挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者 作者:cleemy desu wayo
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
3/5

水曜日

 想定外の、早い目覚め。


 出発まではかなり時間があるので、財布の中の大整理に乗り出すことにする。


 ついさっき、あの長い長いエスカレーターが夢の中に登場していたような気がする。

 でも急速に記憶が薄れていき、どんな夢だったのかは分からなくなっていく。


 私はまず、パソコンのキーボードを慎重しんちょうに持ち上げる。

 そして本棚のすき間の部分、つまり本の「てん」の部分と上の段の板の間にある高さ10センチほどの空間に、キーボードをそっと水平にし込む。

 ぐちゃぐちゃだった机の上に、整理をするための最低限のスペースをつくるのだ。


 そしていざ整理を始めてみると、わけのわからないレシートが大量に出てくる。


 春休みにまゆみと行った店のレシートが、今でもまだ財布の中に入っていたことに気づく。

 しばらくこのレシートをながめたあと、これも机の上に置く。

 ポイントカードのたぐいのものもいったん、全部机の上に並べて置いてみることにする。


 財布からいろいろなものを取り出していくと、底のほうにカラフルなテープの切れはしがあることに気づく。

 ああ、これは……春休みの初日に、一人で行ったお店だ。

「シールでよろしいですか?」と言って購入済みの商品に貼られる、お店のテープ。

 テープのデザインが面白いと思って取っておいたのだが、すっかり忘れていた。


 こうして机の上にレシートやポイントカード、その他もろもろを並べ終わり、さてどうしてくれようか、と考える。


 これだけの種類のものが、本当にずっと財布に入っていたのだろうか。


 そしてふと、春休みの日々を思い出す。


 今年の春休みはほとんど毎日、まゆみの家でだりあの作品の整理作業に取り組んでいた。

 まゆみの部屋で、B5のルーズリーフを部屋いっぱいに広げる日々。


 そう、だりあの作品の分類作業が完了したのは、つい最近なのだ。


 だりあの4コマ漫画は、そのすべてがB5のルーズリーフに描かれている。

 必ず片面だけが使われており、必ず一枚に一作品である。

 だから、枚数=作品数、となる。


 この春休みになって、だりあの作品の分類作業をすることにしたのは。


 これはやはり、ある種の「あきらめ」がなければできないことである。


 中学が終わる、という区切り。

 そして、だりあが学校に来なくなってから一年、という区切り。


 ゆく年くる年。


 この春休みの数ヶ月前、中3の冬休みの時にも分類作業をする案が浮上していたのだが、それは見送った。

 本当はこうしている間にもだりあはずっと家で大量の作品を描いていて、私たちが分類している最中に突如とつじょとして新作が大量に追加され、既存きそんの分類方法が無効になってしまう可能性もあるのではないか、という懸念けねんがあったのだ。


 そう、やはりだりあは、今でも漫画を描いているのではないのだろうか?


 この半年くらい、ずっとこのことを考えていた。

 でもたとえ描いていたのだとしても、それはもう、まゆみへのプレゼントではないのかもしれない。

 もしまゆみへのプレゼントとして作品の供給きょうきゅうが再開されたとしても、果たしてそれを以前と同じように考えていいのかどうかも、分からない。


 そうこうしているうちに、春になった。

 春になって、私もあきらめがついた。

 この春休みに、いったん全作品を分類しよう、と。


 だからといって、もう新作はありえないのだということを前提にしているわけではない。


 そう、少なくとも、私には。

 「あきらめ」と「期待」。

 その両方が、あったのだ。


 空白期間を得て、まったく想像だにしないような世界を再び見せてくれるに違いないという期待。

 また普通にだりあに会えるに違いないという期待。


 無理して学校に来る必要なんて、もちろんない。

 でも、あの長い長いエスカレーターの先に、だりあがいるような、そんな日があったっていいではないかとも思うのだ。


 その時、だりあが制服を着ているのか、それとも私服なのかは、分からない。


 いつもB5のルーズリーフを持ち歩いていて、いつも漫画のネタを探している、だりあ。


 私は目を閉じて、あの長いエスカレーターで運ばれている時の感覚を思い出す。

 あのモーター音。

 手すりの感触。


 この先にだりあは、いる? いない?


「えーなんかあれって。ガセなんちゃうかったっけ」


 突然、まゆみの発言を思い出す。

 ガセ? 何がガセ?


 そうだ、あの長いエスカレーターのことだ。


 あんな、毎朝乗ってるあの長いエスカレーターな。ダグラス・ジェネルベフトも乗ったこと、あんねんで。


 春休みに、まゆみの部屋でそういう話をしていた時だ。

 あの時、確かにまゆみはガセだと言った。

 ガセとはどういうことだろう。あの写真が合成だとでもいうのだろうか。


 ダグラス・ジェネルベフトの来日らいにち時に撮影された、あの写真。

 あの長いエスカレーターに乗っている時のダグラス・ジェネルベフト。


 そういえばさっき夢の中でも、この写真についてまゆみと話していたような気がする。

 そうだ、間違いない。

 まゆみが夢の中でなんと言っていたかは思い出せないが、確かにこの写真について話していた。


 そして春休みには、夢の中ではなく現実で、まゆみはガセだと言ったのだ。

 どういうことだろう。

 財布の整理は中断して、とりあえず検索してみることにする。


 私は立ち上がって、さっき本棚のすき間にし込んだキーボードを取り出す。

 レシートやポイントカードなどが並べられているため、机の上には戻さない。キーボードの右端を本の「天」の上に乗せた状態のまま、キーボードの左端を左手で持つ。そして右手だけでキーボードを打ち、検索を開始する。

 テンキーの部分は本棚のすき間に入っているので打ちにくいが、ネットを徘徊はいかいするだけなら問題はない。


 私は画像検索なども使用してよく確認してみる。

 すると、確かにこの画像とともに

「※これはジェネルベフト氏ではなく、そっくりさんです」

 というテキストを載せている日本語のサイトが、ほどなくして見つかる。


 合成ではなく、別人の写真だ、ということなのだろうか?


 さらにいろいろ検索して、あの写真はダグラス・ジェネルベフト本人ではなく、撮影時はパキスタンの大学院生だった旅行者らしいことが分かる。

 「ジェネルベフト資料館」というブログに「来日時のジェネルベフト氏写真集」という記事があり、ここには大量の画像が貼り付けられている。

 この中で、このパキスタン人の大学院生だった人物の写真をジェネルベフトだと誤認ごにんして混入させていたようだ。

 このブログであの写真が使われたために、他のサイトでもジェネルベフトのものだとして紹介されることが増えたようだ。


 この「ジェネルベフト資料館」はそれなりに有名なブログではあるが、更新がストップしてから4年以上経っている。

 もう、古い情報が訂正されることはないのだろう。


 このパキスタン人は大学院生の時に何度か日本に旅行で来ていて、梅田うめだ周辺を訪れたのは2回目の旅行の時だったようだ。

 その時のツイートには、なんば駅周辺、特にオタロードやでんでんタウンで撮影されたとおぼしき写真が多数ある。

 この人は今は研究者として日本にいて、日本語のブログなどもある。

 ブログでは主に、日本のゲームやアニメについて書いている。


 この人、確かに角度によってはダグラス・ジェネルベフトに似ている。

 だが、まったくの別人だ。


 あのエスカレーターに乗る、ジェネルベフト。

 あれはジェネルベフトではなかったのだ。


 だからといってダグラス・ジェネルベフトがあのエスカレーターに一度も乗ったことがないという証拠にはならないが、とにかく私がダグラス・ジェネルベフトだと思っていたあの写真は、まったくの別人のものだったのだ。

 そして、写真を撮られていることにまったく気づいていないように見えて、実際には友人に依頼して撮影した写真だったのだ。


 私はこのパキスタン人の日本語のブログを読みふけっているうちに、もう出発する時間になっていることに気づく。

 机の上に並べたものはそのままにして、学校に行くことにした。

 今日もまた、財布の中身を整理できなかった。


 いったん家を出てから、今日も定期券を忘れていたことに気づいて、あわてて家に戻る。


 そもそも、定期入れと財布の歴史的統合(とうごう)を果たすために、財布の整理を始めたはずだったのだが。


 あの長いエスカレーター。

 今日は、今まで味わったことのない気分で昇る。

 あれはジェネルベフトではなかった。


 そして、今日はまゆみがいない。


 トイレに行ったりコンビニに行ったりしてしばらくウロウロしてみるが、やはりまゆみを見かけることはなかった。

 今日は若干ギリギリでもあるから、まゆみの予測より遅すぎたということだろうか。


 高校になってからはたいてい毎朝、梅田うめだにまゆみがいた。

 でも中3の時は朝に梅田で合流するのは週に一回くらいだった。


 電車賃を捻出ねんしゅつするのが難しくなって、もうあまり頻繁ひんぱんには梅田に来たくないのかもしれない。


 そういえばまゆみは、早朝に南の方に足を伸ばして、なんば駅周辺をウロウロしていることも多いようだ。

 また、クリスタ長堀ながほりのあたりも味わい深いとのことだ。

 でもクリスタ長堀も、人が多かったり店が普通に開いていたりすると「きょうざめ」なのだそうだ。


 学校に着くと、まゆみが風邪で休みらしいことを知る。


「あれー、なーむ、聞いてへんの?」


 授業中は、私の席のすぐ横とその前の席の2人がずっとひそひそとクジラの話をしている。


 どうやらこの2人は、かなり網羅的もうらてきにクジラ関連の情報をチェックしているようだ。会話を聞いているだけで事情通になれそうである。


 あのクジラは、全長26メートル。

 周辺を立入禁止にするべきかどうかは協議中。

 今日の夕方から、ガス抜き作業が実験的に開始される。

 うちの学校では、不用意にクジラを話題にすると生徒の好奇心を刺激するため、授業中にはなるべくクジラの話をしないようにしよう、ということで教師陣の意見がまとまっている。


 26メートルということは、うちの学校のプールにはギリギリ入らないということになる。

 だが、少し折り曲げれば、ちょうど25メートルくらいになるのだろうか。


 というかうちの学校のプール、水をためるのではなくて、あのクジラの骨格を展示すればいいのに。


 4時間目は、世界史の授業。


 ふと、この歴史上の人物は、ジェネルベフト型の性格なのだろうか、と考える。


 ダグラス・ジェネルベフトは「私が生まれる前に死亡した人間に対してもジェネルベフト型性格の概念がいねん適用てきようしていいのかどうか分からない」と発言していることから、専門家の間では、歴史上の人物をジェネルベフト型の性格だとみなすことには慎重しんちょうである場合が多い。

 だが、ネット上には歴史上の人物たちについて、ジェネルベフト型性格だと断定して解説しているサイトが多数ある。


 ここでふと、私はある恐ろしい考えに至る。


 『ふぁむふぁむクンの二度目の夏』とともに持ち歩いている『ふぁむふぁむクンの発生と死』。


 私はこの『発生と死』のほうを授業中にカバンから取り出して読み返す。

 ある前提にもとづいて。

 入念に、何度も、熟読じゅくどくする。


 そうだ。なぜ今まで、気づかなかったのか。


 ふぁむふぁむクンは、ジェネルベフト型の性格ではないのか。


 ダグラス・ジェネルベフトは、過去の時代に生きた人に安易あんいに適用すべきではないと言っているが、架空かくうの人物についてはどうなのか?


 みずのと型の作品はあまりにも異様いようなシチュエーションが多いため、我々が生きている現実とは違う世界だと考えるのが妥当だとうだ。

 このため、だりあの作品の登場人物について、性格についてあれこれ考えたりするという発想自体が、今までは存在しなかった。

 そもそも、ふぁむふぁむクンのような存在を「登場人物」という概念がいねんでとらえていいのかどうかも分からない。


 でも例えば、ふぁむふぁむクンが登場するみずのと型作品は、ふぁむふぁむクンの夢の中での出来事なのだと仮定すると、どうなるのか?


 みずのと型以外の作品では、ふぁむふぁむクンは映画館の中あるいは映画館の周辺とおぼしきシーンや、自分の部屋で映画を観ているシーンが多い。

 ふぁむふぁむクンの部屋の中ではふぁむふぁむクンの友人らしき人物がゲームをしていることも多い。

 でも、ふぁむふぁむクン自身がゲームをしているシーンは存在しない。


 みずのと型以外においては、明らかにふぁむふぁむクンにも、日常らしきものがある。

 他人との関わりがあり、他人との好みの違いがあり、他人との意見の相違そういがある。


 昼休みになったので、まゆみに電話してみる。

 でも、出ない。

 春休みにうちに、まゆみのお母さんの連絡先、聞いておけばよかった。

 毎日のように家に行っていたのに。


 ふぁむふぁむクンがジェネルベフト型性格であるという仮説。

 もう少し熟成じゅくせいしてからまゆみに話そうかとも思うが、やはり今日のうちに伝えておきたい。


 まったく、こういう日に限って休むとは。


 午後の授業は、高校になってから、いや、もしかしたら人生で一番、集中できたかもしれない。

 だりあの作品群から、作者であるだりあのジェネルベフト型らしさではなく、ふぁむふぁむクンのジェネルベフト型らしさを列挙していく。

 B5のルーズリーフ、何枚あっても足りない。


 私は中1のころはあまりルーズリーフを使っていなかったが、中2の1学期からは多用するようになった。


 あっという間に放課後。

 やはり、まゆみの意見を聞いてみたい。


 だりあの漫画には、ふぁむふぁむクンもふぁむふぁむクンの友人らしき人物もまったく登場しない、そういうみずのと型作品も多数ある。

 おそらく500作以上。

 それをどう考えるかという問題もある。


 私は帰りの電車の中で窓の外をながめながら、だりあの遺作のようなものでもある『ふぁむふぁむクンの発生と死』の内容を、ゆっくり、慎重しんちょうに、思い返す。


 一年前のあの日、梅田うめだ駅の改札でまゆみと一緒に私を待っていただりあ。

 その後、念のためにもう一度十三(じゅうそう)駅のホームに私がいないことを確認してから、まゆみと一緒に学校に向かっただりあ。

 だりあはこの十三からの電車の中で、一気に『ふぁむふぁむクンの発生と死』を描きあげた。

 これが私とまゆみにとっての、だりあの最後の作品となっているのである。


 教室で漫画を描いているだりあは毎日のように見ていたが、電車の中でも描くとは。

 あるいは、電車の中で描いたのはこの一回限りだったのだろうか。


 窓から外をながめながら、私は考える。

 あの日、だりあが描いている最中は、だりあは窓の外を見なかったのだろうか。

 漫画を描いていたのは十三じゅうそうから西に向かう電車の中だが、早朝に自宅付近から十三に向かう電車の中ではどうだったのだろうか。


 窓の外には、実によく晴れている空。

 だりあも今、どこかで同じ空を見ていたりするだろうか。


 電車の中では、別の女子校の生徒3人が焼き肉のタレについて延々(えんえん)と議論している。

 私と同じ高1か、高2くらいだろうか。


 そういえば、焼き肉のタレとダグラス・ジェネルベフトは、非常に深い関わりがある。


 ダグラス・ジェネルベフトの人生を知らなければジェネルベフト型の性格については永遠に理解できないとされているが、とりわけ行方ゆくえをくらますまでの最後の一ヶ月は謎に満ちている。


 そしてこの最後の一ヶ月、ダグラス・ジェネルベフトは日本にいたのだ。


 ダグラス・ジェネルベフトは30代のころ、CIAや軍で性格とチームワークについての研究をしていた。

 はじめはCIAの研究部門でジェネルベフト型性格の原型ともいえる性格類型についてのアイディアを提示したが、ほとんど活用されることはなかったという。

 その後、米軍でジェネルベフト型性格の概念がいねんり上げ、今度はほんの少しだけ活用されたりもした。

 しかしその活用のあり方は、ジェネルベフトにとっては、はなはだ不本意なものでしかなかったという。


 40代になってからは民間企業に移り、何冊か本を出したりもするが、あまり注目はされなかった。


 ダグラス・ジェネルベフトが最初にアメリカ国内の報道機関の関心を集めたのは、性格やチームワークについての研究内容ではなく、ニューヨークで交通事故に巻き込まれたことだった。

 目撃者が「宙返りをして車を回避かいひした」と証言したため、ダグラス・ジェネルベフトには全米から取材が殺到さっとうしたのだ。

 この目撃者は長期間にわたるアルコールへの耽溺たんできにより軽い幻視げんし症状しょうじょうがあったことが分かるのだが、それが判明するのはこの事故から2年経ってからのことである。


 この交通事故の「奇跡の生還せいかん」から2ヶ月後にダグラス・ジェネルベフトは、カリフォルニア州でバスジャックに巻き込まれることになる。

 乗客一人が拳銃で撃たれて死亡しているが、ジェネルベフトは無傷だった。


 ダグラス・ジェネルベフトが自身のTwitterアカウントなどにおいてアメリカ政府の方針を批判していたこともあり、このバスジャック事件以降、短い期間に起こったこの2つの事件は偶然ではなく巧妙こうみょうに仕組まれた暗殺なのではないかといううわさが一気にネットで広まった。

 なお、ニューヨークでの交通事故で暴走した車を運転していた人物は事故のあとずっと意識不明のままであり、カリフォルニア州でのバスジャック犯のほうは事件後すぐに射殺されている。


 暗殺未遂(みすい)だという説が広まっていくとともに、ジェネルベフト型性格についても少しずつ注目が集まることになる。

 そして、ダグラス・ジェネルベフト自身がジェネルベフト型性格なのではないのか、そして、ジェネルベフトがジェネルベフト型性格だったからこそ暗殺が失敗したのではないか、という論調ろんちょうが生まれるのである。


 アメリカ国内で4回。フランスで1回。シンガポールで1回。


 ダグラス・ジェネルベフトは3年ほどの間に、6回も事件に巻き込まれることになる。


 そして、7回目が大問題なのである。

 この7回目は、日本国内で起こったのだ。

 そしてこの7回目の暗殺未遂については、ダグラス・ジェネルベフト自身が暗殺者なのだ、とされることもある。


 ニューヨークの交通事故から3年が過ぎた、ある晴れた日。

 三重県で長期間放置されていた一台の乗用車が爆破ばくはされる。

 周辺には、ダグラス・ジェネルベフトの持ち物とともに肉片が散乱していた。

 ほどなくして、飛び散っていたのは人間の肉ではなく、牛肉であることが判明する。

 周辺に民家はなく、巻き込まれた人はいない。


 この爆破の日は6月6日だったため、「666」と結びつけられ、ダグラス・ジェネルベフトは悪魔崇拝者であり、この爆破も悪魔崇拝の儀式だったのだとする説もある。


 なお、この爆破事件以降、Twitterでは毎年6月6日に「超長期放置車両」が「日本のトレンド」にトレンド入りすることになる。

 また、日本のネットユーザーの探索たんさくにより、2005年の時点でこの放置車両が同じ場所にすでに存在していたことが確認されている。


 爆薬の調達ルートは今でも判明していないが、この飛び散った牛肉についてはダグラス・ジェネルベフト自身が調達したものであるとするのが通説である。

 事件の前日、少し離れた場所の精肉店でダグラス・ジェネルベフトらしき人が牛肉のかたまり15kgを購入していたことが判明しているのである。


 だが不可解なのは、その4日前には、女装して三重県内のスーパーで牛肉を購入している姿が防犯カメラの映像に映っていることである。


 ダグラス・ジェネルベフトは出生時に女性だったという説が根強くあり、「女装」と言うべきではないという主張もある。

 また、「男装を一時的に中断していただけ」と表現するべきだ、とする主張もある。

 いずれにせよ、女性に見える格好で、スーパーで買い物をしていた。


 このスーパーで牛肉を購入した人物はジェネルベフトではないのではないかという説もあったが、歩き方のクセなどをAIで解析した結果、やはりダグラス・ジェネルベフト本人で間違いないとされている。


 そしてさらに不思議なのが、その買い物の時に、8種類もの焼き肉のタレが同時に購入されていることである。


 この8種類もの焼き肉のタレの中にはびんのタイプもあるのだが、現在でも空き瓶は発見されておらず、これを熱心に探し続ける人もいる。

 牛肉と同時に焼き肉のタレを購入していることから、まずはごく普通に焼き肉を楽しみ、その時に牛肉を大量に使用して自分が死んだことにする方法を思いついたのではないか、とする説もある。

 だがスーパーで肉やタレを購入する時点では車を爆破するつもりがなかったのだとすると、なぜ普段とは違う格好で買い物をする必要があったのかという謎は残る。


 ジェネルベフト本人が車を爆破したのだと考える人々が大多数ではあるが、いや、やはりこれも暗殺未遂(みすい)なのだ、とあくまでもアメリカ政府の暗殺にこだわる人々もいる。

 自分の肉体ではなく牛肉であることはすぐにバレることは分かったうえで、たとえ24時間だけでも暗殺が成功したように思わせておいて、そのすきに逃亡したのだ、という主張である。


 なお、爆破された放置車両は国有地と私有地の境界にあったとされている。

 町長はこの車両の存在を昔から認識していたようである。


 そして爆破の直後には町長が、やや先走った発言をしてしまった。

撤去てっきょ費用の削減ができたので、ジェネルベフトさんには感謝しなければならないかもしれない」


 町長の小学校時代の同級生が三重県警の上層部におり、人は死んでいないらしいことを早い段階で把握はあくしていたからこのような発言になったとされているが、発言の時点では死亡者がいたのかどうかがあやふやだったため、町長の発言はネットで大炎上した。

 また、町長には世界中から抗議の手紙も殺到した。

 中にはタガログ語やスワヒリ語での殺害予告もあったというが、これは文法が怪しいところもあり、アメリカ人の学生がイタズラで送ったのではないかとされている。

 飛び散った肉片が牛肉だということが判明してからは動物愛護団体からの抗議もあり、これも当初はイタズラだと思われていたが、のちにイタズラではないことが分かっている。


 それにしても今日は、実によく晴れている。


 地下鉄の駅から家までの道のりで、私は考える。

 そろそろ、本当にだりあがジェネルベフト型の性格なのかどうか、確定させなければならない時期に来ているのではないか。


 「可能性」とか「その傾向がある」ということではなく。


 家でジェネルベフト関連の話題をチェックしていると、ダグラス・ジェネルベフトの先祖について、新しい可能性が浮上したというブログ記事を見つける。

 かなりの長文だが、読み応えがある。


 だが読み進めていくと、クリンゴン人やバルタン星人の血も入っているとするなど、徐々に雲行くもゆきが怪しくなってくる。

 私はようやく、完全なネタ記事だったということに気づいて、ベッドに倒れ込む。

  • ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いいねで応援
受付停止中
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。