第百八十六話「ルークの暴走」
パーティ会場は落ち着きを取り戻していた。
会場に残ったのは、アスラ王国の主力貴族と目される上級貴族だ。
グレイラット、ブルーウルフ、パープルホース、ホワイトスパイド、シルバートードといった、アスラ王国に古くから仕える家柄の者達。
彼らは『結果』を見届けるためにも、オルステッドが去ってなお逃げ出さず、会場に残り続けた。
無論、パーティ再開とは行かない。
だが、パーティで起きたことが有耶無耶になったわけではない。
ダリウスの失脚に、ペルギウスの登場。
この二つで、貴族たちにアリエルが次代の王だという印象は強く植え付けることが出来た。
無論、唐突に現れたオルステッドに関して、疑問を持つ者は大勢いた。
だが、この会場の主催者であるアリエルが落ち着きを払っていたため、残った他の貴族たちも落ち着かざるを得なかった。
「……」
貴族たちの中にある心情は、恐怖だ。
あの男は、唐突に現れ、恐怖を振りまいた男は、結果としてアリエルを救った。
アリエルとあの男は組んでいる。
その事から、アリエルに対しても不信感を抱く……。
と、ルーデウスは思っていた。
しかし、実際は少々事情が違った。
一瞬だけ現れ、名も名乗らずにレイダを殺して去っていった男。
オルステッドの事だが、貴族たちの目には彼が『ペルギウスの配下』と映った。
同じ髪、同じ目、似たような風貌であるのに加え、
ペルギウスから立ち上る王者の風格がそう思わせたのだ。
水神を一撃で倒せる人物を配下に持つペルギウス。
そのペルギウスが誰に信をおいているのか。
先のやりとりを思い出すまでもない。
(もし逆らえば、次は自分の所にあれが差し向けられる)
そう思えばこそ、貴族たちは、アリエルに頭をたれた。
あれは誰だ、などと余計な事は聞かず、己の主観を事実とした。
アリエルは修羅になって戻ってきた。
逃げたダリウスも、もはや生きてはいまい。
アリエルは、己の邪魔をする者は、全て殺すつもりなのだ。
その場にいる者はほぼ全て……第一王子グラーヴェルでさえも、そう思った。
オルステッドの呪いには、そうさせるだけの力があった。
ただ、一人を除いて。
その一人は、アリエルの事を誰よりもよく知る人物だった。
その一人は、ヒトガミより、オルステッドの事を聞いている人物だった。
その一人は、アリエルに説き伏せられつつも、未だルーデウスにわずかながら不信感を持っている人物だった。
ルーク・ノトス・グレイラットである。
ルークは、考えた。
はたして、あのような邪悪な男と、その配下となったルーデウスに従って良いのか。
ルークの感情は警鐘を鳴らしている。
結果的にどうであれ、あのような者の手を借りて王になってはいけない。
あれなら、まだダリウスの方がマシだと。
ヒトガミは夢に出てきた。
神聖なる気配と、神々しさを以って現れた。
そして、ルークを慮り、懇切丁寧に道を指し示してくれた。
アリエルを王にすべくどうすべきかを指し、ルーデウスが邪悪なる者にそそのかされていると教えてくれた。
アリエルは言う。
それは悪神である、と。
ルークを陥れ、自分の王道を阻もうと目論んでいるのだと言う。
確かに、後々に判明した事実と予言を照らし合わせれば、ヒトガミの言葉には嘘が多くあった。
否、嘘というより、こちらが勝手に勘違いするような言動が多かったと言うべきか。
どうとでも取れる言葉を、自分が勝手に勘違いした。
そんな気がする。
ルークはアリエルの騎士である。
主君がそうだと言うのなら、得体の知れない神よりも、主君を信じるつもりだ。
たとえそれが、そうと信じられない事柄でも。
主君の選択に全力で付き従い、共に生き、共に死ぬ覚悟ができていた。
だが、ここにきて、ルークは少しだけ認識を改めた。
オルステッドを見て、認識を改めた。
ルークは、女を見る目には自信がある。
反面、男の本質を見抜く力は持っていない。
それを自覚している。
だが、それでもわかった。
オルステッドは悪だ。
あれは、人と協力して何かをする者ではない。
人を破滅へと導く邪神だ。
アリエルは間違っている。
そして、恐らくルーデウスも、あの邪神に魅入られたのだろう。
そう考えた。
ならば。
ならば自分はどうすべきか。
主君が己の意思と反するような道を進んでいるのが明確となった場合、どうすべきか。
意見を言うのはいいだろう。
だが、それでどうなるというのか。
オルステッドは既に動いてしまったのだ。
力を借りてしまったのだ。
ダリウスとグラーヴェルが死に体で、アリエルが王権を取ったと言えるこの状況。
既に、何もかもが手遅れなのではなかろうか。
剣も魔術も半端な自分に、何が出来るというのだろうか。
自分が何かをしても、意味は無いのではなかろうか。
(俺は無力だ)
ルークがそう諦めかけた時。
ふと、視界の中で一人の人物が動いた。
その人物は、素早くアリエルの前へと移動し、跪いて叩頭礼を行った。
「アリエル様!」
ピレモン・ノトス・グレイラット。
ルークの父である。
彼は嫌らしい笑みを浮かべつつ、アリエルに対して声をはりあげた。
周囲の大勢に聞こえるように。
「おめでとうございます!
このピレモン、この日をどれだけ待ちわびたことか!」
ピレモンは嬉しそうに言いつつ、アリエルを見上げた。
「グラーヴェル派を油断させるべく、寝返ったふりをして機を伺っておりましたが、
いやはや、私が何かをする必要など、ございませんでしたな。
さすがはアリエル様。異国の地で十分すぎるほどに成長なされたようだ!」
そのあからさますぎる調子のいい言葉に、顔をしかめる貴族もいた。
ピレモンがグラーヴェルに取り入るために、アリエルに対する刺客に、自分の兵を送った事を知っている者達だ。
彼らは「いけしゃあしゃあと、よくもまぁそんな事が言えたものだ」とピレモンを蔑んだ目で見た。
「ピレモン様……」
「いえいえ、アリエル様、みなまで言う必要はありません。
私も味方の少ないなか、他人に後ろ指を刺されるような立ち回りをしました。
しかしながら、全てはアリエル様を思ってのこと。
こうなれば、あとは以前に戻れましょう、
私がアリエル様の後ろ盾となり――」
アリエルは最後まで言葉を聞かなかった。
「ピレモン・ノトス・グレイラット!」
ピレモンの大声をかき消さんばかりに放たれた、咆哮のような一喝。
「家の事もありましょう!
立場の事もありましょう!
寝返ったことに関しては、私が弱かった事にも理由がありましょう!」
ピレモンは目を丸くして、アリエルを見ていた。
アリエルがこのようにピレモンに対して怒鳴るなど、初めてのことだったかもしれない。
「ですが、寝返ったならば最後まで矜持を持ちなさい!
敗者となった後に、もう一度元の鞘に収まろうなど!
恥を知りなさい!」
「あ……う……」
ピレモンは目を白黒とさせ、絞りだすように言った。
「も、申し訳、ございません」
ぐうの音も出ないピレモンの様子に、貴族たちの中から失笑が漏れた。
ピレモンは顔を真っ赤にして俯いた。
だが、アリエルの怒りは収まらない。
「寝返っただけなら、家を存続させるために仕方ないと思う所もありました。
ルークに家督を譲り、領地に隠居するのであれば、
それ以上の追求をするつもりはありませんでした!
ですが!
寝返った上で、まだなお裏切った相手に擦り寄るなど!
恥知らずすぎて、言葉も出てきません!
そなたの今後誰にとっても害悪にしかならないと判断します!」
ピレモンの顔が蒼白になる。
「死んで詫びなさい!」
ルークはそれを聞いて、ああ、これは茶番なのだと悟った。
アリエルは最初から、こうなることを見越していたのだ。
いや、あるいは今の言葉通り、
処刑まではするつもりは無かったのかもしれない。
ギレーヌとの約束は、所詮は口約束だと言いはって、
なんのかんのと言い逃れをして、ピレモンは助けるつもりだったのかもしれない。
アリエルにとって、ピレモンとは最大の味方だった。
今でこそ、へりくだってゴマをすっているが、
ラノアへと逃げ出す前には、アリエル派はピレモンを中心に回っていたといっても過言ではない。
その手腕は、決して敏腕とはいえなかったが、
それでもアリエルは、ピレモンに世話になったのだ。
アリエルが北へと逃げられるように手はずを整えてくれたのはピレモンである。
アリエルに多くの従者をつけてくれたのもピレモンである。
アリエルが生きているのは、ピレモンのおかげと言えなくもない。
その恩は忘れたわけではない。
でも、だからといって、寝返り、裏切りを二度も許しては、舐められる。
今後のアリエルの政治活動にも、悪い影響を及ぼしてしまうだろう。
隠れて、引っ込んでいたのならまだしも、こうなった以上は処刑はやむなしなのだ。
「ルーク! 剣を貸しなさい!
せめて、私が直々に引導を渡しましょう」
その言葉を聞き、ピレモンは本格的に怯えた顔でルークをみた。
助けを求めるような目。
お前からも何かを言ってくれという目。
その目を受けてルークは、迷った。
--- ルーク視点 ---
俺は、己の父が卑屈な小心者であることを知っていた。
しかし、それが仕方のない事であるとも知っているつもりだ。
若くして領主になったものの、父の仕事ぶりは息子の目から見ても姑息で、卑怯で、鈍腕だった。
領主として一つの事を決断し、その結果が思わしくない度に厳格だった祖父と比べられ、家臣にすら「もしパウロ様だったら……」などと陰口を叩かれる。
そんな光景を、実家にいた頃は何度も目の当たりにした。
父は父なりに悩み、苦しみ、結果としてひねくれてしまったのだろう。
そんな父は今、目の前で処刑されようとしている。
その発端は、父の自業自得だが、
剣王ギレーヌとの約束も関与しているだろう。
「サウロス・ボレアス・グレイラットの処刑」に父が関与している可能性について考えなかったといえば嘘になる。
父は、サウロスとは仲が悪かった。
というより、サウロスと祖父の仲が良かったと言うべきなのだろうか。
先代のノトス家当主と、ボレアス家当主には、家族のような付き合いがあったのだ。
そんなサウロスは、しかし父ピレモンの事は気に入らなかったらしい。
領主になる前から父を「豆粒のようだ」と真正面からなじり、けなし……領主になった後も、何かと文句をつけてきた。
そんなサウロスが窮地に陥ったのだ。
父がこれ幸いにと裏で手を回し、殺したのだとしても、なんらおかしいとは思わない。
父ならやるだろう。
まあ、ヒトガミの嘘もあったせいで、聞いた時は取り乱してしまったが。
思えば、そんな父の顔を見るのも、8年ぶりだった。
8年ぶりに会った父は、記憶にあるよりもずっと老けていて、小さくみえた。
「……」
ふと、父と腹を割って話してみたくなった。
幼い頃、父と色んな話をした。
今にして思えば、父は兄より俺の方をかわいがっていたようにも思える。
同じ次男という事で、何か思う所があったのかもしれない。
父は肝心な事は話してくれなかったが、それでも相談事があれば、嫌がる事なく乗ってくれた。
父はなんでもは知らなかったし、よく間違った事を教えてくれたが、それでも答えてくれた。
自分で考えろと言われた事も少なくは無いが、それでも道を示してくれた。
父なりに、だ。
父はいつもそうだ。
不器用で、選択も方法も間違える。
そんな父も、父なりにアリエルのために頑張ってきたはずなのだ。
アスラ王国にいた頃、アリエルを王にしようと、敵だらけの中であがいてくれたのだ。
その理由は利己的なものであっただろうけど。
利己的とはいうが、当主たる父には、家を守る義務がある。
アリエルが王都からいなくなった後で、どうしようもなくなって別の勢力についたとして、どうして責められよう。
先鋒として兵士を送り込んだのだって、家を守るためのはずだ。
グラーヴェル派に信頼されるために、父だって必死だったはずだ。
「アリエル様、お願いがあります」
「なんですかルーク」
「父を、許してくださらないでしょうか」
アリエルがこちらを向いた。
その目は冷ややかだ。
ここ最近、こうした目をすることが多くなった。
父が裏切ったと知れたあの日あたりからは、特に。
「……それはできません」
「ギレーヌの件で?」
「いいえ、寝返りを許すわけにはいかないからです」
そうだろう。
いくらアリエルと父が懇意だったとしても。
父は大々的に裏切り、アリエルに対して兵士まで送り込んだのだ。
これを許しては、面子が保てない。
そんな事は、俺もわかっている。
どうあがいても、ピレモン・ノトス・グレイラットという人物は終わりなのだ。
あの邪神が何をしたのかは知らない。
ルーデウスもアリエルも騙されているのかもしれない。
けれども、父が寝返ったのは事実で、寝返った上で元の鞘に戻ろうと、恥知らずな行動に出たのも事実だ。
けれど、俺は。
俺は嫌だ。
「……」
剣を抜く。
「……ルーク?」
「御免!」
「えっ?」
自分でも、なぜそんな行動に出たのかわからなかった。
気づけば、俺はアリエルを後ろから抱きしめていた。
その首筋に、剣の腹を押し付けながら。
「……ルーク! 何やってんだよ!」
シルフィはすぐに気づいた。
殺意すら感じられる厳しい顔でこちらを睨んでくる。
ルーデウスには絶対に見せない顔だ。
手に持つのは、見習い魔術師の杖だ。
魔術を習い始めてすぐの者が使うような小さな杖。
だが、俺はそこからアスラ魔術師団の団長クラスの魔術が連射されるのを知っている。
そんなものが、俺に向けられている。
「シルフィ、お前はおかしいとは思わないのか?」
「おかしいのは君だよ! 誰に剣を向けてると思ってるんだ!」
おかしいのは自覚している。
自分でも何をしたいのかわからないぐらいだ。
貴族たちの視線が刺さっている。
貴族たちもまた、何が起きたのかわからないという顔をしている。
……俺も終わりだろうか。
まあ、いいか。
「シルフィ、お前は、本当にあの男を信用してるのか?」
「あの男? オルステッドの事?
なんだよ突然! それとこれと、どういう関係があるんだよ!」
「いいから答えろ!」
強い口調に、シルフィは杖を向けたまま、低い声で答えた。
「信用なんてしてないよ」
「なら、なんでルーデウスの言うことに従う?
あいつは、お前達のためとはいえ、あんなのの配下となった男だぞ!」
「ルディを信じてるからだよ!」
意味がわからない。
「ルーデウスはオルステッドの配下となって動いている。
奴の行動は、オルステッドの配下となる前と後で違っていないか?
奴はオルステッドに騙されているんじゃないのか?」
別に、シルフィをこちら側に引き入れたいわけではない。
ただ、シルフィはルーデウスと一緒になってから、あまり考えなくなったように思う。
ルーデウスがやるから、ルーデウスが言ったからと、自分の意見を持たなくなったように思う。
そう教えたのは俺だ。
妻は、旦那の言うことを黙って聞け、そうすれば愛してもらえると、そう教えたのだ。
……少なくとも、母はそうしなかったため、父に愛してもらえず、家を出るに至った。
「お前は、考えて動いているのか?
ルーデウスだって、間違えるんだぞ?」
シルフィは激高した。
「考えてるよ!
でもルディはボクらの事を考えて動いてるんだよ!
ボクらのために、下げたくもない頭を下げて、みっともない姿を晒して頑張ってくれてるんだよ!
ならボクがやるべきなのは、反対意見を言って迷わせたり困らせたりする事じゃなくて、
影ながら支えてやることだろ!」
シルフィははっきりと答えた。
あくまでルーデウス主体の考えだ。
この数年で、ずいぶんと変わったように思う。
「そのせいで、アリエル様がこんな目にあっていてもか!」
俺はそう言いつつ、主君の首筋に剣を押し付けた。
押し付けているのは、剣の腹だ。
俺はこの後、裏切り者として処刑されるだろうが、アリエルの肌に傷をつけるわけにはいかない。
女性の肌とは、常に美しくあるべきなのだ。
「君が言うな!」
本当にそうだな。
と、そこで俺の視界に、入り口から入ってくるルーデウスの姿が見えた。
彼はこちらを見て、目を見開いている。
「なぁ、シルフィ。
ルーデウスの意見を尊重するということは、
あの邪悪なオルステッドの言いなりになるということだ」
「……それが、どうしたっていうんだよ」
「つまり、こういう状況になって」
ルーデウスの姿を見る。
彼は状況を理解しようとしているのか、キョロキョロと周囲を見渡している。
ある一点を見て、何か目線を送ったが、すぐに失望したように顔をそむけた。
その方向をちらりと見ると、ペルギウスだった。
彼はこんな状況であるにもかかわらず、余裕の顔で椅子に座っている。
さも愉快そうに、こちらを見ながら。
「アリエル様を助けてほしくば、ルーデウスを殺せ」
シルフィは目を見開いた。
「そう言われたら、どうするつもりだ?」
シルフィは後ろを振り返らない。
そこにルーデウスがいることには、気づいているだろうに。
「どちらかを選べと言われたら、どうするつもりだ?」
我ながら、意地の悪い質問をしている。
なんで俺はこんな質問をしているのだろうか。
話がそれてしまっている気がする。
「ルディを選ぶよ」
シルフィはあまり迷わなかった。
ほぼ即答とも言える速度で、そう答えた。
「アリエル様には悪いけど、でも、そういう選択を迫られた時に選べない相手と子供なんて作らない」
それは、俺にとって少しだけ、寂しい答えだった。
アリエルにとっても、そうだろう。
シルフィの後ろで、両手で口を押さえ「信じられない」というポーズをとっているルーデウスが実に苛つく。
「ボクは、ルディについていくよ。
その結果がどうなるかはわかんない。
オルステッドに切られて、また窮地に陥るかもしれないけど……。
その時でも、ボクはルディを支えるつもりだよ。
それが添い遂げるって事だろ?」
その言葉は、弓矢のように俺の意識を貫いた。
ああ、そういう事かと、胃袋の底に何かが落ちた。
自分の迷いに、一つの答えが出た気分だった。
「……っは」
小さくため息が出た。
俺は、本当に、何をやっているのだろうか。
例え間違っていて、アリエルが窮地に陥っても助ける。
俺も、アリエルにとっての、そんな存在でいたかったのではなかったか。
騎士として、添い遂げたかったのではなかったのか。
オルステッドが邪神だからなんだというのだ。
オルステッドとヒトガミなら、確かにヒトガミを信じたい。
だが、ヒトガミとアリエルなら、どちらを信じるというのだ。
言うまでもない。
俺はアリエルの選択を見守り、その言葉に従い、ダメだった時に己の身を挺して彼女を守ればいいのだ。
それだけで、よかったのだ。
ああ、自分の言葉が全て、自分に帰ってくるようだ。
「それで、ルーク」
アリエルには聞こえてしまったらしい。
俺のため息を聞きつけたのか、ずっと黙っていた彼女が口を開いた。
「シルフィがルーデウスを選んだ以上、私はあなたに斬られるのでしょうか?」
「は?」
「そうなら、斬られる前に兄上と少し話がしたいですね。
シルフィ達を安全に国外に逃すぐらいのことを頼ませていただいても、いいでしょう?」
アリエルは、落ち着いた口調でそう言った。
「なぜこんな事を、とは聞かないのですか?」
「ええ」
悲しいな。
こうなった以上、言い訳もできないが、アリエルは俺が裏切ると思っていたのだ。
物心ついた時から一緒にいた俺を、
ずっと仕えてきた俺を、
自分を捨てて仕えてきた俺を、
今まで、アリエル様を第一に考えてきた俺を。
土壇場になって裏切る奴だと思っていたのだ。
しかし、次の言葉で、その考えは霧散した。
「私が言いたいのは、ただひとつです、ルーク」
「……?」
「私はあなたの王女です」
涙が出そうになった。
俺には、その言葉だけで十分だった。
この期に及んで、アリエルは俺を自分の騎士だと思ってくれているのだ。
裏切ると思っていたんじゃない。
絶対に裏切らないと思っているのだ。
こんな、首に剣を押し付けられている状況で、
まだ裏切られていないと思ってくださっているのだ。
「……」
俺は剣を捨て、アリエルを解放した。
カランと乾いた音が場の空気が弛緩させる。
俺は跪いて、アリエルを見上げた。
彼女は相変わらず冷ややかな眼で、俺を見下ろした。
「ルーク、あなたはなんですか?」
「自分は、あなたの騎士です」
アリエルは柔らかく微笑んだ。
その笑みを見て、俺は頭を垂れ、髪を分けて首をさらけ出した。
「では、どうぞ、この裏切り者の首をお刎ねください」
死にたくなどない。
俺にはまだやることがある。
だが、いい。
満足した。
「……」
アリエルは剣を拾い、片手で重そうに持ち上げると、
俺の頭を、剣の腹でガツンと殴りつけた。
鈍い痛みが脳天を走る。
「ルーク。女好きの貴方は、唐突に我慢できなくなり、私に抱きつき、体をまさぐりました」
「……?」
「本来ならば許されない行為ですが、私もちょうどムラムラしていた所でした、なので許しましょう」
俺はアリエルを見上げた。
彼女は茶目っ気のある笑みで、俺にウインクをした。
ああ、こんな笑顔、久しぶりに見るな。
今でこそ作り物めいた笑顔しかしない彼女は、小さな頃は、よくこういった笑い方をしていたものだ。
「ははっ!」
俺は許された。
あの行動、言動は裏切りと見られても仕方のない所を、許された。
お咎め無しとなった。
「さて」
アリエルは一息をつくと、青ざめている父へと向き直った。
父はその視線を受けて、かしこまって平服した。
「どうしたものでしょうね」
父の処遇。
俺の裏切りを許した事で、少し場の空気が変わった。
許さなければいけないような空気が流れていた。
しかし、父のやった事は、重い。
裏切り、命まで狙ったのだ。
何かでっち上げるにしても、俺のようには許せないだろう。
何か、理由がなければ。
それを考えている所に、ルーデウスが近づいてきて言った。
「先ほど、ダリウスが口走っていました。
サウロス様を亡き者にしたのは、自分だと。
ピレモン様は、利用されたに過ぎないのでしょう」
「……ダリウスはどうなりました?」
「死に……殺しました」
「そうですか……では、全てダリウスに押し付けてしまいましょう」
アリエルはそう言って、俺の背後に視線を送る。
いつしか、ギレーヌとエリスが俺の後ろまで回りこんできていた。
あのままアリエルを捕らえたままでいたら、後ろから斬られていたかもしれない。
「ギレーヌ、それでいいですか?」
「あたしは……」
ギレーヌは不満そうな顔だった。
それほどまでに、父を斬りたいのだろうか。
と、そこでエリスがギレーヌの尻尾をギュっと引っ張った。
ギレーヌはその感触にビクリと震え、エリスを見た。
エリスは手を離すと、腕を組んでクッと顎を上げた。
「ギレーヌ! お祖父様の仇は、さっきので我慢しなさい!」
「…………エリスお嬢様がそう言うのなら」
その一言で、アリエルは満足そうに父の方を向いた。
「そういう事です、ピレモン様。
沙汰は追って下します」
「ハッ……!」
父はかしこまり、床の上に這いつくばるように平伏した。
お咎め無しとはいかないだろうが、命は助かっただろう。
「ルーク……すまん……」
小さく聞こえた声に、俺はほっとするのを感じた。
周囲を見回す。
ルーデウスは何かを言いつつ、シルフィに抱きついて、その頭を撫でていた。
シルフィは恥ずかしそうに俯きつつも、満更ではない様子だ。
エリスはギレーヌと何かを話している。
声が大きいから聞こえてくるが「前にルーデウスが言ってたけど、これが空気を読むって事なのよ」と自慢げに話している。
ペルギウスは変わらずだ。
実に面白そうな顔で、こちらを見ている。
今のやりとりに、かの甲龍王が面白がるような要素があったのだろうか。
父は平服したままだ。
その姿は、やはり小さかったが、それでも何かスッキリして見えた。
あのイゾルテとかいう見習い騎士は、水神の亡骸にすがり、泣いている。
こちらに向かってくるような気配はない。
ダリウスは死んだらしい。
グラーヴェルは、大きな後ろ盾を失い、疲れ果てたように椅子に座っている。
その周囲には貴族たちが群がっているが……もはや大した事は出来まい。
アリエル派の貴族たちは、狐につままれたような顔でこちらを見ている。
その中には、両親と共に立つ、トリスの姿もあった。
もう、敵はいない。
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こうして、アスラ王国での戦いは幕を閉じた。