不意の電話

テーマ:
「もしもし、○○探偵事務所の者ですけど……」 


何でもない平日の昼下がり、スーパーで食料を買おうと車を走らせていたら不意に電話が鳴った。

不意に鳴る携帯コールなんてロクなもんじゃなくて、大抵が取らなきゃ良かったっていうガッカリな内容に終わることが多い。 


なんてことを考えながら、ベロベロと着信音を奏でるマイiPhoneを眺めていたのだけど、そこで途方もないことに気がついてしまった。


「不意の電話は喜ばしくない内容なこと多い」とか言うけど、よくよく考えると電話ってのはほとんどが不意であるものでないだろうか、と。 


今まさに電話がかかってくる!と待ち構え、それこそ親指を受話器ボタンの上にスタンバイさせて仁王立ち、さあ来い、電話来い!いつでも来い!と不意でない状態の方が極めて稀なのです。


そんなことはどうでもいいとして、今まさにけたたましく鳴っている電話をどう対処するか考えます。


発番号を見ると、どうにもこうにも見たことないような携帯番号。

間違いなく喜ばしい内容であるはずがない。 


とりあえず、いつまでも着信音を演奏させておくわけにもいかないので路肩に車を停車し、恐る恐る電話に出てみます。


「もしもし」 


慎重に、慎重に、それでいて精一杯理知的な声を捻り出して喋ります。

すると


「もしもし、○○探偵事務所の者ですけど……」 


という、冒頭に記述した予想だにしない返答が帰ってきました。


いやいや、探偵社から電話って何ですか、予想の遥か斜め上を行ってるじゃないですか。 


『なんだなんだ、わたしは探偵さんの世話になるようなことを何かしでかしたのか?』


頭の中でグルグルといろんな事が駆け巡り、恥ずかしながら、少々パニックに陥ってしまいました。 


「た、探偵ですか?あの、浮気調査とかの!?」
 

パニックになってすごいアホなこと口走ってしまってます。

浮気調査とかの探偵ですか?と聞いてることからわかるように、どうやらわたしの中にはもう一つ別の探偵像があるらしく、名探偵コナンとかみたいに颯爽と難事件を解決する探偵像が主流のようです。

あと「じっちゃんの名にかけて!」とか言ったりする。 


そんなわたしのどうでもいい考えはスルーし、電話口の探偵は続けます。 


「んー、ええ。名古屋にある○○探偵事務所なんですけどね、私はそこの調査員なんですわ。んー、で、今日少々お聞きしたい事がありまして」 


とやけに具体的な地名まで飛び出す始末。


名古屋と言えばわたしが数年前まで住んでいた土地ですから、そんな地名が探偵さんの口から飛び出すだけで自ずと胸の鼓動が早まります。


地味に慎ましく暮らしてるというのに、なんで探偵さんに調査されないといけないのだろうか。 


「は、はあ……で、どんなご用件でしょうか……?」 


とりあえず、緊張と不安でベロベロになっている我が心を必死で抑え、なんとか探偵さんに尋ねます。
 

「んー、実はですね、アナタの事を探している人がいましてねー、携帯番号だけ分かったものですから電話したんですわー」 


サラリと物凄い事を言う探偵さん。


わたしを探してる人がいる、それも探偵さんを使ってまで探してる人がいる、これは一体どういうことだろうか。 


これはもう、単純に考えて大学時代の同じ学科の男の子がわたしの事を探してるとしか思えません。

絶対そうに違いない。


それ以外、何が考えられるだろうか。 


大学時代、内気で地味だった彼は次第にわたしという人物に心惹かれていくようになります。


そう、初恋というやつです。


わたしに恋心を抱きつつ内気な性格ゆえに思いを告げる事ができない彼。

甘く酸っぱくほろ苦い初恋の思い出。 


大学を卒業し、一流企業へ進んだ彼はそれなりに恋をしたりセックスを経験したりします。

それから昇進し、悲しき恋を経験したりします。


この頃には彼も男として経験値が高まった状態であり、大学時代の地味な姿が嘘のように華麗に変身しています。
 
男だって化けますからね、たぶん凄くイケメンになっていると予想されます。 


イケメンになった彼が恋を手に入れるのは簡単でした。


しかし、どうしても心ときめくことができない、恋にドキドキすることができない。


彼はもう、恋に慣れてしまっていたのです。


もう、人を好きってだけでドキドキしなくなっていた。 

何かドキドキしたかった。 

寂しいわけじゃなかった。

人肌恋しいわけじゃなかった。


その気になれば見てくれのいい女はいくらでも言い寄ってきた。

料理上手な女だって、自分に尽くしてくれる女だっていくらでも。


けれども……何か違う……


ドキドキや胸のときめきが欲しくて不倫もしてみた。

相手は会社の上司。

なんでこんな相手にって思ったけど、優しかったしお金も持ってた。


不倫という響きが素敵で、何か悪い事してるって背徳感が一定以上のドキドキを与えてくれた。 

けれども何か違った。 


俺がしたかったのはこんな恋愛じゃない。


都合の良い時だけマンションにやって来る課長。

週末も、イベントごとの時も、課長は横にいなかった。

彼女が自分の家族と楽しそうに団欒を過ごしている事を考えると、正気じゃいられなった。


俺……何か勘違いしてた……


俺が欲しかったのはこんなドキドキなんかじゃない。

もっと純粋で、何も打算がなく、苦しいけれど楽しかった狂おしいほどの恋愛のドキドキ、それが欲しかっただけなんだ。 


初恋のあの人は今頃どうしてるだろう…… 


弘樹は不意に大学の頃の初恋のあの人を思い出した。


あの頃は本当に良かった。


思いを伝える勇気がなくて、影からこっそり見てるだけだったけど、あの時の俺は確かにドキドキしていた。


純粋に恋をしていた。 


初恋のあの人に……思いを伝えよう……! 


弘樹はスマホで検索し、探偵社に電話をかけた。

目的は初恋のあの人を探すため。

本当の恋を、ドキドキを取り戻すため。


思えば、恋愛ごとに関して自分から積極的に動き出すのはこれが初めてだった。


少年のような高揚感に身を任せる弘樹。

探偵社の担当に目的を告げる彼は、確かにドキドキとしていた。 


「僕の大切な人を探して欲しいんです」 



とまあ、こんな展開が容易に予想できます。


というか、こんな展開でもない限りわたしが探偵さんに調査されるなんてありえない事だと思います。


そうか、初恋の人がわたしの事を探してるのか、なんだ、そんな気持ち、全く気付かなかったよ。


「わたしのこと探してる人ですか?それは一体どんな目的で?」 


とりあえず、わたしも胸が高鳴ってきてどうしようもないのですが、気持ちを落ち着かせて探偵さんに尋ねます。 


「いやー依頼主さんのことは喋れないんですわ、申し訳ないですけど」 


とまあ、そっけない答え。


わたしの身元とかをこれから思いっきり調査しようとしてるくせに、調査協力をしてもらおうとしてるくせに、そっちの情報は出せない。


いくら初恋の人とはいえ、これじゃあちょっと警戒してしまいます。 


「それでですね、依頼主さんもあなたのこと探してますし、とりあえず氏名と現住所を教えて欲しいんですよ」 


そして、自称探偵さんの衝撃のセリフ。 


おいおい、現住所を教えろはともかく、氏名を教えてくれってなんなんだ。


初恋の人がわたしのこと必死になって探してるんデショ?だったら名前ぐらいは知ってるはずじゃないのか。


なんというか、ここからどんどんと雲行きが怪しくなってくるのです。 


「ですからー、こちらはアナタに対して調査依頼を受けてますから、協力してもらえないなら徹底的に調べる必要があるんですよ?嫌でしょ、徹底的に調べられたら。だから協力して欲しいんですよ」 


「いや、調べられても全然構わないですけど」 


こういった言動から、どうやら依頼主ってのはわたしに恋心を抱いていた初恋の人ではなさそう。

 
なんていうか、そういったホンワカした雰囲気ではなく「我々スタッフが調査したところ、初恋の人、見つかりましたよ」というような島田紳助的雰囲気が全くないのです。

雰囲気的に脅しに近い感じだった。 


「そもそもですね、氏名も住所もわからない、携帯番号だけ分かってる状態でどんな依頼が来てるのかさっぱり分からない。依頼主といわれる人の目的が分からないと協力は出来ないですね」 


どこをどう考えても、携帯番号だけが分かってて、その他の個人情報が知りたい状況なんて一つしかありえないのです。


そう、一時期一世を風靡したあの社会現象、出会い系サイトの架空請求しかないのです。 


つまりはこういうことです。


まず、適当な番号に電話をかけまくる。

まあ、ここまでは架空請求と全く同じです。

相手が出た場合、そこで分かってるのは電話番号だけです。

そして、そこで探偵社だと調査会社を名乗ります。

ちなみに、携帯番号の090-XXくらいまでの番号が分かれば、キャリア種別が分かります。


つまり、番号からその携帯が「DoCoMo東海」とか「SoftBank関東」のものだとか簡単に分かるのです。 

相手が東海地方のドコモを使ってると分かったならば、最も確率高く攻めるために一番人口が多いであろう「名古屋」の探偵社を名乗ります。


これで、電話を受けてる側は自分の近くまで調査の手が及んでいるとブルってしまいます。 

後は簡単です。


アナタを探している人がいるから協力して欲しい、名前と住所を教えてくれ。

これで教えてもらったら個人情報ゲットですから、あとはいくらで請求書だとか嫌がらせ的手紙をガシガシ送る事ができるのです。

「家や職場まで集金に伺う」とか脅すことも可能になるのです。

探偵社を名乗って個人情報をゲットする架空請求業者、彼らの手口はここまで進化しているのです。 

そしてもう一段階、調査に協力してもらえなかった場合、金を脅し取る手段が用意されているようです。 


「でもですね、やっぱり協力できませんよ。依頼主の正体が不明で怪しすぎます」 


と主張したところ、電話口の自称探偵は


「依頼主は、とある暴力団関係者です。裏で経営している出会い系サイトの利用料が滞納されているという依頼を受けて、請求するためにあなたの電話番号から個人情報の調査依頼を受けました」 


と、今度はあれだけ「守秘義務が」とか言ってたくせにぺロッと依頼主の情報を教えてくるのです。

しかも、予想通り出会い系サイトの利用料請求だとか申しているのです。


「私どもが本気で徹底調査すれば、あなたの氏名も住所も簡単にわかることです。勤務先や親戚の構成なんかも全て分かります。それを依頼主様、暴力団関係者ですが、に教えた場合、あなたにとって大変不利益になると思うんですよね」 


「はあ、それは確かに不利益ですね、職場や家に暴力団が来たら布団かぶって震えるしかないですもんね」 


「そこでですね、今なら、私どもの方で示談にする事ができるんですよ。10万円私どもにお支払いいただけたら、調査不可能だった、身元は不明でした、と言うことで依頼主様に報告することが出来るのです。お支払いいただけませんか?私どももあなたが不幸になるのは本意ではないですし」 


とまあ、今度は示談にしてやる、金を払え、と取引を持ちかけているのです。 


ここで少しだけ整理しましょう。


暴力団から依頼を受けてわたしの調査を開始した探偵社。

本気を出せばわたしの調査など容易いが、それではさすがに忍びない。

10万払えば調査できなかったことにしてやるから払わないか?という状況になっているのです。 


いや、普通に考えて、そんな探偵いるのか? 


探偵さんの世界ってのがどんな世界なのか知りませんが、調査依頼を受けて直接その本人に接触し「おれ、探偵なんだけど個人情報教えてくんない?」と申し出るのが探偵さんの調査なのでしょうか。

さらには「10万出せば調査できなかったことにしてやれるけど」と取引を申し出るのが普通なのでしょうか。 


よく分からないですが、こんな探偵はいないだろうと判断。


多分きっと、この探偵を名乗ってる人が架空請求業者そのもので、探偵社を名乗った方が個人情報が引き出しやすい、引き出せなくても示談交渉というカードをだすことができる、と言う理由から探偵を騙ってるのだろうと判断しました。 


あとはまあ、いつも通り。 


「別に調査してもらってもいいですし、暴力団の人に調査結果を渡してもらってもいいですよ」 


「あと、指定暴力団員以外の人が指定暴力団の威力を示して行う不当な要求行為を「準暴力的要求行為」といって、改正暴力団対策法にひっかかることをご存知ですか?」 


「あなたが名乗る探偵社が怪しいので、別の探偵さんに調査依頼を出してみようかと思います」 


「ちなみに、わたしの氏名はオードリーヘップバーンです」 


「父親は吉井ロビンソンです」 


などと、マイペースで対応しておきました。

それがいたく癇に障ったのか、電話口の自称探偵さんは怒り狂い。 


「どうでもいいから10万払え!じゃねえと大変なことになるぞ!」 

「俺たち探偵を舐めると大変なことになるぞ!」 

「テメー、腕の2、3本は覚悟しろよ!」 


と激昂しておられました。


腕を3本折れるものなら是非とも折っていただきたいのですが、これはもう明らかに脅迫です。


暴力的過ぎて、別の意味で島田紳助みたいだ。 


「じゃあ、腕を3本用意してお待ちしております」 


だとか 


「初恋の人がわたしを探してるって言えばすぐにでも教えたのに」 


だとか 


「あんなこと言われちゃ、アナタが探偵だなんて信じられないですね」 


「You, Liar!Liar!もう信じられないや!」 


とか、適当にやってたら、相手が怒って電話を切ってしまいました。 


久々に請求詐欺と思われる電話の対応をし、やっぱ不意にかかってくる電話はロクもんじゃないな、とハンドルを握り、車を走らせようとしたのですが、するとまたもや着信音が鳴り響きました。

恐る恐る出てみると院長からで 


「今年の忘年会の連絡です。うちで定年まで働いて下さいね」 


と、背筋も凍りつくようなこと言われました。

やはり不意の電話は、いや、そもそもわたしのところにかかってくる電話はロクなもんじゃない。