罪悪感でなにかをやった気になる
神経症とはなんだったのか、といえば、善良であろうという意思であるし、ではそんなに模範的な人物なのかというとたぶんそうではなく、おまじないの類である。罪悪感というのも、おまじないである。祟りを恐れるというか、本当に祟られるかどうかは別として、自己処罰をしておかないとまずいという疚しさである。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)なる言葉があるが、これも要するに疚しさである。なにかにつけて罪悪感を持っておいた方がよいという呪術的なものである。この内面的な良心は人間の根幹ではあるが、それがない世の中には耐えられないから過剰に分泌するのか、とりあえずタダなので偽札を濫造しているのか、ともかくおまじないである。さて、それでは、どのような理由で疚しいのか、となると理由が判然としないこともある。この世界の様々なことについて心を痛めておくというか、それこそ天皇陛下みたいな感じになっている。あまねく人間の哀れさについて、いつも心の中で遺憾の意を表明している。いろんなことに心を痛め、菩提を弔うのであるが、それが実を結ぶわけではないので、悪習であるのは確かだ。神経症という言葉は使われなくなったし、反復強迫は強迫性障害という狭い括りになったが、うつ病という流行り病の正体は古典的な神経症かもしれないのである。とりあえず心を痛めて苦しんでおくという芝居がかった姿勢である。