決して負け惜しみではないのだが
実はここ6年間で体重が20kg増。
自分で鏡を見るのが嫌になったばかりか、医者から「痩せろ!」と怒られるはめに。
で、痩せていた時は、「太っている人って大変だなぁ」と思っていた。
例えば、まだ馴染みのない新しいバイトで休憩時間、私には愛想よく話しかけてくれる人が、私は話しやすくて好感を持っていた別のバイトのかなり太目の人には絶対話さないとか、結構そういう事が色々あった。
恋人にするんだったら、キスとかセックスとかいうハードルがあるから、どうしても見た目なんて関係ないと言い切れないのはわかる。
でも私自身は、普通の友達とか、仕事場でちょっと話すとかに、見た目は関係ないので、そういう差別って信じられなかった。
しかし、世の中はそうではないのだなぁ、とつくづく感じていたのだった。
がしかし、実際に太ってしまって、意外にも、痩せていた時より快適だったりする事もあって、これには自分でも驚いている。
①まず、変にナメてかかってきたような話しかけ方をされない。
私は背が低く、普段の態度や話し方はおとなしめな方(?)だからなのか、痩せていた頃は、女性からも男性からも、なにかと不快な事を言われることが多かった。
自分には性別に対する違和感があって、考え方も物事の好みも中性的だと思っているのに、小柄というだけで、ぶりっこしているとか、甘えれば何とかなると思っている人間とか、自分を可愛いと思っていて計算している人間みたいに扱われる事が多く、それはとても不快な体験であった。
そして言うまでもなく、「性別に違和感がある」と言っても、ほとんどの人は信じないばかりか、馬鹿にするのであった。
②恋愛がらみで面倒事に巻き込まれなくなり、平穏に過ごせる。
一日に何十通ものメールを送りつけてくる人に好かれたりとか、付き合った人の友達から脅迫の手紙が来るとか、彼氏がちょっとちょっかいを出した女友達の彼氏から復讐みたいなレイプをされるとか、とにかくそんな不快な出来事とは無縁の、退屈だけれど平穏な生活が送れる。
①に関しては、もし私がモデルになれるような長身の美形だったら、そんな目に遭わないかも、と考えると悔しいが、そうだとしても損な役割なのが、
小柄>デブ>モデル体型
の順なのは意外であった。てっきりデブが一番損だと思っていたので。
(ちなみに、モデル体型だったら本当に被害に遭わないとは言い切れません。なった事がないのであくまでも想像です)
あ、計算高く考えていると思われる誤解は、モデル体型だったらもっとされるか。
②に関しては、モデルのような美形でも、そういう被害に遭う人は遭いそうなので関係ないと思うけど。。
デブになってしまうと、そもそも恋愛自体から遠ざかってしまうので、恋愛がらみのトラブルには巻き込まれにくい。
いや、これは私の場合はであって、世の中にはデブ専という、自分もデブで相手もデブが好きという方々もいるので、デブ専かつメンヘラ臭のする人達は、日々このような修羅場に遭遇しているのかもしれない。
私は自分がデブになってから恋愛から引退しているので。
(デブの人から告白されても、ごめんなさい友達でいましょうだけど、仮にすごい美形で性格も合うけどデブが好みという人がいて、告白されたとしても、私は今の自分の裸はその人に見せたくないので、セックスは無しでお付き合いしたいです)
↑その位気にしてるんだったら痩せろよ!と、言われそうですが。
それでも本気で痩せようとまで、今まで追い込まれなかったのは、やはり、実は小柄よりデブでいた方が快適だという事実に気づいてしまったからでしょうね。
でも、今は肝臓が悪くなっている事もあり(ちなみに私は酒呑みではないので、食い過ぎが原因というw)、痩せなければ医者に怒られる事態になって来ているので、今後は少しづつでも痩せていこうと思います。
全く入らなくなったのは売ったりあげたり処分したけど、ワンサイズ位下の洋服は取って置いてあるから、またそれが着られるという楽しみもあるしね。
ヘテロセクシャルとバイセクシャルとモノセクシャル
私は、多少の性別違和があるとはいえ、全く男と言うわけではないので、LGBTでいうところのTに入るかといったらそうでもないし、あえていえばLGBTQ(QはクエスチョンのQ)といった場合のQに入ると思う。
ただ、他人から見るとB(バイセクシャル)に入ると思われるらしく、自分では何かこれに違和感があった。
女性と付き合った事もあるが、その事がそんなに重大になるわけでもなく、私にとって人生でしんどいと思う事は、もっぱら自分が女性である事に対する違和感の方なので、自分ではTの方に入れられる方がしっくりくるのだ。
それ以外に、Bがどうしてもしっくりこない理由があった。
Bの人は、リバだという人が多い。(違う人もいると思うが)
リバというのは、男性(役)に対して女性役、女性(役)に対して男性役になる事が多い、という意味だ。
あるバイセクシャルの人と話していて、話をしていた時はピンと来なかったが、後からなるほど!と思った事がある。
それは、彼はヘテロの人達の中にいても、ゲイの人達の中にいても、自分は彼らとは違う、といった感覚がある、という話で
「ゲイとかレズビアンっていうのは、モノセクシャルだから」と言った事だ。
ここに、まさに私が、自分はBではない、と漠然と感じていた事へのヒントがあった。
私はリバではなく、男性にも女性にも基本同じスタンスだという事なのだ。
私は男性を好きになっても、女性を好きになっても、どちらもモノセクシャル的な感覚で好きになっていたのである。
恋愛という場面だけでなく、普通の間柄の人に対しても、どっちかが異性で、どっちかが同性、という感覚が、たぶん他の人達と比べると無いというか、極端に少ないのだと思う。
これこそが、ストレートの人達やリバだという人達の恋愛観、いや、恋愛の話題の時だけじゃなくてもっと日常のジェンダー観が、なんか私にはしっくりこないなぁ、と長年感じていた理由だった。
コミュ障のくせに、一人ではとバスツアーの参加申し込んでしまいましたよ。
前々から行きたいと思っていた「工場の夜景」を見学するツアーというのがあるのだが、ゴールデンウィーク、全く予定がないし、一緒に行く人もいないので、ついに一人で申し込んでしまった。
私は話し出せば話せる方なので、重度ではないのかも知れないが、基本こうである。
・目が合わせられない
・なかなか人の名前や顔が覚えられない。全然似てない人と間違えたりする。
・喜怒哀楽の表情がつけられない
中でも最後の表情の問題は、ある時、なるべく笑顔を作ろうと努力してみたが、
「黒田さんは口元が笑っている時でも、目が怒っている。何を考えているのかさっぱりわからない。怖い。」と言われた事がある。
元からそうだったのかというと、そんな事もなく、一時期、演劇部に入っていて、演技では派手な喜怒哀楽は出来たのである。
まぁこれは中学生のレベルの話で、もっと高度な、クサくない自然な演技ができるかと言ったら、難しい所であると思うが。
両親は、「受験勉強の差しさわりになるから」という名目で、クラブ活動に大反対して無理矢理辞めさせたのだが、実際の所は、両親達自身がコンプレックスの塊で、どうしても私を地味な喪女に育てたかったのだと思う。私がちょっとでも華やかな世界に近づくとヒステリックに猛反対していた。
その後位から、上のような症状がどんどん進行して行ったのである。
前置きが長くなってしまったが、今回は、「工場の夜景を見学する」というツアーの性質上、まぁちょっと変わった人が来そうなので、私のコミュ障は、そんなに目立たないかも、と楽観的にも考えている。
しかし、工場を見に行く前に、夕食~焼き肉を食べる、というのがあって、全く見知らぬ人達と焼き肉をつつき合う、大丈夫なのか、という不安はある。
でも、基本乗り物に乗るのが好きなので(進行方向を向いている席に座っていられる場合に限る。満員電車は嫌い)なんとかなるかも。
開き直り
子供の頃(とりあえず物心つく頃から高校生位までは)、自分だけが他の子と同じようにできなくて、会話も成立しないというのが非常なコンプレックスであった。
今はと言うと、別にそれでいいやと思っている。
話の合わない人とは会話なんてしなくていいと思っていて、基本、仕事中は仕事の話だけ、家に帰ったら、一人暮らしなので誰とも話さないのが通常の生活だ。
酒は飲まないので、行きつけの店とかもないし、干渉されるような近所付き合いも避け、親戚・近親者とも疎遠である。
まぁ、孤独死するんだろうが、それでいいと思っている。
自分の性格から考えて、下手に結婚して家族の世話に明け暮れ、自分の時間が全く持てない生活とかになったら、ヒステリー起こしまくりババアになる事間違い無しだ。
一人で暮らせるからこそ、無害な人間でいられるのだ。
趣味のバンドとDTMを習う時だけ会話をするが、それを合わせて月3回位。
あとは通院で主治医の先生と話す位かな。
だから、週に一回位は普通に会話している。
全くさびしくないというと嘘で、だからネット徘徊するんだろうけど、かといって付き合いがストレスになるような、人並みの濃厚な人付き合いは自分には絶対無理である。
基本ワガママな人間なんだと思う。
そう、そこも、密着した関係にある相手がいないからこそ、自分が本当はワガママな人間である事がバレていないのだ。
職場では、真面目な人だと思われているんじゃないかと思う。
少なくとも、ワガママでどうしようもない人とは思われてはいないと思う。
自分にもし、恋人とかパートナーがいたなら、束縛しないし、されたくもない方だ。
できれば結婚はしないで、たまに一緒に出掛けるだけの付き合いがいいな、と思う。
若いうちはこれが可能だったが、ある年齢を過ぎてから不可能になった。
出会う人、出会う人、皆、結婚、結婚と焦っており、もうこんなんだったら恋愛なんかしなくていいや、と思うようになった。
そのうち、私の体重が爆発的に増加したので、新しい出会いもあり得なくなった。
いや、未だにつきあってと言われることもあるのだが、悪いけど、単なる普通の友達付き合いならいいけれど、キスとかセックスは無理です、という方々ばかりからだ。
自分のルックスが劣化したら、キスやセックスの許容範囲も低くなるかといったら、そんな事はない。
ちなみに、鏡で自分の姿を見て、自分自身が自分の許容範囲ではない。(爆!)
もう、これから先、恋愛は無いかもしれないな、と思う。
時々、休憩時間とか、他の女性たちが会話しているのが耳に入って来ると、「残業で旦那の帰りが遅い」「今日あった事とか話したいのに」とか聞こえてくるけど、職場の話なんかして何が面白いんだろうと思ってしまう。
やっぱり恋愛も結婚も向かないのかもしれない。
色々な幻覚の話
具合が悪かった時、色々な扮装をした人々が現れた。
白塗りに赤い目をして白いつなぎを着た人が、平屋の中へ入ってったと思ったら、同じ家から別の人だけれど、同じように白いつなぎ、白塗りに赤い目の人が出てきたり、スーパーで50cm位ある高下駄を履いた人が買い物をしていたり、ネットカフェで鬼のような形相の女性が奇声を発していたり…。
詳しくは、拙著「狂気」に書いてあるので、興味のある方はどうぞ
とにかく、こんな変なものが見えるのであるが、今日は、私には無かった、怖い体験や興味深い幻覚の話も書いて行こうと思う。
精神障碍者の家族会で、講師の方の話に出てきたのだが(講師の方が当事者のお母さんから聞いた話)、部屋が血でどろどろになっている幻覚を度々見る方がいるそうである。
私は、この話を聞いた時、何故か、胎内記憶なのでは、と思った。
妊娠生理という現象があるそうである。
妊娠の初期に、出血があった、と思ったらすぐ止まってしまう現象であるが、もしかしたら、そういう時の記憶なのかもしれない、と。
これは、科学的知識の無い私が、ふと話を聞いて思いついた事で、通常は、そんなに初期の段階の胎児には意識は未だ無いとされている。
でも、もしこれが本当に記憶の残像だとしたら、そのまま生理になってしまえば、胎児にとってはとてつもなく怖い事だったろうから、その本人がその幻覚を見てすごく怖がるのは当然だろうと思った。
それから、不思議の国のアリスに出て来るような、自分がすごく小さくなって壁がどんどん遠ざかって行く、逆に自分が大きくなって壁いっぱいになる幻覚は、洋の東西を問わず、割とよくあるらしいのだが、これも体内記憶なのでは、と。
初期の段階で胎児に意識や記憶があればの話であるが、胎児がごく小さい頃は、子宮の内壁はすごく大きくて遠くにあり、出産間近にはぎゅうぎゅうの状態にあるので、壁が迫って来たり遠ざかったりって、やはり胎内記憶の再現なんじゃないかな、とか。
自分がよく見る夢で、薄暗い中をウォータースライダーみたいな感じで滑り降りて行く、というのがあるが、こういう夢を見る人は多いらしい。
これも、生まれてくる時の記憶なのか、というと、そのようにも思えるが、私の場合はその時の周囲の色って、なんとなく青っぽい。
赤っぽかったらいかにも誕生の記憶らしいけれど。
これは実際にプールにあるようなウォータースライダーが大体青なので、記憶がごっちゃになっているのかもしれない。
下ネタ注意!~トイレに行ったら、血管付きの腸の内膜が出てきた話
他のブロガーさんが、小腸は人間の体の中で一番新陳代謝が活発だと書かれていて、なるほどと納得した。
固いウ〇コをしたら、それが白い薄い膜で被われていた事がある。
「たぶん、古くなってはがれた小腸の内膜が一緒に出てきたのだな」と思った。
そういう事は何度かあったのであるが、ある時、びっくりするような事があった。
透明の、ゼリー状の平べったい塊が出てきたのである。
それも、たった今まで身体の一部として機能していたばかりのような状態で、赤い細い血管が透けて見え、それが収縮したりして脈打っていたのである。
まるでUMAか何かのようだった。
腸って、血管ごとはがれるような事もあるんだな、と思った。
購読中のブロガーさんが服の事について書かれていたので
私も書いてみようかと。
そのブロガーさんは、自分が着るとなんとなく決まらない、なんでだろう、と書かれていたが、私が決まらない理由ははっきりしている。
チビでデブだからだ。
今の職場はそれが許される所なのと、冬でも全館暖房で暑い位なので(ホント電力の無駄だと思うが)一年中Tシャツとデニムだ。
もっと体系をカバーできる服を着りゃいいのに、と思う人もいるかもしれないが、そもそもフェミニンな服は苦手なのだ。
あと、動きにくい服、汗を吸わない素材も苦手。
でも、まぁ決まらないのは、自分の体形に帰するのであって、服自体がダサイとは少しも思っていない。
90年代のリアルクローズ時代から、ずっとあの時代の音楽やファッションが好きな私は、着やすい服≒ダサイとは思っていないからである。
時代の流行が一回りして来て、ここの所、また女の子の服が、ボーイッシュなのもちらほら見かけるようになった。
まぁ、最近のそういう若い子は口紅は赤い(透明感のある赤)のが流行りみたいだけど、おばさん(私)はすっぴん。
そういえば、ファッション雑誌って、買った事がない。
ファッション雑誌というものは、年代でかなり細かく区切られているらしいけど。
ほとんどの女性向けの服って、自分の好みから言うと、おしゃれとされているものが、どこがいいのかおしゃれなのかさっぱりわからない。
自分が唯一かっこいいと思うのが、男性(もしくはボーイッシュな女性)のストリート系ファッション。
で、年齢という壁もあるのだが、他人にどう思われようが、変人扱いされようが、自分の年齢や性別ならこれ、とされているような服を着ようという気が全くしない。
スーツとか礼服とか着なきゃいけない場面は除いて、お金を払って、わざわざ着たくない服を買うなんて論外だと思っている。
これは、どんだけおばあちゃんになっても、たぶん変わらないような気がする。