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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第16章 青年期 人神編

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第百六十三話「狂剣王対龍神」

 エリス・グレイラットがオルステッドの前に現れた経緯を説明するのは、そう難しくはない。



 数日前。

 魔法都市シャリーアの入り口に、二人の女の姿が現れた。

 灰色の髪を持つ、獣族の女。

 豪奢な赤い髪を持つ、人族の女。

 獣族の女の方が、頭一つ分、背が高いか。

 二人は同じような上着を羽織り、同じような剣を腰から下げていた。


 エリス・グレイラットと、ギレーヌ・デドルディア。

 二人は長い旅路を終え、ようやく目的地へとたどり着いたのだ。


 その旅路は、決して楽なものではなかった。

 ルーデウスに会うことを急ぐあまり、森をショートカットしようとして迷ったり、

 迷った挙句、魔物の巣に突っ込んで大立ち回りになったり、

 なんとか森を抜けて最寄りの町に入った所、チンピラより喧嘩を購入し大立ち回りになったり、

 その結果、数多くの敵を生み出してしまい、大立ち回りになったり、

 そのせいで出国に手間取って大立ち回りになったり、

 おおよそ、自業自得からくる喧嘩を繰り返したせいで、シャリーアにたどり着くのに時間が掛かったのだ。


 ともあれ、一応は冒険者として生きていたこともある二人である。

 旅の途中で次第に勘を取り戻し、ラノア王国へと入ってからは比較的スムーズに魔法都市シャリーアへとやってきた。


 シャリーアに入ってからも、行動はスムーズだった。

 冒険者ギルドで情報収集をした所、ルーデウス邸の場所を知っている者が数多くいたからだ。

 この町で、ルーデウス・グレイラットの名前を知らない者は、ほとんどいないらしい。

 門からは、ベガリット大陸から連れてきたという珍しい魔獣や、魔大陸で栽培しているという怪しげなトゥレントが見えるから、すぐに見つかるという助言までもらった。


 目的の場所はすぐに見つかった。

 ルーデウス邸はエリスの実家から見ると雲泥の差であるが、宿屋と言われても通用する程度の大きさはあった。

 庭も大きく、鍛錬の場としても使えそうで悪くない。


 そうギレーヌと話しつつも、エリスにしては珍しい事に、門の中へと入るのに躊躇した。


 彼女は門の前で立ち尽くし、しばらく沈黙が場を支配した。

 エリスは門の前に仁王立ちしたまま、静止したのだ。

 顎をクッと上げて、無言で家を見上げながら。

 まるでそうしていれば、ルーデウスが気づいて出てきてくれるとでも言わんばかりに。


 その時、エリスの心中にあったのは、今までの旅路の中で聞いた、ルーデウスの噂である。

 『泥沼』のルーデウス・グレイラット。

 はぐれ竜を倒し、魔王を退け、魔法大学最強の名を持ち、周囲から恐れられつつ、傍若無人な振る舞いはしつつも弱い者の味方で、どこかコミカルな噂も絶えず、あまり嫌われてはいない魔術師。

 その強さを語るには言葉では言い表せず、エリスはそれを聞く度に、まるで自分の事のように嬉しくなったものだ。


 そんな彼の噂の中で、エリスが最も気になったのは、ルーデウスの強さに関する部分ではなかった。

 コミカルな部分だ。

 例えばそう、「ルーデウスは愛妻家であり、学校帰りに妻と一緒に買い物に行く」とか。

 「買い物の最中に妻に尻を撫でまわして怒られてた」とか。

 「子供みたいな女を嫁にした」とか。

 「二人も妻にするなんざ、ミリス教徒の風上にもおけない」とか。

 とにかく、ルーデウスと結婚したという女の噂だ。


 それを思い出す度に、エリスの眉根は寄り、眉間には深い皺が刻まれた。

 ラノア王国に入ったぐらいで、その二人の妻の名前も分かった。

 シルフィエット・グレイラットと、ロキシー・M・グレイラットだ。


 その二人と対面した時、エリスは自分がどうすればいいのか、わからなかった。

 手紙でその存在を知り、途中途中で噂を聞きつつ、

 旅の間ではあれこれ考えてはいたものの、実際に何を話せば自分の思った通りになるのか、わからなかったのだ。



 門を前に立ち尽くすエリス。

 そんな彼女に声を掛けたのは、一人のメイド――アイシャであった。

 彼女はエリスが門の前に現れた時「あれってエリスさんかな、エリスさんだよね?」。

 と、自問自答をしつつも準備をして、エリスが門を叩いたら、即座に対応できるように待ち構えていたのだ。

 しかし、小一時間程の待機の後、エリスが動かなかったため、自ら動いたのだ。


 エリスという人物はアイシャにとって恩人の一人である。

 兄であるルーデウスほど尊敬してはいないものの、シーローン王国で自分を救ってくれた人々の中には、間違いなくエリスも含まれていた。

 恩は倍にして返すべし、という(リーリャ)の教えもあり、

 『三人目』の話を聞いた時も、エリスが兄を好いているのであれば支援しようと、密かに考えていたのだ。


 アイシャの手引により、エリスは無事に屋内へと侵入した。

 彼女はアイシャとリーリャの手によって歓待され、アイシャが学校に出ていたシルフィとロキシーを呼びに行っている間、リーリャからルーデウスの現状を聞かされた。


 ルーシーという、ルーデウスの子供の存在。

 それを見て、エリスは複雑な表情をしつつも、しかしあまり嫌な気分になっていない自分に気づいていた。

 子供ぐらい自分も産めばいいのだ。それも男の子を。

 そんな余裕が生まれたのは、対応したのがアイシャとリーリャだったからこそだろう。


 シルフィとロキシー、そしてノルンが帰ってきた後も、会合は和やかに行われた。

 ルーデウスの妻二人は、エリスのよく育った胸や尻に戦慄を覚えつつも、エリスに突っかかる事はなかった。

 アイシャやリーリャがすでに受け入れムードを作っていたのもあるが、

 そもそも、この問題に関しては、ルーデウスのいないところで、何度も話し合われた事であるからだ。

 ノルンなどはあまりいい顔をしていなかったが、すでに話し合われていた事でもあり、表立って反対することは無かった。


 二人ともルーデウスが彼女を受け入れるつもりであることは知っており、その意思を尊重するつもりであった。

 また、エリスが話している時の、彼女のルーデウスへの好意の大きさや尊敬の度合いは、苦笑するほど気分がいいものであった。

 自分の好きなものを褒められるのは、誰だって嬉しいのである。


 しかし、そんな和やかさは、最初だけであった。

 エリスが「それで、ルーデウスはどこなの?」と聞いたあたりから、きな臭くなった。


 オルステッドと戦いに行った。

 そんな話を聞いたエリスは「なぜ一人で行かせたのか。ルーデウスを殺す気なのか」と二人を糾弾したのだ。

 ルーデウスと一緒にいるなら、ルーデウスと一緒に戦いに赴くべき。

 そう主張するエリスに対し、シルフィは「そうするつもりだったけど足手まといになるし、ついてくるなと言われたんだよ」と、涙ながらに反論。

 エリスはその涙にギョッっとしつつも、よくよく考えてみれば、自分は足手まといにならないために修行してきたのだと思いだした。

 そして、自分がいない間にルーデウスを助けていたのが、手紙に書いてあったのが目の前の女なのだと思い至り、少々の嫉妬と、優越感を覚えた。


 自分なら足手まといにならない、自分ならルーデウスをたすけられる。

 そう声高に主張し、シルフィとロキシーの二人と、そしてギレーヌを連れて、ルーデウスの後を追ったのである。



---



 そして、エリスはここにいる。

 目的地に急ぎ、やや通り過ぎ、大爆発を見て戻ってきて、戦いの音を聞いて、探して、探して、血眼になって探して。

 死に掛けているルーデウスを見つけて、飛び込んだのだ。

 オルステッドの目の前に。



---



 エリスは剣神七本剣が一つ『鳳雅龍剣』を大上段に構え、オルステッドと相対した。


「ギレーヌ! 背中は任せるわ!」


 オルステッドは構えていない。

 怪訝そうな顔でエリスを見ているだけだ。

 否、彼女の背後。

 倒れ伏したルーデウスと、彼に駆け寄る二人の女を瞳に映していた。


 エリスはその瞳を見ながら、オルステッドをじっくりと観察する。

 上半身は裸で、至る所から血が滲んでいる。

 頭からも血が流れており、全体的に気だるそうである。

 髪の端は焦げ、肩のあたりには痣も残っている。

 ダメージは蓄積されている。


 また、右手には反りのある剣も持っていた。

 エリスはオルステッドの剣を見たことは無いし、自分に剣の選定眼があるなどとは思っていない。

 でも、その剣が相当なものである事は、理解できた。

 自分の持っている剣神秘蔵のモノよりも、はるかに凄まじい力を秘めたものであると。

 以前に相対した時は、あんなものは持っていなかった。

 不要とばかりに、素手で完全に制圧された。


 ルーデウスがここまでダメージを与え、剣まで抜かせたのだと考えると、言い知れぬ感動すら覚えた。


(私もルーデウスみたいに……でも、焦っちゃだめね。まずは時間を稼ぐ……)


 エリスは自分にそう言い聞かせた。


 自分ではオルステッドを倒せない。

 エリスは対峙した瞬間に悟っていた。

 そして、自然とそれを認めた。


 かつては、エリスはその差が大きすぎてわからなかった。

 自分の身長の百倍はあろうかという塔を見上げ、ただ高いだけだと思っていた。

 そこまで登れると思っていた。

 しかし今は違う。

 自分の背が高くなり、相手の背がわかるようになった。


 エリスも高くなった。

 それでも高い、なお高い。

 オルステッドはあまりにも高すぎて目が眩みそうな高みにいる。

 とても、エリスが登れる高さではないほどの高みに。


「エリス・ボレアス・グレイラットか……それほどルーデウスが大事か? ルークではなく」

「……ルーク?」

「お前の夫となる運命にあった男だ」

「そんなの知らないわ」


 エリスはオルステッドの言葉を聞き流す。

 ルークとやらが誰かはわからない。

 だが、自分が大事にしているのはルーデウスだけだ。

 ルーデウス、ただ一人だ。

 他には誰もいらない。


「だろうな」


 オルステッドは構えない。

 ルーデウスが回復される様を、じっくりと見ている。


 その立ち姿は隙だらけに見えた。


 エリスにはわかる。

 実際、隙を見せているのだ。

 わざと。

 そうしつつ、エリスが打ち込んでくるのを待っているのだ。


「……」


 エリスの脳裏に、剣神との最後の会合が思い浮かぶ。


---


 剣神ガル・ファリオンは、自室にエリスを招き入れると、三本の剣を並べてこう言った。


「どれにする?」


 エリスはその一本一本を手に取って見る。

 かつて魔大陸でもらった剣だけでも十分である。

 と言いたい所だが、身長が伸びたと同時に、やや体に合わなくなりつつあり、もう少し長い剣が欲しいと思っていた所だ。

 それに、恐らく、この剣ではオルステッドに通用しない。

 武器に頼るなど、剣士としてのプライドが足りない、と、剣聖たちであれば言うだろう。

 だが、エリスは知っている。

 プライドなど糞食らえだと。


「これね」


 エリスが選んだのは、最もシンプルな形をした剣であった。

 薄刃で、少しばかり反りのある片刃の剣。

 禍々しさを一切感じさせない、清涼な感じすらする剣である。


「『鳳雅龍剣』か」


 これこそが、初代剣神が稀代の名工『龍皇』より授かった『鳳雅龍剣』である。

 剣神流の技を最大限に生かす事の出来る、剣神のための剣である。


「いいチョイスだ」

「……理由を聞いておくわ」

「その剣は、魔剣だ。

 一見すると何の能力も無いが、刀身に緻密に練り込められた魔力は、相手の闘気による防御をほぼ無効化できる。

 龍神の反則みてえな防御力を持った闘気も、無効化ってほどじゃねえが、軽減できる」


 防御無視。

 それが『鳳雅龍剣』の持つ能力であった。


「俺には合わなかったが、お前なら使いこなせるだろう」


 七本剣の内三本しか無いのは、剣神が一本、二人の剣帝がそれぞれ一本、そして剣王であるギレーヌが一本、持っているからだ。

 残り二本も、現在剣聖である二人の若手がもう少し成長したら、譲られる事だろう。


「さて、それじゃあ本題だ。まず、オルステッドとの戦い方だが……」


 剣神はまず、最初に、と言葉を置いた。


「絶対に、先に手を出すな」


 何故、とは問わない。

 理由はエリスも知っている。


「奴の水神流は神級の域に達している。返し技で殺される」


 思い浮かぶのは、かつての自分。

 一撃でふっとばされた、苦々しい記憶。


「それが、第一段階だ」



---



 剣神流は必ず先手を取ろうとする。

 それを返す。


 シンプルなその戦法がオルステッドの使う必勝法であると剣神は語った。

 ゆえに、エリスは手を出さない。

 待っている水神流には、決して手を出さない。

 攻める剣神と、守る水神。

 相性は最悪だ。

 水神流のカウンターに失敗はない。

 ある程度の力量差がなければ、水神流が勝ってしまう。


 それをエリスは、身を持って知っている。

 水王イゾルテとの訓練によって。


 だから決してエリスは先手を取らない。

 狂犬と評され、必ず先手を取ってきた彼女にとって、それは辛い場面であった。


「うん……? こないのか?」


 構えを取るだけで決して攻めようとしないエリスを、オルステッドが怪訝そうに見た。

 剣神流は必ず先に攻める。

 そういった剣術だ。


「私は、待っていればいいのよ。そしたら、ルーデウスと一緒に攻めるわ」


 エリスは静かに言った。


「……驚いたな。エリス・ボレアス・グレイラットが仲間と共に戦おうとするとは。

 これも狂いか?

 確かにエリス・ボレアス・グレイラットがもう少し分別を持ち、

 しかるべき師匠に付けばとは思ったが、なるほど……こうなるか」

「私は、もうボレアスじゃないわ。エリス・グレイラットよ」

「俺の知っているエリスとは、別人ということか……」


 オルステッドはそう言いつつ、ゆっくりと構えた。

 左手をだらりと下げたまま、右手をゆっくりと上げ、剣先でエリスを指し示した。


「では、俺からいこう」


 互いに何もしないまま、戦いは第二段階へと移行した。



---



 エリスは再び剣神との会話を思い出す。


『奴は手刀で『光の太刀』を放てる。

 だが『光の太刀』の対処なら、ニナとの模擬戦で何度もやってきただろう?

 お前だって分かってんだろ。最高速度に達してない手首を、刎ね落とせ』


『ただし、右と左、どっちで放ってくるかはわからない。

 両手で構えたら、どっちかに賭けろ。

 上から来るか、下からくるかもわからない。

 上段か、下段で構えろ。

 それが、第二段階だ』


 剣神は、確かにそう言っていた。


 エリスはそこで顔をしかめた。

 オルステッドは剣を抜いている。

 手刀ではない。

 完璧な『光の太刀』が来る。


 エリスは自分にそれが対処できるだろうかと自問する。

 できるはずだと自答する。

 オルステッドは万全ではない。

 息もやや荒く、体は傷だらけだ。

 剣を持つ腕からも血が流れている。


 さらに、オルステッドが構えたのは右手。

 狙い通り、下からである。


 怪我をしているのに、片手で。


(ナメられている……)


 いつもならその事に激高しかねないエリスだが、不思議と落ち着いていた。

 ナメられているのを好都合だと思う日が来るとは、彼女自身も思わなかった。


「剣神流奥義『光の太刀』」


 オルステッドの手が凄まじい速度で放たれるのと同時に。


「剣神流奥義『光返し』」


 エリスの剣が振り落とされた。

 何千回と繰り返した型の一つ。

 光の太刀への対処法。

 最高速度に達していない位置に、最高速度で追いつき、両断する。


 オルステッドの剣と手首が宙を舞った。


(とった!)


 エリスはそう思った。


 だが、オルステッドは次の瞬間、驚くべき行動に出た。


 左手にて宙を舞った手首をキャッチし、即座に腕へとつなげたのだ。

 それとほぼ同時に、ういた上体を無駄にしないように、回し蹴りを放っていた。


 しかし、エリスはこの蹴撃を回避した。

 剣神の助言に、こうした行動もありうると聞いていたからだ。


「……っ!」


 半歩後ろに下がる事で蹴りを回避し、追撃に放たれた手刀を、返す刀にて撃ち落とした。


 互いに光の太刀ではない。

 ゆえに、エリスの斬撃はオルステッドに傷を付けることが出来なかった。

 ガギンと音を立てて手刀は軌道を逸らし、オルステッドは無傷でその場に立っている。


 やや遅れて、オルステッドの剣が、トスと音を立てて背後の地面に突き刺さった。


 オルステッドを見れば、切り落としたはずの手首はすでに修復を終えていた。

 それと同じくして、ルーデウスが与えたと思わしきダメージも、綺麗に消えていた。

 治癒魔術だ。

 今の一瞬の攻防で、オルステッドは治癒魔術を使った。

 そして、そのたった一度の治癒魔術で、全てを治療したのだ。


(化け物ね……)


 エリスは静かにそう思う。

 今の斬撃も、光の太刀ではないが、かなりの速度と威力をもっていた。

 しかし、弾かれた。

 光の太刀以外では、オルステッドの、龍神の龍聖闘気を砕く事はできないのだ。

 『鳳雅龍剣』を持ってしてでも。


「この戦い方。剣神の入れ知恵か。よほど気に入られたようだな、エリス・グレイラット」


 エリスは剣を上段へと戻した。

 心を研ぎ澄ませ、平穏を保つ。

 次の言葉は、大きかった。


「ガル・ファリオンの寝所にて、武勇伝でも聞かされたか?」


 後ろにいる三人に。

 いや、ルーデウスに聞こえるように、言っているのだ。

 誤解されかねない言葉を。

 普段のエリスならば、決して許しはしない暴言。


 エリスはなんだかんだ言って、剣神を尊敬していた。

 この数年間、必死にエリスを鍛えてくれたのはガル・ファリオンだ。

 彼は自分の夢を託したのだ。

 そこには、決して男女の関係はなかった。

 師匠と、弟子がいただけだ。

 利害関係の一致した師弟が。


 だが。

 だが。

 その師匠は言ったのだ。


『うまく事が進めばどこかでオルステッドが挑発してくるかもしれねえ。

 誘われるんじゃねえぞ?』


 剣神は挑発を予想していた。

 ゆえにエリスも動じない。

 何も怒る事はない。

 今、オルステッドは剣神ガル・ファリオンの掌の上にいる。


「ふん」

「…………そうか。本当に強くなったのだな」


 オルステッドは、ただ一言、寂しそうにつぶやいて。

 両手で手刀を構えた。


 エリスはそれを見て、剣神の最後の言葉を思い出した。


『奴は、何らかの理由で本気を出せない。

 剣術も、魔術も使えるのに、なるべく闘気と体術だけでなんとかしようとしてくる。

 特に、自分のよく知っている流派を相手にした時はな。

 闘気と体術、足りなきゃ魔術も使って、最適な行動で倒そうとしてくる。

 だが知らない時は……』


『奴は、初めて見る技は、観察しようとする癖がある。それが奴の弱点かもしれねぇ』


 エリスの脳裏には、オルステッドとルーデウスの最初の戦いが描かれていた。

 弱るネズミをいたぶるような、大人げないオルステッドの動き。

 トドメをささず、ゆっくりとなぶるような行動。


「ギリッ」


 エリスは歯ぎしりをしつつ、鳳雅龍剣に添えられた左手を移動させる。腰の左側、ミグルドの里でもらった銘無き愛剣へと。


 右手のみの上段に持たれた鳳雅龍剣と、鞘に収められたままの無銘。

 変則的な二刀流。


 だが、剣神流に二刀流はない。

 二刀流は北神流の型の一つである。


 まして。

 まして、いかに魔剣たる鳳雅龍剣であっても。

 片手で光の太刀は放てない。

 抜刀術はあれども、逆手で居合い斬りは放てない。

 無駄な構え。

 無駄な動き。

 剣神流の免許皆伝を授かった、剣王の取るべき構えではない。


「む……」


 だからこそ、オルステッドの動きが止まる。

 手刀を構えたまま、エリスを見ている。

 その瞳には、現在治癒魔術を受けているであろうルーデウスの姿は写っていない。


 自分だけを見ている。

 だが、無駄な時間は過ごせない。

 こちらが何もしなければ、オルステッドは攻めてくる。


 そんな時のために、エリスは付け焼き刃で一つの技を練習した。

 北帝オーベールより習った北神流の技。

 かつて、一度だけ見たことのある、技。

 エリスはそれを、剣が鞘に収まっている状態から、片手で、最速で行えるように練習した。

 不完全ではあるが、確実に相手の命を奪える技。



『追い詰められた北神流は剣を投げる』



 エリスの左手は雑とも取れる動きで、しかしまっすぐ動いた。

 剣鍔に指を引っ掛け、剣を抜き放つ動作のまま、オルステッドに向かって剣を投擲した。

 エリスと長い間苦楽を共にした無銘の剣は、剣先をオルステッドに向け、まっすぐに飛翔する。


 エリスの左手は、投擲した勢いを殺さず、そのまま上段に構えた剣へと移動した。

 できうる限りの最速を持って、左手を鳳雅龍剣へと移動させる。


 到達した瞬間、両手持ちになった。

 一瞬のタイムラグすら無く、『光の太刀』が放たれる。


「!」


 渾身の力を込めた光の太刀は、中空に投げられた無銘の剣を追い抜いた。

 そして、オルステッドの脳天へと最短の距離を奔り、最速で打ち込まれたのだ。


 キンと、音がした。


「……チッ」


 エリスは光の太刀を放った姿勢のまま、舌打ちをした。

 彼女の剣は、オルステッドによって受け止められていた。

 真剣白刃取りである。

 無銘剣はオルステッドの体に当たるも、龍聖闘気に弾かれて、エリスの遥か後方へと飛んでいった。


「思った以上だ。だが、これで終わりか?」

「いいえ」


 無銘剣の落ちた先。

 エリスの振り返る先。

 そこには、ルーデウスが立っている。

 治療を終えたルーデウスが。


「……これからよ!」


 振り返ったエリスの視界に映ったもの。

 それはルーデウスであった。

 確かにルーデウスであった。


 目の下に真っ黒いクマを作り、

 明るい茶髪は白髪になり、

 足はガクガクと震え、

 顔面は蒼白、唇は紫色で、

 今にも死にそうな顔でシルフィとロキシーに支えられて、立っていた。


「……………………」

「何が、これからなのだ?」


 ルーデウスはお世辞にも、戦える風体ではなかった。

 もはや魔力は無く、力も無く、意思すらも残っていない。

 満身創痍(ぼろぞうきん)という言葉が似合う姿。


「…………これからは、これからよ」


 エリスはそれを見て――覚悟を決めた。



---



「あなた達はルーデウスを逃しなさい!」


 エリスの叫び。


「私が、命に替えてもオルステッドを足止めするから……!」


 その覚悟を、シルフィは明確に感じ取った。

 彼女は同じ覚悟を見たことがあった。

 かつて、アリエルと共に旅をしていた時の仲間と、同じ覚悟。

 決死の覚悟。


「ぼ、ボクもやるよ!」


 シルフィは叫んだ。

 彼女の足は震えていた。

 オルステッドを初めて目の当たりにして。

 その恐怖の象徴とも言える存在を前にして。

 死を覚悟した。

 ルーデウスを守るためにそれを決めるのは、そう難しい事ではなかった。

 こんな相手の所に、自分の好きな人を向かわせてしまった事への後悔があった。


 シャリーアでエリスに「ルーデウスを殺す気か」と言われた事が耳に残っていた。

 そんなつもりは無かった。

 ルーデウスが悩みつつもいつも通りの調子を取り戻していたから、大丈夫だと思っていた。

 ルーデウスはいつも帰ってきたし、人知を超えるほどの強さを持っていた。

 魔導鎧だって、凄まじい力を持っていた。

 あれに勝てる相手なんていないと、思っていたのだ。

 それが思い違いなら、シルフィも迷うことは無かった。


「……!」


 エリスはシルフィを見て、その瞳を見て、頷いた。


「……じゃあ、後衛を頼むわ! ギレーヌ! ルーデウスとロキシーを護衛して逃げて!」

「エリス! あたしはお前を守るのが仕事だ!」


 その言葉に反対したのは、獣族の剣王であった。

 彼女はエリスの戦いを見ていた。

 彼女の努力を見ていた。

 だからこそ口も出さず、手も出さずに見届けようと思っていた。

 それが、今はなきエリスの祖父。

 大恩を持つサウロスに対する義理と恩返しだと思っていた。


「私の言うことが聞けないの! 私の大事なものを守れと言っているのよ!」

「……聞けん! お前が死んだら、サウロス様とフィリップ様に顔向けが出来ん!」


 だが、明確な死地へと赴くのであれば、それは許可できない。

 無駄死をさせるわけにはいかない。

 ……と、ギレーヌがそこまで考えたわけではないが。とにかく反射的に反論した。


「……今は逃げるべきです!」


 ロキシーは身重の自分に戦闘は荷が重いと悟っていた。

 ここまでついてきたものの、戦いとなれば確実に足を引っ張るとわかっていた。

 ゆえに、森の外で待たせている馬の所までルーデウスを引っ張り、全速力で逃げる算段をつけようとしていた。

 例え流産してでも、ルーデウスだけは逃がすつもりでいた。

 その後の事は考えていない、ただ今は、逃げて体制を立て直すべきだと考えていた。


 そんなエリスとギレーヌの口論を尻目に。

 シルフィとロキシーの決意を尻目に。


「…………ふぅ」


 オルステッドは、大きく、ため息をついた。

 そのため息に、ルーデウスを除く全員が、構えた。


 オルステッドは集まった視線をものともしなかった。

 そのまま、大音声で言い放つ。


「ルーデウス・グレイラット!」


 ルーデウスはビクリと身を震わせた。


「俺は貴様がヒトガミに組する限り、(のが)しはしない! この場にいる全ての人間、町にいる全ての人間を皆殺しにしてでも、お前を追い詰めて殺す!」


 ルーデウスの震えが大きくなった。

 ガクガクと震え、目線を足元へと向けた。


「ヒトガミの言葉など信用しないが……ヒトガミが本当にお前の言った言葉を吐いたのであれば、お前を殺した上で、お前の子供を拐かす!」


 その言葉に、ルーデウスの震えが止まった。

 瞳に力が灯った。

 ブルブルと震える足に左拳を叩きつけつつ、右手でロキシーの杖を奪うように手にしようとして、すでに両手が失われている事に気づかず、バランスを崩しかけた。

 慌てて動いたロキシーに支えられたまま、ルーデウスはオルステッドを睨みつけた。

 その瞳にあるのは、殺意だ。


「だが、闘神を模倣した貴様の鎧と、ラプラスの因子を持つその魔力、そして俺の呪いの効かぬ貴様の体質には、利用価値がある!」

「?」


 オルステッドの言葉に、ルーデウスの殺意が若干ながら揺らいだ。

 怪訝そうな顔をするルーデウスに、オルステッドは続ける。


「ヒトガミを裏切って俺に付け!」


 その言葉に即座に反応したのは二人。


「馬鹿いうんじゃないわ!」

「ルディ、ダメだよ!」


 エリスとシルフィは、オルステッドが嘘を付いていると確信していた。

 根拠は無い。

 だが、そう確信していた。

 ギレーヌとロキシーは沈黙を守っていたが、オルステッドが何かを企んでいると、言葉に裏があると考えていた。


「そうすれば、俺に奇襲を掛けた件は水に流し、貴様の腕の怪我も治療しよう!」

「……」


 だが、ルーデウスは違った。

 オルステッドの声音に、あるものが含まれている事に気付いた。

 喉の奥の震えに気付いていた。

 気づいてしまっていた。


「俺の……龍神の加護を得れば、ヒトガミもそう安々と貴様に手は出せんはずだ」


 ルーデウスの瞳には、懐疑と迷いの光があった。


「今、この会話も、奴には届いていまい!」

「……」

「もし、お前が嫌々ヒトガミに従っているのなら、悪い話ではないはずだ!」

「…………」

「選べ! ルーデウス・グレイラット!

 ヒトガミに付き、俺の手で全てを失うか!

 俺に付き、共にヒトガミと戦うか!

 貴様なら、俺の呪いの効かぬお前なら、己の意思で選べるはずだ!」


 ルーデウスと、オルステッドの視線が絡んだ。

 ルーデウスはそのままゆっくりと息を吐いた。

 何かを確かめるように、じっと顔を見た。

 表情の奥にある真実を見ようとした。

 当然、ルーデウスにそんなものは見えるわけもなく、数秒の時間が過ぎた。


「ルディ?」


 ルーデウスは、よろよろとロキシーの手を離れた。

 倒れそうになりながら、ゆっくりと歩き、

 ギレーヌの肩にすがり、よろめいてシルフィに抱きつき、エリスの脇を抜けて。

 オルステッドの足元へと倒れこんだ。

 両膝をついたまま、オルステッドを見上げる。


「本当に、ヒトガミの手から、家族を守る方法が、あるんですか……?」

「ある! 奴は強大な未来視を持つが、全てが見えるわけでも、全知全能なわけでもない」

「その方法は、絶対に、絶対に、大丈夫なんですか?」

「……絶対ではない。俺も、奴の力を全て把握しているわけではない」


 オルステッドは断言しなかった。

 大丈夫だとも、安心しろとも言わなかった。


 ルーデウスは救いを求めるような目で、オルステッドを見た。

 ルーデウスの目の端にたまった涙は、一体、なにを思ってのものだったろうか。

 ただ、ルーデウスは決断した。



「……俺は、龍神(あなた)の下に付きます。助けてください」




 その日。

 ルーデウス・グレイラットは龍神の配下となった。

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