※2017/06/28追記 一部画像を修正しました。
※2017/06/29追記 CD-ROM2およびCD-Rの寿命について追記しました。
はじめに
PCエンジン SUPER CD-ROM2 用の非売品タイトル『平成6・7年度 ハドソンコンピュータデザインスクール 卒業制作 最終号』(以下、HCDS1995)を入手した。これは、今は無きハドソンが行なっていたゲーム学校「ハドソンコンピュータデザインスクール(HCDS)」の卒業作品を収めたCD-ROMである。当時の関係者から譲ってもらったものだが、卒業アルバムでもあるため住所録がある。面倒事は御免なので、事前に住所録のページだけ抜いてもらった(ホチキス止めだったので容易だった)。したがって、手元にあるのは厳密には「完品」ではない。
平成3・4・5年度版の存在は既に明らかになっているが、今回入手した『平成6・7年度(最終号)』の存在がウェブ上に上がるのは本記事が初めてだと思う。この最終号の冊子にはHCDSの年表が記されており、これを読むとHCDSは平成3年度から7年度まで毎年行われていたことがわかった(1年制だが平成6年度のみ2年制)。よって、本作を持ってネット上で全ての年度版が確認されたことになる。
平成3年度版(1991年)
Hardcore Gaming 101: Heisei 3rd Year (1991) Hudson Computer Designers School Graduation Album
上記記事を元にしたGigazineのイタコ訳
gigazine.net
平成4年度版(1992年)
PCエンジンの幻級ソフト『ハドソンコンピュータデザイナーズスクール 卒業記念アルバム』が50万円で落札される!!
famicoroti.blog81.fc2.com
平成5年度版(1993年)
非売品・開発ツール・ゲーム資料の残し方
ここで、HCDS1995のような非売品や、本来ならばライセンス契約を結ばないと入手できない開発ツールのように、本来表に出てはいけないものを、ゲームの歴史を紐解くためにどう扱うべきか、といった「私見」を述べておきたい。
私はプログラムのリバースエンジニアリングを本業とすることがある(他にもやっているので専業ではない)。正規の手段でビデオゲームの正規の開発ツールに触れたことがあるし、Homebrew(非公式開発)もどっぷり浸かったことがある。Homebrewは得てして開発環境が貧弱であるため「ある機能を実現したいがSDKが対応していない」状況になった場合は、自らハードやソフトを解析してライブラリを実装することもあるので、正体不明のROMイメージとかが来ても、割となんとかできてしまったりする。自分だけで出来なくても、当時の開発者や似たような嗜好を持つ知人、「ジーコサッカー」非公認ソフトを作っていた知人を頼りにすることができる。
こういうことをやっているので、「実家から開発機材が出てきたのですが、メ○カリで売っていいものですか?」とかいった相談を友人からもらうことがある。こんなのダメに決まってるのだが、普通の人はそんなこと知るわけがない。「まず、開発機材というものは、任○堂とのライセンス契約を結んでから云々…」というレベルから説明する必要がある。今日のコンプライアンスでは機材を自宅に持ち帰るというのは無いはずだが、昔はそれほど厳密に守られていなかったようなので、個人宅の奥深くに眠っているのかもしれない。このような事例は近い未来日本中でどんどん起こるものと考えられる。そうだとすると、フリマアプリ界の西成と呼ばれているメ○カリなら、価値を知らない人が捨て値で出品していたりすることも考えられる。
事実、お蔵入りになったタイトルの開発途上のROMイメージがネット上に流出するという話は稀によくある。
gigazine.net
北米版『MOTHER』はお蔵入りになるも、第三者により『Earthbound Zero』と仮題がつけられ開発ROMが流出、長い年月を経てWiiUで『EarthBound Beginnings』としてようやく正式配信された例もある。
www.inside-games.jp
こういうノリで私のところに「当時の開発版ROMが…」「開発機材が…」といった相談が来ても、コンプライアンスが今より緩かった時代の産物とはいえ扱いに困る。もし、ROMなどを解析した結果、今までのゲームの歴史には無かった新事実が出てくるのであれば、それはとても価値のあることだと思う(「ひでむし」が最たる例)。でも、大多数はただのゴミなのではないだろうか。
ビデオゲームを美術品のように「保存する」という運動が各国であるが、日本は遅れを取っている。日本はサブカル大国なのに、残すことについては浮世絵の時代から無頓着のようである(メインカルチャーは保存されているので、サブカルを下に見ているフシがある)。スミソニアン博物館には『バーチャファイター』の資料が展示されているし、MoMA(ニューヨーク近代美術館)には、意外なことにMMORPGである『EVE Online』の映像が展示されていたこともある。日本では、最近になって文化庁が漫画・アニメ・ゲームの収集を始めるようになったが、ゲームに関しては主に有志によって行われている。有志団体であるアーケードゲーム博物館計画では、「1人1台筐体所有者があれば100人で100台保存ができる」という理念の元、動態保存を行っている。犬山市にある日本ゲーム博物館は、様々なエレメカや体感筐体を修理して遊べるようにして、お台場で開催された大規模なゲーム展「GAME ON」などの様々な企画展にも貸し出している。立命館大学ゲーム研究センターは学術機関という点で望みがあるが、センター長はファミコンやスーパーファミコンを設計した上村雅之さんである。氏の著作は素晴らしいが、(立場上やむを得ないことだが)任天堂史観が強いので、ハッカーインターナショナルみたいなグレーなゲームも受け入れてくれるのかは疑問が残る。
ch.nicovideo.jp
本格的なゲーム保存に取り組んでいる「ゲーム保存協会」は個人的に期待している。
news.denfaminicogamer.jp
www.gamepres.org
しかし、こうした話を見るにつれ、ゲームの「保存」って何を持って「保存」とするのか常に疑問に思う。「保存」のベストはもちろん「実機の動態保存」である。しかし、供給媒体であるフロッピーディスクはもう売ってないし、諸説あるが(諸説あること自体おかしいのだが)CD-ROMの寿命も20~30年と言われているので、世界初のCD-ROMを搭載したゲーム機であるPCエンジン CD-ROM2(1988年発売)のソフトは既に危険水域である。
※2017/06/29追記 ここから--
「PCエンジン CD-ROM2(1988年発売)のソフトは既に危険水域」という表現が誤解されそうなので補足すると、今回の手焼きのCD-Rに限らず、プレスされた製品のCD-ROM2のメディア自体が危険水域にあるという意味である。CD-ROMよりCD-Rのほうが寿命が短いはずだが、大元のCD-ROM2自体がそろそろ危ないのである。その根拠の一つとして、CD-ROM2の策定や専用BIOS、『イースI・II』の制作に関わった岩崎啓眞さんのブログを紹介したい。
15年以上前のCDROMはバックアップしたほうがいい::Colorful Pieces of Game
CD-ROMの製造技術自体が未成熟で、89-90年頃に作られたものは特に危険なようだ。詳しい内容は上記リンクから記事を読んで欲しい。
「CD-ROM 寿命」でぐぐると見事なまでにはっきりしないのが恐ろしい(最長100年とかいくらなんでも誇張だと思う)。規格を確認しようにも、CD-DAのレッドブックやCD-ROMのイエローブックのように、フィリップスとソニーが策定したいわゆる「カラーブック」は規格なのにライセンス制で非公開資料だし(IECやISOで標準化されたぶんについては、部分的に公開されている)、材質や予測寿命とかまでは規定されていないようだし(未確認)、CD-ROM2でもイエローブックには書かれていない逸脱したフォーマットのタイトルもあるようだし、CD-ROMの派生規格もたくさんあって増改築を重ねた九龍城砦みたいな規格なのである。これについて調べだすと本当にキリがない(そもそも日本語の情報が少ないので英語の文書を当たるしかない)。今読めているメディアは「単に今日も生きていただけ」(生存者バイアス)としか言いようがない。
追記ここまで--
任天堂のカートリッジはマスクROMなのでそう簡単に壊れるものでなく、端子を清掃すればほぼ直るものであるが、ガワのプラスチックは経年で脆くなっている。
データをイメージ化すれば最悪の事態は回避できるが、そうすると物質としては失われる。ゲーム機自体も経年で動かなくなっている。ハードが壊れる前に(エミュでもいいが)プレイ動画を映像として残すのは一番簡単な方法だが、ゲームは遊んでナンボである以上、「記録」にはなるが「保存」には当たらないかもしれない。ただし、先ほど紹介したMoMAの『EVE Online』の展示のように、MMORPGではユーザーとの交流もゲームの構成要素なので、ゲームサーバーだけ、つまり箱だけ復元されてもそれは「保存」なのか? という疑問もあるわけで、当時の隆盛は映像でしか残せないことを考えると、映像による記録も馬鹿にできない。
逆に「体験」を残すのが重要であるとするならば、エミュレータとROMイメージさえあればOKで、ハードウェアの故障とは永遠にオサラバできる。「著作権何それ美味しいの?」なInternet Archiveはこの路線である。オンラインゲームやソーシャルゲームになると最悪で、儲からないと判断されるとユーザーの意志にかかわらずサーバー停止=抹消という運命にある。サーバーが止まった時点で「動態保存」の道は閉ざされてしまう。そこに文化はない。一縷の望みであるエミュ鯖は違法性が問われるし、『星宝転生ジュエルセイバー』のようにコンテンツをフリー化することで後世に残すことを選択したソーシャルゲームはウルトラレアケースである。つらい。
snsgame-hozen.blogspot.com
なぜこんなことをグダグダ書いているのかというと、HCDS1995を動作させるまでがとにかく大変だったからである。これは最後に書く。
HCDS1995概観
さて、本題である。そもそも「卒業アルバムを晒す」ということ自体相当アレな行為である(そう言えば、テレビは容疑者の段階でも卒アル晒すよね)。製品ではなく卒アルなので、人によっては黒歴史かもしれないし、逆に後に出世した人であれば伝説かもしれない。個人情報を晒すことはあってはならないが、自分はコレクターではなくフルディスクロージャ野郎なので一人だけで抱えたいとは思わないし、譲ってくださった方の思いもあるので、できるだけ配慮した上でHCDS1995の内容を紹介したいと思う。
裏表紙に「HE SYSTEM PC Engine SUPER CD-ROM2 SYSTEM」と書かれているので、PCエンジン SUPER CD-ROM2 専用のようだ。手元が狂ってプラケースを割ってしまっているが、交換可能なのでたいした問題ではない。CD-Rなのは分かるが、553MB / 63min という表記は恥ずかしながら初めて見た(後述)。
今回の検証に当たり、SUPER CD-ROM2 対応機である「PCエンジンDuo」実機と、ROMイメージを吸い出してOotakeで動作確認を行なった。実機とエミュ両方使っているのは、一部コンテンツがOotakeで動かなかったからである。私はPCエンジンDuo実機を所有していなかったが、あずにゃん氏が快く貸してくれた。この場を借りて感謝したい。
ゲーム内容
起動するとオープニングが流れ、メニュー画面に移行する。学生が作ったゲームなのでどれも数分で終わるボリュームであるが、クオリティについて論評するのはナンセンスなので、スクリーンショットと簡単な説明に留める。
実機で動作させると、音量がとても小さく無理矢理大きくしてもノイズ負けするほどなのだが、他の市販ゲームでは(若干音量が小さい気がするが)正常に鳴るので、本体の不調なのか、CD-Rの劣化なのか、CD-R書き込み時の学生作品ゆえの手違いなのかは解らない。今回の生徒はプログラムとグラフィック専攻のみのようで、音楽は既存のサンプリングと思われるループサウンドが使われている。シューティング『Real Brake』では波形メモリ音源によるBGMが使われている。
今回の記事作成にあたり静止画だけでなくプレイ動画も録画済みだが、スタッフ表示が避けられないので見合わせた。
ドラッグ売りの少年(オープニング)
起動すると「ドラッグ売りの少年」という現在のレーティングに抵触しそうなきわどいネタから始まる(CERO設立は2002年だし、流通作品でもないのでこの議論はナンセンス)。この演出の後に「幻覚」としての4作品と、本作に関わった卒業生、講師、事務局のメンバーの集合写真、オープニングの続きに繋がる「現実に戻る」へ飛べるメニュー画面が表示される。
A.シューティング『Real Brake』
オードソックスな横スクロールシューティング。プレイ中に速度変更(4速)と発射弾の変更(4種類)ができる。「お天気システム」が取り入れられており、プレイ中はボス戦であっても天気が変化し続ける。天気によって発射弾の性能が変化するので、適宜切り替える必要がある。
CD-ROM2起動時に1ボタンを押し続けていると、本来挿入されるはずだったHuVideoが再生される。スライドショーではなくしっかりアニメーションしている。Ootakeでは再生されなかったので実機からキャプチャした。
B.アクション『Midnight Chaser』
Ootakeではタイトル画面からフリーズするため、タイトル画面以降はDuo実機から動作させたものをキャプチャしている。縦軸のないベルトスクロールアクションである(ニンジャウォーリアーズアゲインに近い)。
C.SRPG『R 幻の軍勢』
オープニングのデモだけで終了してしまうので、見るだけ。本当はシミュレーションRPGになるはずだったが、諸事情あってこうなったらしい。
「吉田は旅に出ます」吉田さん(後述)に何があったのでしょうか。
NOWAY(対戦)
最大4人対戦が可能なアクションゲーム。4人揃わない場合はCPUが担当する。十字ボタンによる上下左右移動は非常に遅いが、1ボタンを押しながらのラジコン操作だと直進の速度が早くなる。
ギャラリー’96『HCDSギャラリー96'』
HCDSの生徒、講師、事務のプロフィールが顔写真・イラスト付きで表示される。この一覧にいる生徒全てがゲーム業界に入ったとは限らないだろうし、各個人のプロフィールを無闇やたらに公開するようなことはしないが、生徒の中から現在名前や顔を売ることが仕事の一部になっていることが確認できた方を紹介したい。
『R 幻の軍勢』では「旅にでます」と残した、『ドラゴンクエストX』のチーフプランナー、『ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア』のプロデューサー兼ディレクターの吉田直樹さん。
2017/08/03追記 吉田Pによると「夜景とイカのエキゾチック街(タウン)」は、自身の表現によるものではなく、当時の函館市のキャッチコピーだったそうだ。FINAL FANTASY XIV Letter from the Producer LIVE Part XXXVIIにて確認(元動画は削除されているので各自探してみてください)。
マッドハウスの子会社である有限会社マッドボックスの代表取締役を経て、現在は株式会社チップチューン代表取締役である奈良井昌幸さん。アニメ@wikiによると、様々なアニメーション作品に関わっているらしい。
※画像の一部を加工しています
アニメ制作企業 株式会社マッドハウスに学生が企業見学に行ってきました! | 最新情報 | 神戸電子専門学校
www7.atwiki.jp
現実に戻る(エンディング)
※スタッフロールが流れますが省略しています
冊子
卒業アルバム本体がホチキス止めで40ページ、これとは別に収録ゲームの説明書『No Way ~取扱説明書~』が16ページある。卒業アルバム本体の冊子は、最終号だけあって、HCDSの歴史が年表形式で記されてる。その後に制作されたゲームの説明書と担当者のコメント、最後には講師たちによる卒業生に送る言葉で締められている。
冒頭の「スクール年表」をここに残しておきたい。ゲーム業界人だけでなく、アニメ業界人の特別講義が多く見られる(敬称略)。
平成3年度(1991年)
C62(シロクニ)は、鉄道マニアであるハドソン創業者の工藤兄弟が最も気に入っていたという国鉄C62形蒸気機関車で、コミックマーケット62ではない(2002年夏なので時期が合わない)。特別講義には、寺沢武一、広井王子、さくまあきら、舞踊家の田中泯、新人だった宮崎駿を指導した大塚康生、PCエンジン版シムアースを開発したシーボーン夫妻の名前が見られる。
平成5年度(1993年)
特別講義には、ゲームアナリストの平林久和、アニメーターの落合茂一、マッドハウスを設立した丸山正雄の名前が見られる。他の固有名詞は私には分からないです…。
「方泉處(ほうせんか)」は、ハドソン中央研究所内にあった古銭博物館の名称である。ハドソン発行の同名の雑誌も存在する(国立国会図書館へのリンク)。これはハドソン創業者が古銭収集を趣味としていたからである。1990年末の北海道拓殖銀行の破綻の煽りを受け、経営難に陥ってから廃止されている。
平成6年度(1994年)
平成6年度は最初で最後の2年制である。「PMFコンサート」(PMF:パシフィック・ミュージック・フェスティバル)は、札幌に拠点を置くクラシック音楽の国際教育音楽祭である。「笹川先生」は、ハドソンタイトルのプログラムと作曲を手がけた笹川敏幸と思われる。
平成7年度(1995年)
冒頭で「2年制制度廃止」と書かれている(平成7年度は1年制)。特別講義に名前のある「株式会社ドーガ」は、その当時、一般向けのCGアニメ入門ソフト『DOGA-L1』すら出していなかった訳で…。『DOGA-L1』は低スペックでも動いたので、散々使い倒した記憶がある。
dic.nicovideo.jp
余談:HCDS1995を動作させるまでの話
ここからは、HCDS1995を動作確認するまでの苦労話である。ヒマな人はどうぞ。
今回の検証に当たり、PCエンジンDuo実機と、ROMイメージを吸い出してOotakeで動作確認を行なった。実機とエミュ両方使っているのは、一部ゲームがOotakeで動かなかったからである。
まず、PCエンジン SUPER CD-ROM2 に対応する実機を持っていなかったので、秋葉原に行ってPCエンジンDuoを探すことにした。レトロゲームの中古相場を吊り上げた結果、もはや訪日外国人向けに売っているとしか思えない超马铃薯や、静岡の地名みたいな店などを一通り回ったが、一式込みの動作品で4万円という「ニンテンドースイッチを買ってもお釣りが来る」値段を見て戦意を喪失した。自分は未だスイッチを買えていないのでダメージが余計に大きい。次にヤフオクを観測することにした。2週間ほど見たところ、2万円程度で落札されているようだった。秋葉原から離れた中古ショップを見ると2万円台だった。やはり秋葉原の中古ショップは訪日外国人向けの値付けだったようだ。クソが。
そうこうしている間に、あずにゃん氏がPCエンジンDuoを貸してくれるというので、それに甘えることにした。
PCエンジンDuoが届くまでの間、CD-Rの調査を始めることにした。繰り返しになるが、PCエンジン CD-ROM2は世界で初めてCD-ROMを搭載したゲーム機である。CD-Rを見ると、553MB / 63min という表記に面食らってしまう。というのも、PCエンジン CD-ROM2(1988年)は世界で初めてCD-ROMドライブを搭載したゲーム機であり、その当時CD-Rすら無かった(1989年から販売開始)のである。CD-Rもないのにどうやってゲームを開発したのだろうと思ったが、CD-ROM2の策定とBIOSの開発に関わった岩崎啓眞さんのブログに、この辺りの事情が非常に詳しく書かれているので、たいへん役に立った。
PCエンジンの開発環境(CDROM篇)::Colorful Pieces of Game
CD-Rの吸い出しにはとても難儀した。
※CD-ROM2にコピーガードは無いため(当時は大容量であることが事実上のコピーガードであった)、著作権で言うところの「技術的保護手段の回避」に該当せず、CD-ROM2の吸い出しは合法である。
初手として手元のhp製ノートPC+Windows10+内蔵ドライブで『CDRWIN』『CD_Manipulator』『DiscJuggler』『TurboRip』といった複数のリッパー(懐かしい名前だ)で吸い出しを試みたがことごとく失敗。Track1の警告音声は問題ないが、Track2のデータトラックでエラーが起こる。エラーを無視して吸い出しても、Ootakeでは最初のローディングでフリーズしてしまう。比較用に購入したCD-ROM2版『イースI・II』と、SUPER CD-ROM2版『ドラゴンスレイヤー英雄伝説』は吸い出しに成功してOotakeでも動いたので、CD-Rの劣化・破損を疑った。プレスされたCD-ROMの寿命は20~30年と言われているが(諸説あり)、今回のようなCD-Rだともっと短いはずだし、HCDS1995のCD-Rは22年目である。実際、15年前に焼いたCD-R/DVD-R(太陽誘電、TDK、台湾Ritek)がどんどん読めなくなっているのを目の当たりにしたのでとても焦った。しかし、Ootakeで動かない以上手出しできないので、一旦保留にした。
実機が到着したので、次善策として、借りたPCエンジンDuo実機での動作を動画として残そうとしたが、借りたDuoの調子が悪い。ピックアップレンズの不調を疑ったので、本体を傾けてみたら動いた(プレイステーションみたいだ)。しかし音声出力がおかしく、CD-DA音源はおろか内蔵音源も出ないので、ケーブルか本体側の端子に問題があると睨んだ。ゲーム機修理の基本は清掃と交換である。しかし、RCA←→DINコネクタ5ピンというのはなかなか曲者である。この形状のケーブルはなかなか売っていないのである。あってもモノラルだったり(赤がない)、オーディオ専用(黄色がない)だったりする。ヤフオクにはあるが1000円+送料がかかる。結局、千石電商でDINコネクタ5ピンとRCAケーブルを買って自作することにした。RCAケーブル1.5m(600円)とDINコネクタ5ピン(80円)で計680円。
自作ケーブルに変えたところ、無事音声が出力されるようになった。しかし、元のケーブルに挿し直しても音声が出力されるようになった。本体側の端子が汚れていたのだろうか。新品の予備ケーブルができたということで、実機を貸してくれたあずにゃん氏にくれてやろう。しかし、製品版のイースI・IIは期待通りに鳴ったのに、HCDS1995は終始無視できないレベルのノイズが乗りまくって録画どころではない。Duo本体側面のイヤホンジャックから出る音にも同じノイズが乗っているが、Ootakeではノイズが全く出ないので、ケーブルではなく本体の劣化かCD-R側の問題と結論づけた。
ノイズはともかくようやく実機で動作するようになったので、もう一度吸い出しに挑戦してみることにした。捨てたとばかり思っていた、15年ぐらい前に購入したプレクスターの外付けドライブが出てきたので、WindowsXP環境で吸い出したらあっさり成功。Ootakeで無事に読めた。プレクスターのドライブは当時から評判が高かったが、やはり名機だった。しかしアクションゲームとHuVideoが動作しないので、そこだけ実機で確認した。
身も蓋もない言い方になるが、市販されたゲームであればROMイメージは既にネット上にある。今回のように、ネット上はおろか、存在する個体自体に限りのあるソフトをどう保存すべきかを考えると、とても気が重くなった。
ここ近い将来、データ復旧の事案が世界中で起こるのかもしれない。どのような苦悩に直面するのか、考えるだけでもぞっとする。後学のために、これだけ苦労したんだということが伝われば幸いです。