狂気の産物   作:ピト

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来訪者編
37話 転校生


 ──────1月4日、九重寺

 

 冬の日の出は遅く、夜明けの兆しも見えない早朝。

 一台の黒いセダンが、九重寺へと続く石段の入りに止まった。運転手(コミューターではないから当然いる)が降りて、後部座席のドアを開ける。そこからは、黒いドレスを着た真夜とスーツ姿の尽夜が出てきた。真っ暗闇の中、二人は魔法で足元を照らしながら石段を上がっていく。だいたい三分の一程登ったとき、尽夜は周囲からの視線を感じ取った。

 

「…………母さん、そのままお進みください」

 

 尽夜が真夜の耳元で囁くと同時に、一人の男が木の上から飛びかかってきた。相手の降下しながらの蹴りを一段下に降りることで躱し、足首と膝を掴んで、流れるように一回転して林の中に放り込んだ。次に反対側から真夜に向かってくる男に掌底突きを喰らわせ、怯ませたところに蹴りを入れて飛ばす。その後も向かってくる襲撃者たちに体術のみで応戦するのは、九重寺の門の前まで続いた。

 尽夜が真夜の隣に戻った。息切れはしておらず、スーツの乱れもすぐ直せる程度であった。

 

「お疲れ様」

「ありがとうございます」

 

 互いに一言だけ交わしてから門をくぐる。

 本堂の階(きざはし)には、一人の坊主がひょうひょうとした雰囲気で座っていた。

 

「いや〜、名高い四葉の現当主と次期当主がこの寺にお越しになさるとはね〜。珍しいこともあるものだ」

 

 ニタニタと人の喰えない笑みを浮かべて軽口を叩く九重八雲。この九重寺の住職だ。

 

「お久しぶりです、住職。手荒な歓迎ですね」

「ん〜、鈍ってはいないようだね。まあ、成長もしてないようだけど」

「貴方程の相手ならば、迷わず魔法を使いますから」

「それもそうだね」

 

 八雲が立ち上がって、二人を先導する。本堂の最奥の一室に辿り着いた。真冬だというのに襖を全開にしていたその部屋の前で、八雲はひょうひょうとした態度を崩すことなく中に声を掛けた。

 

「青波入道閣下、お連れしました」

 

 室内には八雲が『閣下』と呼ぶ、一人の厳つい男性が胡座をかいて座っていた。頭は剃り上げられた僧形で、灰色の太い眉にどんぐり眼。若かりし頃は恰幅が良かったことが分かるほどの広い肩幅。眉目秀麗とは言えないが、総じて風格のある顔立ちといえる。白く濁った左目は相対するものに異様な圧迫感を与えるだろう。年齢は60過ぎ、日本の財政界を裏で牛耳る黒幕、『妖怪』と呼ばれる東道青葉、その人であった。

 

「ご無沙汰しておりますわ、閣下」

 

 真夜が恭しく挨拶し、尽夜と伴って一礼する。

 

「うむ。まあ、座れ」

 

 腹の底に響く重低音の声音で勧められた座布団へと腰を下ろす。尽夜が青葉の正面、真夜が尽夜の左隣りに、八雲は部屋の襖を閉めて畳の上にそのまま座った。

 

「真夜の息子よ。初めて会うな。東道青葉だ」

 

 ギロリとした目で、尽夜を射抜くようにしながら、青葉が自己紹介する。

 

「四葉尽夜です。以後、お見知りおきください」

 

 青葉の眼力に怯むことなく、尽夜は丁寧に受け答えた。

 

「覚えておこう」

 

 青葉は頷いた。そして、続けて本題を切り出す。

 

「先月の下旬より、変死体が相次いでおる。少量の血を抜かれた魔法師の死体だ」

「存じております」

「USNAに姦しい動きがある。おそらく事の原因は彼奴等で間違いなかろう」

「如何様に?」

「しばらくは彼奴等に恩を売れ、最悪個人単位でかまわん」

「スターズの総隊長が、明日、第一高校に留学してきます」

「上出来だ」

「期間は、いつまでに?」

「年度末。それ以上は不愉快だ」

「では、2ヶ月、いえ、1ヶ月程で終わらせて見せましょう」

 

 尽夜がニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。それに釣られて青葉も口角を上げていた。青葉は尽夜との間に置かれていた盆の上に載っている茶碗を手に持ち、一気に傾けた。

 

「主とは気が合いそうだ」

「光栄です。私もですよ」

「どれ、指名祝いだ。座布団五枚でどうだ?」

「いえ、それよりも欲しいものがございます」

「…ほう?申してみよ」

「閣下との対等な関係を」

 

 八雲が目を見開いた。逆に青葉の顔は邪悪に歪んでいた。その片目には、面白いものを見ているかのように、尽夜を試すような意味合いが籠められていた。

 

「私がスポンサーでは不満か?」

「ご冗談を。私が求めているのは、閣下との個人間の関係、盟友としてです」

 

 青葉が豪快に、声を上げて笑った。

 

「この東道青葉に対等に接することを望むか」

「御不快で?」

「否。おもしろい」

 

 青葉は茶碗をスッと前に差し出した。尽夜は心得るように目の前にあった急須で茶を注ぐ。青葉がまたそれを一気に飲み干し、茶碗を尽夜に渡して、今度は青葉が茶を注いだ。尽夜も青葉に倣い、それを一気に飲み干して、茶碗を膝先の盆に置いた。それを青葉が見届け終わると、彼は膝に手をついて立ち上がった。八雲が静かに襖を開ける。

 

「お見送り致します」

「かまわぬ」

 

 音もなく立ち上がった八雲に、青葉は手で制してから尽夜を一瞥する。

 

「此度は久々、美味い茶だった」

 

 青葉はそう言い残して、去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────1月5日

 

 新年を迎えて、短い冬休みが終わり、本日から第一高校では学校の授業が再開される。初日にも関わらずの完全カリキュラムに、生徒たちがうなだれているかと思いきや、思わぬ吉報に生徒たちは胸を躍らせていた。

 

「USNAから来ました。アンジェリーナ・クドウ・シールズです。みなさん、仲良くしてくださいね。色々と分からないことやご迷惑をおかけすることもあると思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 

 一年A組で拍手が沸き起こった。吉報の金髪碧眼の目麗しい女子留学生に、男女問わず歓声が飛ぶ。特に男子生徒は喜びの度合いが女子生徒より比較的に大きかった。アンジェリーナ・シールズは、A組の指導員(現代において担任という制度は、伝統を堅持している学校を除き存在しない)の百舌谷(もずや)に深雪の右隣りの席に座るよう促された。そして、その周りに生徒たちが集中するかと思いきや、そのまま授業が始まり、彼らは次の休み時間までお預けをくらった。

 

 午前授業の終了を知らせるベルが鳴り、お昼休みがやってきた。尽夜は使っていた端末の電源を落として立ち上がると深雪を間に挟んで留学生と向かい合った。教室の視線がそこに集まる。授業間の休み時間で、留学生が日本語に堪能であることは分かっているので日本語で話しかけた。

 

「はじめまして。四葉尽夜です。よろしくお願いします」

「アンジェリーナ・クドウ・シールズです。こちらこそよろしくお願いします。リーナと呼んでください。あと、敬語も抜きでいきましょう」

「なら遠慮なく。よろしく、リーナ。俺は名字でも名前でも呼びやすい方で構わないよ」

「OK。ジンヤって呼ばせてもらうわね」

 

 リーナはパチリと左目でウインクを落とした。

 

「ジンヤって、あの『ヨツバ』の?」

「どの四葉があるかは分からないけど、多分リーナが思っている通りだよ」

「ワォ!随分と『ヨツバ』の異名とは印象が違うのね。もっとこう、……なんて言うのかしら?」

「近寄り難い?」

「多分それ。凄くフランクね」

「期待はずれだったかな?」

「いいえ、むしろ好印象よ」

「ならよかった。何かあったら力になるから遠慮なく言ってくれ」

「サンキュー!そうするわね!」

 

 終始明るく会話した二人は、お互いに好感触を持って終えた。次に、尽夜は深雪の方に話しかけた。

 

「深雪、すまないが後は頼んだ」

「…………はい」

 

 深雪は尽夜の頼みに覇気のない返事をした。この短い会話に、教室中や生徒たちは違和感を覚えた。リーナでさえも、首を傾げている。尽夜は少し居心地が悪そうに苦笑いを浮かべただけで、すぐさま一人教室を出て行った。

 

「……深雪?どうかしたの?」

 

 リーナは、先程尽夜が出て行った扉を悲しげに見つめる深雪に疑問を投げかけた。

 

「……ごめんなさい、何でもないわ。リーナ、食堂に案内するわ。ほのかも行きましょう」

 

 深雪は少し間を置いていつもの華やかな笑顔をリーナとほのかに向けた。二人は戸惑いながらも頷くだけで、深く追及することは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────同日、生徒会室

 

 Aクラスを出た尽夜は、その足で生徒会室へと向かった。扉の前でIDカードをインターホンの承認機器に通す。尽夜が生徒会室の中へ入ると、あずさが昼食を取っていた。まだ食べ始めて間もない感じが見られた。

 あずさは尽夜が入って来たのを見ると、無表情になった。普段、小動物のような可愛らしい動きが常々のあずさからは、考えられない表情だった。尽夜もこの一年、こんなに無機質な表情を浮かべるあずさを見たことはなかった。

 

「あずささん、お久しぶりです。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 

 あずさの違和感を感じつつも、尽夜は腰を折って挨拶した。

 

「四葉くん。お久し振りですね。新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」

 

 あずさはニコリともせず、まるで機械のように返事をした。尽夜は、あずさの返答に言い表せない冷たいモノを感じた。去年まで聞いていたあずさの声音は変わっていないにも関わらず、尽夜の背筋に冷や汗が虫のように這った。

 尽夜は思わず()ようとした。

 

「?…………ッ!?」

 

 尽夜は目を見張った。視えなかったのだ。あずさの『精神』が。

 こんな経験は初めてだった。尽夜は最初、理解できなかったが、そうとしか考えられなかった。

 呆然と立ち尽くし、動かない尽夜を、あずさがコテンと首を傾げて不思議そうに見ていた。

 

「四葉くん?どうかされましたか?」

 

 心配するような言葉をかけるあずさ。しかし、あずさの顔には心配している感じが一切見受けられなかった。あずさの冷たい無機質な視線が、今、動揺が隠せない尽夜に追い討ちをかけるが如く突き刺さった。

 

「……いえ、なんでもありません」

 

 尽夜は更に不安に駆られていた。

 

「変な四葉くんですね。ここへは、昼食を食べに来たんですか?」

「はい」

「そうですか。なら、座ったらどうです?」

 

 あずさはそう言って、自分の昼食を再開した。尽夜はあずさに言われるがまま、いつもの自分の席に座った。そして、持ってきた風呂敷から水波と千波が作ったお弁当を取り出し、机の上に置いた。その時、尽夜は強い視線を感じた。顔を上げると、もちろんあずさがいた。その眼光は、光が無かった。尽夜は、思わずたじろいだ。ゴクリと、唾を揉み込む。

 

「……あずさ、さん?」

 

 尽夜は、あずさの名前を呼んだ。

 

「なんですか?」

 

 あずさは答えた。尽夜の返答を待つあずさは、やけに静かで、落ち着いていた。しかしその姿が、尽夜の目には、般若の如く見えた。

 

「……いえ、なんでも、ありません」

 

 こう返すしか出来なかった。今の尽夜には、ここであずさに踏み込むことはできなかった。むしろ、ここで訳も分からず踏み込むと、取り返しのつかないことになるような気がした。

 

「そうですか」

 

 あずさは小さく頷いて、食事を進めた。

 それからは、生徒会室を出る時まで会話をすることはなかった。昼休みの生徒会室の空気は、夜中の墓地のように閑散と不気味な様子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────1月13日

 

 リーナが第一高校に来てから一週間程が経過した。センセーショナルなデビューを果たしたリーナによって、第一高校の女王は双璧となった。これまで第一高校における女王の座は全生徒が一致して深雪と認識してきたが、それもリーナの登場で意見が分かれるぐらいだ。それに深雪と行動を共にすることは多く、『深雪に劣らぬ美貌』という評価がより印象付けられていた。

 陽光より煌めく黄金の髪。サファイアのごとく蒼く輝く瞳。

 夜空より深い漆黒の髪。黒真珠のように黒く澄き通った瞳。

 対照的な美貌を持つ彼女たちは、近くにいることでより一層お互いを映えさせていた。

 しかし、容姿もさることながら、双璧を成したのはそれだけではなかった。

 

「あーっ!負けた!」

「ふふっ、これでイーブンよ、リーナ」

 

 現在は、魔法実習の授業中。その内容は、二人の間にある金属球を支配し合うという単純明解なもの。単純だからこそ、魔法発動速度や干渉力がものを言わせ、純朴な才能の差が表れるような実習だ。二人の言葉から分かるように、深雪とリーナではこの差はほとんどないように見受けられる。そんなリーナの魔法力を一目見ようと実習室の観覧席には見学者が多く詰めかけて来ていた。

 

「司波に匹敵する魔法力とはな」

「USNAを代表して来ているものね。驚くけれど不思議ではないわ」

 

 観覧席では既に自由登校となっている三年生の姿もあった。真由美も摩利も例に漏れず、実習を眺めていた。

 

「先程の2回もほぼ差なんてなかった」

「…………そうね」

「干渉力に力を入れるか発動速度を重視するかで色々と変わって……」

 

 批評し合っていた彼女たちだが、摩利がふと言葉を切って真由美の方に顔を向けると、真由美は深雪とリーナではなく別の所を見ていた。真由美の視線の先では、尽夜が一人で端末に向かっている姿があった。真由美は摩利が言葉を止めたことに気づいた様子はなく、摩利は小さくため息を吐いた。

 

「ジンヤー!こっちに来てー!」

 

 続けて対戦していた深雪とリーナは一段落したのか、リーナが声高々に手を振りながら尽夜を呼んだ。尽夜は手を挙げて了承を伝え、端末の電源を落とした。尽夜がリーナたちのいる所に近づくにつれて、周りの生徒の注目が集まっていく。

 

「二人の結果はどうだったんだ?」

「もー、互角よ互角。3勝3敗。なかなか勝ち越せないのよ」

 

 リーナは両の掌を上に向けて、首を横に振る。悔しそうにしながらもどこか嬉しそうな感じが雰囲気に出ていた。

 

「それよりも!さっそくやりましょう!今日こそ勝ってやるんだから!」

 

 リーナはビシッと宣言して金属球をセットした。尽夜は微笑みながら頷いて位置についた。

 二人の間は3メートル。

 

「カウントは任せる」

「分かったわ。……3、2、1、GO!」

 

 リーナの合図で、両名とも同時に設置型CADのパネルに手を触れた。尽夜は滑らかに、リーナは叩きつけるように。静と豪という言葉がピッタリだ。

 勝負は一瞬。すぐに金属球がリーナに向かって転がった。

 

「Huh !? Why not !? Much too fast, Jinya !?(はぁ!なんで!?早すぎるわ、ジンヤ!?)」

 

 リーナは大袈裟に手を額につけて天を仰ぎながら、日本語を忘れて叫んだ。

 

「You are fast too, Lina. This game was a better fight than before.(リーナも十分早いよ。今のも前よりかは良かったじゃないか)」

 

 そんなリーナの様子に、尽夜はおかしそうに笑った。

 

「Are you being sarcastic ? It’s no good !(イヤミを言ってるの?全然だったじゃない!)」

「Sorry, I don't have the will, but you are too worrying about victory or defeat. We should talk about the content of it, shouldn’t we ?(すまん、そんなつもりはないんだ。でも、リーナは勝ち負けにこだわりすぎていると思う。試合の内容に目を向けないか?)」

「…………That’s true. I’m sorry. I became feverish with excitement.(…………その通りね。ごめん。熱くなりすぎちゃったみたい)」

「That’s all right. Well, your competitive spirit is a good thing.(気にしないでくれ。まあ、競争心も大事だからな)」

「Thanks, Jinya. Please one more time !(ありがとう、ジンヤ。じゃあ、もう一回!)」

「Of course.(勿論)」

 

 第三次世界大戦によって、戦前のようなグローバリズムは少し歪な変貌と共に急速に発展した。魔法師が新たな戦略として登場したことにより変わる世界情勢の中で、魔法師の国外への移動は、徹底的に制限された。それに反比例して、一般的な移動手段は高速化し、一般人の国外移動は地球の裏側でも百年前の半分ほどの時間に短縮された。技術進歩も著しく、翻訳機能もその恩恵を受け、向上し続けており、端末機器が一つあれば会話に困ることはまず無くなっている。しかし、尽夜は自らの英語能力、綺麗な発音で対応していた。その具合は、リーナが留学して来て初めての実習で、今日と同じく、尽夜に負けた時に熱くなりすぎてしまい、その実習が終了するまで英語で会話しているとリーナが気付かなかった程だった。

 

「……本当に、相変わらず化け物だな、あいつは」

 

 摩利が呆れ半分感嘆半分に呟く。事実、摩利が尽夜を化け物と称したように、勝ち負けが絡む実習授業において尽夜は負けたことがない。そもそも、深雪が尽夜以外に負けることが同級生上級生を問わずほとんど無く、その深雪ですら尽夜に時折肉薄することはあれど勝利したことは無かった。

 

「あー!もう!なんで!Interference (干渉力)でも勝てないの!?」

 

 リーナがまたも叫ぶ。今しがたの勝負はあらかじめ金属球を半分ずつ支配し合った状態で開始したのだが、結果はリーナの負けであるようだ。

 

「ミユキ!交代!ジンヤにギャフンと言わせてあげて!」

 

 リーナは悔しがりながら同じ実習席にいる深雪に交代を告げた。しかし、深雪は先程行われた試合の金属球をぼーっと見つめていた。

 

「……深雪」

「えっ、あっ、はい!」

「リーナと交代だ」

 

 尽夜に名前を呼ばれ、ハッと顔を上げた深雪は「申し訳ございません」と謝罪してリーナの方に足を進めた。

 

「…ミユキ、アナタ大丈夫?」

「ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてただけなの」

 

 リーナの心配をよそに、深雪は位置につく。再度実習中の生徒や観覧席の生徒の視線が集中した。しかし、それはリーナと尽夜の試合で向けられていた興味とは全く違う種類の好奇心だった。その好奇心とは、新年早々に日本魔法師社会にもたらされた二つのニュースに対してだ。四葉家の次期当主指名とその婚約である。第一高校の生徒たちにとって、前者は社会全体がどうであれ驚くことではなく、むしろ必然のことだろう、と思っていた。だが後者は、思春期真っ盛りの彼らにとって美味しいネタでだった。特にこの手の話題が好きな女子生徒たちは、尽夜と深雪の動向に注目していた。しかしながら蓋を開けてみれば、二人は未だ婚約者たる態度を人前でしたことはなかった。尽夜と深雪は一週間、昼食を共にすることも、登下校を共にすることも、学外で二人でいるところを目撃されることも、極め付きは事務的な会話以外を交わすことすら一度たりともなかったのである。距離が近くなるどころか遠くなっているのだ。おかしいと興味を持つ者は誰もが思った。お互いに意識しすぎているなら微笑ましい限りだが、深雪の尽夜を見ている時の哀愁の籠った瞳がそうではないと物語っていた。

 

「なぁ、真由美。あの二人って、あんな感じだったか?」

「…………なに?」

 

 摩利もそれは気になっている一人だった。一応婚約者がいる身で上から判断するならば、今の尽夜と深雪はとても婚約者同士には見えなかった。おそるおそる真由美に尋ねると、不機嫌な表情と言葉が返ってきた。その底冷えする声に、摩利はブルっと体を震わせながら一言一言注意して言葉を選ぶ。

 

「いや、……その、……だな。あの二人は、その…、本当なのかなぁと……」

 

 摩利がポソポソと紡ぐ言葉に、真由美は摩利から目を離して嘆息した。

 

「………………歓迎されてないのよ」

 

 真由美は誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。

 

「…ん?すまん、真由美。聞こえなかった。なんて言ったんだ?」

 

 すぐ近くにいた摩利ですら、真由美が唇を動かしたことしか分からずに聞き返した。しかし、真由美がもう一度言うことはなく、摩利の方に視線を戻して先程とは別のことを言った。

 

「今なら食堂が空いてるわ。早いけれど昼食に行きましょう。そこで話してあげる。ただし、質問は受け付けないから」

 

 そう言うや否や、真由美は実習室の出口の方に早足で向かって行った。摩利は慌ててそれを追う。その際にチラッと視線を実習室に戻すと、深雪がいつものように実力が出せておらず、尽夜に対して申し訳なさそうに頭を下げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──────昼休み、学生食堂

 

「ハーイ、リーナ。人気者ね」

 

 エリカがリーナに砕けた挨拶をする。リーナがE組のエリカたちとA組の深雪、ほのかのメンバーで昼食を取るのは初日以来一週間ぶりだ。

 留学生であるリーナは、様々なお誘いを各方面から受けており、色々な人と交流する非常に模範的な生活を送っているのだ。

 

「ありがとう。皆さん良くしてくれて嬉しいわ」

 

 エリカの軽口交じりの挨拶に、照れたり謙遜したりすることなく、リーナはあっけらかんと答えた。その態度は個性であれ民族性であれ、エリカを除いたメンバーには目新しく映った。

 

「達也さん、先程の実習でもリーナは凄かったんですよ。深雪と互角にやり合った白熱してました」

「そうなのか、流石だな」

 

 達也の正面に腰を下ろしたほのかが、達也に話題を振って切り込んだ。

 

「そんなことないわ。ワタシはむしろコッチに来て驚いたわ。これでもワタシ、ステイツのハイスクールでは負け無しだったけれど、コッチに来てからミユキにはどうしても勝ち越せないし、ホノカには総合力では負けてないけど精密制御では負けてるし、極め付けは尽夜には一度たりとも勝ててないのよ。ちょっと自信無くすわ」

「リーナが負け続けた時に取り乱すのは可愛かったよ?」

「ちょっと、ホノカ!?それは言わないで!」

 

 焦ってほのかに苦言を入れるリーナ。エリカが笑いながら悪ノリして詳しく聞き出そうとほのかに続きを促す。リーナは必死に止めようとするが、エリカに押さえつけられ、健闘?むなしく、実習で白熱し過ぎると英語に戻ってしまいなかなか気付かないことやそれが今日もあったことが、ほのかから暴露された。ニヤニヤとエリカの揶揄う目、美月や深雪の微笑ましいものを見るような目にリーナは羞恥に駆られた。そんなリーナは、すぐに話題変換に移った。

 

「聞いた話なんだけど、ミユキとジンヤってフィアンセなんでしょ?」

 

 だが咄嗟に選んだ話題は、この場においては悪手だった。空気が凍ったように感じた。リーナは心中で失敗を悟るも、今更進路変更はできない。

 

「…………ええ」

 

 深雪が重苦しく答える。実情を知っている達也を除き、誰もが知りたい内容ではあるが、迂闊に聞けない案件にリーナは手を出していた。

 

「フィアンセならもっと一緒に居なくていいの?二人でいる所をワタシ見たことないからさ」

 

 リーナは、いっそのことと開き直ることにした。自分は留学生だからという視点も加味して、深雪が自分で断ち切るか、他のメンバーの誰かが自分を窘めて謝罪すれば終わると計画した。予想通り、ほのかが慌てて入ってきた。

 

「ちょっと、リーナ──」

「いいのよ、ほのか」

 

 だが、予想外に深雪はほのかを制して、リーナの疑問に答えるようだった。

 

「皆、先週から気になっているんでしょう?遅かれ早かれ広まると思うから、今説明するわ」

「ミユキ、ごめん。無理しなくていいよ」

「リーナ、気にしないで。むしろキッカケをくれてありがたいわ」

「深雪」

「お兄様も御心配なさらないでください。私の問題ですから、ちゃんと私が説明します」

 

 各所からの心配を深雪は気丈に流した。

 

「私と尽夜さんは、まだ婚約者よ。でも今は、四葉本家からあまり一緒に居ないようにとお達しがあるのよ」

「なんで?婚約者なのに?」

 

 エリカが心底不思議そうに尋ねた。

 

「…実はね、この婚約に他家から異議申し立てがたくさん来ているらしいの」

「「「はあ!!??」」」

 

 エリカにリーナ、それに今まで聞きに徹していたレオまでもが思わず声を上げた。達也以外が全員驚いているのは言うまでもない。

 

「…婚約って私事でしょ?なんで他の家から茶々入れられる訳?」

 

 エリカが若干怒気を孕ませた声を荒げる。

 

「そうね。それを理解してもらうには、あなた達に打ち明けなければならないことがあるの」

「深雪?」

「お兄様、既に許可は頂いておりますので大丈夫です」

 

 達也と深雪の短い問答に、周囲の頭に疑問符が浮かんでいた。

 

「皆は、何故私が尽夜さんと婚約できたと思うかしら?」

「え?そんなのお互いに好き合ってるからじゃないの?」

 

 ほのかが当たり前のように口にした言葉には、やはり『婚約』というものの中に『恋愛』というものが必ず含まれていると考えている証拠だ。若者として健全ではあるし、本来それがあるべき姿なのだろう。しかし、昨今の社会情勢を鑑みるに、何世紀か昔のような『婚姻』=『利益』という構図が成り立っているのは別に珍しいことではなくなっているのが現実である。もっとも国が率先してそんなことを強制している訳ではない。主権が国民にある民主国家において、人権に関わる介入はできないからだ。しかしながら、それが現代において求められる立場が民主国家においても存在しているのである。とは言っても、立場を気にせず恋愛結婚をしたとしても当たり前だが罪に問われることはない。あくまで慣例に過ぎないものではある。

 

「まず、そこからね。私はともかく、今の尽夜さんは私に対して好意的な感情は持ってくださっているのだけれども、恋愛感情を抱いてはおられないわ。だからある意味、この婚約も尽夜さんからすれば政略的なものとも言えるわ」

「えっ!?うそっ!?」

「…じゃあ、尽夜の奴の意思は関与してねぇってことか?四葉が深雪さんの魔法力を欲したって考えれば辻褄が合うんじゃねえか?」

「でもあんたの考えだったら、どこに他所(よそ)からの横槍が入る要素があるのさ?」

「次はそれよ、エリカ。魔法師の婚姻で反対が挙がるのはどんな時かしら?」

「そりゃあ、だいたいは魔法師じゃない人との婚姻か近親けっこ…ん………深雪、…アンタ、四葉だったの?」

 

 勘のいいエリカが真っ先に解に辿り着いた。

 

「そっ、そんなこと、……だって去年の入学初日に深雪と尽夜さんは初対面のはず!」

 

 動揺を隠せないほのか。すぐに去年の入学当初の光景を口にして否定にかかった。

 

「…ごめんなさい、ほのか。あの頃の私とお兄様は四葉の縁者と名乗ることを許されてなくて、そういう風に振る舞わなければならなかったの」

 

 深雪は、ほのかの否定を崩し、遂に自分が四葉の関係者であると語った。

 

「それに、十師族の次期当主の婚約者に、知り合って一年も経っていない小娘を普通添えるかしら?私が尽夜さんの婚約者になれたのは、幼い頃から尽夜さんと過ごしていたからなのよ。私のお母様は、四葉家の御当主様の一卵性の双子の姉だから。そして、私と尽夜さんは一卵性の双子から生まれた従兄妹。これが他家から横槍が入る一番の理由よ。…今まで隠していてごめんなさい」

 

 深雪は座ったまま丁寧に頭を下げた。事情があるとはいえ、今まで嘘をついてきた罪悪感と、ここ最近心配をかけていた申し訳なさからの行動だった。それに、未だ尽夜と友達の友達状態にいる幹比古や美月は、深雪と達也が四葉であると知れば離れて行ってしまうかもしれないという不安もあった。

 

「深雪、頭上げてよ。謝る必要無いって。どこも家庭の事情ってあるし、その規模がでかいだけじゃん。私もその辺の事情ってあるからね。少なくとも私は気にしないし、むしろ深雪と達也君が名家の縁者って聞いて納得してる」

「そうだぜ。達也も深雪さんも悪かぁねえよ。二人が四葉だろうがそうじゃなかろうがダチはダチだからよ。あ、尽夜の野郎も含めてな」

 

 ムードメーカーたるエリカとレオの二人はすぐに打ち解けていた。妾の娘であるエリカ、ドイツと日本の複合調整体の末裔であるレオ。どちらにも家庭の事情というのは理解できて当然のことだった。それに元々尽夜という四葉が近くにいたから、今更一人二人増えようと変わらないと考えているのだろうか。そんな二人を倣って、ほのかも頷き、同意している。

 

「あの!深雪さん!」

 

 さらには、美月が自分の胸の前で手を祈るように合わせて、オドオドしながらも勇気を振り絞って言葉を発した。決意の籠った顔付きだった。

 

「私、吉田君と冬休みに一緒に決めたんです!尽夜さんと仲良くなろうって。だから私も気にしてませんから!……私が言っても何もならないとは思いますけど……」

 

 最後の方はいつもの美月らしく、ボソボソと自信無さげに声が萎んでいた。

 

「ありがとう、美月。皆も、ありがとう」

 

 深雪は友達を信じていない訳ではなかった。だが、不安はあったのだ。美月の言葉は彼女の思っている以上に、深雪に安堵をもたらしていた。それを裏付けるように、深雪の表情からは憂いも波を引いて穏やかなものだった。

 

「美月ィ〜?ミキといつの間に距離が近まったのかなぁ?冬休みってことは二人で会ってたってことだよねぇ〜?」

「ふぇっ!?エ、エリカちゃん!何言ってるのっ!?」

「そっ、そうだぞ。柴田さんとはただ電話をしてただけだ!」

 

 そして、またいつものように肉食獣(エリカ)が小動物(美月)を狩ろうとしたり、おもちゃ(幹比古)であそびはじめた。

 

「ふぅ〜ん。美月のこと、なんとも思ってないんだ?」

「思ってない!」

「えっ、そうなんですか…?」

「えっ、……いや、…その……」

「「………」」

「むふふふふ」

「「エリカ(ちゃん)!!」」

 

 クスクスと周りが三人のやりとりを見て微笑む。

 そんな中で、達也はリーナが少し険しい表情をしているのを見逃さなかった。




 誤字脱字、いつも助かっておりますm(_ _)m

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