茶番劇は眠らない

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とんだ茶番劇なのだけど、職場の会議であらかじめ台本が決まっていることがある。

ちょっと天の上の人なんじゃないのってレベルの偉い人が来る会議で多いのだけど、意見を戦わせてブラッシュアップする、という会議が持つ本来の意味をはきちがえた完全なる予定調和がそこにあったりするのだ。


それは安心なのかもしれない。

現代に生きる人たちは安心を求めがちだ。


わたしだってテレビを見ていてムカつく人物が登場してきたら、すぐにツイッターなりなんなりを確認する。

多くの人が「今の人、なんかむかつかない?」みたいなことをリアルタイムでネットに書いているのを見て、ムカついていたのはわたしだけじゃないんだと安心する。

わたしたちは不快感を共有することで安心を得ている。

これがネット時代の安穏な生き方なのだ。

皆で共有することは安心を生む。


つまり、この会議も、別に意見を戦わせる必要なんてなくて、ただ決められた流れに沿ってさも意見を戦わせているように見せ、それを皆で共有して安心するのだ。

言うなれば儀式に近い。

偉い人がやってきた。

台本が配られる。

どうやら今日のわたしの役回りは、少し攻めた意見を言いつつも、最後は納得して矛を収めるものらしい。

これはなかなか演技力が求められるぞ。

納得する部分の、自分の中の考えを変えて賛成に転ずる葛藤をいかに表現するか。

いよいよ会議が、いや儀式が始まった。

わたしもはりきって


「そこにはどんなビジョンがあるのでしょうか?」


とか発言している。

別にビジョンなんて気にならない。

でもそう書いてる。

ここで挙手し「そこにはどんなビジョンがあるのでしょうか」と発言

 って書いてある。

それを読んでいるだけだ。

滞りなく儀式が進行していく。

雲の上の偉い人も満足そうだ。

いよいよ佳境になってきてわたしがずっと反対っぽい感じの意見から賛成に転じる部分がやってきた。

クライマックスだ。

「なるほど」と納得

と書いてある。

完全なる茶番劇なのだけど、心を込めて演じていると、本当にこの意見に反対だったのにみんなの熱意にあてられて賛成した感じになってくるから不思議だ。

ひよっこだと思ってたお前らが俺を説得しきるとはな、今日は俺の負けだよ、みたいな気持ちになってくる。


そしてついに物語は最高潮に達する。

ついにわたしが意見を変え、皆の気持ちが一つになる。

そこに進行役が、わたしに向かって「では協力していただけますね」と問いかけるシーンだ。

ここでわたしが元気に返事をし、明日への希望みたいなものが演出されていい気分で儀式が終わる。

ちょうど夕陽がきれいで、ブラインドの隙間からオレンジ色の光が漏れ出してきている。

絶好のシチュエーションだ。

台本にはこう書いてある。

ここで司会者の問いに対し「てはい」と返事をする


 一瞬、何のことか分からなかった。

台本通りならこういう流れになる。

 
司会者「では協力していただけますね」

わたし「てはい」


完全に狂ってる。

絶対にちょっと安い葉っぱとかしてる。

どうやら台本作成時に間違ったようで「」の位置がずれている。

正しくはこう書きたかったのだろう。


ここで司会者の問いに対して「はい」と返事をする


これならさすがにわたしも狂っていない。

ここは台本を無視し「はい」と答えるべきだ。


しかし待ってほしい。

ちょっと待ってほしい。


儀式のような会議とはいえ、台本があるということは必ず脚本家がいるということだ。

たぶん士長なのだろうけど、そういった脚本家の仕事を無視して勝手にセリフを変える、これはあまりに敬意が足りないのではないだろうか。

そもそも「てはい」が間違いであるという事実はわたしの勝手な思い込みだ。

もしかしたら脚本家の意図は別なところにあるのではないだろうか。

 
司会者「では協力していただけますね」

わたし「手配」


こう答えるとすでに協力体制にあり、もう会議中だというのにタブレットであらゆる業者に手配を済ませたみたいな感じなる。

完全に仕事のできる人間だ。

反対はしていたけど、ひとたび納得すればフルパワーで協力する。 

すげえかっこいい。
なんか忍者っぽい。

そういう役をわたしにやらせようという意図か?なるほどねえ。

そういう演出。

くぅ~やるねえ。

危うく勝手に変えるところだったよ。

わたしたち演者が脚本家を信じられなくなったらおしまいだよ、おしまい。

ついに儀式は問題の部分に差し掛かった。


司会者「では協力していただけますね」

わたし「てはい」


頭のおかしい女がそこにいた。

その儀式の後、同僚のスマホがピコンピコン言っていたのでちょっと見たら「今日のあいつなにあれ?狂ったの?」みたいなことをたぶん職場ライングループで書かれていた。

みんな不快感を共有している。

それを見てわたしもちょっと安心した。