ブロガーの力はどれだけ通用するのか。
始まりはそんな疑問からだった。
アホな文章やらアホな文章から始まり、レビューやらお買い物日記やらするどい洞察やら短文ネタやら、それらの文章群をせっせと書いてはウェブ上にアップロードしているブログ管理人たち。
当然ながら、その文章群たちは世界中どこからでも読めるわけで、机の中にひっそりとしまわれて乙女心を綴ったり「今日は先輩と目があっちゃった、うふふ」なんて書かれているダイアリーよりは多くの人の目に触れるわけである。
もちろん、誰も読まないであろう町内会報の「季節のたより」とかいうカスみたいなコーナーよりは読まれるだろう。
それだけ多くの目に晒されながら日々文章をアップロードする。
言い換えれば、ある程度の視線に耐えながらそれに見合う文章をアップしてるのだ。
当然ながら文章を綴る能力はそれなりに上がっていくんじゃないだろうか。
そりゃあ小説家やライターなんかは晒される規模が違うから敵わないにしても、乙女のダイアリーには勝てるんじゃないだろうか。
そんな思いから、わたしはある種の考えに至った。
果たしてブロガーの文章能力は世間一般ではどの程度のものなのか。
どの程度通用するものなのか。
ということで、わたし、小論文の試験科目がある大学を受験してみます。
何個か小論文試験を受験して、どれだけの大学に受かるのか。
もしかしたら全部落ちるかもしれない。
けれども、それはそれで実力が分かるというもの。
本当はわたしのようなとんちんかんよりもっと文章力があるサイトの管理人さんが適任なのでしょうが、やってくれそうにないのでわたしがやります。
ということで、今は必死に大学受験に向けて情報収集をしている段階ですが、もちろん備えはそれだけではありません。
受験しまくって全敗とかマジ自殺物ですから、どうしてもそれだけは避けなければならない。
つまりは、小論文を書く練習をしなければならなのです。
そこでまあ、準備をしましたよ。
今を去ること十数年前に小論文試験を経て、大学名だけで入社試験に通るような大学に合格した旧友であるEに連絡を取りまして「ねえ、大学受験するから小論文を教えて」と懇願しましたよ。
「きみ、またトチ狂ったの?大学受験て・・・」
とか、生類憐みの令な勢いで返されましたけど、やはり持つべきものは友達、協力してくれることになりました。
でまあ、わたしは小論文ってものが何なのかいまいちよく分かってないんですけど、そのEが言うには過去の問題を見て書く練習すればバッチリってことらしいので、色々と検索して大学入試問題を探したのですが
『「世間」とは何か』(阿部謹也)から,日本人にとって周囲と折り合ってゆける限りで世間の中で生きる方が,競争社会の中で生きるよりは生きやすいのである,と述べた文章を読み,「世間」と「個人の生き方」との関係について,あなたはどのように考えるか。
あなた自身の経験を織り交ぜながら,論じよ。(熊本大学・文学部/前期)
とか、難解すぎて満月を見た悟空みたいになりかねない問題が目白押しなんですよ。
ハッキリ言いますよ、問題が分からないんじゃなくて、問題の意味が分からない。
頭から煙でそうになったわ。
思考回路はショート寸前だわ。
「いきなり過去問題はハードルが高すぎる、もっと簡単なのからお願い」と、友人Eに懇願したところ「じゃあ、私が出すテーマに沿って1000字以内で書いて、そしてそれを採点してあげる、まずはそこから」というありがたいお言葉。
まあ、書いてるうちにダラダラと長くなるわたしにとって「1000字以内」という制限は命すら取られかねない状況なのですが、とりあえずこれも制限文字内に収める練習です。
何とか頑張ってやりましたよ。
ということで、以下に友人Eから出された二つのお題と、わたしなりに書いた1000字以内の解答を記載します。
これを見て各々で「あの人ってアホだよね」などと噂してください。
それではどうぞ。
「1.楽天家」
わたしたちマニアは楽天家だ。
どこの世界でもそうだが、マニアってやつはかわいそうになるくらい楽天的にできている。
例えばそう、ナース服マニアを考えてみよう。
ナース服マニアは「ナース服のお姉さん」と聞くと何を連想するか。
そう、大半のマニアがカワイイ美人のお姉さんがナース服を着ている姿を想像する。
もしかしたらナース服にガーターベルトなどセクシーなものを想像するかもしれない。
ブタみたいな婦長を想像するマニアは一握り、極稀としか言いようがないのだ。
本当はブスなナースが大半を占めるというのに。
セーラー服大好きマニアは女子高生が大好きだ。
でも、これもやはりカワイイ小悪魔的な女の子が制服を着ている姿を思い描いてしまう。
もしくは純朴な女学生を。
そう、クラスで一番カワイイ子級を平気で思い描いてしまうのだ。
本当はそれよりも圧倒的多数の不細工女子高生が存在するのに。
人間が空想で思い描くとき、その中でも最上級かそれに近いものを思い描いてしまう習性がある。
その中でもとりわけ熱い思いを持つマニアは、さらに最上級を思い描いてしまうのかもしれない。
そう、これはただ何も考えずに楽天家なわけとは違う、思いあっての楽天家なのだ。
大好きが故に人より夢を見、そして思い敗れて傷ついていく。
わたしはそんなマニアが愛しくてたまらない。
叶わない最上級を思い描いて傷つきながら進んでいく、楽天家にこそマニアの真の美しさがあるのだから。
某有名プロ野球団。
果たして彼らは野球の理想を求めて躍起になっているマニアな楽天家なのか、それともただ儲かりそうだから名乗りをあげただけなのか。
無類の野球好きのわたしは、社名からも分かるように真の楽天家であることを願いたい。
「2.成人式」
かなり前から、各地の成人式での話題がニュースを賑わすことが多い成人の日。
チンドン屋のような格好をした頭の茶色い新成人が巻き起こすハチャメチャ成人式をメディアは必死になって流している。
彼らには新成人としての自覚があるのだろうか。
大人になった自覚があるのだろうか。
どの報じ方もそんなスタンスだ。
しかし、そんなものは端から論じるのがおかしいお話で、彼らに大人になった自覚など毛頭ないのだ。
実はこれ、よくよく考えると当たり前の話なのだ。
成人式を向かえた日にいきなり「おれ、大人」としたり顔で自覚される方がおかしな話で、そんなに流されやすい人間は、逆に変な壷やらヘッドギアを買わされる羽目になるんじゃないかと心配になる。
彼らは大人になっていないのだ。
だから久々に旧友や初恋の相手が集う成人式が嬉しくてはしゃぎすぎてしまう。
中にはとうに大人だと自覚している人もいるだろうが、そんなのは個人差。
誰もが二十歳で自覚できるわけではないのだ。
わたしが自分が大人になったと自覚することになったきっかけは二つある。
一つは自分の稼いだ金だけで一ヶ月暮らし切った時だ。
初めて給料を手にし、自分が自活できたと感慨深い瞬間だった。
もう一つは、キリンは「キリーン」とは鳴かないと知った時。
朝っぱらの路上でウィッキーさんが「ウィッキー!」と叫ばないのと同じように、キリンもそう鳴かないと悟った時、博識になった自分を大人だと悟った。
一個目の自覚は25歳の時、2個目の自覚は27歳の時。
どちらも成人式よりずっと後のことだった。
とりあえず、成人式で暴れている新成人はまだ自覚がないのだ。
けれども、そのうち嫌でも自覚することになるのだから、とりあえずそっとキリンは「キリーン」とは鳴かないと教えることから始めたらどうだろうか。
友人Eさんの採点
1.楽天家
視点は面白いが、書いている内容が下品すぎる。
2.いい加減にしなさい
結論:小論文で受験はやめておいた方がいい
ということで、親愛なるEさんの助言もあったことだし、大学受験はやめておこうと思います。
良いところばかり見る楽天家じゃないからね、わたしは。