連合三田会 ラーメン二郎創業者・山田拓美トークショー 二郎と慶應 〜ラーメン二郎 その歴史を語る

まずはじめに、 二郎にはどんぐりの粉はいっていない。 白いベンツにはのってない。ホンダの50cc。 田園調布には住んでない。 処女豚(だったと思う?)はつかってない。 この4点が勝手に出回って迷惑しているので、最初に訂正させてもらった 笑

小学生のころ友人の父親に食べさせてもらったオムライスが美味しくて、そのときに頭の片隅でこんなことやりたいなぁ、と思った記憶がある。

中学出て和食のお店に その後転々とし、千葉のキャバレーでオードブルを盛ったりしていた。

おじさんがおでんだねのお店を都立大学でやっていたが、それを閉めることになり、なんだかラーメンをやることに。ラーメンなんてたべたことがなかった。当時は器の底が見えるようなすましのような薄い味のものを出していた。

当時の名前はラーメン次郎、だった。 当時ラーメン太郎ってインスタントラーメンがあり、その名前にしたかったがさすがに、、。で、次郎。笑

1日18杯とかしか出ず、もうやめようと思ったら最後の日に偶然、近所の学生寮の学生がきた。その学生がラーメンをよく知っていたのできいてみた。 このラーメンじゃ売れないよ。若い人にはこってりした味にしなくては、と言われ、だったらうまいの作ってやろう!と思い、半年間、昼間は近所の中華料理やさんに頼んで見習い修行をさせてもらった。これまで自分がやってきた和食とはまったく作り方が違った。

修行後、となりの肉屋から残りのガラをもらってグツグツにて、色々あれこれ載せるのは面倒だから八百屋から野菜クズをもらってきて野菜をわっと載せて やめる気だったからヤケクソ 笑

で、スープができた。 美味しかった。そうしたら3週間くらいであっという間に繁盛しだした。

当時は一人で200杯出した。 どんぶり洗ったことなかった。笑 湯を流しっぱなしでちゃちゃちゃっと、そんな感じ。笑 もうかってしかたなかった。

で、水洗が普及してその都立大の場所が立ち退きに。 そこでもうラーメンやめようかと思ってたいた。

したら、運がいいんだよな 雪印乳業の人に誘われてマージンやってたら、慶應の学生がやってきて、三田の角の洋食屋がしまるから、そこでやりなよー、と。

(都立大はあと二年あったから、若いものにやらせた 当時の自分の家賃35000円だけくれよ、といって ※この部分メモ不足)

で、前の洋食屋から改装をするってことで、店のテントを大工に頼んでいた。もちろん慶應カラーのテントになると思ってたら、なぜか黄色に、そして次郎ではなく二郎に笑 次の申告も保健所、二郎で通っちゃった。いいかげんなもんだ 笑

どんぶり洗わなくて、カウンター傾いてるから食べているとすべっていくんだよな。笑 みんな抑えてたべていたなぁ。

最初はメニューは大と小だけ。 学生の豚多めとか、ニンニク多めとか、リクエストで増えてきた。

当時カウンターにみな小銭をおいて払っていくけど、銀行の人は機械が壊れるから、っていって洗って干してからじゃないもっていかなかった。

どんぶり洗わないのを保健所に告発されて、少しお店やすんだことも。

1994年に存続運動 学食への移転をもとめた体育会運動もあったがやむなく閉店に。

閉店の日はめんがなくなり、向かいのセブンでインスタントラーメンを買ってきてだした。それもなくなり、うどんもだした。笑

オープンから25年の1996年に立ち退きで閉店。50歳のとき。 もうラーメンはやめておでんや焼き鳥やさんやろうとおもっていた。

そしたらまた慶應OBの人が、二郎は三田を離れてはだめだ、といって、新しい場所を紹介してくれて、3ヶ月半後に復活。

おばさん疲れちゃったから、若い人を使うように。 借金あったから値上げもあり、2年くらいは真面目に働いていた。 昔は注文聞いてたけど、今は食券。 たってるのがやっと。

海外の特にアジアの人は食べるの遅いのでめんを2/3に減らしたりすることも。笑

かため、ちょいかた、ばりかた、は正直適当。あいー、って。 くったら同じ。 だってそいつまたきて、かため、って言ってくってるもん。笑

ラーメン二郎三田本店社訓は、絶対やらないことを書いた。笑 1の散歩にゴルフに写経!?絶対やらない 笑 2は赤旗から 3はサミーデイビスジュニアがいっててかっこよくて。 横文字入れた方がいいな、とおもって。 4は東京そうわ銀行の社員手帳から、 5は警視庁の手帳?から 6ニンニクいれますか、はオリジナルだよ!(会場拍手)

これみたらなんだかすごいひとにみえるけど全部大嘘。笑

(ある日のオープン前からの二郎密着映像)

朝の仕込みはニンニクかわむき担当。(皮はかじってむくw)

2階でめんづくり。(おれはつくったことねぇけど 笑)

3時半閉店。 ここでやらなければやらないことがある。大事なこと、と言って、おにぎりのアルミホイルをむいて、ひとかじりしたやつをぷーっとスズメにまくw

数年前、スズメに餌をやってたらすべって転んで、入院したら、糖尿病がわかって。それで命拾いした。 だから、どんなこがあってもスズメには、 餌をやらないと 。

質疑応答 仕事への姿勢?などについての質問に - 店をオープンしたら毎日銀行に一万円預けるようにしている。それで信用ができる。そうしたら半年もすればいわなくても貸してくれるようになる。 だから5000円でもいいから毎日銀行に預けるようにしてそれを続けろ、と若い者には言っている。 毎日毎日コツコツやることが大事。 毎日毎日やったらうまくなる。 が、一生懸命やれ、と言ってもなかなか伝わらないから、それを、毎日銀行に預けられるように働け、という言い方をしている。

一番好きな日本酒は? - 黄桜二級が一番好き

お弟子さん制度はどんなかたち? - 支店で3.4年働いて店に貢献したら、お店をやりたい子だったら本店にきて、ラーメン二郎小銭クラブ(?)にはいる。

若い子が新しい店を出す時は場所見るのも、不動産も銀行もみんな俺が一緒にいく。 お金積まれたって名前はやらない。 価値落としそうな店ができると、周りの支店の方達がきちんとケアして(つるし上げる?)、名前を落とさないようにしている。 自分がみた二郎は絶対成功する。つぶれていない。

結局は人間性。 最初から二郎やりたい、って言って入る奴はだいたいだめ。

途中奥さんのインタビューも。 以下奥さんコメント

”昔は子供を栄養失調になるんじゃないかとおもったこともあり、食べるのに辛い時期もあった。(売り上げは全部次の日の仕入れにまわるので)

今はうちほど幸せなラーメン屋はないと思う つらいことも悲しいこともあったけど楽しくすごさせてもらった。”

***** オチのある話をなさる、ユーモアに溢れたお話上手な方だった。おもってたイメージより気さくで愉快な豪快な方。

二郎の成功の鍵はおやっさんの人柄。なんだなど。そこからくる学生、慶應との深い関係性が今の二郎を作っているんたな、と感じた。 学生時代に一回たべたきりなので、食べに行ってみようかな、、、 ****

このフィルタに該当するリブログはまだありません。