一つ、今話は独自解釈が入ります。
二つ、この物語の題名を数日後に変更します。
『魔法科高校の劣等生~真夜の息子~』→『狂気の産物』
PS ここ数日、非常に沢山の方々にお読みいただけていることを嬉しく思います。高評価や感想をくださった方々、本当にありがとうございます。
──────1月14日
住宅街の中にある一軒家。隣り合う建物と比べても別段変わったところも見受けられない極ありふれた造りの家屋。それが国立魔法科第一高校に通っている尽夜の家だった。しかし、普通に見えるのは外観だけであり、窓はすべて防弾ガラスでコーティングされ、どんな地震にも耐えられる強度を誇り、周囲には四葉の手の者が表の仕事から帰る家とカコつけて護衛の役割をになって住んでいる。所謂、四葉家の勢力でのみ構成された住宅街の一角であった。
尽夜は自宅の自室の中で机の上に備え付けられたPCのスクリーンと対峙する形で座っていた。端末の電源を入れ、パスワード、顔認証、網膜認証、特定周波数想子波による関門を突破して行く。一通りの作業が終わると、画面は真っ黒なものと変わった。尽夜は椅子に深く体を預けて目だけで時計を確認した。
時刻は午後7時半だった。尽夜は短く息を吐いた。
そのまま時間が過ぎていき、15分が経った頃にスクリーン上に変化があった。
「おや、これはこれは尽夜様、お早いでございますな」
画面に映し出されたのは、四葉家筆頭の使用人、老執事の葉山であった。彼が仕えている四葉家当主の姿は見えてはいない。
「こんばんは、葉山さん。皆さんより時間的余裕がある身ですからね。俺が皆さんを待たせることは忍びないですよ」
尽夜はニコッと葉山に笑顔を向けた。
時刻が午後8時に近づいていくにつれて、画面には数人の男女が徐々に姿を現していった。そして、8時きっかりに紫色のドレスを着た真夜が登場した。尽夜はそれを確認すると表情を引き締める。その雰囲気を感じ取った出席者の顔色も尽夜に倣った。
「分家当主の方々、ご足労いただきありがとうございます」
この場に集合している面々は、四葉の中枢人物たちだった。しかし、達也の姿は見えない。そして、それを疑問に思う者もいない。
「黒羽殿、首尾報告を願います」
尽夜は、分家内で諜報や暗殺を主に担っている黒羽家当主の貢に問いかけた。
「はい」
貢は緊張した面持ちでしゃべり始めた。
「今回の原因はおそらく、パラサイトが取り憑いたUSNAの脱走兵と思われます」
「パラサイト?……paranormal parasiteか?」
「はい。その認識で間違いございません。一応、私の手で集められた資料はコチラです。お目をお通しください」
尽夜のスクリーン上に一つのURLが送られてきた。尽夜はそれをクリックして隣の画面に移動させ、読んでいった。資料の中身は、古式魔法師による国際会議の内容であった。
『paranormal parasite』
日本語訳は、超常的な寄生虫。略してパラサイト。
魔法の存在と威力が明らかになった現代において、国際的な連携は避けることはできず、魔法の国際化は避けられないものだった。その中でも、古式魔法の国際連携は現代魔法よりも活発に行われ、用語や概念の共通化と精緻化が図られた。paranormal parasiteもその一種であり、妖魔、悪霊、ジン、デーモン、それぞれの国の中で、それぞれの概念で呼ばれていたモノたちの中で、人に寄生して人を人間以外の存在に作り変える魔性のことと定義された。
「精神の独立情報体……」
尽夜がそう呟いた。画面越しの視線が全て尽夜に集中する。
『精神』を解き明かそうとしてきた四葉家にとって、過去の第四研究所から続き、精神については他の十師族や二十八家、百家よりも並々ならぬ思いを抱いている。パラサイトの本体は先程尽夜が口に出したように『精神の独立情報体』と呼ばれている。尽夜も定義としてパラサイトの存在を知っていたとしても、現実に見たことはない。故にこれに喰い付くのは当たり前だと言える。
「尽夜様、どう思われますか?」
四葉分家の中で精神干渉系魔法の適性が高い者が生まれる可能性が高い津久葉家当主、津久葉冬歌が尽夜に問いかけた。彼女自身『誓約』という稀な精神干渉系の固有魔法を持つ、優れた精神干渉系魔法師だ。
「……直接視てみないことには、なんとも言いづらいです。いろいろ思うところもありますが、今は話を戻しましょう。黒羽殿、報告の続きをお願いします」
「はい。日本に侵入してきたUSNAの脱走兵は総勢は8名。全員がパラサイト化しています。そして、USNAが正規ルートで送り込んできた工作員の中にも1名、パラサイト化の兆候が見られます。合わせて9名。所在は全員特定済みでございます。そして、日本人感染者は今のところいないと思われます。以上です」
「黒羽殿、ありがとうございました。他の方で、何か情報を仕入れなさった方はいらっしゃいますか?」
「次期当主、お耳に入れたいことがございます」
「新発田殿、どうぞ、おっしゃってください」
「息子、勝成を通じて防衛省の間者から情報が入りました。USNAは、当初の予定通り、『灼熱のハロウィン』に関することを嗅ぎまわっているようですが、脱走兵が日本にいることはまだ認知できていないようです。防衛省もUSNAからの正規受け入れと圧力対応に追われ、気づいておりません」
「新発田殿、有益な情報をありがとうございました。他にある方はいらっしゃいますか?」
尽夜は各当主一人一人と目を合わせていった。全員が首を振る。
尽夜は目を閉じた。視線が尽夜に集まったまま、無言の状態で二分以上の時間が過ぎた後、尽夜はゆっくりと目を開けた。そして、満足そうに頷いた。
「打って出ます」
尽夜の言い放った言葉で、その場の緊張感が最高潮に達した。
「セーフティーを取りつつ、我々の利益を最大限に。まずは、黒羽殿」
「はい」
「脱走兵八体中、七体を処理してください」
「処理………ですか?」
「ええ、暗殺してください。ただし、後々USNAに引き渡すので、識別可能状態で死体回収もお願いします」
識別可能、つまり、顔は潰すなということだ。
「そして、パラサイトは精霊の類い。処理後の追跡と観察を行ってください。津久葉家はこれにご協力願います。新発田家は後方待機、不測の事態に備えてください」
「「かしこまりました」」
「脱走兵の最後の一体は俺が生け捕りに、もしくは不具合が生じても抹殺します。残りの正規ルートで侵入してきた一体は月末までは放置、USNAを誘い出します。決行は、明日の夜、22時から日付変更まで。何かご質問は?」
尽夜は数秒の間を取った。しかし、声は上がらなかった。
「では、黒羽殿。七体のピックアップはお任せ致します。皆さん、お疲れさまでした」
尽夜は画面に軽く頭を下げた。それを合図に順々と各当主が真夜と尽夜に挨拶をしてスクリーン上から消えていく。ちょっとの間を置いてから、残ったのが尽夜と真夜(葉山付き)になった。
「尽夜さん、お疲れ様」
真夜が上品な笑顔を見せて、尽夜を労った。それを受けて、尽夜もフッと緊張の糸を切った。
「ありがとうございます、母さん」
尽夜が座ったままの体勢で一礼と微笑をもって応えた。
「パラサイトは、研究し甲斐がありそうね」
「はい。同じく、そう思います」
「尽夜さん、貴方がどんな構想をもっていらっしゃるか、聞かせてもらえるかしら?」
「我々が気にすべきことは、閣下のご依頼とパラサイトの研究、この二つの折り合いです。USNAには約八名の脱走兵の引き渡し、及び個人ではシールズ隊長との交友を築こうと思っています。パラサイトに関してはおそらく、資料通りであると仮定して七体を放ち、次の定着までの期間や条件を観測、再憑依後に捕縛。俺が捕まえる一体は第四研で新しい個体が来るまでに色々と調べるつもりです」
「どうやって生け捕りにするおつもり?」
「コキュートスを使います。精霊であるならば、これ以上の的確な魔法はありません」
「そうね。………ちょっとお待ちになって、尽夜さん。まさかお一人でお行きになるつもりじゃないでしょうね?水波ちゃんと千波ちゃんはちゃんと連れて行くわよね?」
「母さん、俺は訓練プログラムを終えていないあの二人を連れて行くつもりはありません。それに、今はプログラム終盤でしょうし、受験も控えていますでしょう?連れて行っても足手纏いにしかなりませんよ」
「でも………」
「大丈夫です。『影』を連れて行きますから」
尽夜の説明に真夜はグッと押し黙った。それでも、真夜は不満げに頬をプクッと膨らませてそっぽを向いた。尽夜は困ったように葉山に目配せした。その視線に気付いた葉山は、尽夜に微笑まし気な顔をして頷いた。
「……では、これで失礼します」
「えっ!?ちょっと、まっ」
真夜が尽夜の方に向き直るのを尻目に、尽夜は通信を切った。暗く、静かな室内で端末の電源を落として、部屋を出た。リビングに入ると、水波と千波が机にかじりついていた。尽夜の入室に合わせて二人は立ち上がって頭を下げた。
「邪魔したな」
尽夜が声を掛けると、姉妹二人は顔を上げて、何もすることなく、元々座っていた椅子に座った。座ってしまった。
──ああ、これは………
尽夜は桜井姉妹に違和感を見た。それとほぼ同時に、水波と千波はハッとした表情になった。そのまま二人は石像のように固まってしまっていた。ますます尽夜に違和感が募る。尽夜が二人を注視すると、目の下には隈があり、上手く隠してはいるが疲労感が見て取れた。二人はこれまで、使用人としての誇りと根性で隠していたのだろう。しかし、表に出てくるとなると、相当疲れが蓄積されているは明らかだ。
「水波、千波、話がある」
硬直している水波と千波に、尽夜は再び優し声音で呼びかけた。桜井姉妹は、それでもビクッと体を震わせた。顔面は蒼白で、二人して床に膝をつき、額を地面に擦り付けんばかりに腰を折った。
「「申し訳ございません!ご無礼をお許しください!」」
──綺麗な所作だな
尽夜は心の中で場違いに二人を褒めた。しかし、すぐに元々の思考に改まって、真剣な表情で彼女たちへ言葉を投げかけた。
「本家に戻れ」
水波と千波が息を詰まらせたのが感じてとれた。彼女たちが尽夜の言葉をどう受け止めたかは語るまでもなく、そして、尽夜がそれを分からぬ訳がない。それでも、今の二人にはこう言った方がいいという判断だった。いつも通りであれば、桜井姉妹は尽夜に対して甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。それが使用人としての誇りと彼女たちの存在意義だからだ。そんな彼女たちが無意識に休息を求め、そんな中でもまだ尽夜に仕えようとしている。健気ではあるし、嬉しくもあるが、主人としてはいただける状況ではなかった。
「………今、お前たちの為すべきことを為せ。春先まで顔を見せるな」
意識して冷たく言い放ち、返事を待たずにリビングを出て、再度自室へと戻った。先ほどまでと時間はさほど経っていないため、まだ室内は暖かかった。だが、尽夜には少し肌寒く感じた。明かりも幾分か暗く見えた。
尽夜は、ベッドの傍らにある小型の端末を手にして、一息ついてから操作を始め、右耳に当てた。数コール後に音が途切れて、男性の声が聞こえた。用件を話すと、男性は慌てて保留音に切り替えた。三十秒も経たない内に保留音は鳴り止み、代わりに聞こえたのは低めのアルト声だった。
「お待たせ致しました、尽夜様」
「白川夫人、お忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」
通話の相手は、四葉家のメイドを統括している白川夫人だ。
「いえいえ、尽夜様のお呼び出しには我々使用人一同、いつでも馳せ参じ致します。お気遣い痛み入ります」
落ち着いた口調で、一語一語はっきりと聞き取りやすく、短い言葉の中で違和感なく相手を立てる、プロとしての矜持が白川夫人には染みついていた。意識してできるものではなく、長年の経験がそれを可能にしていた。
「それで、ご用件をお伺いしてよろしでしょうか?」
「急で恐縮ではございますが、桜井姉妹、水波千波両名をそちらに還します」
通話越しに、白川夫人の雰囲気が激的に冷え込んだ。
「………二人が何か粗相を致しましたか?」
夫人の声は、先ほどの尽夜より断然冷淡なものだった。
「違います。粗相など、あの二人にはありえません」
「では、何故そのようなことになりましょうか?」
「俺は、彼女たちに今は訓練プログラムの方に集中して欲しいのです。二人のプログラムは終盤に差し掛かって現在よりも更に厳しいものとなりましょう。そんな時に、ここと本家の往復があるというのはいらない労力を消費していることになります。それは主人としては避けてやりたい」
「我々は、四葉家に仕える身でございます。多少なりと負担があれど、プログラムで大きな失敗は致しません。もしもそれをしてしまうのであれば、それは尽夜様に仕える才がないのでございます」
「理解しております。夫人たちがその心構えで仕えてくださっているからこそ、四葉家の安定があるのだと」
「では──」
「しかし、水波と千波はこの春先から我々四葉家の重要人物に仕えます。大きな失敗など、彼女たちがするはずもありません。俺が懸念しているのは、極小さなミスです。俺は横に侍らす者には最高の結果を出しておいて欲しい」
「………」
「俺のわがままを聞き入れてはくださいませんか?」
「………はぁ。…かしこまりました。尽夜様のわがままで、桜井姉妹の帰還を手配致しましょう。次期当主様の自分勝手な判断で、姉妹は不本意ながら本家に戻される。これでよろしいですね?」
夫人は呆れ交じりに、言葉の節々を強調しながら確認を取った。
「はい。それと、彼女たちには少々キツイ言葉を浴びせてしまいましたので、フォローをしておいてくださいますか?なにぶん、彼女たちは使用人である前にか弱い女の子ですから」
「注文が多くございますね。それに、今度のは重い」
「お手数をお掛けします」
夫人が再度、息を吐く音が聞こえた。
「…これは桜井姉妹の上司としての独り言でございますが、長年使用人として生きてきますと、仕えるべきお方の特徴などが分かってきます。我々の次期当主様はその例に漏れず、その才が御有りでいらっしゃる。姉妹は良き主人を見つけられることでしょう」
「………穿ち過ぎです」
「独り言でございますれば」
「………夜分、失礼致しました」
「お休みなさいませ、尽夜様」
尽夜は通話終了ボタンを押した。
その晩、防音設備が完備されているにも関わらず、隣の部屋から二人の少女のすすり泣く声が聞こえてきた……気がした。
──────1月15日 22時17分
都心近くのホテルの一室で、一人の男が動きを止めた。月光の届かない数多ある闇の中から数人の黒尽くめの装束をした者たちが姿を現した。
「回収。四研に運べ」
影から出てきた者たちと同じ服装をした尽夜が、周りに指示を飛ばす。周囲はその指示に呼応し、その音を立てずに作業を開始した。一人の男の体が運び出されるのを見送った後、それを追うように、尽夜は夜の闇の中を駆けていく。ホテルから少し離れた場所に二台の自動車(運転手が必須)があった。男の体が前方車のトランクに押し込まれているのを横目に、尽夜は後方車の後部座席に乗り込んだ。十秒ほど経って、二台の自動車が動き出した。それと同時に尽夜は右耳に手を当てた。
「こちらH班。目標の拉致に成功。帰投する。他部隊、作戦終了次第報告」
尽夜が簡潔に通信を言い切り、手を耳元から離した。座席のシートに体を深く預けた。自動車が道路を走っている音が車中に響く。
「旦那」
助手席に座っていた男が、バックミラー越しに尽夜に声を掛けた。その男の体は、服の上からでも明らかに筋肉が隆起して体格の良さがありありと出ており、五厘の坊主頭の下には左目から右頬にかけて一太刀入れられたような一文字の大きな傷が印象的で、どこから見てもヤのついた職業にしか見えなかった。ミラーに映る眼球は、相手を畏縮させるには十分過ぎる迫力を携えていた。
「何?」
尽夜は足を交差させ、胸の前で腕を組み、目線は外の流れ行く都会のビル景色に固定されたまま呼応した。
「奴ぁ、旦那のアレをくらって本当に生きてるんですかい?」
ざっくばらんな口調は、ある意味見た目通りである。尽夜は鏡に向かい直り、目を細めた。
「当座における心配はない」
尽夜が短く疑問に答えると、それをどう受け止めたのか、助手席の男は豪快に笑い出した。
「ガッハッハッハ。旦那ぁ、手前は旦那がヘマするたぁ思ってませんぜ。手前が実際にアレを見るのは初めてなもんで、単なる好奇心でさぁ」
どうやら男は、尽夜が拗ねたと受け取ったらしい。
「久々に旦那と奥様から呼び出されたってのに、旦那が一人で片付けちまうし、そもそも手前らの本分じゃねぇですぜ」
「それは悪かったな」
「十月の下旬も手前らが着く前にドンパチが終わっちまいやがるし、大きい仕事なんて去年の三月以来何もないんでっせ?物足りなくて仕方ねぇ。せめて話の種くらいくださいや」
期待の眼差しを向けてくる男に対して、尽夜は苦笑いをした。
「そうだな。なら、コキュートスについてはどれくらい知ってる?」
尽夜が話し始めると、男は瞳を輝かせて笑顔になった。晴れやかな笑顔というよりも邪悪な笑顔である。
「精神を凍り付かせて、肉体には死を命じることもできないってことぐらいしか知りませんぜ」
「それぐらいというか、コキュートスはその説明で八割方はイメージ理解として網羅していると言っていい」
「旦那ぁ、もったいぶらずに教えてくだせぇ」
ねだるように、芝居がかった言い方で男が反応する。
「作戦前にも少しは説明したと思うけど?」
「それは承知でさぁ。しかし、手前が以前聞いていた話だと、コキュートスってのは致死魔法って覚えがあるもんで」
「まあ、致死性というのは否定しない。実際、数年前までは致死魔法としか言えなかった。だが、少し思うところがあってな」
「と、言いますと?」
「数年前に実証されている例で言えば、コキュートスを受けた被検体は最長6時間までなら生命活動を再開させることができるようになった。時間が経つほど記憶障害や身体障害などの後遺症は残るがな」
尽夜は右耳に手を当てて、やがて離した。
「コキュートスは『凍結』という意味で知られているが、本当に凍り付くことはない。この魔法の本質は、精神を外部から孤立させる魔法なんだ。spiritual worldとmaterial worldの接続を阻害する意味での『凍結』というのが正しい」
「spirial world、『精神世界』、確かぁ、旦那だけが視覚して干渉できる別次元の世界でしたっけ?いつ聞いても疑わしい世界でさぁ」
「俺でもspiritual worldについては分からないことは沢山ある。視覚できるのが俺一人では根拠もへったくれもあったもんじゃない。厳密に言えば、spiritual worldに干渉できるのは俺を含めて二人、故人を含めると五人に満たない。それに俺以外の人たちは視れないし、特定のことしかできない。まあ、深雪の今後の可能性は捨て切れないけどな」
「旦那の婚約者の嬢ちゃんもコキュートスの使い手だっけなぁ。あんな別嬪さんを嫁にもらえるなんざ、羨ましい限りだぜぇ、旦那ぁ」
「事情を知っているくせに…。しらじらしい」
「うへぇ、怖ぇ怖ぇ。堪忍してくだせぇ」
男は両手を上げて、その状態で手をプラプラと振った。男のニタニタとした下賤な笑みは、尽夜の眉を少し吊り上げさせていたのだ。また、尽夜が右耳に手を当てて、離した。
「今、現代において通常の精神干渉系統に適性がある魔法師が干渉できるのは、俺の視えている世界ではなく、現世界に隣接した少し高次元的世界3.5次元、所謂情報次元と呼ばれるモノだ。例えば、幽体や精霊と言った劣化的な『精神』が存在する場所にすぎない」
「てこたぁ、その劣化世界ですら干渉するのに厳しい規制がありやがるってならぁ、旦那の視える世界はマジモンにヤベぇ。旦那ぁ、変な気は起こさねぇでくだせぇよ」
男がワザとらしく体をブルッと震わせた。だが、その行動がただの演技にすぎないのは、男のおちゃらけた雰囲気が証明していた。
「んで、結局二つの世界の接続が切れたらどんな──」
話を進めようとした男の言葉が途切れた。なぜなら尽夜が左手の手の平で男を制していたからだ。右手は耳元に当てている。尽夜の表情は険しかった。
「………旦那?どうしたんで?」
「まだ分からん」
尽夜の雰囲気の変化に、男も気を引き締めた。尽夜は耳につけているインカムに意識を集中させる。インカムからはノイズが断続的に聞こえている。しばらくして、インカムからぐぐもった声が聞こえてきた。
『………ぐっ…………も、申し訳、ありません………D班、………暗殺、失敗しました』
インカムから流れてきた報告に、尽夜は一瞬で命令を下した。
「I班、J班は現場に急行。対象は捨て、証拠隠滅を最優先」
『I班、了解』
『J班、了解』
「D班、損害報告」
『………意識不明者一、残りは軽傷です』
「抜けられそうか?」
『はい。なんとか』
「よし。後処理はI、J班に任せてなるべくその場から退避しろ。見られるなよ」
『了解。申し訳ございませんでした』
尽夜は耳元から手を離して腕を組んだ。
「どこか失敗したんですかい?」
重苦しい空気の中、助手席に座っている坊主頭の男が、先ほどまでとは一変、真剣な顔付きになっていた。
「ああ。最後の班が失敗した」
「手前らが出ましょうか?今ならまだイケルかもしれねぇ」
「いや、いいよ。今から警察も動き出すし、わざわざリスクを冒す必要もないだろう。新発田家が上手くやるさ。尻尾はちゃんとつかませないようにはできると思うしな。それに………」
「それに?」
尽夜は右手をアゴに添えて撫でた。
「おそらく、単なる失敗じゃない気がする」
紡がれた尽夜の言葉に、男は首を傾げた。
「………コイツ等、通信機の類いを持っていないんだよ」
──────1月16日 第一高校
週明けの月曜日。第一高校に、今勢いに乗る留学生の姿はなかった。花が一輪減ったとしても、学校の授業に影響が出ることはもちろんなく、一二年生は教室や実習室でいそいそと勉学に励んでいた。
午後の授業中、すでに自由登校になっている三年生の男女一組が、部活棟の一室で密会をしていた。しかし、そこには逢瀬と言った甘い雰囲気は存在していなかった。
「ごめんなさい、十文字くん。こんな場所で」
「かまわん。今はウチとしても四葉を刺激することは避けたいからな」
真由美は苦笑いで、克人は特に表情が変わることなく話しだした。
「そうね。ウチは先々月から四葉と冷戦状態だし、正月にもあんなことをするんだもの。あの狸親父はいったい何がしたいのかしら?」
「七草でも、そんな言葉を言うんだな」
「あらっ、ごめんあそばせ?はしたなかったかしら?」
芝居っ気たっぷりに体をクネらせて真由美が少々砕ける。克人はそんな真由美を見て失笑を零した。
「お前と話していると男扱いされていないのでは、と思うよ」
「ううん、十文字くんは私の中でもピカイチ男らしいわ。ただね………」
「男女の仲としては考えられなかったか………」
「三年来のライバルですもの」
真由美はバツが悪そうに顔を歪めた。彼女はそれを振り払うように姿勢を正した。
「十文字殿、七草家当主からの伝言をお伝えします。七草家は、十文字家との共闘を望みます」
「先事のように協調ではなく、いきなりの共闘か………。不穏だな」
改まった口調の真由美の口上は、克人の気を引き締めた。
「吸血鬼についてはどのくらい知ってる?」
「報道されている以上のことは知らん。ウチは七草家のように手駒が多くないからな」
「十文字家は一騎当千がモットーだものね。実は吸血鬼による被害は報道されている数より三倍は多いの。昨日の時点で24人がやられてる」
「随分と多いな。それに、警察が認知していないとなると、……七草の手の者か?」
克人の推測に、真由美が重々しく頷いた。
「最初はウチの門下の女の子二人だったの。調査をしているうちに、他の被害も出てきたわ。例えば、魔法大学の講師や学生がね」
「つまり」
克人の表情が凄みを帯びた。
「犯人は魔法師を狙っているということか」
「………十文字くん、ちょっと怖いんだけど」
克人の凄みは女子高生には刺激が強すぎたようだ。
「むっ、スマン」
それが演技かどうかはさておき、そしてそれがたとえ演技だとしても、真由美の反応は克人をヘコませるには十分過ぎた。哀愁を漂わせた克人だが、真由美がフォローすることもないのは、やはり彼女が『小悪魔』たる証拠なのかもしれない。
「とにかく、この吸血鬼が魔法師をターゲットにしているのはほぼ確実だわ」
「七草家の魔法師に手を出せるとなると、犯人はおのずと絞られるんじゃないか?それこそ、国内よりも国外からの可能性が高いだろう?」
「国内でウチに手を出せる勢力に主だった動きがないから、ウチも国外からの侵入者って線を洗ってるの」
「ここ最近だと、USNAから大学や研究施設に来ているな。当校にも留学生が一人いる」
「うん。十文字くんは、彼女、怪しいと思う?」
「全く関係がないとは言わんが、犯人ではないだろう。放っておいても大丈夫だとは思うが………」
「十文字くんがそう言うなら」
克人の意見に、真由美が賛同する。あっさりと克人の意見を聞き入れたのも、元々真由美がそう思っていたからだろう。厳密に言えば、自分の考えに仲間が欲しかったとも言える。
「しかし、ここまで被害が出ているのなら、四葉ともなおさら協力すべきじゃないか?確かにウチも、七草も、四葉といざこざを起こしてはいるが、そうも言っとれんだろう」
「先々月、先に不文律を破ったのはコッチ。正月にも色々根回しして迷惑をかけているもの。父の方から謝罪しない限り、ううん、謝罪したとしても協力してくれるかどうか………」
「それに、お父君に謝罪する意思はなし、か。弘一殿と真夜殿のこれまでの確執を考えれば、難儀なものだな……」
四葉家は魔法界、十師族の中で独自の路線を走っており、己の研鑽に注力し、他家の問題や事柄などにはよほどのことがない限り不干渉のスタンスを取っている。そのため、自らの力の増幅にひたすら邁進する四葉家は、魔法界や十師族を巻き込むような問題を起こすことはなく、むしろこういう事案を発生させるのは七草家である方が多い。
「正月のことはウチも絡んでいるから分かるが、先々月、弘一殿は四葉家に対して何をなされたんだ?」
「私も詳しいことはよく分かってないんだけど、四葉の息の掛かった国防軍情報部の某セクションにコッソリ割り込みをかけたらしいの。それがバレちゃって………」
ギリギリと歯ぎしりが聞こえてきそうなほど歯を食いしばっている真由美。彼女の頭の中では、父親に対する罵詈雑言が九十九ほどは並べられていることだろう。克人は、真由美のその姿に、苦笑いをすることしかできない。ひとしきり真由美が満足した後に、克人と真由美は互いに向き直った。
「それで、いかがでしょう?十文字家は七草家と共闘していただけますか?」
「受けよう」
「いつものことだけれど、即断ね」
「聞いてしまった以上、十文字家としても無視できることでもないからな」
克人が真摯な態度で、七草家の要請を受けた。
「さて、俺はもう帰るとするが、どうする?」
「ん。私は、……もうちょっとここに残るわ。後始末はまかせて」
「そうか。では、まかせる」
克人が真由美に背を向けて歩き出す。扉に手を掛けた時、克人は半身だけを真由美の方に向けた。
「………十文字くん?どうかしたの?」
真由美がキョトンとした表情で克人に問いかけた。
「七草、俺とお前は既に終わった仲だ。だから、ただの友人として聞くが──」
克人はそう前置きした。真由美が悟ったような顔で目を細める。
「お前は、どうするつもりだ?」
「………なにが?」
克人の抽象的な疑問に、真由美はとぼけた。しかし、真由美は意識して言葉を発した訳ではなく、無意識に克人の問いを避けていた。真由美の背筋に悪寒が走った。
克人は知っている。真由美が鈍感ではないことを。七草家の長女が、克人の疑問の意味を捉え損ねるはずがないし、小悪魔のごとく腹芸ができることも公然の周知ゆえに、克人は真由美のとぼけを気にしない。
「弘一殿がこのタイミングでお前の縁談話をリセットした。つまりは、弘一殿はそう考えているのだろう?」
真由美の機嫌が悪くなるのは、克人の予想範囲内。彼女の不機嫌の矛先も、彼女の顔に隠せていない悲しさや寂しさがどこに向けられているのかも、克人は理解しているつもりだった。特に後者は、今まで彼女が彼についぞ見せることのなかったものだから。
克人は今まで恋愛を経験したことはない。興味がない訳ではないが、これまで特定の女性に特別な感情を抱くことはなかった。それは、今、克人の目の前にいる真由美に対しても同様であった。そして同じことが、真由美にも言えていた。克人は十師族の跡取りの重圧から、真由美は十師族の長女としての責任と父親への反抗心から。両者の理由は違えど、二人は恋を他人事のように、現実味のないものだと受け止めていた。本の中のおとぎ話、近くにありそうで遠くにあるもの、そんな空虚なものでしかなかった。互いに婚約者候補になった時も、さしたる感情の起伏は覚えなかった。
「俺はお前の考えていることは分からん。弘一殿が十文字家に持ち掛けてきた提案は、十文字家にとって、十師族にとって必要だと思ったから賛同した。弘一殿も、俺も、利益を追求している。それに今回、お前が含まれていた」
しかし、今、克人の前にいる真由美はどうだろうか。彼女は克人が婚約者候補でなくなった時に、現在のような表情をしただろうか。彼女は克人に新しい婚約者ができた時、現在のような表情を浮かべるだろうか。そしてそのことを、真由美はちゃんと自己認識できているのだろうか。
「弘一殿も、俺も、自分の家のため、ひいては十師族、日本のために四葉に申し立てた」
真由美は克人を睨んでいた。しかし、克人は怯まない。
「七草、よく考えろ」
──七草、お前は俺が未だに見つけられないものを見つけたか?
「周囲を見てみろ。それ以上に自分に目を向けてみろ」
──四葉は、俺とは違って、お前の前に男として立てたか?
「お前にとって有益になるようにしろ。お前のことは、お前にしか分からん」
──七草。俺はお前が羨ましいのかもしれない……
真由美の視線は鋭利な刃物みたく、克人に突き刺さっている。しばらく経っても真由美が何も言わずにいると、克人は部屋を出て行った。一人ぽつんと、真由美だけが残された。部室内に備わっている椅子に腰かけ、体育座りして、背中を丸めた。まるで殻に閉じ籠るかのように膝を抱え込んでいる。
「………勝手に言ってくれるわね」
吐き捨てるように呟かれた真由美の言葉は、彼女の心を抉っていた。
誤字脱字報告、いつもありがとうございます。非常に助かっております。
コキュートスなどについては追々詳しい説明が入ると思います。イメージとしては、丸いボール(精神)が箱(霊子や想子)によって閉じ込められるという感じです。精神がそもそもプシオンですが、そこは追々説明していきます。