セブンティーンの湘南。
叔父から貰った叔父が1950年代
に着ていたダブルライダースの
革ジャンを来ている。
うちの家系、親族はとても二輪
乗りが多く、戦後間もない頃か
ら二輪に親しむ親戚が多かった。
今も私と同世代のイトコ連中は
二輪乗りだらけだ。その子ども
たちまでも。
私もオートバイに乗る事を父か
らも母からも反対された事は
一度も無い。危険だからやめろ
とか。「安全に走れ」しか言わ
れなかった。
もう二度と歩けないかも、と
いう九死に一生を得た事故の
時も、広島から横浜の病院に
両親はかわるがわる見舞いに
来てくれたが、その時も、もう
オートバイはやめろ、などと
は決して言われなかった。
父は「本人の意思だ」と常に
言っていた。
ならぬ事はならぬを強いられる
家系で、6才の時から正座して
ら論語の素読をさせられる家だ
ったが、二輪と剣の修行につい
てはどんどんやれ、という教育
方針の家だった。
それどころか、東京から広島
に転住した母も友人とミニ
バイクで弁当持って島めぐり
をするツーリングを楽しんで
いたりした。
叔父から貰った50s革ジャンは
70sのハイティーン時代に私は
愛用の一着だった。
革ジャンは小学生の時から好き
で着ていた。外リンクのスケート
でも革ジャン愛用。理由は防寒で
はなく、転倒時の怪我防止だ。
高校時代は中学の時の物がまだ
着れたので合計4着の革ジャンを
シーンによって使い分けて着て
いた。
叔父から貰ったダブルライダース
は、その後かみさんがオートバイ
に乗る時に愛用してた。
あいつ真夏でも革ジャン着てた
が、考えたら昔はみんなそうだ
った。
真夏でも、意外や意外、直射日光
を弾くので革ジャンは暑くない。
ただ、中の空気は加熱するので
前を開けて走行風を取り入れる。
すると夏でも革ジャンで快適だ。
かみさんが着るとブカブカだっ
たが、両横に赤染めのスリット
があって、そこを閉じれば狭く
なる仕様だった。
なかなかカッケかった。
今、あまりこの作りは見ない。

1981年、軽井沢。
モーターサイクルはとてもいい。
これは、乗る人にしか解らない。
オートバイに乗る人と乗らない
人では、その見ている世界観が
まるで別物だ。
それは本当なので、世の中には
二種類の人間がいる。オートバイ
に乗る奴と乗らない奴だ、とい
う昔からの定理が語られるのだ
ろう。
モーターサイクルは良い。
そして、残し伝える何かを親から
子へ、さらに次世代に、という
コアがオートバイにはある。
乗り手が自分で操作しないと、
二輪は立つ事さえもできない。
乗り手も心の独り立ちが絶対に
必要になる。
倒れたら自分の力で自分一人で
起こす。たとえ300kgの二輪で
あろうと。
自分で道を切り拓く。
それがオートバイだ。
オートバイ=モーターサイクル
は、良い。
人にとって大切な事を教えて
くれる。
そして、前に進む。後ろは振り
返って確認するが、あと戻りは
しない乗り物。前進する存在。
オートバイは、良い。