マレーシアからの刺客

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先に言っておきますが、今日のブログもとても長いのでヒマでヒマで仕方のない人や、今日下ろしたばかりのセーターが既に破けた運のない人や、羽生くんすてき!と素直に言えない人は読んでくださいね。


マレーシアからの研修生が職場にいます。


遠いマレーシアの地からこんなチンケな所に来ていったいどういうつもり、どうせ観光目的で日本にやって来るんデショ、などと言いたくなるのですが、職場のみんなみんなの予想に反して、そのマレーシアからの研修生は思いの他勤勉で真面目でした。


その彼女、便宜上マレーちゃんと呼びますが、マレーちゃんは真面目の塊のようなマレーシア人でした。

なんかマレーちゃんが来るからとか言って用意されたマレーちゃんのデスクは木の机。

ボロボロの木の机なんです。

みんな(技工士さん)が金属製のオフィスチックなデスクなのに、マレーちゃんだけ木の机。

しかも誰かが彫った「ハルナ命」とか粋な彫刻が施されている木の机。


わたしが遠い異国の地でこんな木の机を与えれられたら泣きます。

外国人に対するいじめだと感じ、シャワーを浴びながら泣いたりすることでしょう。

でもマレーちゃんは違った。


嫌な顔一つせずにボロボロの木の机で作業するマレーちゃん。

なんとも眩しい。

わたしも遠い異国の地で理不尽で不当な扱いを受けようともマレーちゃんのように輝いていたい、そう思うほどマレーちゃんは素敵だった。


そんな素敵なマレーちゃんにも二つだけ欠点があった。

一つは真面目すぎるという点。

毎日朝も早くから休憩もなしに木の机で夜遅くまで作業作業。

狂ったように作業作業。

一体何が彼女をここまで追い込んでいるのだろうかと思いたくなるほどマレーちゃんは働いた。


さあ、そこで困ったのが上司ですよ。


マレーシアから預かった大切な研修生が過労で倒れられたりしたら目も当てられない。

日本は、マレーシア人を奴隷のように働かせる国なのか!とか国際問題にまで発展しかねない。

それは困る。

なんとかマレーちゃんにも息抜きというものを覚えさせたい。

上司はそう思ったのでしょう。


何故かわたしがマレーちゃんの教育係に任命されたんです。
職種も違うのに。

まあ、勤勉すぎるマレーちゃんに不真面目なわたし。

両方の中和を狙った作戦なのではないかと思うんです。

いわばわたしは不真面目の日本代表だね。


で、その日からわたしは熱心にマレーちゃんの面倒を見ましたよ。

仕事のサボり方から手を抜く方法。

ミスを巧妙に隠蔽する方法。 

いかがわしい占いに連れて行ったりとかもしました。


それ以来、マレーちゃんも垢抜け、数ヶ月もすれば立派なダメ研修生が出来上がっていました。

仕事サボりまくりの無責任研修生。

どうやらわたしは与えられた任務をまっとうできたようです。


二つ目の欠点は、日本語が通じない。

というところでしょうか

いやね、日本語なんてどうしようもない言語です。

いまやお互いに英語で会話するべきだと思いますよ。

しかし、お互いに頑固なわたしとマレーちゃんは譲らない。

マレーちゃんは頑なにマレーシア語を、わたしは頑なに日本語を。

それ以外は使おうとしないんです、お互いに。

わたし「日本に来たら日本語使いやがれ、コンチクショウ」

マレー「ニホンゴムズカシイ、ワカラナイ(マレーシア語推測)」

互いに歩み寄って意思の疎通をしようとしない二人。

これでよくもまあ教育係が務まったものです。

身振り手振りでコミュニケーションを取る適当日本人とマレーシア人、なんとも奇妙です。

しかし、さすがに遠い日本で暮らしていくには日本語を覚えるしかないと判断したマレーちゃん。

遂に歩みよって日本語を覚えようとします。


「ミ・・・ミ・・・ミズサーン、オハヨゴザイマス」


今でもマレーちゃんが初めて喋った日本語を覚えています。

必死で練習してきたのでしょう。

そしてこの挨拶。

なんかマレーちゃんがいじらしくて嬉しかった。

それからわたしとマレーちゃんは急速に仲良くなりました。


必死で日本語を教えてあげるわたし。

マレーシア語を教えてくれるマレーちゃん。

まあ、教えてもらったものなんかほとんど忘れちゃったんですけどね。

でも、マレーちゃんはどんどん日本語を覚えていった。

そのうち、イタズラ大好きわたしはマレーちゃんに嘘の日本語を教えるようになった。


「未亡人」とか「IS」「泥沼離婚」などなど、とても普通では習わないような日本語を教えた。

全部嘘の意味で。

若くて素敵な娘さん→未亡人
トイレ→IS
昼食→泥沼離婚

といったリズムで嘘八百を教えていったんです。

他にもイッパイあるのですがとてもここには書けない。

余りにも純粋であるが故、それらの日本語をマレーちゃんは必死で覚えた。


そして、しばらくしたら平気で使いこなしてんです。

すごいな、マレーちゃん。

なんとも素晴らしい。

それらの嘘日本語によって生み出されたマレー語録を数個挙げたいと思います。


「ちょっとトイレ行ってきます」→「チョット、IS、イッテキマス」

「昼食食べたいです」→「ドロヌマリコン シタイデス」


もう、周りで聞いている人などビックリですよ。

だけどわたしにだけは真の意味がわかる。

ああ、マレーちゃんはトイレに行ったんだ、昼食が食べたいんだと。

で、わたしが教えた嘘日本語の最たるものが次の言葉。


感謝の言葉(ありがとうなど)→お礼参りしますね


これを教えた時はさすがにマズイかな、とか思ったのですが、なんか「お礼参り」という発音はマレーちゃんには難しいらしく、彼女がこの言葉を口にすることはありませんでした。

いつも感謝の言葉は聞き取りにくい英語で「サンキュー」でした。


で、嘘日本語と仕事のサボり方を教えたことによってわたしとマレーちゃんは真の親友になったんです。

国籍こそは違えど親友。

なんと素敵なことだろうか。

しかし、二人の別れは突然やってくる。


マレーちゃんは研修期間を終え、母国マレーシアに帰ることとなった。

なんとも淋しい。

当初は職場で煙たがれていたマレーちゃんも、仕事をサボるようになり日本語を覚え始めたあたりから人気者になっていた。

それだけに、皆がマレーちゃんの帰国を悲しんだ。

誰が言い出すまでもなくマレーちゃんを送り出す送別会が開かれることとなったのだ。


送別会は盛大に行われた。

なんか高貴な場所で立食パーティ。

寿司にオードブルにワインとなんでもあり、職場のお偉いさんも多数駆けつけた。

後で知ったのだが、何かマレーシアとの交流プロジェクトがナントカカントカで、この研修生派遣プロジェクトは大切な事業だったらしい。

そこまで大切なマレーちゃんなら送別会にお偉方が訪れてもおかしくはない。


でもそんなに大切ならあの木の机はないだろうにとか思う。


で、送別会も盛大に楽しく行われ、唯一無二の親友であるわたしも彼女との別れを惜しんだ。

そして会の最後をマレーちゃんの挨拶で締めることとなった。

壇上に上がり、堅い表情になるマレーちゃん。

そして次々と感謝の言葉を述べていく。

しかも日本語でだ。

やはりまだまだ下手な日本語で断片的な片言ではあったが、彼女の感謝の気持ちを伝えるには十分だった。


人間ってさやっぱり言葉じゃないよ、気持ちだよ。


気持ちさえあれば、気持ちさえぶつけていけば、言葉が下手でも不十分でもきっと相手には伝わる。
ホントそう思ったね。


マレーちゃんの一生懸命な気持ちがわたしの涙腺をゆさぶる。

バカッ・・・わたしを泣かせてどうする・・・マレーのやつめ・・・

いい年して友との別れが辛くて泣いている場合でもないのだが、どうしても我慢できなかった。

そんな気持ちが伝わってか数名の同僚も泣いている。


「ミズホサンニハ イッパイ シンセツ モライマシタ」


お偉方が詰めかける盛大な送別会。

その主役が壇上での挨拶にわたしの名前を出したのだ。

これほど嬉しいことがあるだろうか。

これほど感動したことがあっただろうか。

不慣れな日本語で必死に必死に言葉を手繰りながらわたしに感謝の言葉を・・・もう我慢しきれず泣いてしまった。


こんな場面で泣くような女ではないわたしが泣いている。

ただならぬ気配が会場には流れ数人の貰い涙を誘った。

マレーちゃんも言葉を詰まらせ、必死で涙を堪えている。

お祭りムードだった送別会も厳粛な雰囲気に様変わりしてしまった。

そして、最後に、マレーちゃんは涙声で振り絞るように感謝の言葉を述べた。


「オレイマイリ   シマスネ(ありがとうございます)」


厳粛な送別会ブチ壊し。

あの時教えた嘘日本語がこんなところで登場するとは。

まさにクライマックスこんな最低最悪のシチュエーションで登場するとは思いもよらなかった。

驚愕する来賓たちに唖然とするお偉方。

既に逃げる準備を整えていたわたし。

何の気なしに教えた嘘日本語が感動の送別会を恐怖のズンドコに叩き落した。

そしてマレーちゃんはマレーシアへと帰っていった

その後のわたしはというと、芋づる式に他の嘘日本語を教えたことがばれてしまい、大切な研修生に変な日本語を教えるなと上司にこっぴどく叱られた。


くそう。

マレーめ、お前のせいだ二度と来るなとか思うんですよ。

でもね、今日みたいに天気の良い日はフッとマレーちゃんのことを思い出すんです。

マレーシアもこんなに天気がいいのかなぁって青い空を眺めながら思うんです。

遥かマレーシアのマレーちゃん、元気でやってますか?ってね。