なぜバブルは生まれ、そしてはじけたのか?
著者が解説~池上彰(9)
~土地神話を背景に銀行の融資と土地の売買が繰り返された~
不況に陥ったときの景気対策にはいろいろな方法がありますが、このとき日本では金利を引き下げるという方法がとられました。当時はまだ公定歩合を操作することで金融政策を行っていました。日本銀行は公定歩合を5回にわたって金利をどんどん引き下げ、プラザ合意のされた1985年に5%だった金利は、2年後の1987年には2.5%という戦後最低の数字になりました。
金利が低くなると、銀行からお金を借りやすくなります。そして企業がお金を借りて新しい工場を建てたり新事業へ投資をすることを促し、景気の回復をはかります。ところが、この時お金を借りて土地を買うことが大流行しました。企業は土地や株式などに投資をし、本業以外で資産を増やそうとしたのです。これは当時「財テク」と呼ばれました。財産を増やすテクニックです。
企業は利益が上がると、それを内部留保というかたちでとっておくのが一般的です。いまは事業がうまくいって儲かっている、でもやがて景気が悪くなったりものが売れなくなって経営が苦しくなるかもしれない、そのときに会社が潰れないようお金を会社の中にためておこうと企業は考えます。皆さんが将来に備えて貯金をするのと同じ発想です。
また当時は「土地神話」というものがありました。国土の狭い日本は土地が限られている。だから経済が上向けば土地の値段は必ず値上がりすると考えられていたのです。内部留保したお金は、銀行に預けているだけではたいして増えません。そこで土地を買っておけば値段はいずれ上がっていくから内部留保のお金が増え、会社は本業以外でも儲けることができると考えたわけです。当時、有名な経済評論家が「財テクをやらない経営者は経営者失格だ」などと言ったりしていました。ただ金をためておくなんて資金運用ができていないじゃないか、お粗末だ、そんな経営者は無能だという悪口まで言われるようになってしまい、何とかお金を増やそうと財テクに必死になってしまう経営者が多かったのです。そのため、安易に土地を大量に買う、ゴルフ場をつくるということが行われていきました。
そして景気対策として金利が引き下げられた時、本業で儲けた内部留保のお金だけでなく、銀行から低金利でお金を借り、その資金で土地を買うという企業が次々に出てきました。銀行からお金を借りて土地を買うとき、その土地は担保になります。お金を借りるときにお金が返せなくなったら差し出すもの、これが担保です。
当時は土地神話があったので、土地を担保にすれば銀行は喜んでお金を貸しました。企業は保有する土地や建物を担保にお金を借り、それで土地を買う。こんどはその土地を担保にまた銀行からお金を借りることができるから、そのお金でまた新しい土地を買う。その土地を担保にまたお金を借り土地を買う…、多くの企業がこのようなことを繰り返していったのです。