第3話 庭

「あっつ……」


 稲尾竜胆は重たいエコバッグを二つ、両手に提げてのそのそ歩いていた。

 中身は買い忘れたドリンク類で、家族全員が飲むからと明らかに不必要なほど買わされている。おかげで四三歳——人間換算で十四歳前後の竜胆にはやや重すぎる荷物になっていた。


 白い髪に狐耳、三本の尻尾。耳と尾の先端、そして瞳は紫色に染まっており、ぱっと見女の子に間違えてしまうほどの美貌である。

 浴衣がけで歩いていると、親切な妖怪たちが荷物を持つことを申し出てくれるが、男のプライドが邪魔をしてしまい、竜胆は「大丈夫ですから」としか答えられなかった。


 よって、当然メールで助けを求めるだなんて方法は頭にはない。


 陽炎が立つほどのアスファルトの上。視界が霞んでいるのか、熱気なのか……頭がぼんやりしてきたとき、目の前に姉と写真で見た燈真が見えた。


「竜胆! ったくあんたは。きつかったら素直にメールしなっての」

「ごめん……」


 燈真は姉弟の似通い具合に、ここまで似るものなのかとこめかみを掻きながら感心した。


「竜胆、俺が代わるから」

「燈真……ダメだよ、初日だろ?」

「いいから。子供は無理するな。それに力仕事には慣れてる」


 燈真は竜胆の荷物を受け持ち、歩き出した。椿姫は手伝おうとしない。


「ありがとう、燈真。で、姉さんはなんで手ぶらなのさ」

「いやぁ、せっかくの男気を邪魔しちゃったら女として申し訳ないなって」


 それでもさりげなく家から持ってきた濡れタオルを竜胆の頭に乗せてやるあたり、椿姫は優しい子なのだろう。

 竜胆は「ありがと」といって、物理的に頭を冷やす。一緒に歩きながらも竜胆に優先して日陰を歩かせ、なるべく休ませる。

 人間なら間違いなく日射病になっていたが、さすがは妖怪、頑丈な肉体をしている。

 燈真は汗で鬱陶しくなることがわかりきっていたので、土建屋のお兄さんよろしく頭にタオルを巻きつけていた。実際、短期バイトで土建屋の手伝いをしたこともある。


「燈真、今日の晩御飯なんだと思う?」


 竜胆がウキウキで聞いてきた。

 見当がつかない燈真は、


「……狐にあやかって、稲荷寿司とか?」

「私たちが毎日稲荷寿司食べるわけじゃないからね。いや、毎日食べたいくらい好きだけど」

「正解はすき焼きだよ、燈真。お肉も美味しいの買ったんだって」

「すき焼き? マジか、コンビニ弁当以外のすき焼きなんて十年以上食ってないな」


 母が存命していた頃——燈真の心臓病の手術が終わって一ヶ月後、四歳くらいの時にやったくらいだ。

 燈真の母は彼が七歳の頃に死んでいる。事故死だ。

 居眠り運転の乗用車から燈真を庇って、電柱と一トンの車の間でプレスされ、ひき肉になった——らしい。死体は子供に見せるには酷すぎる有様で、見せてもらえなかった。


「燈真、どうかした? 僕片方持つけど」

「いいって。なんでもない」


 椿姫がかすかに目を伏せたが、すぐに張り切った声を出した。


「肉は何肉? 美味しい肉って言ったら決まってるけど」

「じゃあ聞かないでよ。魅雲鶏みくもけいと、魅雲牛だよ」


 魅雲村は農業で有名だ。

 名産品はじゃがいもと魅雲鶏、魅雲牛である。

 近隣の町でも農業が盛んであり、ここいらの郡の食料自給率は四〇〇パーセントを超すほどだ。


「どっちも有名だよな。裡辺観光に来ると、大抵それ食うだろ、本州の人らって」


 燈真がいう通り、魅雲の肉は旅館でも振る舞われるほど高級であるが、もともとは地産地消のものだった。たまたまツーリストのレビューが日の目を浴び、有名になっただけである。


「……ちょっといい?」


 椿姫が一歩前に出て、二人の歩みを止めた。いやに冷たい声で、重心が低い。


「どうした?」

「空気が変。わかるでしょ」


 言われてみれば夏の暑さというにはややねっとりと甘ったるいような暑さが漂っていた。

 竜胆が目をすがめ、


「空間が……ズレてる」

「〈庭〉ね。くそっ、引き摺り込まれた」

「待てなんの話だ。庭ってなんだ?」


 と、そのとき横の田んぼから何かが飛び出してきた。

 見た目はタコのような頭足類であるが、胴体は外骨格めいたキチン質の甲殻で覆われている。

 触腕は合計六本あり、目はタコのそれと酷似しているものが二つ。

 大きさは三メートルほど。ミズダコのような大きさだろう。


 ここまで燈真が生物に詳しい理由は、幻獣が好きだから——ただそれだけである。

 しかしこんな幻獣は知らないし、生理的な禍々しさを感じる。

 であれば、こいつは——、


魍魎もうりょう、か?」


 燈真は喉をひくつかせながら言った。

 それでも竜胆を後ろに下がらせる。


「アンキョ。燈真、竜胆をお願い」

「あ、ああ。任せろ」


 椿姫が懐から式符を一枚抜いた。それを振って、内部に封入していたものを白煙を伴いながら発現する。

 取り出したのは一振りの太刀。彼女はそれを背負って、左肩から引き抜いた。


「カタログスペック上の等級は精々三等級。敵じゃない」


 椿姫が太刀を上段霞に構えた。

 視線と水平に切先を向け、相手を睨む。空気がピリッと張り詰め、先に椿姫が動いた。

 アスファルトが砕けるほどの勢いで踏み込み、加速。触腕が振り払われたが、そこには既に椿姫はいなかった。

 電柱に向かって跳躍し、その電柱のコンクリートを砕いて弾丸のように突っ込み、目にも止まらぬ速度の刺突を放つ。

 アンキョと呼ばれた頭足類の魍魎が触腕を束ねて盾にし、両者が接触。ドゴッ——と空気を震わす衝撃音が弾け、凄まじい風圧に燈真は荷物を落として竜胆を抱え、身を丸めた。


 パラパラとアスファルトの破片が撒き散らされ、椿姫が紙一重で攻撃を躱されたことに舌打ちした。

 アンキョが素早く身を捻って触腕を振り下ろす。六つの韃が叩きつけられ、地面を砕きながら椿姫を捕捉せんと次々攻撃する。

 椿姫は左右にステップしながら回避し、躱しきれないものは太刀でいなす。しかし筋肉の塊であるあの触腕を片手間に落とすのは困難だ。


「大丈夫なのか」

「平気さ。姉さんがあんなのに負けるわけがない」


 と、椿姫の左手が太刀から離れていることに気づいた。右手だけで保持し、空いた手には紫紺の火球を生成している。

 掌に妖力を纏わせて狐火を圧縮する助けにし、威力の底上げをしているのだろう。


「〈劫火球〉ッ!」


 放たれた狐火が直進。音速に迫る速度でアンキョに激突し、爆炎を撒き散らした。

 もうもうと煙が舞い、少ししてから田んぼの方にドチャドチャと何かが落下する。それがなんなのかは言を俟たずともわかることだろう。


「私妖術って苦手なんだけどなあ」

「苦手であの威力かよ」


 燈真の呆れた声に、椿姫はふんと鼻を鳴らす。


「加減ができない、って意味でね。地形への損傷が現実に還元されない庭なら容赦なく使えるけど——、っ、竜胆ッ!」


 椿姫の叫び声に、竜胆がはっと振り向いた。

 そこに別の魍魎がいたのだ。猿のような、小柄な魍魎である。

 竜胆は慌てて結界を形成したが、精神的な動揺のせいで容易く殴り破られ、尻餅をついた。

 魍魎は爪を閃かせており、椿姫の方にはさらにもう一体のアンキョが迫っている。


 動けるのは俺だけだ————、燈真は竜胆の盾になり、両腕で猿の魍魎を押し除けた。

 爪が右前腕を抉り、血が飛び散る。


「燈真っ!」


 竜胆の悲痛な声を無視し、燈真は魍魎を睨んだ。右腕に力が入らない。しかも、過去に類を見ない激痛が伴う。


「くそッ、なんだこの傷は」


 背後で爆音。例の〈劫火球〉が爆ぜたのだろう。

 燈真は左拳を構え、猿魍魎と対峙。だが、燈真は魍魎には通常攻撃が一切効かないことを知っている。


「このエテ畜生が!」


 椿姫が人様には聞かせられない暴言を叫びながら、猿の魍魎を蹴飛ばした。

 妖力を纏った蹴りは魍魎の頭部を変形させるほどの威力を発揮し、電柱に叩きつけて絶命させる。

 命が尽きた魍魎は、その肉体を形成するに至った負の感情を光のように霧散させ、完全に消滅させた。


「竜胆、燈真っ……大丈夫!?」

「僕は平気、でも燈真は……」

「はぁっ……はぁ……痛ぇ……なんだこれ……っ!」

「瘴気が食い込んでる……妖力纏いができないんじゃ当たり前か。竜胆、柊に連絡して!」


 竜胆が「わかった!」と言って携帯を取り出して、コールボタンをタップする。


「大丈夫、燈真。すぐに良くなる。大丈夫よ」


 椿姫の優しい声が耳元でこだまする。

 燈真は激痛に歯を食いしばりながら、意地でも意識を手放すまいと腕の痛みに抗い続けた。

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