狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

トリコチロマニア

 という名前がついている事を知ったのは、大人になってから、もうかなり髪の毛を抜く癖は治まっていた頃だった。

 子供の頃、なぜか髪の毛を抜くのを止められなかった。

 抜いた後の、禿になった部分は、うっすらと熱を持ち、私はいつまでもその部分を指でなぞっていた。

 抜いた髪の毛も、またなんとも興味を引くものであった。

伸びては抜き、伸びては抜きを繰り返していると、抜いた髪は変質していて、先が針のように尖って固く無色になり、根元の方には、透明のブヨブヨしたゼリー状の物がついていた。

そのゼリー状の部分を何度も触った後で、ごみ箱に捨てていた。

重症な人は、抜いた髪の毛を食べてしまうそうだが、私はそこまでは行かなかった。

私の禿を見つけて、母が皮膚科へ連れて行った。

先生は、「神経性脱毛症です。」と、言った。

塗り薬をもらって帰った。

ある日、母に、抜いている所を見つかってしまった。

母は私を皮膚科に連れて行き、自分で抜いていたようだ、と説明した。

私はバツが悪かった。

なんでそんな事をするのか、自分でも説明できなかったからだ。

先生は、私の薬指に、赤ペンで輪っかを書き、

「もうしないって約束しようね。これは約束の指輪だよ。」

と、言った。

 その先生には、トリコチロマニアという病識は無いようだった。

 しばらく、少なくともその指輪が消えないうちは止めていたが、しばらくするとまた始めてしまっていた。

 他に、踵とか、掌の皮をむく癖もあった。

 掌は、鉄棒とかで豆ができたところから始まるが、掌全体は皮が薄い所が多く、そんなには拡がらなかった。

 踵は、踵全体が赤むけになるまでやっていた。

 痛いのは慣れっこになっていたが、プールの時、人に見つかるのがヒヤヒヤした。

 あとは、深爪をするのが好きだった。

 平行に短く切るタイプの人もいるが、私の場合は、真ん中の所は丸くして、サイドを爪の根元まで切り詰めるのが好きだった。

高校生の頃は、ほとんど爪が三角になる位、両サイドを切り詰めていた。

 自分の爪の切る所が無くなると、それでも切りたくてたまらない衝動を抑えられず、寝ている妹の足の爪を切ろうとした事がある。

 妹は、何やらただならぬ気配に気づいて起きると、妖怪にでも遭ったように、硬直して寝た姿勢のまま、ワーンと泣き声をあげた。

 母に見つかって止められた。

 後に、妹は、「あれほど怖かった事はない。」と語った。

 今となっては、伸びてきても切るのが面倒臭い位、爪を切る事への執着は無くなった。

 あの異様な情熱は、一体どこから来ていたのであろうか。

宣伝です~「狂気」黒田幻

ある日突然、見知らぬ女から罵倒される…

その日から始まる奇妙な出来事の数々

 

という訳で、私が病気になって、実際に体験した幻覚・幻聴の数々を本人目線で時系列に沿って追って行きます。

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知り合いからは「結構怖かった」との声が寄せられています。

この本を読めば、妄想を持つ人々が、何故「自分は追跡されている」「メールも読まれている」「皆から嫌がらせを受ける」と言うのかが、大体わかっていただけると思います。

また、私個人の性別への違和感、性役割への恐怖感なども書かれていて、一部の人には共感できるかもしれません。

まぁ、全く共感できない人の方が多数派だと思いますが、そういう人にも、結婚したくない人の心理がわかりやすく書かれていると思います。

単なる興味本位で、不思議体験(といっても不快な体験ばかりですが)を覗いてみたい方にもおすすめです。

 

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昭和の痴漢電車~後編

 ある日、私が風邪で寝込んでいると、母が退屈だろうから、と珍しく漫画雑誌を買ってきた。

 母は中身を見ないで、子供向けの雑誌だと思って買ってきたようだが、その中に、やはり母が見たら怒りそうな漫画があった。

 妹が、私が読み終わったな、という頃にやって来て、「貸して。」と言った。

 私はダメだと言い張った。

 妹は、母がそういう事で怒り出す事に無頓着だから、読み終わったら、母の目につきそうなそこら辺に放り出すに決まっている、と思ったからだ。

 「貸して。」「ダメ。」「貸して。」「ダメ。」

と、言い合っていると、

 「意地悪しないで貸してあげなさい!」

と、母が怒った。

 私は、嫌な予感がしながらも妹に雑誌を渡した。

 夜、私が少し症状が良くなって起き出すと、やはり恐れていた通りの場面が展開された。

 居間で、母がその雑誌を広げて読んでいた。

 私は、足音を忍ばせて、冷蔵庫から、飲み物を探るふりをした。

 途端、

 「まあっ!何っ!この漫画!」

 母の声が鋭く突き刺さって来た。

 私は、手足がガクガク震え、まともに立っていられるのがやっとだった。

 舌が、「針千本飲~ます」と指きり文句にあるごとく、本当に針が千本突き刺さったかのようにビリビリと痺れた。

 口の中がカラカラに乾いて声が出ない。

 でも、こんなにも自分が動揺している事が、母に知れたら終わりだ、と、思った。

 何が終わりなのかよくわからないが、とにかく「一貫の終わり」なのだった。

 私は努めて平静を装って、

 「そんなに頭に来るんなら、編集部に電話してみれば。ほら、裏表紙に電話番号が書いてあるでしょ。」

と、言った。本当は声を出すのがやっとなのに、なんとか震えないように声を出した。

 母は、後日電話する様子もなく、その一件は過ぎ去った。

 ある日、私と母と妹二人とで、井の頭線に乗っていた。

 すると、妹達と母が座っていた席の真向いに、変な男と女が座った。

 男の方は、なんかいかにも胡散臭い、いかがわしさが漂ってくるような雰囲気で、女の方は、昭和の時代のエロ本にありがちな、美人ではないが、どことなく退廃的な感じで、でも派手な服装ではなく、すっぴんに白のブラウスと膝丈の紺のスカートという格好だった。

 二人は、並んで座ると、普通のカップルがするいちゃいちゃとは、また違った行為を始めた。

 男が女の胸のボタンをはだけ、人前で、その黒い乳首があらわになるように胸を揉んだり、おもむろにスカートの中を覗きこんだりし始めた。

 「痴漢だ。」とは思ったが、小学生だった私には、女がなぜ抵抗しないのかがわからなかった。

 それより何より、母に見られたら一大事、と、私は母の前に立って、視界を遮った。

 母は、今思うと、気づかないふりをしているだけだったと思うが、普通にしているので、私は「大丈夫、まだ気づいていない。」と、思った。

 妹の隣の席が空いた。

 母が、「座りなさいよ。」と、私に促した。

 「いい、立ってる。」と、私は言った。

 内心、冷や汗ものだった。

 全然関係ないカップルのために、なぜ私がこんなにハラハラドキドキしなければならないのか、全く不明だったが、とにかく私には、母が動揺する、とか怒り出す事態が怖かった。

 一駅か二駅の間だったと思うが、時間がたつのが超長かった。

 高井戸駅で、男は先に降りると、女に向かって「おいで。」と、言った。

 女は素直について行った。

 母は、最期まで何事もなかったかのようにしていた。

 私にとっては、人生で初の「痴漢プレイ」目撃体験であった。

昭和の痴漢電車~前編

 母は、私達が未だ物心つかない頃から、私と妹達に、

 「お父さんとセックスするのが嫌だ。お父さんのセックスは性欲だけで愛情が感じられない。」

 「お父さんの事、尊敬したいのに、どうしても尊敬できないのよ。」

と、漏らしていた。

 後に、ある人にこの話をしたら、

 「よっぽど周りに、相談できる人がいなかったんだね。」

と、言われた。

 母の祖父母は、DV家庭であった。

 祖父が祖母を追い回し、髪の毛をつかんで畳を引きずる様も、子供の頃、何度聞かされたかわからなかった。

 母は、父と結婚する以前から男性恐怖症であり、父に、母の父親(私の祖父)の姿を重ねて見ていたとも言える。

 母と父は見合いで結婚したが、母は、

 「とにかく実家から逃げ出したかったから結婚した。」

と、言っていた。

 母は、いわゆる宗教右派の新興宗教に入っていた。

 男性恐怖症だったが、その裏返しで理想の父親像を求めていた。

その宗教の教祖や昭和天皇への崇拝は、理想の父親像への憧憬なのであった。

私の方はと言えば、一方で、夫というものがいかに横暴で理不尽であるかを聞かされながら、もう一方で、その宗教右派の理想とする家父長制の下での良妻賢母になれと教育された。

私は、ハナから嫌なこった、と思っていた。

私は、将来は女にはならない、と思った。

女ではないものは男、だから自分は男になる、と思っていた。

でも、身体は女なんだから、女になるしかないのかもしれない、ともどこかで思っていた。

私には、母が教える神とは、真逆の方向に導いてくれる私だけの神がいた。

真夜中、私は、よくその神に祈った。

もしも、女にしかなれないんだったら、どうか、母が私をそうしたがっている従順でおしとやかな女(≒DVの犠牲者のイメージ)ではなく、それとは真逆のフラッパーでヴァンプな女になれるようにして下さい、と。

実際には、DVに遭いやすいのは、むしろヤバそうな男に好んで近づきたがる女だろうから、その頃の私が羨んでいたような、フラッパーでヴァンプな女に近いタイプの方が、そういう目に遭う確率は高いのかもしれない。

が、子供の頃の私の中では、ケバイ女は魔除けのように、DVとか嫌な目には合わなそう、というイメージが先行していたのであった。

母は性的なものをヒステリックに嫌悪していた。

その当時、そういう教育ママスタイルが流行っていたのかもしれないが、父が濡れ場や女の裸が出て来るTV番組を見ていると、

「あなたっ!そういうのは子供の教育上良くないのよっ!」

と、怒り、教育上良くないものをすべからく家庭から排除する事に熱心だった。

 私はなぜか、母が性的な事で怒り出す時だけに限って、非常に怖かった。

 後に、母にその事を話すと、

 「当時は、体罰をしていたから、私が怖かったんでしょう。悪かった。ごめんなさいね。」

と、言うのだが、実際の所、私は、自分がいたずらをしたり、言う事を聞かなかったりして怒られる分には、いくら叩かれようが、ちっとも母の事を恐れていなかったのである。

 怒られても怒られてもまた同じ事をしでかすような、全くナメた子供だった。

 それなのに、母が性的な事で怒り出すという事態だけは異常に怖かった。

 なぜかは未だにわからないのだが、たぶん、自分のいたずらで母が怒る分には、因果関係がはっきりしていて、私にとって理解しやすかったのだと思う。

 逆に、自分に何の責任も無い、エロい物事で母が怒りだす場合、その事の何がそんなに母を怒らせるのか理解できないし、また、その事態はいつやってくるのか予測もつかず、私の力では制御不能の領域だったからではないだろうか。

私は、子供の頃、自分でTVのチャンネルを回す、という行為ができなかった。

 回した先に、母が怒るようなラブシーンや、女の裸が出てきたらどうしよう、と思って手が出せなかったのだ。

 時折り、誰も見ていないのに、TVがつけっ放しになっていて、私が一人で居間にいる時に、たまたま濡れ場が始まってしまう、という事もよくあった。

 そんな時は、母が居間に入ってきたらどうしよう、自分でチャンネルを変えたら、いよいよ自分が見ていたように思われてしまう、とパニックになり、やっぱりチャンネルを触れなかった。

 そこで私は、押し入れに隠れるようになった。

 それは、

「私はずっと押し入れで寝ていたから、関係ない。他の誰かがTVをつけっ放しにしていただけ。」

と、いう意思表示であった。

ライブ行って来ました。

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ALICE IN CHAINS のカバーバンド、LICE IN CHAINS のライブに行って来た。

 

実はこのところ調子が悪くかったけれど、とりあえず行って良かった。

私の調子が悪いというのは、表情や反応がうまく返せない感じの状態の事で(要するにコミュ障)、調子がいい時と悪い時の波があるのだ。

調子の悪い時のライブは、楽しみにしているのに、出かけるのに「えいっ!」と思いきりをつけなければならないような、矛盾した状態である。

 

セットリストは、90年代の頃の曲から一番新しいアルバムの曲まで演ってくれた。

ALICE IN CHAINSの曲は、どのパートの音量のバランスがちょっとでも崩れると、すごくヴォーカルやコーラスの音程が取りづらい。

出だし、ちょっとやりづらそうな感じだったが、すぐに持ち直したのはさすが!

ヴォーカルは、妖しく退廃的な感じで、亡きレインを彷彿とさせる。

ウィリアムになってからの曲を演っても、レインだったらこう歌うかな、という。

途中、ギターのストラップが切れる、というアクシデントに見舞われたが、ギタリストは演奏を中断することなく、モニターに乗せた足でギターを支え完奏。

次の曲からはストラップを短めに付け替えて(たぶんホールが複数あるタイプ)、エフェクターも使えるようにしていた。

 

この日は、吉祥寺クレッシェンドのカバーバンドのイベントの日で、他に、RAGE、FLATBACKERとEZO、SLAYER、OZZY OZBOURNE、SLIP KNOTのカバーが出演。

 

数曲知っているバンドなら、大抵その数曲を演ってくれるので、結構楽しめるイベントである。

休日のお散歩

他の方のブログで見つけた「ビンギリ」というラーメン屋に行ってみる。

11時40分頃ついたのだが、店の外に7人位並んでいる。

見ると、12時~14時30分と書かれている。

え~っ?この店、夜は営業しないの?

夜しか営業しないラーメン屋も世にはあるが、ランチタイムしか開けない店は初めてである。

12時になり、店が開いた。

私はギリギリワンクール目には入れなかったが、順番を待つ間、待ち用の椅子に座れたのはラッキーだった。

一番人気という勝浦ラーメンに煮玉子をトッピング。

辛いラーメンとは聞いていたが、待っている間、食している人々を観察するに、これは相当辛いラーメンだと言う事が察せられた。

普通のラーメン屋のように談笑しながら、という雰囲気ではない。

皆、黙々と食べているが、店内の空気は、まさに我慢大会のようである。

最初着いた時、並んでんな~、近所の人達がランチタイムにやって来るのかな、と思っていたが、これはどうやら、近所に住んだり勤めているからと、気軽にランチに来るような所ではないらしい。

たぶん、はるばる遠方から、我こそはという辛い物好きの強者や、怖い物見たさと同じ心理で来る人達なのだろう。

席が空き、勝浦ラーメンが運ばれてきた。

「いただきま~す」

おっと、いけない、写真を忘れていた。

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一口、食べてしまってからの写真。

玉ねぎ、唐辛子、ニラ、山椒の辛みがくる。

食べる時に顔を下に向けると、立ち上る湯気で、既に顔や目がヒリヒリするレベル。

私は、知り合いの中では辛い物好きな方で、タイにも行った事があるが、一生のうちでこれほど辛い物は食べた事が無い。

あり得ない辛さ。

滅多にスープは残さないのだが、さすがにこれは無理だった。

 

ラーメン屋を後にし、方南町へと向かう。

方南町から代田橋方面へ歩く。

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見えました、「マインド和亜」

一階がデイリーヤマザキになっている。

エントランス

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シュールな中庭

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各家の扉もこんな感じ

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中庭の床にはこんなオブジェがあったりする。

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裏口の方の階段の手すり

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裏口の床にもシュールな模様

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これがゴミ置き場

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数メートル歩いた先に、「ラポルタ和泉」

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正面玄関には、馬のようにも見える女体のオブジェ

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エントランス

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エントランスの階段。タコの足になっている。

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向かいにあった着物屋さんもいい味出している。

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ここで今日の散歩は終わり。

 

思い出したのだが、昔、東伏見の北側の富士街道沿いにも、とても面白い建物があった。

写真が無いのが非常に残念だが、外廊下、階段の手すりなどが、一つとして垂直になっておらず、全てがぐにゃんぐにゃんしていた。

外廊下と内部の通路が迷路のように入り組んでつながっていて、窓も潜水艦のような窓だったり、見ていて飽きなかった。

大成プレハブの寮であるらしかったが、数年前通ったら、無くなっていた。

とても残念。

 

明日の予定

休日。

基本あまり出かけない事が多いのだが、気が変わって、他の方がブログで書いていた「ビンギリ」という激辛ラーメン屋と、和泉にある「梵寿綱」という建築家の作った変わったマンション二件を訪ねてみようと思う。

天気も良さそうだし。

「梵寿綱」の「マインド和亜」と「ドラード早稲田」は、昔ポスティングのバイトの時に通りかかり、早稲田の方は、何回か同じ場所に行く機会があったのだが、和泉の方は、どこにあったか忘れてしまった。

先日、偶然Facebookに知り合いがUPしていたので、場所が特定できた。

ここのブログを書き始めたものの、あまり写真のUPが無いので、明日あたりUPしたらちょうど良いかもしれない。

 

そういえば、ポスティングをしていると、日々、変な建物や面白い看板などに出くわす。

昔のケータイで撮ったけれど、捨ててしまったのが惜しまれる写真がいくつかある。

写真が無くて文章だけだと面白みが半減(いや10%位か)してしまうが。

・線路沿いに玄関のある家…線路沿いの道に玄関があるのではない。線路に立ち入らないと入れない家。

・お墓の卒塔婆で塀を作っている家…これがボロボロの日本家屋だったら雰囲気ぴったりなのだが、家自体は最近建てたような小奇麗な家。ちょっとこじゃれた木のフェンスみたいな感じで、卒塔婆が組立てられていた。

・アパートの外廊下に洗濯機があり、その上に釘を打ち付けた板が。マジックで

「猫、あぶない。乗るな!」と書いてある。

などなど。

あとは、看板で、「コーヒーエネマ」なんていうのもあった。