世界で10隻しかない有人潜水船「しんかい6500」の寿命は約5年 現状は後継船を作れない深刻事情

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水深6500m以上潜れる有人潜水船は「しんかい6500」を含め世界に10隻だけ。だけど… 

有人潜水艇「タイタン」が悲劇に見舞われた。水深6500m以上の「超深海」に潜れる有人潜水船は世界に10隻しかなく、「タイタン」は正式な認証を受けずに潜っていたことが問題になっている。

この10隻のうちの1隻が日本の「しんかい6500」。さすが技術立国ニッポン。島国でもあるし、海の調査研究は怠りない、と思ったら、

「『しんかい6500』が建造されたのは’89年。すでに潜航回数は1500回を超え、あと5年が限界でしょう。すぐにでも後継機を作らないと、日本の有人潜水船はなくなってしまうけれど、もう日本の技術では作れないかもしれません」

こんなショッキングなことを言うのは、東京海洋大学の北里洋博士。

12000m潜れる「しんかい12000」を建造する計画があると聞くが、 

「その計画が持ち上がったのは’14年。調査費は出ましたが、その後予算措置はとられていません」

そのため技術が継承されず、もはや国内の技術だけで作るのはむずかしいというのだ。

「有人潜水船」もう日本の技術では作れない…

「海の中では10m潜るごとに1気圧多くかかります。1万m潜ったら、1㎠あたり1tという強烈な水圧がかかります。それに耐えるように作るには、たとえば、“名人芸”とも言える溶接技術が必要です。 

しかし、『しんかい6500』が建造されたのは30年前。そのときの職人さんはすでにリタイアされ、技術は継承されていません。潜水船が浮上するとき必要な浮力材も、30年間作られることはなく、今はもう作れないでしょう」

’22年8月13日に、東京海洋大学を代表とする研究チームが、小笠原海溝でもっとも深い9801m地点を潜水船で訪れ、「日本人最深潜航記録」を60年ぶりに更新。潜航調査時に海底灯台の役割で投入した無人探査ロボット・ランダーに設置したカメラには水深8336mで深海魚が泳ぐ様子も撮影でき、「もっとも深い場所の魚」として’23年4月にギネス認定されたが、このときの潜水船はアメリカの富豪のものだった。

なぜ「しんかい12000」の計画は頓挫してしまったのだろう。

「一つはバブルの影響です。お金がジャブジャブあったあのころ、政府も産業界も新しいものを作るより、必要なものがあれば買えばいいと思ってしまった。技術革新のためにお金を使わなかった。潜水船だけではなく、日本の技術力が衰えたのはそのためです」

なぜこんなに世界から遅れをとってしまったのかと思ったら、そんなことだったのか。お金があるなら、好きなだけ研究費に使えたというのに……。

ちなみに日本学術会議が「しんかい12000」の建造費として試算したのは300億円(または500億円)。「これでは足りないだろう」と北里博士は言うけれど、マイナポイントにつぎ込まれたお金は2兆円。これだけあったら……?

レアメタルなど資源の宝庫「超深海」が日本近海にはたくさんあるのに…

世界には超深海といわれる7000m以深の海溝が22ある。そのうちの6つは、日本の排他的経済水域にあるとか。これら超深海には、レアメタルをはじめ、さまざまな鉱物資源が眠っていると考えられている。日本が資源大国になるかもしれない可能性を秘めたものが、すぐそばにある。それなのに、なぜ潜水船建造に力をいれないのか。

「鉱物資源の採取なら、無人機でもできるからです」

確かに海洋鉱物資源の調査は行われ、沖縄海域や伊豆・小笠原海域では新しい鉱床が発見されたりしている。

「有人潜水船でなくても、無人機でもいいのではないかという議論はつねに行われています。たとえば、海底の泥を採取して、その中の生物を見つけるなら、無人機でも有人機でもできます。けれど、無人機の場合、どこに降ろしたら生物が見つかるかは、降ろした位置の偶然性に左右されます」

一方、有人機なら、人間が見て、動いていける。

「人間はパッと見ると近くも遠くも全体が見えるから、よさそうなところを選んで進んでいくことができますが、無人機ではカメラの焦点を合わせないと見ることができない。また、水の流れや濁りなど五感で感じながら深海を移動したり、観察したりすることができます。自然の研究は、まず自分の目で見ることから始まるんです」

今まで知らなかったものを発見して、それがどういった機能を持っているのか、何をやっているかを知らなければ科学は進行しない。それが地球の研究、特に地球環境の研究に大事なことだと北里博士は言う。

北里博士自身、外国の有人潜水船に乗り、8000mまで潜ったことがある。

「日本の排他的経済水域にある海溝は、地殻変動の様子が少しずつ違って、それぞれに特徴がある。東日本大震災など大規模地殻変動の影響で地滑りが起きれば、そこに新しい生物が住み着くようになるなど、ダイナミックな生態系の遷移を見ることができます。見ていて飽きることがありません」

現状は、寄付や外国の民間調査船に乗せてもらって… 

有人潜水船を国内で作ることは技術的にむずかしくなっている今、北里博士が考えているのは、超深海研究の中核となる組織を作り、研究を推進するプラットフォームを作ること。

「有人機は非常に高額ですが、無人探査ロボット・ランダーは1機1000万円強で作れます。それを海域に持っていくために、船のチャーター、人員を育成するなどが必要になりますので、2年に一回の割合で1ヵ月の航海を組むとして、5年間でざっと見て3~5億円はかかるでしょう。 

しかし、ロケットの打ち上げに数百億円使っているのですから、それに比べればはるかに安価です。それで日本の周りにある超深海の謎に迫れるのです」 

超深海を調査することに賛同する人から寄付を募って、ぜひ調査を続けたいと言う北里博士。 

「’22年8~9月に小笠原海溝をはじめとする日本周辺の深海を調査したときのように、外国の民間調査船に乗せてもらう機会を作って調査することもできるのではないかと思っています。志を高く掲げて、夢の実現を果たしたいと思います。 

日本にはまだまだ卓越した技術を持っている職人さんがいるでしょう。そういう人たちが集まったら、潜水船もできるかもしれない。そういう仕組みを作ることが、これからの私の仕事だと思っています」

「しんかい6500」が5年後に寿命を迎えたら、パイロットも職を失ってしまう。外国の民間調査船と一緒に調査をすることで、パイロットも仕事を続けられるようになるかもしれないと、北里博士は言う。

「日本で初めて潜水艇が作られたのは1929年。西村式潜水艇といって200mまで潜れました。戦後になると1949年に北海道大学が『くろしお』を作り、その後『しんかい2000』、『しんかい6500』と連綿と有人潜水船が作られた歴史があるんです。 

その歴史を途絶えさせないためには、すぐにでもスタートさせなくてはと思っています」

北里博士の検討を祈りたいが、国はこのまま有人潜水船の開発から手をひいてしまうのだろうか。 

北里洋 海洋研究開発機構海洋・極限環境生物圏領域領域長を経て、現在、東京海洋大学海洋環境科学部門客員教授。デンマーク超深海研究所上席研究フェロー。専門は地質学、地球生命科学、深海生物学、海洋微古生物学。’10年日本古生物学会賞(横山賞)受賞。著書に『深海、もうひとつの宇宙 しんかい6500が見た生命誕生の現場』。

取材・文:中川いづみ