二日目・深夜 少女の涙
俺の言葉に、少女が不思議そうな顔で首を傾げる。
「どうって?」
「素直な感想でいい。聞かせてくれ」
「……絶対に、笑わないでくださいね」
少女の言葉に、頷きを返す。
少女は少しだけ迷うような素振りを見せると、ゆっくりと口を開いた。
「私の元の世界と似ているな、と思いました。でも全然違う。私の居たところはもっとたくさんの人が居て、建物もここみたいに壊れてなかった。信じられないかもしれませんが、私の知っている世界は、この世界の街並みとほとんど同じで、綺麗でした。この世界は、まるでその世界が壊れた後の世界みたい」
想像通りの言葉。
少女が語った世界は、とても聞き覚えのある世界だった。
いや、聞き覚えがあるなんて話ではない。
その世界のことを、おそらく俺は――よく知っている。
心臓がドクンと大きく跳ねて、ぎゅっと視界が狭まり、少女の言葉以外の音が俺の世界から消えた。
急激に乾いた口の中を潤すべく生唾を飲み込み、俺はその問いかけを少女へと投げかける。
「君が、この世界に来たのはいつだ」
口から吐き出した言葉は震えていた。
俺の言葉に、少女が目を大きく見開く。
「君がって、え? どういうことです? その口ぶり、まさかあなたも!?」
少女の瞳孔が揺れた。
俺は、その言葉に応えることなくズボンのポケットへと手を突っ込む。
手に触れる固い感触。
俺はそれを握りしめ、ポケットから出して少女へと見せた。
「――それって」
俺の手にあるスマホを見て、少女はまた目を丸くした。
「……そうだ。俺も同じだ」
スマホの画面を開いて、俺はホーム画面を少女へと見せる。
そこには、俺をこの世界へと運んだゲームアプリが何もないホーム画面にぽつんと表示されていた。
「俺は、このゲームによってこの世界にきたんだ」
俺の生活を一変させ、このクソッたれな世界で目覚めることとなったすべての元凶。
「それって……。まさか、トワイライト・ワールド?」
呆然と、少女が俺のスマホ画面にあるアプリを見て呟いた。
「嘘。本当に?」
信じられない、と少女は俺を見つめた。
「やっぱり、知っているんだな!?」
俺は少女に問い詰める。
少女は、微かに頷く。
「――知ってるよ。だって、そのゲームのせいで私はこの世界に来たんだから」
少女は声を震わせながら言った。
「そのゲームのせいで、私の日常は壊された。お父さんも、お母さんも、友達も誰もいない。たった一人だよ? そのゲームのせいで私は! この壊れた何もない世界で、私はたったひとりぼっちになった!!」
慟哭のように叫び、少女の瞳に涙が溜まっていく。
綺麗なほどに整ったその少女の顔が、くしゃりと歪められた。
これまでに我慢していたものが、その瞬間にプツリと途切れたように、少女の瞳から涙があふれる。
「よかった……」
たった一言、少女はその言葉をつぶやく。
その一言に、いったいどれほどの意味が込められていたのだろう。
目が覚めたら親しい人もいない、頼れる人もいない。それどころか他の人間すら見かけず、見知った街は全て崩壊し、人間を襲う化け物が跋扈している。
悪夢のような世界だ。
何度、夢であってほしいと願ったことだろう。
そんな中で出会った、同郷の人間。
その存在が、どれほどの安心感につながるか。
このクソッたれな世界で、不安で押しつぶされそうだった心がどれほど救われるか。
俺もこの少女と同じだ。
だからこそ、少女の呟いたその言葉の重みが痛いほど分かってしまう。
「大丈夫」
自然と俺の口からそんな言葉が出ていた。
「もう、大丈夫だ」
俺はもう一度同じ言葉を繰り返す。
この滅びた世界で、生きているのは自分だけではないことを、俺は彼女に伝える。
「お願い、私を助けて」
涙を流しながら、少女は言った。
その姿はあまりにも年相応で、その背中に生える翼を除けばどこにでもいる女の子にしか見えなかった。
この世界には人間がいない。
だから今、少女のその願いを聞き届けることができるのは、俺だけしかいない。
「ああ、分かった」
と俺は言った。
この世界にはモンスターが普通に存在していて、死は常に隣り合わせ。気を抜けばすぐに命を落としてしまうそんな過酷な世界だ。
たった一人、小さな少女が一人で生きていくにはあまりにも過酷すぎる。
誰かが守ってやらねば、この少女は簡単にこの世界では命を落としてしまうだろう。
――彼女を守るなんて、俺にそんなことができるだろうか。
いや、出来るかどうかじゃない。やるか、やらないかだ。
今、この少女にとって頼れる大人は俺しかいないのだから。
「任せろ」
と俺は言った。
「ありがとう」
と少女は涙を流しながら小さく笑う。
それは、この世界で初めて見た自分以外の誰かの笑顔。
夜闇の中で、月明りと少女の翼が放つ淡い光に照らされたその笑顔は、単純に綺麗だと思った。
(ああ、本当に。本当に、この世界はクソゲーだ)
その笑顔を見て、俺は強く思う。
あのゲームさえなければ、この少女は普通に学校へと通って、いつものように友達と笑い合っていたはずなのだ。
その日常さえも、簡単にあのゲームは奪ってしまった。
(俺たちは死なない。何としてでも、この世界で生き延びて見せる)
月明りに照らされて、涙を流しながら笑う少女に俺は心の中で誓った。
そのためにも、まずは少女と情報を交換する必要がある。
いつこの世界に来たのか、なぜコボルドに襲われていたのか、他の街の様子は知っているのか、そしてなぜ、同じ世界の人間なはずなのにその背中には翼があるのか。
少女に聞きたいことは山ほどある。
けれど、それもゆっくりでいいだろう。
何せ、幸か不幸か今の俺たちには時間がたっぷりとある。
この世界には帰るべき家も、行くべき学校も何もないのだ。
少女に質問を投げかけるのは、その涙が落ち着いてからでいい。