二日目・深夜 有翼の理由
「この世界が現実とゲームがリンクした世界だってことは理解しました。……あの、それでユウマさん。ユウマさんは、この世界から元の世界に帰る方法をご存じですか?」
ミコトが首を傾げて聞いてきた。
その言葉に俺は首を振って答える。
「分からない。……でも、この世界から帰る方法の見当はつく」
「本当ですか!?」
ミコトが身体を前に乗り出してくる。
俺は笑って言った。
「この世界に来た原因が、トワイライト・ワールドのゲームを始めたことだろ? だったらこの
「なるほど。確かに、可能性はありますね。でも、クリアってどうすればいいんでしょう?魔王を倒すこととか?」
「それは分からない。でも、どうすればいいのかは、こいつが教えてくれるはずだ」
俺はスマホの画面を叩いた。
「ミコトは事前登録者か?」
「いえ、違います」
ミコトは首を横に振った。
「俺は事前登録者なんだけど、事前登録者はチュートリアルクエストってやつを受けられるらしい。〝クエスト〟だなんて名前がついてるぐらいだ。このゲームには他のクエストもあるはずだし、それをこなしていけばいつかこのゲームもクリアできそうじゃないか?」
「それは……。うん、確かにそうですね」
ミコトは深く頷いた。
「クエストはいつ受けられるんですか?」
「それが……。分からないんだ。チュートリアルクエストも、突然受けられることになったし。必ず次のクエストがあると思って、今は待つしかない」
「そう、ですか」
ミコトは分かりやすく肩を落とした。
クエストがクリアの鍵だなんて言われて、そのクエストが発生するまで待つしかないと言われれば仕方がないのかもしれない。
「ふぅ……」
喋りすぎて喉が渇いてしまった。
俺は、受付カウンターの裏に隠すようにして置いていたバックパックから水を取り出して喉を潤す。
ミコトはバックパックもそうだが、俺が水のペットボトルを持っていることに目を大きくして驚いた。
「ユウマさん、その水のペットボトル、どうやって手に入れたんですか!? そんなの、いくら探しても見つからなかったのに」
「ああ、やっぱり。そうなんだ」
俺はミコトの言葉に納得した。
この街――立川に来るまでの間に、俺は他の食料どころか水を手に入れていない。
自分の運を過信するわけじゃないが、元はスーパーやコンビニだった建物を探索すれば、運良く一個ぐらいは見つかるだろう、と思っていたのだ。
けれど、結果は惨敗。
いくつかの廃墟を探索したが、どの廃墟の中にもめぼしい物は何もなく、それどころか住み着いたゴブリンと遭遇することが多かったために俺は廃墟探索をあっさりとやめた。
どうやら、この世界の廃墟や建物には本当に何もないらしい。
「さっき言った、チュートリアルクエストをクリアした時に報酬で手に入れたんだ」
その報酬で水も食料も手に入らなければ、今頃は飢えを凌ぐのに必死だっただろう。
ふとした疑問が胸に湧く。
事前登録もしていない、ということは彼女にはチュートリアルクエストすらなかったはずだ。
そうなれば、報酬の水も食料も手に入っていないはず。
俺は彼女に聞いてみることにした。
「この世界に来てから、何か水を飲んだり飯を食べたりした?」
「いえ……」
とミコトが少しだけ困ったように、けれどどこか諦めたような顔で言った。
「――実は、この世界に来てあまり食欲とか睡眠欲だとか、そういうのが湧かないんです」
そう口にすると、彼女が体育座りをしたその膝の上に顎を乗せる。
「おそらく、この姿が原因なんだと思います。この姿になってからというものの、食欲とか睡眠欲があんまり湧かなくて」
「この姿って、そういえばいつからその姿なんだ?」
ミコトは俺と同じようにトワイライト・ワールドのゲームを始めたことでこの世界へとやってきた人間だ。俺には翼がないのに、どうして彼女にだけ翼があるのだろうか。
「この世界で目が覚めてからですよ。原因はおそらく、ゲームスタートをタップした後に聞こえたアレだと思います」
「あれ?」
「ほら、聞いてませんか? 種族の選択がどうのこうのって言ってたやつ」
言われて思い出す。
何度もしつこく問いかけてきたアナウンスだ。
あの時は眩暈と吐き気で猛烈に気持ちが悪かったから、正直のところ何を言われたのかはっきりとは覚えていない。
「それが、何か関係があるのか?」
「大アリですよ! あのアナウンスに、うっかり答えちゃったばかりに私は天――」
言いかけて、ハッとした顔でミコトは口を噤んだ。
それから、余計なことを言ったとばかりにばつの悪い顔となる。
「どうした?」
「な、なんでもないです!」
慌てたように、ミコトは声を荒げた。
心なしか、その顔には朱色がさしているような気がする。
「何か言いかけていただろ」
「言いかけてません」
「おい」
「知りません、分かりません」
耳まで真っ赤にして、ミコトはそう言った。
明らかに何かを隠している。
俺は無言でミコトを見つめ続けた。
ミコトは、俺から視線を逸らす。
けれど、それも長くは続かない。
俺の無言のプレッシャーに圧し負けたのか、大きくため息を吐き出すと俺へとちらりとした視線を向けた。
「笑いませんか?」
「笑わないから」
真面目な顔で俺は頷いた。
ミコトはもう一度俺へとちらりと視線を向けると小さく口を開く。
「――使です」
「え?」
小さなその声に、俺は思わず聞き返した。
「~~~~~ッ!」
すると顔を真っ赤にして、ミコトが声にならない声を上げる。
「あー、もう!! 天使です! 種族は天使だと言ったんですよ! あの眩暈の中、もうなんでもいいやって思って天使だって言っちゃったんです!」
「……そうか。天使、か」
それ以上のことを俺は何も言えなかった。
まさか、天使とは。
というか、種族を問われてよくも咄嗟に出たものだ。
ミコトは、恥ずかしい過去を暴露したかのように頭を抱えて悶えると体育座りをした膝の間に顔をうずめた。
「ふふ、馬鹿な女ですよね。十六にもなって、天使になりたいだなんて……」
「い、いや。そうでもないと思うけど」
あまりの落ち込みように、俺はフォローを挟んだ。
「ちなみに、ユウマさんも同じことを聞かれてますよね? なんて言ったんですか? その強さだし、やっぱり鬼ですか?」
なんでだよ。鬼ってなんだ。
ミコトが俺のことをどんな風に見ているのか分かったような気がする。
俺はため息を吐き出すと、ミコトのその言葉には触れることなく答えた。
「俺は人間だ」
「ほらぁー、やっぱり変なのは私だけじゃない!」
膝の間に顔をうずめて、さめざめとミコトが涙を流す。
どうやら、彼女にとって天使になりたいと言ったその過去は、よほど消したい黒歴史のようだった。
「確かに天使になりたい、とは言いましたけど。言いましたけど! ただ背中には翼が生えているだけで、空を飛ぶこともできないし、夜になればこの翼は光ってモンスターを呼び寄せるし……。思っていたのと全然違う」
ミコトが闇の深いため息を吐いた。
「この姿、どうにか変えることはできませんかね?」
俺は難しい顔で首を捻った。
「どうだろう。俺にも分からん」
でも、この世界における〝種族〟というものが、最初のあのアナウンスで決定するのだとしたら、そう簡単にその見た目を変えることはできないはずだ。
「ですよねぇー……」
遠い目をしてミコトは言った。
「でも、その姿のおかげで食欲も睡眠欲もあまりないんだろ?」
人間ではない天使という種族だからこそ、食欲や睡眠欲といった人間の活動に必要な欲求が薄いのだろう。
単純に考えれば水や食料が満足に手に入らないこの世界では、これ以上ない種族に違いない。
「じゃあ、ユウマさんに差し上げます。この翼」
言って、ミコトが自分の翼を鷲掴みにした。
「待て待て! それ引きちぎったらどうなるんだよ! 今は自分の身体の一部なんだろ!? そもそも、引きちぎっても俺には翼を与えることなんてできねぇだろうが!」
「できます。私、天使なので」
ふふふ、とミコトは光の入っていない瞳で笑った。
単純に怖い。
俺は若干ドン引いた。
「いいから、落ち着け! 翼引きちぎったら俺はお前も置いて行くからな。自傷するやつの面倒なんて見てられん!」
「じょ、冗談ですよ?」
へへっとミコトが取り繕うように笑った。
けれど、俺はその行動が本気だったことを知っている。
だって、明らかに目が据わってたもん、コイツ。
モンスターよりよっぽど怖ぇえよ。
俺はミコトのその笑顔に鼻を鳴らすと、手に持っていた水の入ったペットボトルをミコトへと放り投げた。
「うわ、と、と」
慌てて、ミコトは放り投げたペットボトルを受け取る。
それから、不思議そうな顔をして俺を見てきた。
「飲んどけ」
「え、でも」
驚いた顔をすると、ミコトはその手の中にあるペットボトルへと視線を落とした。
「私には必要ないですし、これはユウマさんが大切に飲まれたほうが」
「いいから。飲みたくなくても飲んどけ。その姿になって、食欲も睡眠欲もなくなった、なんて言ってるけど元は人間だろ。本当に必要なくても、水を飲む、飯を食べる、寝る、これの真似事ぐらいはしとけ。……その姿に慣れたら、本当の姿に戻った時に苦労するぞ」
ミコトは俺の言葉にじっと耳を傾けていた。
「――ユウマさんは」
「ん?」
「……やっぱり、なんでもないです」
ミコトはそう言って首を横に振ると嬉しそうに笑って、ペットボトルの蓋を開けた。
ペットボトルへと口を付けて、一口水を飲む。
「美味しい……」
ミコトは小さくつぶやいた。
俺はその言葉を聞きながら、バックパックの中から残りの缶詰と乾パンを取り出すとミコトへと渡した。
「食料まであるんですか!? って、そうじゃなくて! さすがにこれはいただけません!」
ミコトは、驚いた顔で俺が差し出した食料を見た。
それから、ミコトは慌てて両手を出して俺の出した食料を固辞してくる。
俺はその両手を押しやって無理やりミコトに手渡した。
「チュートリアルクエストで手に入れたものだよ。これも、真似でもいいから食べとけ。人間、使わなくなったものはどんどん機能が弱くなっていくんだよ。歯を動かせ、胃に入れて胃を動かせ、腸を働かせろ、糖分を頭に回せ。いいな」
問答無用の俺の言葉に、ミコトは頷くことしかできないようだった。
ついでに、バックパックの中から防寒用ローブを取り出すと俺はミコトに放り投げる。
「それから、これ着とけ」
「あのユウマさん。さすがにここまでしてもらえると申し訳ないというか」
眉根を寄せて、ミコトは言った。
「私、ユウマさんに返せるものなんて何もないですし」
「何勘違いしてんだ。お前の背中、常に発光してるんだろ? 昼間は目立たないかもしれないが、夜はさすがに目立つ。ローブ被ってりゃなんとかなるだろ」
言い放って俺はミコトから離れた位置にバックパックを置くとそれを枕代わりにして横になった。
「寝る。お前も、それ食ったらローブ被って横になってろ。起きたら行動開始するぞ」
「…………はい。おやすみなさいユウマさん」
小さな声が闇に響いた。
ごそごそと衣擦れの音が聞こえて、夜闇をぼんやりと照らしていた光が隠れる。
真に暗闇となった空間で、彼女がもそもそと乾パンを頬張る音が響いた。
「まずい」
小さな文句が耳に届く。
種族が天使になったとはいえ、味覚は人間と同じようだ。
俺はその声に小さく笑うと、瞼を閉じたのだった。