クジラの尾、テールマークとともに 世界に日本酒のある風景を
ホエールテール、クジラの尾をロゴマークにした日本酒がある。酒蔵はその名も酔鯨(すいげい)酒造(高知市)。7年前、4代目社長となった大倉広邦さん(44)は、このロゴを旗印に、約20の異業種コラボや酒蔵の新設を手がけ、売り上げを10年前の2倍に伸ばした。その先に何を思い描くのか。
――10年前に帰郷し、酒蔵に入った当時の様子は
帰郷前は、ビール会社の営業を名古屋でやっていて、やりがいもありました。でも、酔鯨が純米吟醸酒ブームに乗って無理に販路を広げ、評価を下げていると聞きました。
酔鯨を創業した亡き祖父が大好きで、酒の飲み方も教わりました。陸軍パイロットだった祖父が戦時中に戦友と飲んだ酒がまずく、供養のためうまい酒をつくろうと思ったそうです。
そのお酒が評価を下げている。ビール会社の先輩から「うちの社内に人材は多い。酔鯨はお前だけだろ」と言われ心が動きました。戻ると酒蔵内は在庫の山。なんとか黒字という状態でした。
――どうやって立て直したのですか
売り上げを考えるあまり、酒卸店などに必要以上の在庫をお願いし、信頼を失っていました。まずは最適の状態で酔鯨を販売してもらえる全国の地酒専門店回りから。経費が乏しく、1度で2週間は戻らない営業遠征を2年間で500日以上続けました。
絶対に酔鯨を良くするから、もう一度、信じてください、と言い続けるしかない情けない営業でしたが、多くが取引を再開してもらえました。社内に対しても数字をとってこないと、自分が進める改革に説得力がなくなる。必死でした。
――酒のラベルを変えました
酔鯨は、土佐藩主の山内容堂が「鯨がいる海の酔っ払い殿様」という意味の「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と名乗ったのをヒントに祖父が社名に付けました。「鯨が水を飲むように豪快に飲み干してほしい」という思いを込めたそうです。ラベルも大半が「酔鯨」の漢字でした。
でも、私はワインも好きで、覚えるにはラベルはロゴがいい。取引先から「鯨を全面に出せば」との助言もありました。そこで高級でより品質管理が必要な酒は「テールロゴ」、日常のお酒は「シルエットロゴ」に。海外でも通じるロゴを目指しました。
社内からは反発があり、そこは業績を上げることでなんとかクリア。ロゴに変えた後、「最近、日本酒のラベルにロゴが増えた」と酒屋さんから言われた時はうれしかった。米国やアジアでも好評。初のコラボがユニクロさんとの酒蔵Tシャツで、ラベルがロゴだったので声がかかりました。
――異業種コラボですね
50年前に比べて4分の1(清酒課税数量)に減った日本酒。どうやって口をつけてもらおうかと考えて、日本酒を飲む光景がなかなか想像できない分野にコラボを求めました。
たとえはビールと相性のいいポテトチップスでは、大手の湖池屋さんに、日本酒に合うポテチを作ってもらい、酔鯨の酒とセットに。キャンプ場でもキャンプ飯にあう専用酒を北海道小樽市の酒店「小樽酒商たかの」さんと開発。たかのの副社長がキャンプ歴が長く、北海道のキャンプ場で繰り返し試飲してもらいました。コラボのOKをもらうのに1年半以上かかったケースもあります。
――これからは何を目指しますか
「世界の食卓に酔鯨を」が目標。世界とは単に外国だけでなく、自分の周りに日本酒のある世界を増やすこと。5年前の二つ目の酒蔵新設は、品質向上に加え、ハレの日から普段用までフルラインナップの商品をそろえることが目的でした。手に入りにくいから人気が出る、そういうことを望んではいません。将来、三つ目の酒蔵も必要です。日本酒のある世界は、求めればどんどん広がります。(今林弘)
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おおくら・ひろくに 1978年、高知市生まれ。2016年4月、37歳で酔鯨酒造(本社・高知市長浜)の社長に。16~20年にラベルのほとんどを「ホエールテール」と「シルエットクジラ」のロゴに変更。18年に高知県土佐市に酒蔵「土佐蔵」を新設。22年9月期の売上高が12億1千万円で12年の5億6500万円の2倍を超え、過去最高の売上高に。米国や中国、韓国などへの海外輸出も前年同期比で倍増した。
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