ゴヲスト・パレヱド.Re

夢咲ラヰカ

第1話 新天地は百鬼夜行の世界



 青緑色のオーバレイフィルターをかけたような、色鮮やかに青々とした山が見える。大きな河川が湖に伸び、ボートが浮かんでいた。

 千々に舞う雲が風に泳ぎ、雲間を龍がゆったりと遊弋している。

 のどかで落ち着いた風景。一服の絵画のような景色に、思わず息が漏れる。


 視線を落とせば、地方都市――そういって差しつかえない街並みが広がっていて、伸びていく線路が漆宮燈真しのみやとうまを乗せた二両編成の私鉄を駅へと導く。

 冷房が効きすぎた車内で寒気さえ感じ、燈真はモスグリーンのジャケットを着込む。半袖とはいえ外気温三十度を越す夏場に二枚も着込むなんて——ちょっと、電気の無駄じゃないか? そう思わなくもない。


 減速し始めた電車には、本当にちらほらと乗客が乗っている程度で、燈真がいる車両には彼を入れても僅かに三名。老紳士然とした化け猫の男性に、若い犬妖怪の女性。

 燈真は灰銀色の髪を少し触れ、己の過去の所業を振り返り、かぶりを振った。

 よそう、もう過ぎたことだ。神様じゃあない。過去を変えることなんて、できはしない。それがたとえどんなに馬鹿げた力を持つ妖怪であっても――。


「まもなく魅雲村みくもむら、魅雲村でございます。お出口は向かって右側です。車両が停車するまで、お立ちにならないようお願いします。お荷物などお忘れないようご注意ください。まもなく魅雲村、魅雲村でございます――」


 ああ、ついてしまった。

 燈真は大きく息を吐き、それから新しい空気を吸い込んだ。フロンで冷えた空気はあまり美味くない。自分の、汗のすえた匂いが服から漂ったせいかもしれないが。


 ゆっくりと停車し、慣性の法則で体が揺られ、燈真はドアが開くのをまってから立ち上がった。

 荷物はリュックサック一つ。当初義母は「こんなのの引越しに金を出す必要はない!」とヒステリックに喚いたが、父が武士の情けか引越し業者に連絡を入れてくれたのだ。おかげで、居候先には既に荷物が届いている。

 もっとも、最低限の着替えやら、貰い物の漫画本や小説とかが主で、さほど大荷物ではなかったが。今頃燈真の部屋は片付けられ、物置かなんかになっているだろう。もうどうでもいいことだ。自分を捨てた家族のことなど、どうだっていい。


 車両から降りると、七月上旬にして既に三十二度に達すると予想される外気にさらされた。

 あまりの暑さと傍若無人な太陽光に閉口し、燈真は噴き出し始めた汗にため息を漏らす。


「ここが、魅雲村……」


 吹きっさらしのプラットフォームから見えるのは、都市部と自然豊かなエリアの両面。その奇妙に相容れない存在が、まるで地層の境のように断層を作っている。

 コァールルルル、と声がして、燈真の頭上を一羽の梟狐きょうこが飛び去っていった。


 この裡辺りへん地方原産の幻獣で、狐の毛皮のようにもふもふした羽毛に包まれた丸っこい体が人気の、見た目の愛嬌の割にあまり懐いてくれない鳥だ。

 福を知らせる幻獣とも言われ、燈真は幸先のいい遭遇に少し心を弾ませた。

 新天地で頑張って、人生を逆転させる——北米文学的なそれは、嫌いではない。欧州文学はどうしても過去のしがらみから逃れられない陰鬱としたもので、読んでいて——読後感は確かにあるが、好きなのは前者だった。


 燈真は駅構内に入る。線路から出入り口までに仕切りはなく、一直線にぶっとい通路が通っているだけだ。太い柱にはポスターが貼られ、間も無く行われるという夏至祭の知らせもある。


(俺がいた都会じゃあ、こういうのは近所迷惑ってんでひっそりやってたな)


 人間の暮らしを重視した都会と、妖怪の暮らしを重視した田舎。どちらが快適なのかはひとそれぞれだ。妖怪の中には都会の方が住み良いという者もいるし、人間が自然の息吹を感じられるところで安息を感じることもある。

 妖怪=悪という図式が成り立たないのと同じ理由だ。彼ら全てが悪ではない。人間と同じで、両者の中には善性も悪性も両方いる。ただそれだけだ。


 燈真は構内にある自販機を見て飲み物を買うか悩んで、やめた。このあとすぐに迎えが来て、屋敷に行くことになる。金がもったいないし、食べ物を粗末にするなと幼い頃実母にいやというほど言われてきた。


 駅から出て、日陰にあるベンチに座った。隣には若い妖怪――鹿のような角を、短めに折っている男性がいた。彼は豆菓子を片手に喋る雀と会話し、その豆を与えながらときどき笑っている。

 妖怪の都とも言われる魅雲村ではこんな光景が当たり前らしい。よく見れば駅前の屋台の提灯には一つ目があって、大きく口を開けて巧みな話術でサラリーマンを呼び込んでいるし、住民は大半が妖怪である。

 しかも西洋妖怪なども見られ、珍しいところでは北米地域の、一般には怪異とされるスレンダーマンらしき長身痩躯の影もある。


 ――百鬼夜行ゴースト・パレード


 まさにそういうよりほかない光景が目の前に広がっている。

 人間の自分がとことん浮いているが、妖怪たちは気にしない。時々小さな子が「ひとだっ!」と嬉しそうにはしゃぐくらいだ。


(こういうとこだと人間って珍獣みたいな扱いなのか? 人間の中じゃ、俺も特殊だけど)


 燈真は祖先に妖怪を持っている。その影響で目は青いし、髪は濁った灰銀色である。そのせいで日本人といってもなかなか信じてはもらえない。肌の色がかろうじて黄色なので、それでなんとか判断してもらえる程度だ。いっそ日本半妖と言った方が通りがいいかもしれない。


 と、街路樹の合間からパールホワイトのSUVが接近してきた。大きさはファミリーカーといったところで、電気エンジンの静かな走行音が美しい。

 駐車スペースに寄せて、助手席の窓が開いた。


「燈真、だよね。ちょっと見ない間に大きくなったわね。……ほら、乗りなよ。暑いでしょ」


 顔を出したのは白髪に紫色の目をした、狐耳の少女。

 大きくなったわね? ――はて、なんのことだろうか。


 気になるところだったが、燈真は無理に疑問を差し込まず後部座席に乗り込んだ。シートベルトをして、運転席に視線を向ける。

 そこには栗色の髪をボブカットにした化け狸の女性。ミラー越しに見えた緑色の目は、優しげだ。


「大変だったわね。もう大丈夫。よく頑張ったわ。行きましょうか」


 化け狸の女性はそういって、ゆっくりと車を発進させた。

 燈真は複雑な気持ちで言葉を探す。既に彼女らはことの一部始終を知っているだろう。けれど、まるで燈真の口からそのことを聞き、真相を確かめようとしているようにも思えた。

 どうにも無言の空間が苦しく、燈真は一滴も出てこない雑巾を絞るような声音で、口を開いた。


「俺は……やってない」


 最初に出てきたのは、まるで取調室に連れ込まれた容疑者のような言葉だった。


「移動教室だったんだ。俺は眠りこけて遅れて、慌てて階段を降りてった。そしたら踊り場に先輩が血まみれで倒れてて、すぐに救急車と先生を呼んだ」


 今年の五月、燈真が以前通っていた高校で起こった事件。

 三階と二階の踊り場で、軽度な知的障害を患う男子生徒が血まみれで倒れていた。燈真の早期の対応で一命を取り留めたが、現在も入院中。事故ではなく事件と断定されたのは、被害者生徒が繰り返し一年生に恐怖心を抱く発言をしたことだ。


「俺は中学時代かなり荒れてて、しょっちゅう喧嘩してた。そのせいで先輩をボコったのは俺じゃねえかって噂が立った。俺は嫌われ者だったし、事件ついでに嵌めようってことだったんだろ」


 声が荒れてくるのを自覚して、深呼吸する。

 結果的に証拠不十分ということで燈真は解放されたが、しつこい取り調べは燈真を犯人扱いしているかのようなものだった。

 その理由は、


「俺には見当がついてる。同じ高校に通う金城ってやつだ。あいつは金に物言わせて好き放題してて、俺のことを好きだって女を自分のモノにしたいみたいだった。……俺はその女も金城もどうでもよかった」


 警察に金を握らせたのではないか――燈真の邪推に近い推測は、ある意味では正しいのかもしれない。

 実際金城はレイプ・レイプ未遂を金で揉み消してきた札付きだ。

 今思い出しても腹が立つ。


「畜生……」


 黙って聞いていた妖狐の少女が口を開いた。


「それで、あんたはどうしたいの」

「……泣き寝入りできるかよ」

「殴る?」

「それはっ……してやりたいさ。歯を全部叩き折ってやりたい。でも、それじゃ金城と同じだろ。でもどうすれば正しい復讐になるのかなんて……そもそも復讐が正しいわけが、」


 車が都市部を離れた。


「復讐は汚いもの。さらなる復讐以外に何も生まない。だからやめましょう。……いかにも偽善者のいいそうなことね。いい、復讐ってのは過去に対するケジメよ。したらいいじゃん。何が正しいのかは知らないけど、あんたの納得のいく方法でやってやればいい」

「ふん。世の偽善者が聞いたら卒倒するぜ」

「ええ。私は偽善者じゃないから、そいつらの気持ちなんてわかんないし。そもそも善悪って基準がどうでもいい」


 妖怪は我が強い。そう聞いたことがある。彼らが莫大な力を持ちながらそれにのまれないのは、己を律する強靭な精神があるからだと。


「私の名前、覚えてる――わけないか。稲尾椿姫いなおつばきよ。よろしくね、燈真」

「ああ、よろしく」


 この子は妖怪云々を差し引いてもちょっと自信過剰なところがあるんだろうな。燈真はなんとなくそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る