女装撮影スタジオ代表として界隈のほんの一部分の話をしますね
性的興味が高じて女装する人は「自分の理想のエッチな女の子」の格好をします
密室なら個人の趣味の世界なので、むしろ自己開放の一環として存分に発露して欲しいという気持ちで女装アシストしています
が、問題は公の場に出る時です
公共の場で人の視線を使って自分の欲求を満たす、これは無差別に同意のない他人を自分の性癖に巻き込むので、広義の公然わいせつといえます
服装の自由とは全く別の話!
女性も道端で露出してたら非難されますよね ルッキズムとイコールですが、観測した人が不快に感じるかどうかが全てです
(これは女装も女性も同じね)
社会的ドレスコードを意識せずともふわっと共有しているのが社会です、なので私が仕事でお手伝いできるのはほんの一部分
じゃあ「僕が思うエッチな女の子」はどうしたら満たされるんだ!となりますが
そんな人のために(非公式に)開かれた場所があります
発展場です
夜の公園、ピンク映画館などですね
女性と致す機会に不遇な男性と、エッチな女の子の女装さんの相性が抜群に良いのです
エッチな女装さんは「男性が妄想するエッチな女の子」として激しく求められて満足
男性は「男のツボがわかるエッチな女の子」と楽しめて満足
あら不思議、そこは生身の女性への加害が生まれない優しい世界
性欲って射精欲求だけでないんですよ
自己肯定、男性的能力の確認、承認欲求や征服欲の充足を図る手段の一つとして性行為があので、それらが満たされるなら女性との性行為は必然ではないのです
メディアで見られる女装さんはほんの一握りの傑物なのに対し、日常生活で見かける女装さんの中には前述の「エッチな女の子になりたい」人も少なくない数含まれています
女装について論じる時、この存在は無視できません しかし界隈以外からはまず見えない、これが外部からの考察を難しくしていました
どんなことにも言えますが、人の個性と価値観って白は300色あるねんでどころではありません
だけど当事者として語る人の多くは自分とその近辺のことしか見えません 自分の存在意義と闘いながら生きているので、これは仕方ないことです
だから周りの人はセカオワよろしく「分類区別ジャンル分けしたがる」気持ちを抑えて、辛抱強く目の前の事象とその人物像を掘り下げて見ていくしかないのですよ