第百二十八話「帰ろう」
ゼニス。
彼女について、俺はある人物に相談する事にした。
落ち着いて考えてみれば、これは俺が一人で抱え込む問題ではなかった。
相談できる人物はいたのだ。
ここにはもう一人、家族がいるんだから。
「先生。俺はリーリャさんにこれからの事を相談してみようと思います」
「そうですね、それがいいでしょう」
俺とロキシーは身支度を整え、部屋を出る。
と、出た所で、丁度自室から出てくるエリナリーゼと目が合った。
彼女は俺と、そしてロキシーを見て、目を見開いた。
「ロキシー、あなた……」
「ルディ。申し訳ありませんが、わたしはエリナリーゼさんと話があるので、リーリャさんの所には一人で行ってください」
何の話があるんだろうか。
薄々想像がつく。
だが、こう言うからには、俺はいない方がいいのだろう。
「わかりました」
俺はロキシーを置いて、そのさらに奥。
ゼニスの寝ている部屋の前へと移動する。
部屋に入る時、ちらりと後ろを振り返ると、エリナリーゼとロキシーが自分達の部屋へと入っていく所だった。
「……」
とりあえず、俺はゼニスの部屋に入る。
ベッドに座ったゼニスと、その脇の椅子に座ったリーリャ。
病室のような風景に、俺は口元を引き締める。
「リーリャさん」
「なんでしょうか、ルーデウス様」
リーリャは疲れた顔でゼニスの世話をしていた。
まずもって、彼女と相談し、意見を交換すべきだった。
「すみません、母さんの世話を押し付けてしまって」
「いいえ。これが私の仕事です」
「そうですか」
仕事、といったか。
誰からも賃金が出るわけではないだろうに。
「母さんの様子はどうですか?」
ゼニスをちらりと見ると、彼女は俺をじっと見ていた。
しかし、何かをしたり、話しかけるという事もなく。
ただじっと見ているだけのようだ。
「はい。記憶はないようですが、不思議と体の方は健康です。体力もありますし。変な後遺症もありません。食事や着替えなども、一度教えればご自分でなさるようになりました」
「そうですか」
とすると、完全な廃人というわけではないのか。
ただ記憶を失っているだけで。
「シェラさんの見立てでは、魔力結晶に閉じ込められた事による、魔力的な弊害だろうと」
「治るんでしょうか」
「…………エリナリーゼさんの話によると、無理との事です」
エリナリーゼがそう言ったのか。
そういう事について、詳しいんだろうか。
しかし、諦めるにはまだ早い気もする。
ここでは、ロクな医者に見せることもできないしな。
「私は、奥様にはよくしていただきました。
旦那様がお亡くなりになった以上、私が奥様の面倒を見ます」
「俺も、できることはするつもりです……」
そう言うと、リーリャはピシャリと言い放った。
「必要ありません」
突き放すような言い方だった。
「えっ……」
驚いた声を上げた俺だが、仕方ないかという気持ちもあった。
俺は父親が死んで、母親が大変な時に、何もしていなかった。
リーリャに愛想をつかされたとしても、仕方が無い。
しかし、リーリャは言葉を続けた。
「ルーデウス様。差し出がましいとは思いますが、少しだけ失礼な物言いを許していただいてもよろしいでしょうか」
「なんでしょうか」
「ルーデウス様は、御自分の事をするべきだと思います」
「……俺の事ですか?」
「旦那様も、そうおっしゃるでしょう」
パウロはそんな事言わないと思うけどな。
あいつは、もっとこう、自分勝手だ。
「奥様のお世話は、私がすべき事です。そのために、私はいまここにいます」
リーリャは疲れていた。
疲れていないはずがなかった。
けれど、強かった。
すでにパウロの死を割り切り、一歩先に進んでいたのだ。
俺も彼女を見習わなければならない。
「リーリャさん。こんな事を聞いたら怒られるかもしれませんが」
「……怒りはしません」
「俺のすべきことって、なんでしょうか」
自分で考えるべきとわかっていたが、俺はそう聞いた。
リーリャは、驚いたような顔で俺を見た。
俺だって、少しはわかっていた。
けれど、他人の口から聞きたかったのだ。
「まずは、旦那様の死を、ノルン様方にお伝えすることかと思います」
そうだな。
帰らなきゃな。
---
翌日。
俺はメンバーを全員集めて、この町を離れることを宣言した。
まるで俺がリーダーのような形だが、みんな従ってくれた。
パウロの代わり、として見られているのだろうか。
なら、その役割を果たそう。
一応、帰りに通るルートについても説明をしておく。
転移魔法陣という単語を使うのは避け、ある特殊な方法で移動すると説明する。
さらに、その方法は他言はしないようにときつく言い含めておく。
「でも、ギースあたりが酒の席でポロっと漏らしそうですわね」
「んー、まあ、そうなっても先輩らの名前はださねえから、心配すんなって」
人の口に戸は立てられない。
正確な位置は教えない。
本当なら、遺跡に入ってからは目隠しをさせたい所だ。
うん。いいな。
やるか、目隠し。
魔法陣を見ないだけでも効果はあるかもしれない。
「旅はいいんだが、先輩よぉ、もう大丈夫なのか?」
ギースは俺の事が心配らしい。
サル顔をゆがませて、俺の方を覗き込んでいる。
「大丈夫なように見えますか?」
「あんま見えねえが……ま、この間よりゃあマシだな」
「じゃあ、大丈夫ですよ」
本当はまだ大丈夫じゃない。
ロキシーのお陰で、どん底から脱出できただけだ。
でも、歩いて帰るぐらいは出来るだろう。
「リーリャさん。母さんの方はどうですか、一ヶ月半。砂漠も通りますが、旅には耐えられそうですか?」
「わかりません。ですが、私が責任を持ってお世話をいたします」
「……よろしくお願いします」
リーリャは真面目な顔で請け負ってくれた。
俺もサポートは出来るだろう。
体力的な面が問題なら、ゆっくり移動すればいいだけの話だ。
「なんなら馬車か何かを買おうぜ」
「乗り捨てることになりますわよ?」
「いいじゃねえか、金は腐るほどあるんだ」
ギースたちは、俺が落ち込んでいる間に人を雇って迷宮に入り、ボス部屋の奥の宝部屋で
転移の迷宮は古い迷宮であり、数々の冒険者が死んできた場所だ。
さらに、例のヒュドラの鱗というか、皮膚に貼り付けられた魔石を剥ぎ取ってきたらしい。
魔力を吸い取る魔石だ。
これらを売りさばく事で、莫大な富が手に入るのだという。
「持てる分は持って帰ってアスラ王国で売るつもりだ」
ギースはそういって、魔石がパンパンに詰まった麻袋や、ペンダントや指輪などの装飾類を見せてくれた。
パウロが死んで、俺が落ち込んでいたというのに、コイツは金儲けの事を考えていたのか。
そう思うと少しだけ苛立つ。
しかし、先の事を考えれば、回収しない方がおかしいのだ。
金は重要で、彼らもタダ働きにならなくて済む。
ギースの判断は正しい。
それに、落ち込んで何もしなかった俺が何かいえた義理じゃない。
「先輩の分はリーリャに預けてある」
分配については、俺を除いた全員でじっくり話し合って決めたらしい。
俺の分はかなり多かった。
パウロの分が含まれているのもあるが、タルハンドが「今回、わしは役に立たなかった」と半額を俺に譲り。
ヴェラとシェラも、パウロさんが亡くなって大変でしょうから、とそれぞれ半分をリーリャに渡した。
そして、リーリャはその全額を俺に譲渡するつもりだという。
それぞれがそれぞれ頑張ったのだから、受け取れるものは受け取ればいいと思うのだが。
まあいい、受け取っておこう。
確かに、これから大変になるだろうしな。
「あと、最深部を詳しく探索してみたけど、結局どうしてゼニスがあんな事になってたのかは、わかんねぇままだ」
「そうですか。お手数を掛けました」
「いいってことよ」
ゼニスが魔力結晶に閉じ込められていた原因はわからない。
もっとも、原因がわかったところで、治療法に繋がるかどうかも怪しいところだ。
何にせよ、治療は戻ってからだな。
「では、旅の準備はギースと……エリナリーゼさん、頼めますか」
「おうよ」
「了解しましたわ」
二人に任せておけば大丈夫だろう。
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旅の計画は綿密に立てた。
ルートはわかっている。
この場にいる全員が旅慣れている。
けれど、これ以上の犠牲者は出したくない。
慎重に、失敗しないように計画を立てた。
行く途中に出会った盗賊も、情報を集める事で回避できるルートを確保できた。
少々遠回りになるが、問題はないだろう。
ゼニスだけが心配だが、これもすぐに解決した。
ギースがアルマジロのような魔獣が引く車を購入したのだ。
砂漠仕様の馬車みたいな感じだ。
よく出来ている。
このアルマジロは、ベガリットの東側に生息する魔物を飼いならしたものらしい。
ちと高価で、使い捨てするにはもったいないと思えたが、背に腹はかえられない。
……いっそ、このアルマジロも転移魔法陣で家まで持って帰ってやろうか。
階段を通れればいけるよな。
いやでも。向こうの気候が合わずに死んでしまったら……。
でも、あの砂漠に置き去りにしたら、流石に死んでしまうだろう。
それだったら、連れて帰って向こうの好事家にでも売った方がいい。
準備は万端。
出発だ。
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旅は順調に進んだ。
盗賊はうまい具合に回避。
魔物との遭遇戦も、メンバーが揃っている以上、危険は無かった。
戦士2、魔術師2、魔法戦士1、治癒術師1。
個々の実力に差はあるが、実にバランスが取れている。
本当なら、ここに剣士が一人、いるはずだったんだが。
……やめよう。
左手の無い旅というのは、思った以上に不便だった。
痛みはないが、ふとした事で左手を使おうとしてしまい、空を切る事が多かった。
両手が無いと困る事もまた、多かった。
しかし、その度にロキシーが手伝ってくれた。
ロキシーはあの夜以来、俺にぴったりと張り付くようにしてサポートをしてくれている。
普段から俺の左側を歩き。
何かあれば、すぐに手出しをして助けてくれる。
その動作は、まるで恋人のようであった。
「……」
俺は鈍い男だ。
鋭くあろうと思っていたが、鈍い男だ。
でも、ここまでしてもらって、自覚しないはずもない。
ロキシーはたぶん、俺の事が好きだ。
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「……あの、先生」
ある日、見張りの時。
焚き火を前に、俺はロキシーと並んで座っていた。
他の面々はシェルターの中で寝ている。
シェルターは頑強だが、万が一の事もある。
そのため、二人交代での見張りを行っていた。
「どうしました、ルディ」
ロキシーの距離が近い。
俺の隣に座り、ぴったりと身を寄せている。
彼女の小さな肩がローブ越しにあたり、柔らかさと暖かさを伝えてきている。
まるで恋人のような。
いや、恋人がするようなことをしたのだ。
あのロキシーに依存し、甘えきった行為を恋人のようというと語弊があるかもしれないが。
とにかく彼女は、そのつもりでいるのかもしれない。
彼女は、俺が妻帯者だと知っているのだろうか。
知らないのかもしれない。
知っていたら、こんなあからさまな態度は取らない気がする。
いや、ロキシーがどうこうじゃない。
俺だ。
俺がしていることは、浮気だ。
シルフィに操を立てたこの俺が、浮気をしているのだ。
ここはハッキリ言った方がいいのかもしれない。
ありがとうございました。
もう大丈夫です。
妻に悪いのでこれっきりにしましょう、と。
「…………」
この世界でロキシーと出会ってから、俺は彼女には散々頼ってきた。
魔術も教えてもらったし、言語も教えてもらった。
ザノバと仲良くなれたのだって、ある意味ロキシーのおかげといえる。
不能を治してくれたのはシルフィだが、
治るまでの三年間、心の支えになったのはロキシーの教えだった。
頭なんてあげられない。
さらに今回、体まで使って慰めてもらった。
彼女は初めてだったのに。身を挺して俺を助けてくれた。
絶望の底に落ちかけていた俺を、助けてくれた。
こんなチリのように打たれ弱い俺を、助けてくれた。
自分の心情を吐露する事無く、助けてくれている、今も。
そんな彼女に、事がすんだらポイというのはどうだろうか。
あまりにも礼儀知らずなのではないだろうか。
……いや、おためごかしはやめよう。
助けたとか。
礼儀とか。
そんなのはどうでもいい。
俺はロキシーが大好きだ。
大好きなのだ。
シルフィとどっちが、と聞かれても答えられない。
少しだけ違うベクトルの好きだ。
だから揺れている。
今、この状況に。
シルフィが好きで、ロキシーも好きなこの状況に。
だが。
俺はシルフィに操を立てると誓った。
結局、俺は誓いを破ってしまったが、誓ったものは誓ったのだ。
例え一度破ってしまっても。
そりゃ、シルフィは言ったさ。
別に妾を迎えてもいいよ、と。
けれど、俺はその言葉を蹴って、君だけをと誓った。
誓ったのだ。
その時、シルフィは間違いなく、嬉しかったはずだ。
それを裏切ってはいけない。
「あのですね、実は、俺、もう結婚していて、もうすぐ子供も生まれるんです。だから、あまり恋人みたいな感じは、その、申し訳ないんですけど。やめませんか?」
ロキシーの肩が、ぴくりと動いた。
そして、ぽつりと口を開く。
「結婚なさっていた事は知っています。エリナリーゼさんから聞きましたから」
「あ、そうなんですか」
知っててこうしている。
てことは、つまり。
どういう事だ。
「大丈夫です。わかっていますから。
ルディが気に病むことはありません。
わたしはルディが弱っている所に付け込んだだけです」
ロキシーは抑揚のない声で、続けた。
「本来なら、ルディがわたしみたいな貧相なのを相手にはしてくれないのはわかっています」
「貧相なんて、そんな事はありません」
「慰めは必要ありません、自分でわかっていることですから」
ロキシーの体は、確かに貧相だったかもしれない。
凹凸が少なくて、やせぎすで。
女らしさという点では、シルフィに劣るだろう。
しかし、言い換えればただのロリータ体型だ。
俺は「だがそれがいい」といえる人間だ。
「安心してください。
ルディの所にずかずかと押し入っていくつもりはありません。
私がルディの左手となるのは、この旅の間だけです。
ルディは旅が終わったら、わたしとの事は気にせず、奥さんを大事にしてあげてください」
ロキシーはそう言いつつ、やや遠慮がちに上目遣いに俺を見た。
「わかりました」
「……」
でも、やっぱりロキシーには助けられたんだ。
助けられただけでいいわけがない。
「せめてなにか、恩返しをさせてくれませんか?」
「恩返し、ですか?」
ロキシーが驚いたように俺を見た。
「はい、俺にできることなら、何でもします」
ロキシーの瞳が動揺に揺れている。
ああ、まずい事を言ってしまったかもしれない。
何でもはよくなかったか。
でも、ロキシーは「何でも」の範疇で助けてくれたようなもんだしなぁ。
「えっと、じゃあ、その」
「はい」
「…………言い訳を聞いてもらってもいいですか。聞くだけでいいですから」
「はい?」
言い訳。
何に対する言い訳だろうか。
「はい。わかりました。どうぞ」
「……」
ロキシーは、そのまましばらく沈黙を続けた。
そして、ぽつり、ぽつりと言葉を発しだした。
「わたし、一目惚れだったんですよ」
「誰にですか?」
「えっ?」
「まさか父さんにじゃないですよね」
「違いますよ。ルディにです。迷宮で助けてもらった時にですよ」
再会した時か。
あの時のロキシーはあまりにも他人行儀で、俺はこみ上げてくるものを抑えられなかったな。
いきなり抱きついて、ゲロを吐いた。
どこにほれる要素があったんだろうか。
もうちょっと後だと思っていた。
「仕方ないじゃないですか。死に掛けて、もうだめだって諦めかけた時に、かっこいい男性が颯爽と現れて助けてくれたんですよ。わたしでなくてもドキっとしてしまいますよ」
「俺、かっこいいですか?」
「わたしの理想そのままです」
そうか理想そのままか。
少し、ニヤけてしまいそうになる。
「迷宮を探索している時も、ルディの顔ばっかり見てましたし」
「そういえば、結構目が合いましたよね、すぐにそらされましたけど」
「それは、だって、ルディみたいにかっこいい人と真正面から顔を合わせるなんて、恥ずかしいじゃないですか」
恥ずかしがっていたのか。
「……ダメだとは思っていたんです」
ロキシーは、ぽつぽつと言葉を出していく。
「酒場で、エリナリーゼさんたちと話をしたんです。
ルディがこれからどうするかって話。
エリナリーゼさんやギースさんは大丈夫、自力で立ち直るって言ってました。
けど、わたしはルディとブエナ村で暮らしていた頃を思い出したんです。
ルディとパウロさんが仲よく剣術の稽古をしていた時の事。
あの時の二人は、とっても仲がよかったなって。
その時に、ふと、思い出したんです。
ルディが、初めて馬に乗った時の事を。
あの時のルディはすっごく怖がって、体も緊張させて、身動き一つできなくて。
ああ、この子は才能もあるし大人っぽいけど、実は弱いんだなって思ったんですよ。
それから、昔の剣術の稽古と、迷宮探索の時の、ルディとパウロさんのやりとりを思い出して。
落ち込んで、何も手を付けられなくなったルディを見て。
ルディが見た目よりずっと弱いってことを思い出したんです。
パウロさんの存在はルディにとって、皆が思ってるより大きな存在なんじゃないかと思ったんです。
パウロさんが死んだら、ルディが落ち込んでどうしようもなくなってしまうんじゃないかなって。
一人じゃ立ち直れないぐらい。
や、もちろん、わたしが立ち直らせられるなんて、思ってもいませんでした。
ルディには愛する人がいるって聞きましたし。
きっと、その人は、ルディが落ち込んだら、立ち直らせる力を持ってる人なんでしょう。
でも、その人は、今ここにいないじゃないですか。
ルディが一番助けてほしい時に、いないじゃないですか。
なら、誰かが助けてあげないと、ってそう思うじゃないですか。
でも、エリナリーゼさんも、ギースさんも放っておくつもりで。
リーリャさんはゼニスさんに付きっきりで手が離せなくて。
じゃあ、わたしがするしかって思うじゃないですか。
言い訳にしか聞こえないでしょうけど、最初はあんな事するつもりはありませんでしたよ。
ルディから尊敬されてるのは感じてましたけど、ちんちくりんですし。
ルディのお相手がどんなか知りませんけど、エリナリーゼさんの親戚なら美人でしょうし。
対象として見られないとか思っていましたよ。
それとは関係なく、せめて何かのきっかけになればという程度でしたよ。
でも、実際にルディに掴まれて、あんなに近くで顔を見たら、そりゃ、思っちゃうじゃないですか。
あわよくばって。
エリナリーゼさんたちからあんな話聞いたばかりですもん。
もしかしてわたしでも、って思っちゃうじゃないですか。
だって仕方ないじゃないですか。好きなんですもん」
そこで、ロキシーはぽろりと涙をこぼした。
それを見た瞬間、俺の胸に、えぐられるような痛みが走る。
「…………酷いですよ。結婚してるなんて、わたしがルディの事好きになったって知ってたのに、後になってから知らせるなんて。あんまりですよ」
その言葉は、誰に言ったものだったろうか。
俺に対する言葉ではなかった。
エリナリーゼだろうか。
けれど、俺もロキシーに結婚の報告をしていなかった。
特に理由もなかったし、結婚について話すようなきっかけもなかった。
責められるなら、俺も同罪だ。
けどもし、シルフィと再会して。
彼女に助けられて、彼女を好きになって。
それで一人で盛り上がってアタックを掛けて。
それなのに、もうシルフィにお相手がいたとしたら。
俺もやっぱりショックを受けただろうか。
間違いなく受けただろう。
……ロキシーには、報われてほしい。
彼女は報われるべきだ。
「あの、ロキシー先生」
「なんですか?」
でも、どうすればいいんだろうか。
どうすれば、彼女は報われるのだろうか。
シルフィを裏切る事無く、ロキシーを満足させられるのだろうか。
「あの、せめて、この旅の間だけでも、先生の望みを叶えましょうか?
家に帰るまで、俺がロキシー先生の恋人になって、それで……」
それでどうするんだ。
なんの解決にもならない。
そんな事は俺自身わかっていた。
俺のためにも、ロキシーのためにもならず。
シルフィを裏切る形になる。
その場しのぎの、一番ダメな提案だ。
「…………それは、とても魅力的な提案です」
ロキシーはそう言って、俺の腕をぎゅっと掴んで。
そして、俺の頬をぺちりと叩いた。
「けど、やめてください。そういうのは。何もする必要はありません」
「……わかりました」
何もする必要は無い。
ロキシーがそれでいいのなら、俺はその通りにする。
今までだってそうしてきたし、これからもそうだ。
それでいいんですよね、先生?
---
一ヶ月ちょっとでバザールに到着した。
一応、ガラス細工など、シルフィたちへのお土産も購入した。
面白い形をしたガラス瓶と、赤色のガラスに民族色豊かな文様の入った髪飾りだ。
持って帰るまでに割れないことを祈りたい。
それから、米をいくつか購入した。
種籾だ。
うまく出来るとは思えないが、栽培に挑戦してみたい。
ダメなら食べてしまおう。
夜。エリナリーゼが女連中を連れて酒を飲みに行った。
女子会という奴だろうか。
女子という年齢の者はいないが。
リーリャだけはゼニスの世話があるので断ったが、ロキシー含め、他の面々はついていった。
ギースとタルハンドも、なんのかんのといいつつ出かけていった。
俺は、リーリャを手伝い、ゼニスの世話をした。
ゼニスは日がな一日中、ぼーっとしている。
歩くし、食べるし、トイレにも行く。
けれど、喋らないし、能動的に自分から何かをする事はない。
まるで、言いつけられた事をそのままやる機械のようだ。
そんな彼女だが、時折、俺の方をじっと見てくる時がある。
特に何を言うわけでもなく、ただじっと見てくる。
肉親相手には何か感じる所があるのかもしれない。
何かがきっかけで記憶が戻ったりは……まあ、しないだろうが。
こんなとき、パウロがいたら、どうしただろうか。
あいつは、どうしたんだろうか。
うまくやったんだろうか。
それとも、うまくやれずに失敗したんだろうか。
深夜になって、ロキシーが俺のところにきた。
ベロンベロンに酔っ払っていた。
俺との事についてエリナリーゼに暴露し、なにやら鬱憤を吐き出してきたらしい。
エリナリーゼも、心中は複雑だろう。
彼女はロキシーとは親友のつもりだと言っていた。
ロキシーの恋を応援したいが、孫の結婚の邪魔はしたくない。
そんな難しい立場なのかもしれない。
ロキシーは俺の胸を小さな拳でドンと叩いて、自分の寝床に戻っていった。
---
翌日。
グリフォンの岩だなに到達した。
本来なら馬車は上れないところだが、俺の魔術で無理やり棚の上まで運んだ。
初日、アルマジロはグリフォンの匂いに怯え、足を止めてしまった。
これは、バザールに置いていくしか無いか。
そう思っていたがしかし、襲来したグリフォンを倒し、ギースが目の前でその肉を食うと、アルマジロは何かを感じ取ったらしい。
翌日からはのしのしと元気よく歩き始めた。
何でも、魔族の知り合いに教わった調教方法の一つらしい。
天敵を目の前で倒して食ってみせる事で、自分の集団は天敵より強いと思わせるのだとか。
それを教えてくれたのはトカゲみたいな顔の奴かと聞くと、知ってるたぁさすが先輩だ、と朗らかに笑った。
丸一日歩いて砂漠に入る。
さらに三日ほど歩き、砂嵐を越える。
砂嵐の魔術で嵐を止めると、ロキシーが「土も聖級なんですか、凄いですね」と、少し嫉妬の混じった声を上げた。
ここから先は魔物も多いので、十分に注意して進む。
とはいえ、今回はこちらの人数も多く、ベテラン揃いだ。
一人や二人が危険な目にあっても、すぐにサポートが入る。
行くときには戦闘を避けたサンドガルーダも、あっという間に撃破し。
その後に出現したティラノサウルスのようなトカゲも撃破した。
道中、サンドワームが危ないかもしれないと思っていたが、ギースが全て見つけ出した。
コツがあるらしい。
言われて見ると、うっすらと地面にドーナツ状のうねが出来ているのだ。
そこに注意すれば、すぐに見つけられるんだとか。
とはいえ、砂漠も平坦ではないので俺には判別が付きにくい場合が多かった。
これも経験によるものか。
サキュバスも襲ってきたが、問題なく撃破した。
女が多いから、苦戦する要素も無かった。
俺とギースがフェロモンにやられたが、中級解毒はあるし、問題は無かった。
まあ、少し本性を見せて、ロキシーに迫ろうとしてしまったぐらいか。
驚いたのは、タルハンドにフェロモンが利かなかったことだ。
タルハンドは「当然じゃ」と言っていた。
やはり、健全な肉体には健全な精神が宿るという事だろうか。
かっこいい。
遺跡に到達する。
当初の予定通り、遺跡の前でエリナリーゼ以外に目隠しをしてもらう。
シェラが少しだけ嫌がったが、ヴェラが説得して事なきを得た。
目隠しをして向こうに移動する。
気休め程度だろうが、魔法陣を見なければ、何が起こったのかはわからない。
車は置き去りだ。入り口を通らない。
ゼニスもあと一週間ぐらいなら、なんとか歩けるだろう。
ここまできたなら多少、遅くなっても構わない。
アルマジロは入り口を通ったので、連れてきた。
向こうの気候が合うかはわからないが、ここで放置して魔物に食われるよりマシだろう。
ギースたちは、目隠しをはずした後、いきなり光景が変わって驚いていた。
砂漠から、いきなり森の中だ。
驚きもするだろう。
そんな彼らに対し、もし何があったのかを察しても、口外しないように、ときつく言っておいた。
ともあれ、こうして俺はベガリット大陸を後にした。
あと少しだ。