一日目・夕 都道6号線
「よし……」
住んでいた街を離れて約半日。
出発をしてから俺は、幾度となくモンスターと遭遇し何度も同じ様な命のやり取りを繰り返してきた。
これまでに出会ったモンスターは三種類。
ゴブリン、スライム、ロックリザード。
その内、倒したモンスターはゴブリンのみ。
そのほかのモンスターは出会ったものの、倒すまでには至らず逃げ出すという結果だ。
というのも、やはりと言うべきかゴブリン以外のモンスターがやたらと強いのだ。
スライムは透明で粘度の高い液体の身体を持つモンスターだった。
その特徴は液体の真ん中に核らしき球体が浮かんでいることと、動きが遅いこと。
スライムの動きは遅いが、その攻撃手段は相手を飲み込み捕食するというもので、これがなかなかに恐ろしかった。
初めて見かけたスライムは、なんとゴブリンを捕食中だった。
一匹のゴブリンが、何匹ものスライムに襲われて、全身をゆっくりと溶かされ捕食されていたのだ。
ゴブリンは捕食してくるスライムからどうにか抜け出そうと必死に藻掻いていたが、液体であるスライムの身体を掴むことはできないようだった。
ゆっくりと、身体を溶かされ捕食されていくゴブリンに、俺は背筋を凍らせてその光景を見つめるしかなかった。
やがて、ゴブリンがぐったりと動かなくなったところで俺は瓦礫の陰から飛び出し、そばにあった石を投げつけた。
石はスライムの身体に当たって、液体の身体の一部を飛ばした。しかし、すぐにその身体は集まって元の姿へと戻ってしまう。
石を持って砕いても、錆び付いたとは言え刃物である包丁で切り付けても結果は同じ。
動きが鈍く集中して避ければ捕食されることがないとは言え、どんなに傷をつけても再生するスライムを倒すことが出来ず、俺はその場から逃げ出すしかなかった。
スライムから逃げ出した俺が次に出会ったのは、ロックリザードだった。
ロックリザードは名前の通り、全身が灰色に染まった蜥蜴だ。正式名称はなんと呼ぶのか知らないが、俺は勝手にそう呼んでいる。
体長は三十センチと蜥蜴にしては大きく、そのくせ動きは普通の蜥蜴と同じぐらいに素早い。攻撃は噛み付きなのだが、それが強烈で岩を噛み砕くことができる。どうやら、ロックリザードの主食は岩のようで、倒壊したビルの瓦礫の破片を食べているソイツに俺は出くわした。
蜥蜴並みの素早さを持つそいつに、俺の攻撃はほとんど空を切り、当てることさえできなかった。
それなのに、ロックリザードは岩を噛み砕くその口で、俺に向けて噛み付いてこようとする。
俺の攻撃は当たらず、一回でも噛まれれば肉ごと噛みちぎられる。
本能的恐怖を感じなかったから、生き物としての格は同じなのだろうと思った。
けれど、それとは別にステータスが足りず今の俺では太刀打ちができない。
自分の身体を犠牲にすれば攻撃を当てることは可能だろうが、それだけは絶対にやりたくはなかった。
一応は応急セットを持っているとはいえ、それも万能じゃないのだ。
怪我をするリスクは出来るだけ減らしたほうがいい。
倒せるモンスターは倒して、無理なモンスターからは全力で逃げる。
決して少なくはないモンスターと戦闘を繰り返してきたけれど、命のやり取りは未だに慣れない。
だが出発した当初に比べれば格段に自分の動きが良くなってきているような気がする。
もしかすれば、またレベルが上がっているのかもしれない。
出発してから常に気を張って回りを警戒していたから、未だにスマホのステータス画面を確認できていないのだ。
だがそれでも確実に言えることは、俺はまだ生きているということ。
化け物が蔓延るこの世界に何とか食らいついているということだ。
俺はゴブリンが消えた後に残された、目に突き刺さっていた包丁を地面から拾い上げるとその刀身に付いた血を振り払った。
鞘なんてものはないから、包丁は手に持つしかない。
俺は周囲へと目を配る。
茜色に染まっていた空はいつしか群青へと変わり、あたりは薄暗い闇に包まれ始めている。
当初の予定ならばもう新宿に到着している頃だ。
だが、俺は新宿どころかそこに並ぶビル群さえも目にしていない。
近くにある、錆びて崩れ落ちた看板に表示されている文字は『新宿まで約三十キロ』と書かれていた。
俺は今、旧立川市にいた。
旧、というのはここ立川の街もビルや家屋が倒壊し、廃墟となっていたからだ。かつては西の新宿とまで言われていたこの立川も、他の街と同様に廃墟となってしまっている。
瓦礫や倒壊した家屋には苔と草木が生い茂り、伸びた樹木の根本にある剥がれたアスファルトがもの悲しい。
かつては都道16号線と呼ばれていたこの道路も、今やかつての面影は何もなかった。
「っと」
ひび割れたアスファルトに足を取られて声が出る。
かつて舗装されていた道路は今や凸凹に崩れている。
それだけでなく、ヒビや穴が開いたアスファルトの隙間からは生えた草木が地面を隠し、注意深く歩かなければ今みたいに足を取られることが多いのだ。
加えて、モンスターと出会えば回り道をしてその場から逃げるか、戦うかを選ばなければならない。
そんな状況では、ただ街を抜けて進むだけでも普段の倍以上の時間がかかるのも仕方がないだろう。
「……とは言っても、時間をかけすぎたな」
暗くなった周囲に心が焦り始める。
闇で覆われた街を進むのはかなり危険だ。
モンスターたちにも夜目があるのか分からないが、少なくとも人間よりかは夜目が効くはず。
人間より夜目が効くということは、それだけ奇襲を受ける可能性が高くなるということだ。
そろそろ安全な寝床を探して、夜明けを待つ方が賢明だろう。
都道を進みながら、両脇に並ぶビルに目を向ける。
すると、ふとそのビルが目についた。
目についたビルは上層部こそ倒壊しているものの、中層から下層部は倒壊せずに廃墟となって残っていた。
中に入ることができれば、夜の寒さを防ぎ、風を避けることができる。
問題は、そのビルがモンスターの根城となっていないかどうかだ。
俺はゆっくりと周囲を警戒しながらビルへと近づく。
茂みの中からビルの中をのぞくと、一階部分は窓ガラスがすべて割られているのが見えた。
もとはどこかの会社のエントランスなのか、半円状の受付カウンターが正面に見えている。
しかし、そこにモンスターの姿はない。
二階や三階は分からないが、受付カウンターの裏側になら姿を隠すことは出来そうだ。
広さ的にも、身体を横にすることができる広さぐらいはあるだろう。
足音を立てないよう、こそこそとビルへと近づき、割られた窓を乗り越えてビルの中へと侵入する。
「お邪魔しまーす」
誰もいないはずなのに、ついそんなことを口にしてしまった。
当然ながら返事はない。
足を踏み出すと、床に散らばったガラスが割れて音が鳴った。
一瞬びくりと身体を震わせたが、やはり気配はない。
俺は安堵の息を吐き出すと、警戒を切らすことなく受付カウンターへと足を進める。
半円状のカウンターの正面に立ち、ゆっくりとその裏側を覗き込む。
床に倒れた錆び付いた椅子が二つ。あと目につくものと言えば元は書類なのだろうか、黄ばんだ古ぼけた紙が床にいくつか落ちていた。
モンスターがいることも想像していたが、最悪の状況にならずに済んだようだ。
俺は素早くカウンターの裏側へと潜りこむと、しゃがみこんで姿を隠した。
これで、外から俺の姿を見られることはない。
安心はできないがひとまず休憩することは出来るだろう。