのか。
俺もそれなりに頑張った、という事か。うふふ。
「俺の魔力は残り少ない。ゆえに、お前には俺の手足となって動いてもらう事になるだろう」
「……はい。頑張ります」
俺が減らした分、俺が働く。
道理だね。
「それで、オルステッド様は、どうしてヒトガミと戦ってらっしゃるんですか?」
「それは……あ~……」
オルステッドは少々いいにくそうに、明後日の方向を向いた。
先ほどから、言葉を濁したり、考えるポーズが多い。
もしかして、嘘を吐かれてたりするのだろうか。
いや、まさかな。
でも、信用はされているけど、信頼はされていないのかもしれない。
ひとまず、上辺の嘘で俺を動かして、動向を探るつもり……という可能性もありうるか。
「ヒトガミは……父の仇だ」
「ほう」
父親の仇か。
未来の俺も、ロキシーとシルフィをアレされたせいで、復讐に燃えていた。
復讐は何も生まない、と、現状の俺は誰も失っていないから言えてしまうが……。
実際に、復讐心に取り憑かれれば鬼と化すのは、日記を見れば明白だ。
「そして、ヒトガミ打倒は、古代龍族の悲願だ。
俺たち龍神は、全てヒトガミを倒すためだけに存在している」
いわゆる、大義のため、という所か。
ていうか、俺たち?
「龍神は何人もいるんですか?」
「俺で、百代目となる。百人の龍神が、ヒトガミ打倒のために研鑽を積んできたのだ」
「なるほど」
「しかし、ヒトガミは、血が薄まった弱小の龍神では倒せん」
オルステッドは、ギラリと光る眼光を俺へと向けた。
「そのため、父である初代龍神は、俺を転生法で未来へと送り込んだのだ」
オルステッドは、サラリとそう言った。