彼らは人との争いを恐れています

大きな声、怒りで歪んだ顔、泣き顔、これらを心から恐れています

 

言い争いこそ、人との関わりを深くするという考えもあるようですが彼らの場合、

 

それを避けられるのであれば、

どんなにめんどくさい事であろうと引き受ける覚悟があるのです

 

多くの場合彼らには小さな頃に、両親や兄弟同士など大切な人と大切な人が大げんかした所を見、トラウマに感じている場合があるのです

 

それがとても恐ろしく、

何が何でも避けたいという気持ちになってしまったのかと思います

 

優しい人が自分を優しい人だと認めないのは、自分は恐れているだけであるという認識があるからのようなのです!

彼らは思慮深く繊細な気遣いが出来、確かに“優しい”のですがどこまでもそれを認めることができないのです

 

ただ、このような優しさでも本当の優しさと比べると儚さを感じるものになります

 

★本当の優しさとは

本当の優しさとはどんな優しさでしょうか。

本当の優しさとはどこから生まれるのでしょうか。

 

本当の優しさとは何かをもらったから、

何かを返すという見返りを求める優しさではありません

本当の優しさとは相手が感謝してくれるだろうから、

何かをするという優しさではありません

 

優しくしたのだから、優しくしてほしいという思いは

相手の気分によってとても簡単に崩れるものです

感謝や見返りを求めること、これも簡単に期待はずれになるはずです

これはとても儚い優しさと言えるかと思います