2023.07.21

【鈴木エイト】山上徹也の凶行に対する私の責任の取り方

調査報道を抹殺しようとする勢力に抗い続ける
鈴木 エイト

息を吹き返す「“犯人の思う壺”論」

また「事件の背景に関する報道は犯人の思いを叶えることに繋がるため、すべきではない」などといった“犯人の思う壺”論がしぶとく何度も息を吹き返している。だが、この手の藁人形論法に取り合う必要はない。この手の“犯人の思う壺”論者の致命的に欠落している視点がある。今回の事件で言うと背景に政界と統一教会の癒着構造があり、その癒着構造があったからこそ起こった事件だということは明白だ。そのことを追ってきた私の調査報道の成果を一切出すべきではないと、もしこの“犯人の思う壺”論者たちが展開するとしたら、それは私の言論活動のみならず全ての調査報道を否定することになる。

このような粗悪な暴論がメディア関係者から発せられる現状を危惧する。まさにメディアの自殺行為に他ならず、メディアの役割自体を自身で否定してしまっているのではないか。反社会的なカルト教団と政界との癒着をとるに足らないものとして捨ておき、放置してきたことによって、被害が拡大し元首相暗殺という重大事件に発展させてしまった反省がこの手の“思う壺”論者たちには見られない。これこそ責任転嫁であろう。権力の監視というメディアの役割を放棄し、社会的弱者、声すら挙げられない被害者の声なき声を聞くのがメディアに課せられた職分ではないのか。

事件発生前に継続して行ってきた私の調査報道自体を抹殺すべきとでもいうのだろうか。一部の政治家から発せられる“犯人の思う壺”論は追及されたくない側、保身を図る者たちの恥ずべき抗弁でしかない。

あらゆる角度から見て、“犯人の思う壺”論は徹底的に論破すべきものである。

本日7月21日発売!

『「山上徹也」とは何者だったのか』

(鈴木エイト著・講談社+α新書)

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