狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

本当にあった異様なA型作業所~サイコパス店長と隷属する女達(職員も含む)

 T区にある喫茶店(食事もあり)のA型作業所。

 とにかく私は、あまりの異様さに気色が悪くて辞めてしまったのだが、今回はその暴露話を書いていこう。

 

 店長(♂)はボダなのだが、そのいくつかの作業所を統括している事業所の女理事長まで惚れさせて、何でも自分中心になるように周囲を振り回す技に長けていて、その点はサイコパスに通じる。

 基本、統失系はトロい人が多い。(私も含めて)

 統失が多い中、店長だけは全く違う系統の病気なので、動きはテキパキし、マルチタスクも得意、ズバ抜けて仕事ができるので、それで職員に重宝され、時給も一人だけ高いのかと最初は思ったが、それだけではなかった。

 

 店長は、私に言わせればその言動はキモイの一言に尽きるが、私以外の女の利用者から職員まで、ほとんどを洗脳みたいに惚れさせていた。

 男の利用者も、「Kちゃん(店長は自分より長くいる職員や利用者からちゃんづけでよばれていたが、事実上は絶対者として君臨していた)が辞めたら俺も辞める」と発言するように、とにかく店の全ての人間が洗脳されていた。

 

 店長の機嫌が悪い時はセクハラ、パワハラが横行した。

 その店には、精神の病に関する知識も理解も無い、喫茶業務に当るだけの職員も抱えていたが、その一人Yは、「薬に頼るなんて根性が無い」位の発言を平気でする位の無知。

 Yは50代だったが、当時20代後半の店長は、Yよりも権限が強く、機嫌が悪いと当り散らし、機嫌がいいのか悪いのかわからない謎のハイテンションの時は、Yのお尻を叩くなどしていた。

 Yはそれが嫌ではなく、嬉しがっているかのような嬌声を店の中で上げていた。

 キモイ。傍から見たら、本当キモイ光景でしかない。

 店内の設備点検に来たビルのメンテの人も、これを見てドン引きしていた。

 あと利用者のR。人はいいのだが、発言、発想の仕方が何かとウザい。40代。

 店長は、Rが失敗すると、

 「オラァ~、正座させて、重石でも乗っけんぞ!」と、怒鳴る。

 するとRは、「濡れちゃうかもしれない…」と客がいる店内でつぶやく。

 ちなみにRは(私は他人の事全然言えませんが)デ〇スの類。

 

 あと、一番強烈なのは何と言っても職員(♀)I。実年齢よりも若く見える50代。

 店長と出来ていて、車は買ってやるは、他の事業所の視察と称して、店長と二人でしょっ中、北は東北、北海道から南は沖縄まで、事業所の経費でホテルで同じ部屋に何泊もするなど、やりたい放題。

 私はこのIに目の敵にされていた。

 実は私は某有名私立高校中退なのだが、Iはそれが気に入らないらしく、何かと

 「私はね、貧しくて教養も無い両親の元で育ったのよ、私の苦労があなたにわかる?えっ?!」と、迫った。

 私だって、教育熱心で過干渉な両親で育った別の苦労があるのに。

 それに、父が極端な倹約家だったため、そこら辺の金遣いの荒いDQN家庭よりずっと質素だった。

 そして、嫌味たっぷりに

 「あなたの時給は増える予定がないのよ、実力がねぇww」とか

 「あなたの勤務時間を増やすけど、あくまでも事業所の都合で仕方のない事なの。本当は実力のある人を入れたいんだけど、仕方のない時もあるわねww」とか、

 「自分がこの店にとって、貰っている時給にふさわしい存在なのかどうか、良く考えなさい」

 そして、極めつけは

 「うちは店長を中心として、疑似家族的な集団を形成しているのに、あなたの所からだけ不協和音が聞こえてくるのよね」ときた。

 

 店長には年配の理事長(♀)までもが惚れていて、店長がIと、他の事業所に泊りがけで行く前の日には、

 「Kちゃん…。せめてお声だけでも聞きたくて」と、店に何回も電話をかけて来る。

 

 なぜそんなに年上に人気があるのかというと、たぶん一つには店長の口癖。

 「女性はいくつになっても女性」

 そして、よその作業所から見学者が来る度、説明の時に言うのが

 「うちは恋愛は自由です」

 私は、いつもそれを

 「ケッ!気色悪っ!」と思って聞いていたが、他の女性利用者&職員はそこでクラクラしちゃうようなのだ。

 

 店長は外面が良く、よその作業所から見学が来る時は、ふだんセクハラ、パワハラの嵐だなんておくびにも出さない。

 私は、なぜか、北九州市監禁事件の松永太の人物像と重なって、気色悪くてたまらなくなるのだった。

 

 とにかくあそこは辞めて正解だった。

 次に行ったA型はとても良い所だったし。

 

さるのこしかけ

 B型作業所に通っていた頃、区役所の分室の清掃をしていた。

 その清掃に向かう途中に空き地があり、切り株から円盤状の大きなキノコが生えていた。

 一緒に向かっていた人が言った。

 「あれは『さるのこしかけ』といってね、漢方薬局に売ると、何万円もの値段で売れるんだよ。私の知り合いが、生活に困っていた時、偶然見つけて漢方屋に持って行ったら、当分生活できたって。その知り合いが持って行ったのがこの位(手で円を描く)だと言っていたから、あれだけ大きければかなりの値で売れるはずだよ。」

 その空き地は柵で囲われていたので、たぶん誰かの敷地で、勝手に採っていったら泥棒になるだろうと思われた。

 何日か後も、清掃で通りがかる度に、気になって眺めていた。

 ある日、通りがかると、その切り株から、例の『さるのこしかけ』が折り取られ、無造作に地面に転がっていた。

 誰がやったのかは知らないが、このまま放置しておけばやがて腐ってしまう。

 私は職員に、帰り道に、あれを持って帰ってもいいかと訪ねた。

 職員は、自分はあまり賛成しないけれど、黒田さんの責任で家に持ち帰るんなら、としぶしぶ言った。

 そこで、清掃の帰り、その『さるのこしかけ』を作業所まで運んだ。

 作業所が閉まるまでまだ時間があり、やりたい人には内職のような仕事もあった。

 私は、作業所の閉まる時間まで内職をしたかったので、風通しの良い窓際に『さるのこしかけ』を置いて、なるべく乾燥させようと思った。

 すると、別の職員が来て、

 「胞子が飛んで、窓枠にキノコが生えたら困る」

と言って、すっぽりレジ袋で包んでしまった。

 家に持ち帰った後、最寄りの沿線に漢方屋がないか検索した。

 一軒だけあったので、後日そこへ持って行った。

 店主は渋い顔で

 「そもそもうちで仕入れているのは、仕入先が決まっていて、そこではとても清潔な環境で栽培している。そんな、どこに生えていたか得体のしれない物なんか買い取れない」

 と、言った。

 がっかりして出て行く私の背に、

 「他の所に持って行ったってダメですよ。売ったら薬事法違反になりますよ」

と、すかさず言った。

 また家に持ち帰って、さてどうしよう、と考えたが、どのくらい乾燥させれば使い物になるのかもわからないし、薬事法違反で捕まるのも嫌だったので、しばらくして捨ててしまった。

 まぁ、正直惜しいとは思った。

 自分でネットで売ったら、どの位の値で売れるのかと、しばらく考えていた。

 

リアルでの私はリアクションに乏しい人間であるらしい…

 こんな事言うと性格悪いと思われそうなので、誰にも話した事はないが、子供時代、学校の休み時間が地獄だった。

 うるさい、とにかく耐えがたくうるさい。

 給食の時間とかも同じようなものなので、給食の時間もどちらかというと嫌いだった。

 で、相対的に一番ましなのが授業中、という事になる。

 本当は、そんなに勉強好きでもないのに、休み時間の輪の中に入る事が想像出来ず、休み時間はずっと自習していたら、級友からは疎ましがられ、親や教師からは勝手に期待されたのだった…。

 

 大人になっても休憩時間の雑談が、一概には言えないが、苦手な事が多かった。

 今まで、いくつもの職を転々としていたが、組織の中にいると、雑談中は針のむしろのようだった。

 たまに、自分でも入れる話題だったりする事もあるが、次々に変わるテーマについていけない事もあれば、自分にとってはあまり触れられたくない話題を嬉々として話したがる人もいる。

 

 リアルでの私は、人からどう思われているかというと、たぶん、無表情、無反応で、何を考えているのかよくわからないやつ、なんだろうと思う。

 実際、よくそう言われていた。

 現在もそう思われているのだろうが、大人になると、面と向かってそう指摘される事が、子供の頃より少なくなるようだ。

 昔から、実の母親を含めて、女性からは怪訝な顔をされる事が多かった。

 女性の方が男性より、感情表現が大きく、共感を示して欲しがる傾向があるせいだろう、と思っていた。

 それに対して、自分は身体は女だけれど、脳は男寄りだから、女性とのコミュニケーションではそうなるのも仕方ないのかもしれない、と考えていた。

まぁ一概には言えないが、男性相手の方が多少気楽だった。

それが、最近では、男性からも怪訝な顔をされる事が多くなってきた。

こっちの反応を確かめるような言い方をされる事も多くなった。

ここへきて、ボチボチこれはヤバイのかと感じ始めている。

もはや、脳が男寄りとか言い訳が成り立つレベルではなく、自分は人間としてコミュニケーションが成立しない状態なのかもしれない、と。

 

このままではまずいのかも、と思い始めている今日この頃。

露出狂の思い出

 緑まぶしく、セミがジンジン鳴いているレンガ造りの坂道。

 小学生の私は、塾の夏期講習へ向かう途中だった。

 ふと、横を見ると、道路脇に路駐している黒い車のドアが開け放たれ、運転席にいた男は、歩道側に足を投げ出していた。

 男はズボンとパンツを膝まで降ろし、自らのモノを手に持ってブラブラさせていた。

 「ふ~ん。」と、私は思った。

 男は別に怖い感じはしなかったし、いわゆる痴漢というものは、触ってきたり襲ってきたりするものと聞いていたので、この男が痴漢であるという認識は無かった。

 だから、何の反応もせずに通り過ぎたのであるが、しばらく歩いていると、チャリンコに乗ったお巡りさんが四、五人も、血相を変えて、私が来た方向へと走り去って行った。

 これは、そんなに大変な事件なのか、とその時、初めて思った。

 成人してから、西武線の中で、再び露出狂に出会った。

 もちろん、別人であるが。

 ビミョーな時間帯だったのか、鈍行だったからか、極端に空いていた。

 そわそわした様子の男が隣に座ってきて、雑誌を広げた。と、思う間もなく、雑誌で、私以外の人には隠しながら、男はチャックからモノを取り出して、もう片方の手でしごき始めた。

 すると、電車のドアが開き、斜め向かいに座っていた男性が降りて行った。

 車両には、私と露出狂の二人っきりになった。

 さすがにビビッたが、怖そうな素振りを悟られると、図に乗って来るかもしれない、と思った。

 そこで私はすかさず、

 「アハハハハハッ!」と、大声で笑いだした。

 露出狂はひるむ様子もなく、

 「可笑しいですか?」と、嬉し恥ずかし、といった調子で話しかけた。

 その、あまりに人の良さそうな声が意外だったが、それでも油断はできないので、私はさらに笑い続けた。

 「そんなに可笑しいですか?」

 露出狂は、困ったように照れたように、もじもじしながら言った。

 その時、ドアが開いた。

 ホームには急行を待っているらしき若者がいたが、ちょうど彼の真向いに私達が対峙する位置で電車は止まった。

 私は笑い続けたが、若者は、自分に向かって笑っている、と思ったらしく、ムカッとした様子で、電車に乗り込もうか乗るまいか逡巡している様子だった。

 私は、若者が怒って乗り込んで来たら、

 「ごめんなさい。あなたでなく、この人が可笑しくて。」

と、露出狂の存在を知らせようと思って、さらに笑った。

 若者はもはや怒りの頂点といった表情をしたが、電車には乗らなかった。

 やがて、私の降りる駅になり、私はなんでもないような素振りで降りた。

 露出狂は、追っては来なかった。

 あの若者には悪い事をした、と思った。

 三十代になって、今度は友人として、露出の趣味のある男性と知り合った。

 彼と話して、びっくりしたのは、世間では、露出するような輩はレイプ犯の前段階のごとく見られているが、露出狂は、基本マゾヒストなので、まず自分から攻撃的になって襲ってくる事はない、という事だった。

 「だって、見られたいなんてマゾに決まってんじゃん。」

 彼にとっては自明な事だが、私にとっては新鮮な発見だった。

 そう言われると、あの電車の露出狂の、妙に人の良さそうな様子も納得できた。

 露出狂にとって、一番嬉しい反応は、

  • 馬鹿にして大笑いされる
  • 軽蔑したようにツンと無視される
  • 激怒して罵られる

の、いづれかであるらしい。

 「へぇ~、てっきり『キャーッ!』とか怖がらせたいのかと思ったよ。」

 「『キャーッ!』は興醒めしちゃうなぁ。見下されれば見下されるほど興奮する。」

と、いう事だった。

 なかなか奥の深い世界である。

遁走と没入

 いわゆる解離性遁走のように、その間の記憶が無くなるわけではないのだが、幼少時、突然、家や幼稚園から抜け出し、行方不明になる事がよくあった。

 それは突然、啓示のようなものがやって来るのだった。

どこかにすごく楽しい、わくわくするような事が待っている、それは、今、すぐ近くまで来ている、という感じがしてきて、居ても立ってもいられなくなり、その「どこか」に行きたくて、当てずっぽうに遠くへ行ってしまうのだ。

そして、とにかくやみくもに歩いて行っても、そんな場所へはたどり着けないし、期待していたような楽しい出来事とは巡り合わない、という失望感と、肉体的な徒労とで、シュンとしながら帰って来ていた。

時には、帰り道がわからなくなって、警察のご厄介になる事もしばしばだった。

母は、私のこの癖を持て余していたが、幼稚園でも度々遁走するので、ついに、精神科へ連れて行け、と言われたそうだ。

病院では、「電気ショックを与えましょう。」という方針が出て、母は、「そんな事をやったら、ますますキ〇ガイになってしまう。」と思い、連れて行かなくなった。

この癖は、やっと立って歩ける位の幼少時から始まって、二十代位まで続くのだが、年長になるにしたがって、わけのわからない衝動、というよりは、気ままなぶらり散歩や一人旅、といったものに近くなっていく。

そして、現在は、全く、当時のような衝動がやって来る事はなくなったので、年齢は大きなカギなのかもしれない。

思春期ではなく、幼少期に始まっているが、エロティックな衝動のような気が、なんとなく自分でもしていた。

発情期になると、家で飼っていた猫が(まだ去勢や避妊手術をしていない猫の場合だが)、外に出たがってしょうがないのを、自分が遁走する時と似たような心境なんじゃないかと思って同情したりした。

発情期の猫には、はっきりと、出会いを求めて、という目的意識があるのだろうが、私の場合は、出会いたいのは人間なのかどうかすら、わからないのであった。

何をどうしたいのか不明だが、とにかく衝動だけが押し寄せてくる感じだった。

似た感じが、おもちゃのブロックで建物を作っている時にあった。

子供時代の私は、光るものや透明なものに弱かったが、当時、家には透明なブロックがあった。

その透明なブロックだけを作って、建物を作っている時、妙な陶酔感があった。

残念な事に、屋根や土台の部品には、透明の色のが無かったので、全部透明というわけにはいかなかったが。

それを窓際に置いて、ブロックの建物の中に光が差し込み、動かすと光が揺れる様子を、いつまでもうっとりしながら眺めていた。

自分が小さくなって、その建物の中にいる事を夢想しながら。

物理的には、自分が移動して遠くへ行く事と、小さくなって何らかの対象物の中へ入り込む事は、全然違いそうだが、私の個人的な感じ方としては、これらは非常に近かった。

いや、同じと言っても良かった。

どこか遠くへ行きたい願望は、具体的な他人と出会いたいというよりは、とても魅惑的な、うっとりするような世界があって、その中に入り込みたい、という感覚だった。

その世界に入り込んで、そこと一体化する事が、なにか神聖な事のようでもあると同時に、非常にエロティックな事だった。

あの感じは何だったのだろう。

使い古された言い方だが、胎内回帰願望なのだろうか。

癇の虫っていうのは、実際に虫がいるんだと言っていた知人の話

これも、どう考えても幻覚っぽいのだが(知人のほうの)、ある時、こんな会話をした。

知人「私が小さい頃、癇の虫がいてね…」

私 「私もそう言われてたよ」

知人「じゃぁ、黒田さんも癇の虫退治ってやった?」

私 「え?癇の虫って、すぐ泣いたり癇癪起こしたりすると癇の虫がいるっていう…」

知人「だから、その癇の虫を出すんだよ」

私 「それは実際に虫がいるわけじゃないでしょ」

知人「いや、いるんだよ。だから、祈祷師さんみたいな助産婦さんみたいな女の人を呼んで出したんだよ。」

私 「どうやって出すの?」

知人の話では、その女の人がまじないを唱えながら、家族も復唱し、洗面器にお湯(そんなに熱くない)を張って、その中に知人の手をつける。

すると、爪の間から、白い糸のようなものがするすると出てきたという。

地方や宗教によっては、こういう儀式をする家があっても不思議ではないが、実際に虫が出てきたというのは、ずっと信じられなかった。