第百五十七話「覚悟」
--- シルフィエット視点 ---
最近、ルディの様子がおかしい。
一日中、書斎に篭もりきりだし、出てきたと思ったら青い顔をしている。
一体なにをしているのだろうか。
心配だけど、聞いても答えてはくれない。
昨日も適当にはぐらかされて、ベッドに連れ込まれた。
まあ、ボクを抱いて気を紛らわせてくれるなら、それでもいいんだけどさ。
その事をロキシーにも相談したみたら、
「シルフィも気付いていましたか……ルディは辛い時でも、中々口には出しませんからね……いざという時は力になってあげましょう」
と、やはり心配しているようだった。
あまり続くようだったら、ボクの方から、少し強引にでも聞き出した方がいいかもしれない。
なんて、思っていたら、夕飯の後に、ルディからやや言いにくそうに頼まれた。
「あー、シルフィさん、ロキシーさん。今晩、俺の部屋に来てくれるかね?」
おかしな口調だった。
ルディは、ボクとロキシーを同時に抱く時、大体いつもこんな感じになる。
後ろめたい事なんて無いんだし、堂々としていればいいのにさ。
ルディがそんなだから、ボクまでこの状況を許してちゃいけない気になってくる。
ロキシーだって別にイヤじゃないみたいだし、ボクに対しても結構気を使ってくれるから、ボクだってイヤじゃないのにさ。
ルディは何を遠慮してるんだろうね。
ともあれ、呼ばれたのだからと、ボクとロキシーは準備をした。
二人でお風呂に入って体を洗いあって、こういう時用に用意していた香水をつける。
下着はこのあいだ買ったのを。
寝間着は……ルディは露出が大きいのより、柔らかくて袖があるのの方が好きみたいだから、それを選んで身につける。
一応、前合わせのボタンを二つ外して、胸元を出してみるか。
胸無いし、あんまり色っぽくは無いと思うけど……でも、ちょっとでも可愛がってもらいたいしね。
いや、でも下品に思われるかな……いやいや、ルディはそんな事思わない、大丈夫、大丈夫。
この間も胸元のボタンを外してたら、後ろから中を覗こうとしてたし。
バレバレだったけど、なんか楽しそうだったから、されるがままに覗かせてあげたら、後でベッドに連れ込まれたけど。
ロキシーはいつも通りの、ワンピース型の寝間着だ。
下着はつけてないみたい。
彼女も攻めるなぁ……。
ともあれ、ふたりとも準備オッケー。
気合を入れて、寝室に向かった。
ルディは寝室にある椅子に座って待っていた。
ボクとロキシーはベッドに並んで座った。
ボクが右、ロキシーが左と、特に決めてないけど、いつもそんな感じだ。
「……」
いつもだと、ルディはボクらの間にだらしない笑みを浮かべつつ割り込んでくるんだけど。
その日は、ちょっと気配が違った。
やや真面目な顔で、椅子に座っていた。
顔も、真面目だった。
ルディは言葉を選ぶように「あー」と前置きをして、ロキシーの方を向いた。
「あー、ロキシー」
「はい?」
「学校での、ノルンの様子はどうだね?」
どうだねって、誰の真似だろうか。
ロキシーも苦笑している。
「……どうも何も、先日ノルンさん本人から話を聞いたのでは?」
「君の率直な見立てを聞きたいのだよ」
ルディの口調がおかしくて、ちょっと笑えてくる。
「はぁ……そうですね、勉強も剣術も並ぐらいの成績ですが、生徒会は頑張っています。
特に、風紀的な活動では一目置かれているように思います。
魔法大学はヤンチャな生徒が多いのですが、彼女が通ると皆が道を開けます。
ルディの妹ということもあるのでしょうが、他の上級生にも慕われているのが大きいでしょう、彼女に喧嘩を売る者はいません。
友達も多いようですし、ルディが心配するような事は、何も無いかと」
「なるほど、ありがとうございます」
うん。
ノルンちゃんは頑張ってる。
ボクも最近はあまり学校に行ってないけど、生徒会のメンバーから話を聞く限り、あれだけ頑張っている子はそうそういないらしい。
ボクはお姉ちゃんらしいことはできてないけど……。
「ロキシーの方はどうですか?」
「どう、とは?」
「最近、何か気になる事はありませんか? そう、例えば、小腹がすいて食事をつまみ食いしまくっているとか」
「最近はルディがオカズを分けてくださるので、むしろ太るんじゃないかと心配です」
「学校生活の方は?」
「……学校生活は普通です。たまに背が小さいとバカにされたり、授業を聞いてくれない生徒もいますが」
「なんですって! どこのどいつですか! ロキシーの授業を聞かないなんて不心得者は! 俺が教育して、イエスとハイとバブーとチャーンしか言えないようにしてやりましょうか!?」
「へっ!? い、いいですよ、これは教師の試練みたいなものですから……でも、ありがとうございます」
ロキシーはやや呆れ顔で頭を下げた。
でも、やや恥ずかしげに。毛先をイジりつつ。
いいなぁ。
ルディからの尊敬、羨ましい。
「一応、もう一つ、気になる事もあるのですが……」
「詳しくお聞きしましょうか」
「そちらは、確定してから報告させてもらおうかと考えています」
「…………楽しみに待っています」
あ。
なんか、今、ロキシーが言いたいこと、わかっちゃったかも。
そういえば、最近なんか調子がおかしいって言ってたし。
お祝いとか、用意しといた方がいいかな?
いや、まだまだ決まったわけじゃないもんね。
「シルフィ」
「なぁに? ルディ」
ふと聞かれ、ボクは努めて可愛く見えるように小首をかしげてみせた。
ルディの目線が、ボクの首の下あたりに注がれている。
よしよし、作戦成功だね。
「最近の、えぇと……ルーシーの様子は、どうかね」
「ルーシーの様子は、ルディもよく見てたでしょ? 元気だよ?」
「天上天下唯我独尊とか叫んでないよね?」
「てんじょ……なにそれ。あ、でもリーリャさんが、そろそろハイハイができるようになるかもって」
「ほう」
リーリャさんのおかげで、子育ては順調だ。
アリエル様は、子供は侍女が育てるものだから母親はなるべく関わらない方がいいと言ってたけど、おばあちゃんは、出来る限り自分の手で可愛がってあげなさい、と言う。
ボクとしてはおばあちゃん寄りの考えだし、ルディも
「シルフィは、最近何か、気になることはありますか?」
「無いよ。強いていうなら、夫が何か隠し事をしてるって事ぐらいかな」
咄嗟に言ってしまった。
ちょっと今のは、よくない態度だっただろうか。
「お、おう。すいません」
ルディは、おどおどと狼狽した顔で、目線を逸らした。
やっぱ、なんかあるんだなぁ。
言ってくれないのかなぁ……。
と、ルディの視線がすぐに戻ってきた。
力強い瞳。
こういう目をした時のルディは、最高にかっこいい……。
「本日、二人に来ていただいたのは他でもありません、そのことです」
ボクは居住まいをただし、胸元のボタンを止めた。
ロキシーも戸惑いつつ、背筋を伸ばしている。
「コホン……さて、何から話せばいいのかわかりませんが……先日、俺はある人物と出会いました」
「ある人物?」
「そうですね。未来を予知する能力を持った神子……という感じの人です」
そこからルディの語った話は、ボクたちでも十分に危機感を覚えるものだった。
ルディと
そいつのせいで、これから
そのために、ルディは今後、おかしな行動が増えるかもしれない、という事。
正直、考えすぎなんじゃないか、と思う所もあった。
でもルディは何か確信を持って話していた。
きっと、こうやって説明しつつも、ボクらに知らせるべき情報と、伏せておく情報を考えているのだ。
ちょっとそのへん、モヤっとするけど、
でも、何かがあってからでは遅いというルディの考えは理解できた。
「そっか……それで、ボクらに手伝える事は?」
「無いということはないけど、俺としては、なるべく危険な目にはあってほしくないと思ってる」
またか。
最近のルディは、そう言う事が多い。
いつ頃からかな……パウロさんが亡くなった頃からかな。
大事にされているとはわかるけど、過保護すぎなんじゃないかなぁ。
ボクだって、もう何もできない子供じゃないんだし……。
「でも、ボクらがいない所でルディが危険な目に合うんでしょ?」
「まだ何とも言えないけど、そうなるかな?」
「それはなんか、イヤだなぁ……」
アトーフェと戦った時だって、ルディは凄く消耗していた。
ルディは強いけど、戦うの自体は好きではないんだ。
なのに、色んな所に飛び回って、戦って、死にかけて……。
ボクの役割がそんなルディを待ってて、慰めたり、元気づけるだけっていうのはイヤだ。
せめて、付いて行きたい。何か出来るかもしれないし。
でも、足手まといになるかもしれないし……。
うーん。
「わかりました」
そう言ったのは、ロキシーだった。
彼女は髪の先をイジリつつ、ルディの目を見て、微笑んだ。
「ルディが留守にしている間は、わたしがノルンさんやアイシャさんを守ります」
きっぱりとそう言った。
ルディがそうなら、自分の役割はそれだと言わんばかりに。
「ロキシーはいいの?」
ロキシーは、ついてきたいとか思わないのだろうか。
そう思って聞くと、ロキシーは頷いた。
「ルディは自分より、家族に不幸がある方が悲しみますからね」
「……でも」
そういえば、ロキシーはパウロさんが死んだ時、ルディの側にいたのだ。
その時のルディの落ち込みようは聞いただけだから分かりにくいけど、ルディが今までに無いぐらい落ち込んだっていうんだから、相当なものだったろう。
ボクとの約束を破るぐらいに……ああ、ボクはイヤな女だな。やめよう。
ルディはちゃんとボクの所に帰ってきてくれた。それでいいじゃん。
「シルフィ。わたしももちろん、ルディが危ない目にあうのを、ただ見ているつもりはありません」
どういう意味だろう?
ロキシーは家にいるんだよね?
「わたし達から見て助けが必要だと思ったら、その時はわたし達の判断でルディを助ければいいじゃないですか」
あっ。
なるほど。
よくよく考えてみるとその通りだ。
ルディを助けるのに、ルディの許可なんて必要ないんだ。
勝手に助けちゃってもいいんだ。その結果、ルディが助かるなら、それでいいんだ。
「……そうだね、うん。わかったよ」
ルディはそんなロキシーの言葉に苦笑していた。
頭ごなしに叱るでもなく、頼もしい人を見る目で見ていた。
「ルディは後ろを振り向かず、思う存分、好きなことをしてください。背中はわたし達が守りますから」
ロキシーはそう言って微笑んだ。
ルディの目がキラキラしている。
すごいなぁ、ロキシーは。ルディから尊敬されちゃうんだから。
「じゃあ、俺がダメそうなときは、お願いします」
ルディはほっとしたように、微笑んでいた。
なんにせよ、ルディが安心して何かが出来るなら、それが一番だよね。
ルディが困ってたら、ボクの判断で助けてあげるんだ。
ああ、いいなぁ。
そういう立場、憧れてたかも。
いざという時に頼りになる、普段は貞淑な妻。
よし。
「で、もう一つ、あるんですが」
と、意気込みをあらわに拳を握った所で、ルディが神妙な声を出した。
先ほどと、ちょっとだけ雰囲気が違う。
さっきも言いにくそうだったが、それは言葉を選んでいる感じで、
今回は話題そのものを避けたい感じの口調だった。
「…………こっちは、なんと、言ったらいいのか」
「深刻な問題ですか?」
ロキシーが気を使って相槌を打つと、ルディは大きく頷いた。
「二人には、非常に言いにくい事です」
「……」
なんだろう、不安だ。
最近のルディの不調と関わりがある事だろうか。
もしかして、今の解毒魔術では治らないような病気に掛かってしまったとか。
「確定ではないのですが、もしかすると、もう一人、増えるかもしれません」
「……」
「……」
むっ。
もう一人増えるって、女の子だよね。
そういう話だよね?
あれだけ、もう増やさないって言ったのに……。
いや、ボクは増やさないでと頼んでないし、いいんだけどさ。
でもルディが自分自身で言ったことを守らないのは、どうかと思うんだよね。
言わないけどね。
ボクって貞淑だし。妻は夫に意見しないもんだし。
「誰? ナナホシ?」
ボクは努めて冷静にそう言った。
怒ってないつもりだったし、成功したと思う。
でも、ナナホシはなぁ。
なんか違う気がするんだよね。
彼女はそれほどルディの事が好きじゃないっていうか。ルディに向ける感情は、愛情じゃなくて感謝というか。
ルディが抱かせろって迫ったら、拒否しないんだけど、それは拒否しないってだけで歓迎してるわけじゃなくて……うーん。
「ナナホシじゃ、ないです」
ルディは否定した。
けど、ルディの眉はハの字だ。
凄く申し訳なさそうな顔だ。
「エリスという人です」
「エリス……」
エリス。誰だったっけか。
どこかで聞いた気がするけど、学校の人じゃないな。
「確か、ルディがフィットア領で家庭教師をしていた時の生徒だった方ですよね?」
すぐに、ロキシーが助け舟を出すように、答えをくれた。
思い出した。
「……その人、ルディが病気になっちゃった原因の人だよね」
「ああ、まあ、そうなるかな」
ルディは、もう忘れてしまったのだろうか。
ボクと再会した頃のことを。
当時はわからなかったけど、ボクと結婚した後のルディの変わり様を見ると、あれがいわゆる男としての自信を失っていたからだってのは、なんとなくわかる。
辛かったと思う。女だし、実感は無いけど、間違いなく。
ボクだって、最初の時、ショックだったもん。
「ルディは、あんな辛い思いをしたのに、まだ、その人のこと、好きなの?」
「今は、シルフィの方が好きです」
目を見てストレートに言われた。
恥ずい。
うぅ、やっぱりルディはカッコイイな。
叫びながらゴロゴロしたくなる。
今はもういないけど、リニアとプルセナに自慢したくなる。
いやいや、今はその、エリスって人の話だ。
ごまかされないぞ。
「じゃあ、その人が自分からルディを捨てたのに、未練があってヨリを戻したいってこと?」
「いや、捨てたってのは俺の勘違いで、未練もなにも、彼女は心変わりしてなかったってことで」
「……でも、ルディは辛い思いしてたじゃん」
「まあね……」
「ボク、あの頃の殺伐としたルディ、ちゃんと覚えてるんだからね」
「あの頃の俺だったら、エリスを許せないというか、会うことすら怖がっていただろうね」
「……」
今は、違うのだろうか。
さっき話した、未来予知の神子の人と関係があるのだろうか。
その人に、そういう予言をされたとか。
んー、でも、それって何か違う気がするんだよなぁ。
まあ、ボクも「将来はルーデウスという男と結婚して子供を5人ぐらい産む事になります」なんて言われたら、期待しちゃうけどさ。
こういうのって、本人同士の気持ちも大事だし。
ルディがそんな好きでもないのに結婚するのは、どうかなぁ。
「シルフィがそんなに嫌がるんだったら、妻にするとか、そういうのはやめるけど、でも、どのみち話はしなきゃいけないんだ」
ルディはそう言って、自分の言葉で何かに気付いたような表情をした。
なんだろ。
「でもエリスは、俺のために、今までずっと、剣の聖地で修行していたらしいんだ。それで、帰ってきて俺に拒絶されるなんて、可哀想だろ?」
「それは確かに、そうかもしれないけど」
ずっと頑張ってきて、拒絶される。
その恐ろしさは、なんとなくわかる。
ボクもルディに追いつこうと、ブエナ村で頑張ってたから。
「別に嫌じゃないけどさ……」
もし、転移事件がおきなくて、ルディがブエナ村に帰ってこなくて。
なんでだろうと思って探しにいったら、別の女の子と結婚してた……なんてなったら。
凄いショックだろうなぁ……。
「会ったこともないし……でも……うーん……」
そうだ、まだ会った事もないんだよね。
今まで、ルディにあんな仕打ちをしたから嫌なヤツだと思ってたけど。
でも、勘違いって事は、ずっとルディが好きだったってわけで。
ルディをあんな風にするつもりはなかったってわけで。
などと考えていると、ロキシーが口を開いた。
「その件も、実際にエリスさんに会ってから決めればいいことではないでしょうか」
「ロキシー?」
「ルディも、自分の気持ちが定まっていないようですし、再会してみなければわからない事も、多いでしょう」
ロキシーはどう思っているんだろうか。
三人目が出来る事自体は、あまり反対しているようには見えないけど。
でも、こういった件については、ボクに遠慮しているようにも見えるし……。
「エリスという方を見て、どうしてもダメだったら、その時は……わたしも反対しましょう」
あ、そうか。これも、さっきの話とおんなじだ。
まだ予定の話なんだ。
やっぱり、ロキシーはよく考えているなぁ。
ボクより、よっぽどルディの妻としてしっかりしてる気がする。
「もちろん、この事はわたし達だけでなく、他の方々にも相談しておかなければいけませんが……わたしとしてはルディの選択を応援するつもりです」
「ありがとうございます」
「今後、3人、4人と増えても、わたしのことを忘れずにいてくれたなら、それで構いません」
「ロキシーを忘れるなんてありえませんとも」
「約束ですよ」
「はい」
ルディの信頼も厚いし、頭もいいし……。
嫉妬しちゃうなぁ。
いやいや、ボクも頑張ってああいう風にならないとね。
目指せ、大人の女だ。
「シルフィも、なんか、ごめんな」
「ううん。ボクの方こそ、なんか文句ばっかり言って、ごめんね」
ボクとルディは、互いに頭を下げあった。
それを見て、ロキシーがくすりと笑った。
アリエル様やルークといる時とはまた少し違う、心地よい空間だ。
ここにもう一人か。
どうなるのかな……。
ちょっと不安だ。
ルディを取られちゃったりは、しないよね?
--- ルーデウス視点 ---
その後、俺達は三人、川の字になって寝た。
俺だって、あんな話をした直後に相手を抱くほど無神経ではない。
……というのもあるが、脳裏にエリスの顔がちらついて、どうにもよろしくなかったってのもある。
もう引きずっていないつもりだったが、腹の奥底に不安のようなものが沸き上がってくるのを感じる。
ロキシーの言うとおり、俺自身、彼女に対してどういう感情を持っているのか、いまいちわかっていないってのもある。
なんにせよ、やはりエリスとは、きちんと決着を付けなければいけない。
でも、正直、彼女と会うのは、怖い。
殴られるのは間違いないだろう。
彼女はとてつもなく強くなっているらしい。
そんなエリスが、俺の隣にいるシルフィとロキシーと会ったら、どうなるだろうか。
……日記では、エリスはシルフィを襲うようなことはしなかったようだが。
しかし、日記が正しいとは限らない。
その時その時の言葉や会話の流れで、感情はいとも簡単にひっくり返る。
不安だ。
こんな事で、俺はエリスと会ったら、どうなってしまうのだろうか。
なんて悩みつつ、俺はいつしか、眠りに落ちていた。
夢にヒトガミが出てきた。
---
真っ白い場所。
転移魔術を使った時に、人が通る場所。
そこで俺は、いつも通り、前世のままの姿で立っていた。
未来の俺の研究によると、確かここは無の世界。
六面体をした世界の、四次元的な世界の中心。
老人は言っていた、ここに至る方法はない、と。
しかし、現にこうして俺はここに立っている。
これは、どういったことを意味するのだろうか。
姿が違うということは、意識だけ、魂だけがここに召喚されている、という事なのだろうか。
「……」
そして、ヒトガミだ。
彼はいつも通りニヤついた――いや、笑っていなかった。
そのボヤけた全身から、不機嫌なオーラが立ち上っていた。
「つまんないな」
不愉快そうに、ぽつりと言った。
「ふざけた真似をしてくれるよね」
イライラと、今までの飄々とした態度からは考えられない声音で。
「未来から来るなんて、反則じゃないか。なんなんだよ、せっかくうまくいきそうだったのにさぁ」
そうやって、不機嫌になっているところをみると、あの老人の言っていた事は本当なのか?
お前は俺を騙したのか?
ロキシーとシルフィを殺したのか?
そして、裏をかけたのか、未来の俺は。
お前に、一泡吹かせられたのか?
「本当かどうかだって?
裏をかけたか、だって?
一泡吹かせられたのか、だってぇ?
さぁてねぇ。どうだろうねぇ。
未来の君も、少し勘違いしている事が多いみたいだからねぇ」
小馬鹿にするような口調だが、その声音には不本意そうなものが含まれている。
俺は心を乱されぬように注意しつつ、会話を続ける。
「なにが「会話を続ける」だよ。馬鹿のくせに賢そうなフリをしちゃってさ」
うっせーな。馬鹿でも、頭ぐらい使うんだよ。
でだ、なあ教えてくれよ。
どうして、お前は、俺に、俺の家族に、酷いことをするんだ?
「さぁて、どうしてだろうねぇ。
君の家族を殺して、君の反応を見るのが面白いからじゃないかなぁ」
今日のヒトガミは、どこか投げやりだ。
まるで今まで思い通りに進んでいた試合が、相手の考えなしな行動でグチャグチャになってしまい、やる気が無くなった時のような。
そんな印象を受ける。
「そうだよ、全部、君のせいだよ。
君の考え無しな行動のせいだよ」
……なあ、教えてくれよ。
俺は、お前の目的がなんであれ、それを積極的に邪魔しようとは思っていないんだ。
未来の俺は言った。
お前には勝てない、媚びへつらってでも、敵対するなと。
俺は、その通りにするつもりだ。
今までお前とは……まぁ、お前の思惑通り、お前の手のひらの上だったのかもしれないけど、うまくやってきた。
俺は利用される側でもかまわない。
お前の手先になれっていうなら、それを断る理由も無い。
けど、せめて、家族には手を出さないで欲しいんだ。
「随分と殊勝じゃないか」
少なくとも、俺が知る範囲では、だけど。
感情ってのは、大事だ。
お前はロキシーと、その子供を殺そうとしたけど、今のところは未遂だし、未遂なことは無かった事として、流せなくもない。
俺がお前を許せなくなる前に、いい関係を築きたい。
「ふぅん」
ヒトガミは、何かを思いついたのか、少し雰囲気を変えた。
そして、言った。
「僕の目的が、世界平和だって言ったら、信じるかい?」
ほう、世界平和。
それは素晴らしいな。賛同できる。
ラブ&ピースは俺のモットーだ。
平和な世界でエロいことをして暮らすってのが、最高だよな。
「エロはさておき」
おう。
「龍神がいるだろう。オルステッドだ。
あいつの最終目的は、この世界を滅ぼすことなんだ」
そうなのか。
そういう風には見えなかったが。
「あいつは、裏で色々と動いているのさ。
この世界は、僕が死ぬとバラバラになり、消滅してしまう。
だから、オルステッドは、僕を殺そうと躍起になっているのさ」
お前が何かしたから、オルステッドは怒ってるんじゃないのか?
俺にしたのと同じように、家族を殺したとかさ。
「前にも言ったろう? 僕は彼に接触できないんだ。だから、覚えはない」
まあいいか、それで?
「オルステッドは強いけど、一人だ。
そういう呪いを受けているからね。
そして、一人では、決して僕に勝てはしない」
なら、放っておけばいいだろう?
「そのつもりだったんだけど……君が現れた」
俺が、どうだって言うんだよ。
「君は別にどうってことないんだけどね……。
どうやら君と、君の子孫は、オルステッドの呪いが効かないらしくってさ。
将来、オルステッドに力を貸しちゃうみたいなんだ。
そして僕は、オルステッドと君の子孫、その仲間たちによって打ち倒されてしまうのさ」
なるほど……だから、妊娠したロキシーを狙ったのか。
そういえば、シルフィを戦争に連れて行くようにルークをそそのかしたのも、お前だって話だったな。
ルーシーを狙わなかった所を見ると、長男か次女が邪魔なのか?
あれ? でも、それなら、もっと早い段階で俺を直接狙えばいいだろう。
どうしてそうしなかったんだ?
「あの転移事件で君という存在を見つけてから。ダメモトで色々画策はしたんだけどねぇ。
君の運命が、とてつもなく強くて、どうしようもなかったよ」
運命って、なんだよ。
「どう説明すればいいかな。
僕はいくつか大きな道筋の未来が見えるし、ある程度の修正もできる。
けど、運命が強いと、思い通りにはならないのさ。
君はオルステッドと戦っても死ななかったし、僕がどれだけ遠ざけても、ロキシーと出会い、結婚して子供を作ってしまう」
因果律の事か?
過去に戻って歴史を変えようしても、結局は似たような結果になる、とかいう。
「まぁ、つまりそんな感じだよ」
そうか、俺とロキシーは結婚する運命だったのか。
なんかうれしいな。
「僕は全然、嬉しくないけどね」
そりゃ、すまんね。
で、それで、なんで俺の子供を狙うことにしたんだ?
それこそ、もっともっと未来、俺の子孫の……オルステッドに協力する奴らをどうにかすればいいんじゃないのか?
「オルステッドに直接関わる君の子孫もまた、非常に運命が強いんだ。
君や君の子孫だけじゃない。
シルフィやロキシー、エリスと言った存在も、かなり強い。
その子供だって、まぁ、そこそこ、結構なもんさ。
でも、女には運命の強さが曖昧になる時期がある」
運命の強さが曖昧になる時期って……。
もしかして。
「そう、子供を体の中に宿している時さ」
今、俺の中には、目の前にいる奴を殴りたい衝動が渦巻いていた。
だが、ぐっと我慢する。
ここで喧嘩をしても、勝ち目はない気がする。
「もっとも、それも失敗に終わったけどね」
……妊娠していないってんなら、子供を産んだシルフィまで殺す事はなかったんじゃないか?
「日記に書いてあったことかい?
まあ、僕はまだそこまでいってないからわからないけど、
憂いを断つ意味もあったんじゃないかな?
もしくは、僕に関係なく、君と別れたシルフィが死ぬ運命がそこにあったんじゃないかな」
そうか……彼女は、そういう運命にあったのか。
「完璧だと思ったんだけどなぁ。
運命の強い君を少しずつ誘導して。
一番弱い所で、一番効果的な結果がでる方法のはずだったのに」
イライラする……落ち着け。
怒るな。
ロキシーもシルフィも無事だ。
よし、よし。
「なに言い聞かせてるんだい。まさか、これで勝ったつもりでいるんじゃないだろうね?
言っておくけど、君の子供は、君や君の妻、君の子孫ほど運命が強いわけじゃない。
僕はこれで諦めるつもりはないからね。
僕だって、死にたくはないんだ」
死にたくないか。
まあ。そうだろうな。
けど、何か、方法は無いのか?
俺は、家族を助けるためだったら、何だってするつもりだ。
うちの家訓に「オルステッドに協力しない」というのを加えるとか。
子供には、ヒトガミ様は素晴らしい方で、龍神はゴミ野郎だと言い聞かせるとか。
「無理だね。そんなもんじゃ、運命は捻じ曲がらない」
もっとよく考えてくれ。
俺の運命は強いんだろう?
だったら、何かできるはずじゃないか。
「……あ」
何か、思いついたのか?
「いや、できるかどうかわからないんだけど……でも、可能性はあるのかなぁ……何でもするって言ったよね?」
……お、おう。
「じゃあさ」
ヒトガミは、イタズラを思いついたように、ニヤァと笑った。
「オルステッドを殺してよ」
---
「ルディ、苦しいよ、るでぃ……!」
目が覚めた時、俺はシルフィをきつく抱きしめていた。
喉はカラカラで、体全体から寒気がした。
だが、なぜか背中だけは暖かかった。
「あ……ごめん」
「ケホッ……ケホッ……」
シルフィを離して、顔に手を持っていく。
額を拭ってみると、ベッタリとした汗が張り付いていた。
「大丈夫ですか、ルディ」
背中から声が聞こえる。
首を巡らせてみると、すぐ近くにロキシーの顔があった。
背後から、俺を抱きしめてくれていたらしい。
背中が温かい。
「ごめん」
体を起こす。
時刻は、深夜か。
今のは、夢だったのだろうか。
違う。
夢じゃない、間違いなく、ヒトガミだった。
「コホッ……どうしたのルディ、大丈夫?」
シルフィも体を起こし、袖で俺の汗を拭いてくれた。
ロキシーは、先ほどからずっと俺の背中に抱きついて、胸のあたりをなでてくれている。
「大丈夫……ちょっと、変な夢を、見ただけだから」
オルステッドを殺してよ。
ヒトガミは確かにそう言った。
どういう意味だ。
どういう意図だ。
少し、整理しよう。
オルステッドはヒトガミと敵対している。
でも、オルステッドは一人だ。
一人では、ヒトガミに勝てない。
あれだけ強いやつがどうしてヒトガミに勝てないのかはわからないが、もしかすると、奴の所にたどり着くのに複数人の仲間が必要なのかもしれない。
そして、俺の子孫は、そんなオルステッドの仲間となってしまう。
すると、オルステッドはヒトガミに辿り着き、ヒトガミを倒してしまう。
だからヒトガミは、俺の子孫を、存在しないようにした。
ロキシーを殺して、シルフィを殺して。
子孫が誕生しないようにした。
それで、オルステッドはヒトガミの所に辿りつけなくなる。
ヒトガミが勝利するのだ。
オルステッドはオピニオンリーダーだ。
俺の子孫と、オルステッド。
どちらかが欠ければ、きっと、ヒトガミは勝利できるのだろう。
でも、俺に、奴が殺せるのだろうか。
ヒトガミは、俺の運命はとてつもなく強いと言っていた。
けれど、それはオルステッドだって同じなはずだ。
だってそうだろう。
ヒトガミと敵対していて、ずっと戦い続けているのだから。
大体、どうやって殺せって言うんだ。
俺はあんな強い奴を殺せる方法なんて……。
無いのか?
日記には、いくつか未来の俺が使っていた魔術が載っていた。
魔導鎧。
あれは、今の俺でも作れそうだし、作れれば、おそらく相当有効だろう。
未来の俺も、いくつか魔術を使っていた。
重力魔術と、転移魔術と、電撃魔術と。
重力や転移は分からないが……。
以前オルステッドと戦った時は、岩砲弾でも、一応ながらダメージを与えられた。
アトーフェは、俺の電撃をくらってしびれていた。
攻撃方法はある。
あとは、防御方法さえあれば、対抗できるのではないだろうか。
…………なんで、俺はオルステッドを殺す方法を、真面目に考えているんだろうか。
「ねぇ、ルディ。辛いなら、言ってよ? 言ってくれないと、ヤダよ?」
シルフィが泣きそうな顔をしていた。
俺は右手でシルフィの頭を抱き寄せて、左手で後ろにいるロキシーの手を握った。
なんでって。
そりゃ、二人を守らなきゃならないからだ。
「ちょっと、人を、一人、殺さなきゃいけなくなった」
「……え!?」
「ルディ……それ、どういう意味ですか?」
俺はロキシーの言葉には答えず、二人を離すと、ベッドから降りた。
ぬくもりが一瞬にして消えて、肌寒さを感じた。
「ごめん」
俺はそう言って、部屋から出た。
足元がフワフワする。
頭がクラクラする。
向かう先は研究室だ。
今すぐにでも、あの日記を読み返したくなった。
老人の戦い方の片鱗でも感じ取らなければならないと思った。
オルステッドを殺す。
あいつを殺して、俺の家族の人生を守る。
たとえ、刺し違えて、残った家族を悲しませてしまったとしても、だ。
「……」
ふと、研究室で、明日にでも出そうと思っていた手紙が目に入った。
「……」
俺はその手紙に、もう一文を付け加えた。
……エリスとも、もう会えないかもしれないな。